第1話 ウサギ姫、生贄を志す
「ああ、またなの? もういい加減にしてもらえないかしら。……反逆者たちが、担ぎ上げる神輿を求めて私に接触してくるだなんて、ね」
ぽつりと呟きながら、私はベッドの上に身を起こす。
時刻は真夜中。当然のことながら私はたった今まで夢の中にいたわけで、身につけているのは品良くレースが付いているとはいえ完全なる夜着だ。
その上にせめてもの気持ちで枕元に置いてあった大判のショールを羽織ったところで、ベッドにかけられた天蓋の向こうの空気がざわりと動いた。
ちらりと上げた視線の先では何者かの人影が一つ、ゆらゆらと揺らめいている様子が窺われる。
……いやまあ、それ以前にすでに小さな物音がして侵入者がいることは察知できていたから、別に驚くことではないのだけれどね?
だからこそ起き上がってショールを羽織ることにしたのだし、ついでに言えばこうして侵入者と対峙することだって初めてのことではないのだけれどね?
でも何度経験したって慣れるものではないし、何よりも不愉快なことだわ……と眉を寄せたところで、天蓋の向こうにいる全身黒装束の侵入者が静かに口を開いた。
「ルルーリア王女であらせられますか?」
「……もしそうだとしたら?」
礼儀がなっていないのは向こうの方なのだから、疑問を疑問で返すくらいの意趣返しはさせてほしいと思う。
疑問の形を取っていたとしても、どうせ私が何者なのかは百も承知で来ているに違いないのだから。
その証拠に、侵入者は私の返事が終わるよりも先にその場にすたりと膝をついた。
そして深々と一礼するや、告げられるのはいつもの一言。
「王女殿下、どうか我々を導く唯一無二の光となってくださいませ……」
「嫌よ!」
……ああまた、これだわ。
ものすごーく婉曲な言い回しになっているけれど、この人が言いたいのは要するにこういうことなのだ。
――我々反乱軍の頭となって、ともに現王家を至尊の地位から引きずり下ろしませんか。革命が叶った暁には、あなたに女王の地位を差し上げますから。
はんっ! どんな餌をぶら下げられたって、誰があなたたちなんかになびくものですか!
こんなの、私を舐め腐っているとしか思えないわよ!!
……と、大声で言ってやりたいのはやまやまであったのだけれども。
しかしここで理性を失ったところで場を収められるわけではないということもまた、十分に理解できてしまったものだから。
だから私は荒れ狂う内心を必死に抑え込み、相手をぎりりと睨みつけながら、不機嫌さを隠さない声で侵入者の申し出を即座に拒絶したのだった。
「しかし、これは王女殿下のお父君のご遺志でもあり……」
「そんなの関係ないわ!」
なおも食い下がる侵入者をさらりと拒絶した私は、もう会話をする意思はないのだということを明確に示すために再びベッドの中に潜り込む。
通常であれば、怪しい人間に背を向けながらじっとしているだなんて、そんな危険極まりないことはしないだろうとは思うのだけれどね。
しかし私は、どうやら彼らが私を殺す意思までは持っていないらしいということを、すでに十分すぎるほど十分に学習していたもので。
だから布団を被って黙って目を閉じていると、案の定と言うべきか、やがて侵入者がその場を去っていく気配が感じられる。
その場に残されたのは、私一人だけだ。
「……はあ、もう嫌になるわ」
再び虫の声しか聞こえなくなった夜の
――翌朝、私の部屋に侵入した人間は、物言わぬ
***
「ごめんよ、ルルーリア! お前を危険な目に遭わせてしまって……」
侵入者と対峙した、その翌日。
人払いをして私の部屋を訪れた「おじ様」――ライラール王国国王フェデリウスは、顔をあわせるなり開口一番私に謝罪の言葉を告げた。
うつむいた顔に浮かぶ表情はよく見えないが、しかし額にかかった銀色の髪の向こうで赤い瞳が潤んでいるであろうことは、雰囲気からだけでもしっかりと察することが出来る。
なにせこの人は、対外的にこそ威厳ある姿を取り繕ってはいるものの、家族内ではすこぶる感情豊か……というか、言葉を取り繕わずに言うならとっても涙もろい人。
特に、子どもたちに対しては非常に甘い人であるもので。
だから私ことルルーリア・ライラールはふるふると首を横に振ると、おじ様をなだめるためにぎゅっとハグをしたのだった。
「大丈夫ですよ、おじ様。ほら、私は何ともありませんから」
元気さをアピールするために、努めていつも以上に元気な声を出す。
しばらくするとおじ様も少しは落ち着きを取り戻したようだったので、ゆっくりと身を離しながら私はほっと安堵の息を漏らしたのだった。
