第8話 不透明な過去

 ハルヴェルは思案した。輿入れに随身したとは言え、セーグルの待遇はあまりに恵まれている。


「不躾なことを聞きますが、先生の生まれは……?」

「少し裕福なだけの農家ですよ。ただし、一代限りの爵位を賜うていました。当時の皇子殿下……現在の皇帝陛下が、私の研究を畏くも評価してくださったのです」

「返上して、この国へ?」

「いえ、私の故国では、基本的に剥奪の形でしか爵位を失いません。死んだことにされていなければ、今も持っているかと」


 剥奪されればさすがに通告があるでしょう、とセーグルは少しだけ笑ってしまった。本人たちに言ったことはないが、兄妹である皇帝とリズリエラは心根が似ている。途方もない根気を要する言語学に対し、セーグルも含め学者の話を聞き、後援を考えてくれた。教え子として送り出したハルヴェルの兄も、それなりの環境で研究を続けられているはずだ。


 それはそうと、ハルヴェルの疑問は分かる。


「進んでリズリエラ様に随従したのは、私と数人の侍女や騎士だけです。しかし他の人々を合わせても、二十人に満たなかったと記憶しています」

「たったそれだけですか?」


 セーグルの示唆に、ハルヴェルは訝しんだ。異国での縁結び、それも王族であれば、共に来る者が二十人未満とは信じがたい。隣国とグリーティス王国に言語の障害はほぼ無いが、力関係は前者のほうが圧倒的に上だ、ひんしゅくを恐れてということではないだろう。また、臣籍降下の可能性が高いリズリエラ皇女より、リズリエラ王妃に仕えているほうが従者としての地位も高いはずだ。グリーティス王国が田舎ではないが都会でもないことを鑑みても、あまりに少ない。


 純朴な御方でした、とセーグルは言った。そして、だからこそ味方が少ないのだと。


 王族に必要なのは、大衆性ではない、皆を惹きつけ圧倒的強者であり続ける力だ。それは素質でもあり、育むものでもある。民に支持はされるべきだが、民に共感されてはならない。守るためにも支配するためにも、王族と非王族の間には、何があっても埋められない溝が無くてはならない。

 そういう観点で言えば、とハルヴェルは想起した。リディエラは、王族たる姿をほぼ完全に維持している。大理石を踏み鳴らすヒールも、虫を呼び寄せるくどい香水も、王族という圧倒的強者の姿だ。なればこそ、その本性を自分だけが知っていて良かったとハルヴェルが感じるのは、何ら道理から外れていないだろう。

 そう結論づけた後、ハルヴェルは本題への口火を切る。


「――リディエラ王女殿下のあの言動に、心当たりが?」


 ただの感傷のためだけに、セーグルがハルヴェルを呼んだとは思えない。二人の共通点はハルヴェルの兄とリディエラだが、リズリエラの話をした以上、今話したいのは後者だろう。


 ところが、期待は外れた。


「分かりません。何度お聞きしても、何も無いとおっしゃるのみで……」

「きっかけは、正妃の逝去でしょうか?」

「いえ、それは恐らく違うでしょう。リディエラ様が乱費なさるようになったのは、三年前……十一歳の頃です」


 三年前を回想してみても、王族や王国内でそれらしい出来事は起きていない。王族の披露は十歳を目処に行われるから、ラインヴィルト第一王子や、リディエラより二つ年下である第二王子のお披露目ともずれる。

 強いて言えば、自分の存在が公になったことで間違った力の振るい方を覚えてしまったか。されど、見本となりえるラインヴィルトにその嫌いは一切無い。また、本来のリディエラには教養がある、その振る舞いの先は自滅だと気づいているはずだ。


「そういえば……」


 ハルヴェルの脳裏によみがえった、星合の夜。

 ラインヴィルトがこぼした、不明瞭な一言。


「星合の夜、第一王子殿下が『これが最後だ』とおっしゃっていました。確か、リディエラ殿下の退場の際だったと思います」

「最後、ですか。……何のお話でしょう……?」

「それは私にも。リディエラ殿下に謁見できる機会は限られているというお話をされたので、それと関係があるのかもしれませんが」


 セーグルは、リディエラに理由を打ち明けてもらえなかったと言った。しかし見て見ぬ振りはできないゆえに、ハルヴェルに助力を頼んだ。かつての主君の忘れ形見なのだから、リディエラへの心配はより強い。

 そして、その策は今のところ間違っていない。ハルヴェルとリディエラは、二人きりの時間を通して良い心情を互いに抱いている。残り一年と半年という時間で、ハルヴェルがどれだけリディエラに近づき、リディエラがどれだけハルヴェルを信頼できるか、未来はそれによって変わる。


 知らずのうち、ハルヴェルはその目を伏せた。濁った液面に見てしまうのは、ほころぶ幼気な花。フルートのごとくしとやかな音色で、楽しそうに文字を紡ぐ。闇を知らないようなのに、昼には生きられない月光の少女。その瞳の輝きは常にか弱く、不意に遠くを見詰めては滴を生む。その度にハルヴェルは目を逸らし、息を潜め、ただ、すぐ側に居続けている。


 何にせよ、今は何一つ分からないのが事実だ。セーグルがハルヴェルに寝床を一つ貸し、二人共今日を終えることにした。

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