第2話【挿話】孤高(?)の金狼陛下とその側近たちに走った激震

 その日、ウルファイン帝国中枢部――もっとはっきり言えば皇帝の最側近たちの中にはいまだかつてないほどの動揺が走っていた。

 宰相も護衛騎士も、何より皇帝自身が疑心暗鬼になり呆然とした空気が漂う皇帝執務室の中に、追加でもう一人。


「ホントかよ!? ついに志願者が現れたんだって!?」


 息を切らし、ばたんと大きな音を立てて扉を開いて駆け込んできた男は、皇帝に幼少期から仕えてきた補佐官、ヒューイ・ロイスフェルド公爵令息である。


「部屋に入るときはノックくらいしてくださいよ! まあ、焦る気持ちはわからないではないですけれど……」

「以下同文だな」


 苦言と同意を同時に示してみせた宰相セオドア・ファーディナン侯爵と、簡潔明瞭な言葉でそれに完全に乗っかった皇帝専属護衛騎士グレッグ・デフォレスト卿。

 そして――。


「……ヒューイ、俺の頬をつねってみてくれないか?」


 側近たちに負けず劣らずの動揺っぷりで、ナチュラルに部下に不敬罪を唆すそんなことをのたまう皇帝フェイダン・ウルファイン陛下。


「じゃ、遠慮なくいきます」

「……うががっ!? やったな? お返しだ!!」

「ぐぎぎっ!?」


 ヒューイ補佐官が指示通りにフェイダン陛下の頬をつねり、フェイダン陛下が少々理不尽にヒューイ補佐官の頬をつねり返したところで――。


「……痛い。ってことは、現実だということですか……」

「ああ、そうだな。ってことは……」


 ――顔を見合わせた二人は、どちらからともなく同じ言葉を呟く。


「「ついに、ついに皇帝のを自ら志望する姫が来てくれたぞ!!」」


 一拍遅れて「わあっ」というみんなの歓呼の声がこだました執務室内では、誰も彼もが一気に脱力してくたりと椅子にへたりこんだ。

 だが同時にしみじみと喜びを噛みしめるようにして、各々がこれまでの歩みにぼうっと思いを馳せ始めたのだった。


***


 すべての始まりは五年前、前皇帝夫妻の死去に伴って現皇帝が即位した日に話は遡る。

 新皇帝となったフェイダンは、当時二十歳。

 長年男所帯の騎士団に在籍し、しかもここ数年は戦地を転々としていることが多かったフェイダンは、結婚適齢期に入っていたにも関わらず結婚はおろかいまだ婚約者さえ定まっていない状態だった。

 そこで即位からまもなくして婚約者候補が選定されることになり、選ばれた令嬢が城に上がる日を迎えたのだけれど――。


「離れたくない。離れたくないよ、リリア!」

「私だって! 私だってあなたと別れるなんて嫌だわ!」

「くそっ、なんで皇帝なんかがいきなり僕たちの間に割り込んできたんだよっ……!」

「全くだわ! 私は妃になりたいだなんて、一度も言ったことはないっていうのに!」


 ――選ばれた令嬢には身分違いの恋人がいたらしく、その逢瀬の現場をフェイダン皇帝は偶然目撃してしまったのだった。

 しかも互いに対する愛を囁くばかりではなく、フェイダン皇帝への恨みつらみまで容赦なく吐き出しているという有様。

 ついでに言えば令嬢を選定したのは皇帝自身ではなく重臣たちであったというのは別に伏せられてもいない事実だったのだが、そのあたりのことをろくに知ろうともしないままに彼らは皇帝に理不尽な怒りを向けてしまっていた。