だがなおも申し訳無さそうな表情を崩さないおじ様は、私の頭を優しく撫でながら「ごめんな」と心を込めて呟く。
「それでも不審者の侵入を許し、あまつさえ何の背後関係も洗えぬまま自死されるだなんて失態以外の何物でもない。本当にルルーリアには申し訳が……」
「もう謝らないで、おじ様。おそらくは、任務に失敗した時点で自死できるようにと毒でも仕込まれていたのでしょう。しかも相手が姿を隠すことに極めて長けた『カメレオン獣人』ともなれば、事前の備えを十分に行っていなければ侵入を阻むのは至難の業です。よりにもよって絶滅したとも噂されていた希少種族が今日このタイミングで私の部屋に侵入してくるだなんて、そんなの一体誰が予測できたというのでしょうか? だから、過去を振り返って後悔するのはもうおしまい。今度カメレオン獣人がやってきたときにどう対処するかを検討するほうが、よほど建設的で有意義であると私は思いますよ」
「そうだな。うん、ルルーリアの言う通りだ」
お前に諭されるなど情けないなと泣き笑う優しいおじ様を、私はもう一度ぎゅっと抱きしめる――。
(……いい加減、もう潮時かしら)
――その裏で私が胸の奥で呟いた言葉は、音として発せられることなく終わったのだった。
***
さて、ここで少し私たちの住まう世界について説明することを許してほしいと思う。
ここまでの話でなんとなく察することが出来たかもしれないが、この世界には「獣人」と呼ばれる種族が生きている。
獣人――すなわち、獣の特質を体に色濃く残した人間の総称。
見た目としては獣耳や尻尾などが生えてきたり、あるいは夜目がきいたり俊足だったりするなど能力的に優れたものを発現したりする場合もある。
私たちが住まうルセフィミア大陸では、人口構成の大半を占めるのが獣人だ。
ライオン獣人、クマ獣人、リス獣人など様々な属性を持った人々がそれぞれの国家を作り上げ、長い歴史の中で独自の繁栄を遂げてきた。
私ことルルーリア・ライラールは、その中でも南方の僻地にあるウサギ獣人の国「ライラール王国」の姫としてこの世に生を受けた。
ふわふわの桃色の髪に、王家伝統の真っ赤なルビーのような瞳。
獣耳や尻尾は成長とともにコントロール出来るようになるため基本的に体表に出すことはないのだが、出した場合はいずれも髪と同じ優しい桃色。
「家族に愛される第二王女」として、今では顔はともかく名前くらいはどの国民も暗唱できるくらいの知名度を誇っている。
しかし、王女は王女でも私は現王の実娘というわけではない。
血筋的には前王の次男、つまりは現王の弟を父に持つ姫である。
私の実父であるディレイン・ライラールという男は、一言で言えばどうしようもないろくでなし王子だった。
しょっちゅう城を勝手に抜け出すのはもちろんのこと、公務を放棄したり、ギャンブルに手を出してみたり。
私の母は少しでも良いからふらふらしてばかりの父の重しになってほしいという周囲の希望から政略結婚で妃として迎え入れられた人だったのだけれど、それも全く意味はなかった。
結婚後もほとんど家には寄り付かず、私が生まれたり産後から病床にあった母――つまりは自らの妻――が亡くなったりしても奔放な行動が止まることはなくて。
果ては王位簒奪を目論んで反乱勢力とともに反旗を翻し、あえなく粛清されることになったのだった。
その結果、私は幼くして「王子の娘」という誇るべき立場から「反逆者の娘」にまで転落してしまったわけだけれど……幸いにして、父の不祥事の連座で殺されることはなかった。
「姫はまだ幼くこの反逆とは何の関わりも持たない」ということで情状酌量され、一応王位継承権だけは剥奪されたものの、父の兄である
弟とは真逆で思慮深い賢君であったおじ様は、その妻――つまりは現王妃であるおば様とともに私を正式な養女として迎えてくださり、実子と何ら変わらぬ愛情と待遇を与えてくださった。
周囲の人々も非常に好意的に接してくれたので、十八歳の今に至るまで私は紛うことなき「第二王女」として何不自由なく平和的に生きてくることができた。
だが近頃、少し風向きが変わってきたらしいことを身にしみて感じている。
きっかけは数ヶ月前、城下をお忍びで歩いていたときのこと。
実父とつながりがあった反乱勢力から送り込まれたと思われる黒装束の人物が、自分たちの側につくようにと突然接触を図ってきたのだ。
その言い分を聞いた私の中に浮かんだ感想はただ一つ、「何を言っているのかしら」という困惑と怒りに尽きる。
だって現王家には私という厄介者さえも愛育してくださった感謝こそあれど、打倒しようなどという思いなんか生まれてからこのかた欠片も抱いたことはなかったんだもの!
