09 それぞれの胸のうち






 デートの翌日から、メアリは毎日のようにコーザに会いにいった。


 仕事の邪魔にならないよう、夕方のほんの数時間だけ。

 いっしょに食事をして、おしゃべりをして。

 たったそれだけのことが幸せで、コーザと過ごす時間が楽しくてしかたなかった。


 村を訪ねるときは、かならず守護石を身につけるようにした。

 水星の力を貯めた守護石。ディドウィルひとりくらいなら、寄せつけない力をもつ。


「革は厚くて縫えないから、あらかじめ針を通すための穴を開けるんだ」


 食材を煮込んでいるあいだに、コーザが革細工を教えてくれた。

 作業場の椅子にメアリを座らせ、コーザはその後ろから道具をセッティングする。


「そのためにこの金属の工具と……ハンマーが必要なんですね」

「そう。穴を開けるこの工具が、菱目打ひしめうち」


 フォークのように先端が4つにわかれた、ノミのような『菱目打ひしめうち』。

 メアリはそれを右手に持って、革の端に押し当てた。


「菱目打ちを斜めに当てて、穴をあける場所を決めて……それから垂直に起こす」

「垂直に?」

「そう。ズレないように……」


 コーザは後ろから手を回し、メアリの右手に自身の右手を重ねた。


(て、手が……!

 ダメ、せっかく教えてくれてるんだから、集中、集中……)


 革に菱目打ちの先端を斜めに当て、そのまま先を押し当てながら垂直に起こす。


「このままズレないように注意しながら、菱目打ちを左手に持ち替えて……右手にハンマーを持って」

「は、はい」

「ハンマーで菱目打ちのおしりを思いっきり、叩く」

「えいっ!」


 言われたとおりにハンマーを当てたものの、力が弱すぎて「コツン」と軽い音がしただけだった。


「一緒にやろう。いくよ」

「はいっ」


 菱目打ちを支える左手、ハンマーを持つ右手。

 その両方にコーザが手を重ね、ハンマーを振り下ろした。


 すると2回叩いただけで、菱目打ちが革の裏側まで貫通し、綺麗な穴が開いた。


「できました! すごい、なんだか気持ちがいいですっ」

「だよな。無心でできるから好きなんだ、革細工」


 そう言ってコーザは、少年のように笑った。








 食事を終え、食器洗いのためメアリは炊事場に立った。

 料理を作ってもらってばかりでは申し訳ないので、片付けだけでもさせてほしいとメアリが申し出たのだ。


「コーザさん、終わりました……あれ?」


 片付けのあいだ、作業台で革細工の作業をおこなっていたコーザに声をかける。


 コーザはいつのまにか、机につっぷして寝ていた。

 軽く声をかけるが、覚醒するようすはない。


(……もしかして、わたしが来るのが負担に、なっちゃってるのかな)


 メアリはここのところ、毎日のようにコーザに会いにきていた。

 コーザも毎回「明日も来るだろ?」と言ってくれるので、その言葉に甘えてしまっていた。


(やさしいから、そう言ってくれてるだけかもしれない。少し、日にちをあけたほうが良いのかも……)


 メアリは寝ているコーザのとなりに椅子を持ってきて、膝をかかえた。


 あの、デートの日から。

 さすがのメアリも、自分はコーザに恋をしていると、ようやく自覚した。


 恋って、むずかしい。

 好きだから、毎日でも会いたいのに。


 だけどまだ、自分が女神だと明かして良いものかは、悩む。

 しかしそれを明かさないかぎり、メアリが想いを伝えることはできない。


 悶々と考えながら、メアリはうとうとと瞼をとじた。








 ◇◇◇


 コーザは、はっと目を覚ました。

 作業台に座ったまま、眠ってしまったらしい。


 メアリは、と慌てて振り返ると、自分のすぐとなりで、椅子に腰かけたまま眠っていた。


「……やっちまった」


 思わず声を漏らすコーザ。

 窓の外には白い月が昇っていて、すでに真夜中になっていた。


 メアリを揺り起こそうとしたが、起こすのも可哀想か、と考える。


「……せめて布団に寝かせるか」


 コーザは、熟睡しているメアリを抱きかかえた。

 メアリをそっとベッドに下ろすと、自身も床に座りこむ。


「……メアリ」

「ん…………」


 小さく名前を呼ぶとメアリは寝返りをうったが、そのまままた寝息をたてはじめた。


 コーザはメアリに触れたくなり、手を伸ばしたが、すんでのところでその手を止めた。


(無防備すぎる……)


 それだけコーザにこころを許しているということだろう。

 そうわかっていても、この状況はコーザにとってはなかなかつらいものがあった。


 透き通るような白い柔肌。

 つややかな薄桃色のくちびる。

 色素のうすい長いまつげ。


(女神……っていうのも、ただのたとえ話じゃないのかもしれない)