 ……通常であればここで怒り狂って男を処断するか、あるいは男女ともに処分を下していてもおかしくはなかったのかもしれない。

 だがフェイダンは、くるりと背を向けるや無言でその場から立ち去ることを選んだ。

 というのも、フェイダンのメンタルはそれどころではなく、すっかりとズタボロにされてしまっていたものだから……。


 なにせ当時のフェイダンは――いや、実は今もであるのだけれど――年齢=恋人いない歴を絶賛更新中だった。

 それは女性が嫌いであるとか、恋愛に興味がないという意味ではない。

 ただ純粋に、騎士団に入り浸っていたこともあって周りが環境になかったということに尽きる。

 だからこそというべきか、フェイダン皇帝には少々恋愛面でこじらせているような面があった。

 きらっきらの恋愛物語の主人公になることを人一倍夢に思い描いてきた、年齢に似つかわしくないほどにとてつもなく純情な皇帝陛下でいらっしゃったのだ。

 政略からでもしっかりと恋愛を始めようと思っていたところで、早速出鼻をくじかれてしまったわけである。

 相手の女性を愛していたわけではなかったにせよ、なかなかに堪える状況に直面し――。


「それで、いかがなさるおつもりですか?」


 ――事情を聞いたセオドア宰相にそう尋ねられても、すぐに即答することは出来ない。

 執務室のソファから緩慢な仕草で身を起こし、そして宰相のじとりとした視線を受けてようやく少しずつ頭を働かせ始めた。

 皇帝という地位と権力がある以上、この件はいかようにも処理することが出来る。

 男を適当に処理して女を予定通りに召し上げるもよし、皇帝を裏切ったと本人たちやその実家を厳しく叱責するもよし、それ以上の重い処分を課してやるのもよし。

 しかし――。


「……あの者たちの、思う通りにさせてあげよう」


 ――フェイダンが下したのは、非常に甘い処分だった。

 というよりも、もはや処分とすら言えるかどうかは疑わしい。

 だってフェイダンはそれからまもなくして形ばかり令嬢を自らの婚約者候補として召し上げたあと、時を見計らって令嬢を病死したことにすると、恋人とともに駆け落ちさせてあげてしまったのだから……。


「陛下は、馬鹿ですよ。あんまりにも優しすぎます」


 礼を述べて去っていく二人の後ろ姿を見送るフェイダンに、こっそりと成り行きを見守っていたヒューイ補佐官が拗ねたような声音でぽつりと呟く。

 だがフェイダンは、ふっと笑ってみせただけで。

 少し寂しげながら満足そうに二人の背を見送って、無言のままその場を後にしたのだった。


 とはいえ、こんなイレギュラーな事態が発生するのはこれっきりに違いない……と、誰もが思っていたのだけれど。

 どういうわけだか同様の事態が何度か続くことになり、そしてフェイダンは今回と同じように自らの婚約者候補を快く手放してあげるという慈悲を見せることになる。

 もはや笑うしか無い悲惨なまでの女運のなさだったのだけれど、その結果笑い飛ばせないレベルの不名誉な噂が拡散してしまうことにもなった。


「一体なんなんですか!? 陛下が婚約者候補を殺し続けているとかいう、この根も葉もない噂は!?」


 そうなのだ。ヒューイ補佐官が憤慨したように、フェイダンには婚約者を殺す「残虐な皇帝」だという噂が立ってしまったのだった。

 もともとは我先にと娘を差し出そうとしていた臣下たちは次第に躊躇を見せるようになっていき、そして何より娘たち本人も「殺されたくない」と泣き叫び、婚約を嫌がるようになっていき。

 それでも、権力を狙ってぐいぐいと迫ってくる女性も、いないわけではなかった。

 だがそういう人に対しては、フェイダン自身の気質がストッパーとなって立ちふさがった。

 というのも、ずっと男所帯に身を置いていた彼は、女性とどう接すればよいのか全くわからなくなってしまっていたものだから……。

 女性の前で無口・無表情になりがちなのは、まさにその戸惑いの最骨頂。

 うまく話題を提供することが出来ずに言葉少なになり、なんとかしなくてはという焦りが一周回って無表情を形作り、あまりのいたたまれなさに逃げるようにその場を去れば「どうやら陛下は女性嫌いであるらしい」とみなされて。

 結果としていつの間にやらつけられていた異名は、「孤高の金狼陛下」。


「なーにが『孤高』ですか! そんなご大層なものじゃあないでしょうに! ただ陛下が死ぬほど優しいヘタレってだけの話ではないですか!!」

「うぐぐ……」


 セオドア宰相の容赦のない指摘こそ、最も今回の出来事の真相を的確に言い表している言葉ではあった。

 そうではあったのだけれど、何人もの婚約者候補たちが死んだことになっている以上――そしてその「死」の真相を墓場まで持っていこうとしている以上、黒い噂を完全に払拭することは難しいように思われて。


「まあ、しょうがない……しょうがない、よな」


 ははっと乾いた笑みを漏らしたフェイダンは時間が経つにつれ、自分に恋愛は難しいと諦念を抱くようになっていく。

 とはいえ、フェイダンは皇帝である。

 皇帝である以上、世継ぎを残す努力をするのも責務の一つであるといえよう。


「……国内では、もう無理だとしたら。だとしたら、国外ですよ。どこかのお姫様を、陛下の妃として迎え入れることにしましょう!」


 ぎらぎらと瞳に力が入ったセオドア宰相は、諸外国の王族について記された分厚い書類の山をいくつも執務室に持ち込んで、そう提案してきたのだった。

 そしてそれはまさにその通りとしか言いようがなかったので、フェイダンは宰相に姫の選定と招聘を委任する。

 だが、どうやら諸外国にもすでに「残虐皇帝」の黒い噂は広がっていたらしい。

 あの手この手で断ってきたり、身代わりを送ってきたことが露呈したり、とにかくそれはもう散々な結果になってしまって……。

 だが、ようやくだ。

 ようやく、招きに応じて自ら花嫁に志願してきてくれる姫が現れて、今に至るというわけなのである。


***


「それで、どこのお姫様が来てくださったんです?」


 ヒューイ補佐官の疑問に答えたのは、手元に持っていた資料をちらりと覗き込んだセオドア宰相だった。


「ルルーリア・ライラール王女。その名の通り、ライラール王国の第二王女……つまりは、ウサギ獣人のお姫様ということですね」

「ウサギ……!」


 眼を丸くしたヒューイ補佐官は、心の底からと言った様子で「凄いな」と感嘆の吐息を漏らした。


「ウサギからしてみれば、オオカミなんて恐怖の対象でしかないでしょうに。それでも花嫁に志願してくれたってことは……もしかして、うちの皇帝陛下をどこかで見初めていてくださったんですかね?」