当然のことながら申し出を即座に拒絶した私は、こうなった以上どうせならさらにその不審者から辿って反乱勢力の黒幕まで暴いてやろうじゃないかと密かに意気込んでいた。
ところが、そんな私の思惑はすぐに潰えた。
例の不審者が、それからまもなくして物言わぬ屍となって発見されるに至ったからだ。
それ以降警戒していてもいつの間にか近づいていた不審者に話しかけられ、捕まえて尋問しようとしてもトカゲの尻尾切りのように次々と死体で見つかるという事案が何度か発生し、挙げ句には昨日の事態だ。
「とうとう王城内の、それも
これまでは私が城外に出たタイミングを見計らい、近くで騒ぎを起こして短時間ながら護衛騎士を私から引き剥がすなどの裏工作を行った上で、彼らは私に接触してきていた。
しかし今回は、城内の私室にまで入り込まれてしまったわけだ。
近くには、国王夫妻やその実子である第一王女と第一王子の部屋だってあるというのに……。
「向こうにその気さえあったなら、私の大切な家族が直接的に傷つけられていた可能性だってあったということだよね……」
つまり、何事もなく終わったのはただ単に運が良かったというだけの話なのである。
最悪の場合、家族や臣下のうちの誰かが殺されていたっておかしくはなかったことだろう。
そう思えば、いくら実害がなかったからといって手放しで喜ぶことなど出来ようはずもなかった。
「私のせいで、これ以上みんなの迷惑になるわけにはいかないわ……」
そもそも、何も知らなかった幼い頃ならばいざ知らず、長じた今ならば分かるのだ。
――こういう類のことは、下手に温情をかけてはいけなかったのだって。
後顧の憂いを完全に断つためにも、自分は父が粛清されたあの時に殺されているべきだったのだろうと思う。
実際に今、私が生きているせいでみんなに多大な迷惑をかけてしまっていることを目の当たりにすれば、なおさらその思いは強まるばかりだった。
「でもきっと、みんな私を責めたりはしないんだわ。ましてや殺そうだなんて、誰一人として言わないに決まっているもの。そうして私を守ろうと、これからも全員が最善を尽くしてくれるのよ……」
……でももう、潮時なんじゃないかしら。
優しいみんなの手を汚さないためにも、この件には自分でけじめをつけるべきなんじゃないかしら。
でも、どうせ死ぬのならば最も国とみんなのためになる死に方をしたいものだわね……。
そんなふうに考えていた、ある日――私は、自分の運命を変える一つの噂を耳にすることとなったのだった。
***
それは、私が何の気なしに夕食を食べに行ったときのこと。
ライラール王家は家族仲が非常に良く、可能な限り夕食くらいはともにしようというのが家族内でのルールになっていた。
だから私はその日も何の気なしに城内を歩き、食事会場となる部屋へと向かっていったわけだけれど――。
「あら、早い。もう誰かが先に来ているのね?」
――扉越しに部屋の中からぼそぼそと会話をする声が聞こえてきたものだから、私は思わずはたと足を止めてしまう。
だがよく考えれば、別にここで私が立ち止まる必要はないのだわ。
そう思い直し、扉に手をかけたところで、おば様――王妃殿下の鋭い声が、室内から私の耳にまで響いてきた。
「それは……レティシアを、帝国の皇帝へ生贄に差し出すということでございますかっ!!」
「……へっ!?」
……い、「生贄」だなんて、一体何を言っているのかしら!?