 コーザは、メアリと出会った日のことを思い出す。


 雨霞のなか、湖のほとりで眠っていたメアリ。

 コーザの目には、女神が祈りを捧げているように映ったのだ。


 女神だとすると……と、さまざまな考えがコーザの頭をめぐった。

 しかし、考えてもしかたないと、コーザはすぐに思考を手離した。


「明日も……会いにきてくれよ」


 コーザはメアリの前髪をすくい、そっとひたいを撫でた。

 メアリの細くたよりない指に、自身の指をからめ、そのままふたたび意識を手離した。







 ◇◇◇


「ほんっとにほんっとーに、ごめんなさい!!」

「いや……先に寝ちゃったの、俺だから。俺こそごめんな」


 翌朝。

 目を覚ましたメアリは、眼前で寝息をたてるコーザに驚いて飛び起きた。


「支度のお邪魔になってしまうので、すぐに帰ります!」

「待って、メアリ」

「え?」


 謝りたおして天界へ帰ろうとするメアリを、コーザが呼び止めた。


「昨日渡そうと思ってたけど、寝ちゃったから」


 コーザが手渡してくれたのは、革でつくられた髪飾りだった。


「革細工の、髪飾り。

 メアリに似合いそうな花の刻印を、あしらったんだ」

「かっ……かっ、かわ、かわいすぎます……!!」


 ふかい湖の底のような、鮮やかな浅葱色に染色された革でつくられたバレッタ。

 数種類の花の刻印がきざまれ、まるで花冠の一部を切り取ったかのような華やかさがある。


「こんなにすてきなもの……頂いていいんですか……!?」

「あぁ。メアリのために作ったから」


 ちょっと照れたようすでコーザが言うので、メアリのこころがきゅんきゅんっとはじけた。


「あの、つけたいです。どうやってつけるんですか?」

「あー……貸して」


 コーザは髪飾りを手にとり、メアリの背後にまわった。

 メアリのやわらかな髪をすくい、バレッタで留める。鮮やかな青が、メアリの銀髪によく映えた。


「できた。よく似合ってる」

「うれしい! コーザさん、ありがとうございま……」


 メアリが振り返ってお礼を言おうとすると。


 とつぜん、コーザが後ろからメアリを抱き締めた。


「……こ、コーザ、さん……?」


 メアリはおどろいて、上ずった声をあげる。


「……ごめん。嫌だったら、言って」

「い、いやでは……ないです」


 メアリからは、コーザの表情はみえない。

 余裕のなさそうなコーザの声音を心配しながらも、メアリはなんと言えばいいのかわからなかった。


(昨日、わたしがベッドで寝ちゃったから、疲れちゃったのかも……)


 後ろから回されたコーザの腕に、メアリはそっと両方の手のひらを重ねた。

 背中に伝わるコーザの体温に緊張しながら、メアリは祈りをこめた。


 コーザとメアリの体温が、混ざり合う。

 やわらかなうすい布に包まれたかのような心地よさが、ふたりを包む。


「……大丈夫、ですか?」

「あ……あぁ。ごめん」


 数十秒ののち、メアリが声をかけると、コーザはそっとメアリから離れた。

 メアリは振り返り、不安げに言う。


「あの……わたし、毎日遊びにきてしまって、迷惑では……ないですか?」


 メアリが思いがけないことを言ったので、コーザは吹き出して笑った。

 笑うコーザを、メアリは不思議そうに見上げる。


 コーザはメアリの頭を、そっと撫でた。


「メアリに会えるのが、俺のいちばんの楽しみだから。

 来てくれないと、困る」


 そして、身をかがめると。

 メアリのひたいに、ちゅ、とキスを落とした。









 ◇◇◇


 天界の、神々が住まう神殿。

 その月姫殿つきひめでんの廊下を闊歩しながら、月姫つきひめは苛立っていた。


「母上、どうなさいましたの?」


 イライラしたまま月の御殿に入ってきた月姫に対し、娘の輝夜かぐやは落ち着いた様子で問う。


「どうもこうもありませんわ!

 あの水星の女神 ちんちくりん ったら、数千年も神々をヤキモキさせておいて、人間に恋をするってどういうことですの!?」

「まぁ、人間の男性に?」

「そうよ!!」


 月姫は苛立ちを隠すことなく答えると、ギリギリと爪を噛む。 


(どうしようもない女神……! なぜみずから幸せを棒に振るようなことを!?

 大体ここまで面倒を見てやったのに、いつもオドオドしてばかりでろくに懐きもしないし……!!)


 メアリがオドオドするのはなのだが、月姫は自分に原因があるかもしれないなどとは一切考えなかった。


輝夜かぐや、あなたに使命を与えますわ!!」


 月姫は眉間にしわを寄せたまま、フンと鼻を鳴らした。







Ⅱ.この気持ちの正体は  fin.

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