 やりますねぇ、と呟きながらフェイダンを肘でつんつんと突いているヒューイ補佐官にじとりとした視線を向けながら、セオドア宰相は淡々と首を横に振った。


「わかりませんが、多分違うでしょう。ライラール王国との交流はほとんどなく、ましてや陛下が姫君と個人的な交流を持ったことなんてただの一度もございませんからね。姫として背負った責任感から大国との婚姻を受け入れたというほうが、よほど現実的であり得そうないきさつではないかと思いますよ」

「宰相は堅物というかなんというか、ほんっと夢がないですよねぇ……」

「何か言いました?」

「いいえ、なぁんにも」


 愛想笑いで誤魔化したヒューイ補佐官は、こほんと一つ咳払いをして空気を転換すると、ぱちりと一つ手を打ち合わせた。


「それじゃ、どんなお姫様でしたか? ウサギのお姫様じゃあ、ちっちゃくて清楚で可憐系ってな感じですかね?」


 気軽な調子で尋ねたヒューイ補佐官にやたらと重々しい口調で応じたのは、他でもないフェイダン皇帝であった。


「すごく……」

「すごく?」

「細かった……」

「……は?」


 ヒューイ補佐官たちに何を言い始めたんだという視線を露骨に浴びせかけられたのも気付かぬ様子で、フェイダンはそこから怒涛のような語りを始めた。


「ちっちゃくて清楚で可憐系。そうだよ、まさにその通りだよ! ウサギ獣人というのはみんなあんななのか!? あんなに細くて小柄だなんて、触れたらすぐに壊れてしまいそうだったじゃないか!! なんなんだよ、あの死ぬほど可愛らしい生き物は……っ!」

「要するに、めちゃくちゃ好みで気に入ったということですね」

「う……っ」


 セオドア宰相がびしりと総括した言葉に、フェイダンは頬を赤らめながらこくりと頷いてみせた。


「それならばそれで良くて……」

「主君の話を流すとは、セオドアは相変わらず容赦のない……」

「陛下、婚姻契約書へのサインは抜かりなくいただいてこられましたよね?」

「本当に流したよ」


 形ばかり小さく嘆息してから仕方ないなとばかりにふっと笑みを浮かべたフェイダンは、セオドア宰相としっかり目を合わせてはっきりと頷いてみせた。


「もらったぞ。ちゃんともらった。サインをもらえたんだ……!」

「それならば良かったです」

「陛下ぁ、やったじゃないですか! それじゃあ、実際の結婚式が行われるのはまだ少し先になるにせよ、少なくとも書面上はこれで姫様は陛下のお妃様に確定したってわけですよね。……なのに、なんでうなだれているんですか?」


 ヒューイ補佐官の問いに、フェイダンはぼそりと呟いた。


「うまく話せなくて、思わず彼女の部屋から逃げてしまったんだ……」

「ああ……」


 フェイダンの気質を知りすぎているほどに知っている面々は、主君が示唆したその光景があまりにも容易に想像できてしまったために、思わず微妙な顔になってしまう。


「きっと無愛想な男だと思われただろうし、第一印象が最悪すぎて嫌われたかもしれない……」


 そしてそんな側近たちが醸し出した空気も相まってさらに落ち込んでしまったフェイダンの様子に、一瞬遅れてはっと気付いた面々は――。


「陛下、まだまだこれからですって!」

「そうですよ。これからいくらでも時間はあるのですから、くよくよしている暇があったらさっさと挽回してくださいね」

「以下同文です」

「ヒューイ、セオドア、グレッグ……」


 口々にかけられた慰めと叱咤の声に、フェイダンはくしゃりとした笑みを浮かべて頷く。


「そうだな、まだこれからだよな。これから、ちゃんと夫婦になっていけば良いんだよな。……うん、頑張るよ!」


 そうやって自分たちの話に集中していたため、彼らは誰も気付いていなかった――。


「兄上の、花嫁だって……?」


 ――そんなことをぼそりと呟いた、小さな影が部屋の中をこっそりと覗き込んでいただなんて。

 誰も気付かぬ間にその人影は素早く踵を返すと、ぎゅっと両の拳を強く握りしめながら子どもながらに低い声で唸ったのだった。


「そんなの、僕は絶対に認めないんだから……!!」


 ……そしてそもそも、それ以前の話として。

 ルルーリアが婚姻契約書を婚姻契約書だとわかっていなかっただなんて――そしてそれゆえに両者の間に壮大なすれ違いが生じているなんて、彼らの誰一人としてまだ知る由もない。

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生贄志望のうさぎ王女は孤高(※嘘)の金狼陛下に美味しく食べられたい! 桜香えるる @OukaEruru

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