第12話 拒絶

 ――バタンッ、と扉が開け放たれた。


「――お父様!」


 今だけは、開びゃくの鐘の音に思えた。夜会と変わらず鉄扉が軋むような音だというのに、逃げ場を探す今だけは。


 リディエラ、とダグラクスはたしなめた。呼ばれていない者は、謁見の間に立ち入ることを許されない。外に近衛兵がいたはずだが、押し入ったのだろう。

 カッ、カッ、と間を置かない足音で進むリディエラは、中央を堂々と抜けた。ラインヴィルトとハルヴェルの繋がりを断ち切るかのように、捕食者たちの標的を自分へとすり替えるかのように、玉座の真下まで歩んだ。その白魚のような手を、赤くなるほど握り締めていながら。


「お父様の代から懇意にしている商人ですが、南方の剣を仕入れておりました!ご存じでしょうか、剣と言うには不思議な形をしていて、柄の装飾がとても美しいのです。きっとお父様もお気に召すと……」

「やめろ!」


 びりっ、と空気が揺れた。ダグラクスの声は怒っており、視線も鋭いものに変わっている。後ろ姿ながら、ハルヴェルはリディエラがひるんだのを認めた。ドレスに着られている体躯は、父の剣幕に震えていた。


 ハルヴェルは、貴族だ。あと十年前後で辺境伯位を継承すると言っても、大した権力は持っていない。この場にいる誰よりも弱く、誰にも抗えない。そしてそうでなくとも、ハルヴェルはきっとリディエラの前に立つことはしないだろう。互いに交友の顕在化を望んでいないのだ、ハルヴェルが出しゃばるのは悪手だ。


 ふと、セーグルの微笑みを思い出す。大きい何かを失ったかのような、心を過去に置き去ったかのような、憐情を誘う目元。恵まれた環境を手放してまで付き従ったリズリエラは、セーグルにとってどれほどの存在だっただろうか。リズリエラが息を引き取ったとき、セーグルはどれだけ悔やみ、己を呪っただろうか。ハルヴェルが、自分にとってのリディエラは違う、と断言できないのは、なぜだろうか。


「陛下」

「ラインヴィルト、続きはまたの機会にする」

「いいえ、今確認すべきと進言いたします。リディエラ、彼に見覚えがあるだろう?」


 目を見開く、ハルヴェル。

 ゆったりと振り返る、リディエラ。


 おとぎ話の一節であれば、情動を揺さぶる美麗な再会。勇敢な貴公子は、かわいそうな姫の手を取る。かわいそうな姫は、勇敢な貴公子の隣に立つ。そうして縁を結び、繋いだ糸を何者にも断ち切らせない。否定する者を抑えつけ、きれい事でできたシーツに寝そべる。

 いつだったか、リディエラはそれが好みではないとハルヴェルに打ち明けた。幸は不幸を呼び寄せると、知った風に呟いた。

 ハルヴェルは、その様子から目を背けた。文字を並べても慰めにはならないと理解しているから、何も応えなかった。何も喋らず、リディエラの声にただただ耳を傾けた。それが過ちだと、なぜ、今になって。


 今度こそ合った互いの目には、ためらいが宿っている。


「……いいえ……いいえ。殿下のご友人なら、ご紹介いただかなくて結構です」

「先程、すれ違ったはずだが。星合の夜に挨拶もしていた」

「覚えておりません」

「であれば――今名前を聞いておくか?お前の益になるかもしれない」

「だからっ、いりません!」


 悲痛な叫び声だった。ラインヴィルトをにらむ双眸に、懇願がにじんでいる。自分自身を偽ることができない程度には、リディエラはハルヴェルを大切に思ってしまっていた。傷つけさせないために、消えさせないためだけに生きていたはずなのに、この身を退かなかった。

 孤独は寂しい。虚構は罪深い。たった一人がいれば良かったはずなのに、二人目を求めてしまった。取り巻く状況から目を逸らし、書庫でハルヴェルを待つようになってしまった。硬いスフェーンが溶ける瞬間、その中に自分が映る、たったそれだけのことで心が浮き立つ。何も言わずに側にいてくれることが、何よりも自分を慰めてくれる。辛い、苦しい、悲しい、これらに類する感情の全てを、少しかすれた低い声が静寂に誘ってくれる。

 そして、それらは弱さとなった。


「確かに、彼とはすれ違うことがあるでしょう。ですが、それだけです。私は彼を知りませんし、これからも、夜会以外の場で会うつもりはありません」


 最後は、ハルヴェルの目を見て紡いだ。その強い眼差しは、ハルヴェルの戸惑いを終わらせようとする。


 そもそも、二人は出会わないはずだった。たとえ居合わせても、言葉を交わさないはずだった。半年もの長い間、時間を分け合わないはずだった。

 未練がましくも、セーグルが願ったから。

 情けなくも、リディエラが子供だったから。

 拙くも、ハルヴェルが優しかったから。

 偶然にも、過去と現在が重なったから。


 ダグラクスは、ハルヴェルとラインヴィルトに退室を命じた。リディエラは形だけの礼をし、そのまま顔を上げない。ラインヴィルトへの敵愾心と、ハルヴェルに対する拒絶。突き放した静けさの中、ハルヴェルの口は、ついぞ言葉を紡がなかった。

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