突然聞こえてきたあまりにも物騒すぎる言葉に、私はその場でぴたりと硬直してしまう。
しかも、レティシアとは国王夫妻の実子であり、我が国の第一王女である姫の名前だ。
つまり、私にとっては血縁的にはいとこであり、今の続柄としては姉にあたる女性なのである。
そんな高貴な彼女とは全くもって似合わない単語であったものだから、聞き間違いかしら、いや聞き間違いに違いないわと思ったのだけれど――。
「いや、レティシアをそんな場所に送りたくはない。それでなくても体が弱くて臥せってばかりの子なのだから、余計な負担をかけたくはないのだ……」
悲壮感に満ちたおば様の声に続いて聞こえてきたおじ様の声には、いつにもまして疲れが滲んでいるように思われる。
まさか……本当に?
「ですが、そうしたらどうするというのです!? 帝国は我が国の姫を所望していると言ってきたのでしょう? まさか、レティシアではなくてルルーリアを送るとでもおっしゃるおつもりなのですか!? 実子でないからといって
「違う! レティシアもルルーリアも、僕たちの大事な娘であることに変わりはない!! だから、どちらにも犠牲を強いたりなんかするもんか!!」
「でしたら、陛下はどうなさると?」
「それは……」
おじ様がうっと口ごもったところで――。
「ルルーリア? こんなところで何をしているの? 早く中に入ろうよ」
「……っ! お、お兄様」
いつの間に近づいていたのか第一王子であるリュシアンに背後から訝しげに話しかけられて、私はその場に飛び上がらんばかりに驚いたのだった。
今来たばかりのお兄様は当然室内で繰り広げられていた会話の流れなど知る由もなく、そのまま気軽にノックすると扉を開けてすたすたと室内に足を踏み入れていってしまう。
「ちょ、待っ、お兄様……っ!」
「あ、あら。リュシアンと、それからルルーリアも! 早くこちらにいらっしゃいな」
「はい、母上」
「よく来てくれたな。レティシアは少し体調が優れないらしく、今日は自室で夕食を食べるそうだ。だから、お前たちが席についたら食事を始めよう」
先ほどまでのぴんと張り詰めた空気を知っている私は、室内に入って良いものかと一瞬躊躇してしまったのだけれども……おば様もおじ様も、まるで何事もなかったかのようにいつも通りに話しかけてくれている。
向こうがそうした態度を取るならば、私があれやこれやと蒸し返して気を回すわけにもいかないわよね……。
「……はい、わかりました」
結局私は場の空気に合わせて笑顔を浮かべると、饗された野菜料理のフルコース――私たちは
その時はまだ、真偽不明の断片的な情報でしかなかった「生贄」の話。
だが数日もすれば城内の使用人たちにも噂話がまわり、聞き耳を立てればあちらこちらから話が聞こえるようになっていたものだから――。
「やっぱりこれは、本当のこと、なのよね……」
――そう断じざるをえないと、私は判断したのだった。
つまり、おじ様とおば様が会話をしていたように、我が国には本当にオオカミ獣人たちの大国・ウルファイン帝国から「姫を生贄として差し出せ」という要請が来ているらしくて。
そしておじ様は、レティシアお姉様も私もどちらも差し出さない道を必死に模索しているらしくて。
弱小小国である私たちにはそれがどれほど難しいことなのか、為政者としてこの国に尽くしてきたおじ様こそが誰よりも理解しているはずなのに、それでもなお私を守ろうと動いてくれているらしくて……。
「……ん? ああ、これだわ! これなんじゃないかしら!!」
自室のベッドの上に丸まって頭を悩ませていたその瞬間、天啓のように私の脳内に閃いたのは、私が最近ずっと頭を悩ませてきた例の問題。
つまり、私が生きているせいでみんなに迷惑をかけてしまっているという、例の由々しき問題の存在である。
優しいみんなの手を汚さないためにも、この件には自分でけじめをつけようと思っていた。
同時に、どうせ死ぬのならば最も国やみんなのためになる死に方をしたいものだとも考えていた。
「今回の件は、見方によってはまさに私の望みをすべて叶えてくれる美味しい話だと言えるんじゃないかしら!」
だって、生贄となれば……我が国のために、この命を捧げることができるんだもの!
