第11話 国王
現グリーティス王国国王は、その名をダグラクスという。王太子であった頃、父親である当代国王の名代として敵国を退けた。政治に秀でた賢王ではないものの、戦後の発展を導いた国王とも評されている。従って、その支持率は高くあって然るべきだ――その人間性に目をつむれば。
尤も、それが公然の事実となることはありえないが。少なくとも、保守派は現時点でダグラクスを廃位させるつもりはない。国政と経済が上手く回っている時代、感情論で動乱を引き起こして何になる。害が益を上回らないのなら、国王の汚点は蓋をして終いだ。
だからこそ、ラインヴィルトはハルヴェルを平然と連れてきた。ハルヴェルが無知に等しいのを幸いとばかりに、何の前触れも無く糸を絡め取った。
徐に視線を上げる、初老の王。
「……よくできている。さすが、サンドルト辺境伯の子だ」
「恐悦至極に存じます」
毛足の長い、紅緋のカーペット。それを永久に繰り返す、壁一面の鏡。国王の招致無くして何者も入ることは許されない、王が王であるためだけにしつらえられた空間。この謁見の間に、ハルヴェルはラインヴィルトの思惑によって招かれた。
じっとりと汗ばむ背中が気持ち悪い。ラインヴィルトに会って以来、否、王都に来て以来、ハルヴェルは予想だにしない展開に押し流され続けている。田舎者が都会に揉まれて、という話ではない。何事も無く二年間を消費するつもりでいたのに、王女に続き第一王子にも名前を覚えられてしまっている。
前者はまだいい、今のところは表沙汰になっていない。王女と臣下として、あくまで互いに無関心だ。しかし、後者は別だろう。星合の夜に話しかけられただけならまだしも、今日の行動を共にしていることはどうしても誤魔化せない。そのうえ、謁見の間に立ち入ってしまった。傍から見れば、第一王子がハルヴェルを重用している証だ。
明確に言ってしまえば、ダグラクスはラインヴィルトに劣る見た目をしていた。茅色の散切り頭には潤いが無く、無精ひげのせいでいっそう老いた印象を抱かせる。青い瞳を持っているものの、それも埃が積もった瑠理の杯のごとく、過去をしのばせるだけ。太陽を隠し春を抑圧する、厳冬の体現者。
ダグラクスは、ハルヴェルを呼んだ。何を探ろうと言うのか、どこか不安心をはらんだ目を細め、声を発する。
「ラインヴィルトとは親しいのか?」
「恐れ多くも、本日は殿下よりお声がけいただいた次第でございます」
「そうか。であれば、他にも……――リディエラとも話すのか?」
――ハルヴェルの脳内で、けたたましい警鐘が鳴り響いた。
王女殿下でございますか、と時間を稼ぎつつ、思考の歯車を一心不乱に回す。つぅ、と背筋を伝う冷や汗に気を取られないよう、両足のつま先をぎゅっと丸める。
この質問の意図は、何だ?果たして、どこまで知っている?ラインヴィルトが書庫での二人を把握しているのは確実だ。問題は、その情報がダグラクスの耳にも入っているか、あるいはダグラクスこそが情報源か。
リディエラは誰かを恐れている。脅迫めいた状況に陥っているから、傍若無人の虚飾をまとっている。ハルヴェルは、その元凶がラインヴィルトではないかと疑っていた、ラインヴィルトのことを話すリディエラが、不自然に緊張していたゆえに。しかし、そうではないとしたら。
刹那の熟考を切り上げ、どうとでも取れる表情を作った。
「夜会での王女殿下は、常に多くの人と共に有らせられるように存じます。残念ながら、ご挨拶以上のことは私には難しく……」
「夜会ではそうだろうな。そうでなければ話すのか?」
「……未だ、こちらに参り半年ですので……」
「……機会が無い、ということか?」
「……いえ」
ハルヴェルはついに観念した。言葉の綾で言い逃れようとしたが、不可能だ。冬眠を知らぬ、執拗なヒグマ。死の気配を振り切らんと、見つけた獲物を一心に追い回す。ダグラクスには、それほどに重大な何かがあると見えた。
客観的に推測すれば、勢力図の変動を危惧している。もしハルヴェルを仲介にサンドルト辺境伯家が王女派に付くのなら、第一王子派との力量差が幾ばくか縮まり、内乱という未来が現実味を帯び始める。
しかし、それは依然万が一の話であって、長期志向であるサンドルト辺境伯家が王女派に付くことこそ非現実的だ。仮にそう考えているなら、ダグラクスの懸念は他にある。尤も、それを指摘する度胸はハルヴェルに無いが。
ただし、この場にはもう一人いる。
「――陛下、よろしいでしょうか?」
「……何だ?」
「私は彼と知り合い間もないですが、トランヴァルトならともかく……失礼ながら、リディエラが好む人柄ではないと存じます」
言外に、なぜリディエラなのか、と問うた。闇を這う、怜悧な大蛇。己が目的を果たさんと、締め殺し飲み込む機を窺う。ラインヴィルトの腹積もりは、ハルヴェルの察するところではない。ハルヴェルとリディエラに目を付けているのは確かだが、ダグラクスにその親交を知らせる気はあるのだろうか。
気づかぬうちに奈落の迷路へ放られ、出口を求めて歩く傍ら、髪の毛にも似た糸が指先に絡みついてくる。
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