考えれば考えるほど、これ以上に私にふさわしい「最高の死に場所」など、この先数十年をかけたとしても見つからないような気がしてくる。
「うん、まさにぴったりよ! そして私が生贄になれば、おじ様たちを悩ませる問題はすべて解決するわよね!!」
ぱんと手を一つ打ち合わせた私は、自分の導き出した結論に満足してうんうんと頷いた。
虚弱体質で臥せりがちではあるものの、誰よりも優しい上にずば抜けた頭脳を誇るお姉様――第一王女レティシアは、この国の未来に必要不可欠な人材である。
私などの命一つで、お姉様やお兄様が担うこの先の未来の王国を築く礎となれるというのならば。
それならば、私にとってこれ以上の喜びはないというものだ。
「よし。そうと決まれば、さっそく帝国へ向かう準備を始めなくちゃね」
おじ様もみんなも生贄を差し出さずに済む方法を模索しているのだから、私が正面きってこの国を出ていくことはなかなか難しいに違いない。
どうしたものかしらねと考えながら、私はこっそりと国を出ていく算段をつけ始めたのだった。
***
最終的に、私が選んだのは――馬車でのヒッチハイクだった。
……いや。別に、最初からヒッチハイクをするつもりではなかったのだけれどね?
家出みたいで心苦しかったけれど自室に書き置きを残し、自分が持ち運べる必要最低限の荷物だけをカバンに詰め込んで。
そうして一人こっそりと城を抜け出した私は、少なくともその時点においては正規料金を支払って乗合馬車などを利用して帝国へと向かうつもりでいたことは間違いのない事実である。
だがたまたま帝国方面に向かうという気の良い商人のおばさまに出会い、意気投合した結果厚意で荷馬車に同乗させていただくことができて。
その後も要所要所でおばさまの知り合いからまたその知り合いへとつないでくださったおかげで、私は一ヶ月ほどで無事にウルファイン帝国の首都・帝都ウルフェへとたどり着くことが出来たのだった。
「人情に感謝よ。感謝しかないわ……」
ぱんぱんとスカートについた土埃を払った私は、心からの感謝を告げて商隊のみんなとお別れをした。
そして一人で歩き出した帝都の街の感想を述べるとしたならば、それは「圧倒」の一言に尽きた。
そもそも
そしてその人々の誰もが活発に商品を売買していたり、気軽にあちこちを散策していたり、あるいは子どもたちがきゃらきゃらと笑いながら遊び回ったりと、とにかく街中が明るく活気に満ち溢れていた。
その喧騒の中を縫うようにして歩を進めていった私だったけれど、幸いにして道に迷うというようなことはなかった。
だって、私が向かう先は他でもない「皇城」であったのだから。
巨大かつ優美で壮麗なその佇まいは、街中のどこからでも見つけることが出来る。
だから私は、ただ城が見える方向へと歩いていけば良かった。
そして――。
「ここが、皇城。私の、最高の死に場所……」
――間近にそびえ立つ城門を前に、私は緊張にごくりと唾を飲む。
門の前には鎧を着込んだ屈強な兵たちが待ち構えており、まだ少し離れた位置にいるというのにすっかり気圧されてしまっていた。
それでなくてもウサギ獣人が
「でも、私は自ら望んでここに来たのよ。門前で怖気づいている場合じゃないわ。よし……っ!」
ぱんと自分で自分の頬を叩いて気合いを入れると、私は城門を守る兵と相対する――。
「何者だ?」
「あの、私はウサギ獣人の国・ライラール王国の姫であるルルーリアと申します。貴国よりの招聘に応じて参じました。……って、ああっ……!? あの、姫が徒歩で来るなんておかしいと思われるかもしれませんけれどね!? 服装もドレスではなくて、質素なワンピースを着てしまってはおりますけれどね! でも、間違いなく! 間違いなく、私は王族なのですよ! 証拠はこの身分証と、我が国の王族に特有のこの赤い瞳で事足りれば良いのですが……」
――そして、遅ればせながら自己紹介を始めてから気付いてしまったのだった。
彼らにとっての自分はどこからどう見ても不審者以外の何者でもないだろうという、あまりにも悲しい現実に……!
平民に紛れて一人でこっそりと入国したのだから仕方がないとはいえ、今の私の姿はどこからどう見ても姫っぽくは見えないであろうと思う。
だから慌てて携行していた身分証を提示しながら自分が姫であるということを言葉を尽くしてアピールしたわけだけれど、アピールすればするほど言い訳めいて聞こえるようにも思われる。
それでもここはもうとにかく主張するしかないわよねと、必死に言い繕ってみたところで……。
――ばたん。
「へっ……?」
何かが倒れたような物音がしたため、私は反射的に物音がした方向へと視線を動かしたのだった。
見れば、門兵の向こうで侍女服を身にまとった一人の女性が、尻餅をついて後ろに倒れてしまっているではないか。
「だ、大丈夫ですか!?」
「お、お伺いしますが……」
「……え?」
「い、今、我が国からの招聘に応じ、
尻餅をついた女性は、そのままの姿勢で私にそんなよくわからない質問を投げかけてきた。
「え? ええ。その通りですけれど」
「……まあ。まあ、まあ、まあ、まあ!! なんということかしら!! ついに、ついにいらしてくださったわ……っ!!!」
女性は私の答えになぜかぱあっと破顔すると凄まじい歓喜の声まであげてみせ、そしてすっくと立ち上がるやいなや私に向けて深く一礼をしてくる。
「わたくしはこの皇城にて侍女長を務めさせていただいております、ミーナにございます。この度は招聘に応じて帝国へとお越しくださいましたこと、心よりの御礼と感謝を申し上げます。差し支えなければこのまま城内へとご案内させていただければと思いますが、よろしいでしょうか?」
「……!」
……まさか、着いて早々いきなり侍女長という高位者に会うことが出来るなんて、ましてやこれほどまでの歓迎を受けるなんて、思ってもみなかったのだけれども。
しかし、歓迎してもらえる分にはありがたいことだよね、と思い直した私は――。
「もちろん、よろしくお願いしますね」
――大きく頷いて、こちらも笑顔を浮かべてみせる。
そのまま侍女長の後ろについて歩き始めた私は知らなかったのだ……まさか、今この瞬間にも私たちの認識の間にはとんでもなく大きな誤差が生まれ続けているだなんて!
そんなことには何一つ気づかぬままに、生贄として帝国皇帝へと差し出されるべく、私は敵地の中心部へとゆっくりと足を踏み入れたのだった。
***
長い廊下を迷いのない足取りで進み、侍女長ミーナが連れてきてくれたのは思った以上に豪奢で可愛らしい部屋だった。
道中ですれ違う使用人たちの誰も彼もがこちらに気づくや礼儀正しくお辞儀をしてくれる様子に「生贄ではなく賓客だと思っているんだろうなぁ」と少々申し訳ない気持ちになっていた私だったけれど、そんな気分も一気に吹き飛ばすほどの華麗さに私はぽかんと口を開けて圧倒されてしまう。
「わあ……とっても綺麗」
室内には薄桃色と白を基調にした家具が取り揃い、床にはふわふわのカーペットが敷かれている。
生贄が最後の時間を一時的に過ごすための部屋というよりは、まるで最高の賓客をもてなすために心を尽くした空間であるかのようだ。
生贄ごときに与えられた部屋が母国の自室よりも豪奢だというのはどうなのかしらね、と思わないではなかったけれど――。
(……でも、それが大国が施すせめてもの慈悲というものなのかもしれないわね)
どうせすぐに死ぬことになるのだから、最後に残されたわずかな時間くらいは最高に心地よく過ごさせてやろうと。
そんな気持ちから用意された部屋であると考えれば、この待遇もまあ分からないでもないのかなと納得することが出来た。
そうして室内に足を踏み入れたところで、ミーナに「旅の汚れを落とされますか、それとも先にお食事になさいますか」と尋ねられた私は――。
「それじゃあ、お風呂からいただいても構わないでしょうか?」
「かしこまりました。みなさん、配置について!」
ミーナの前半の言葉は私に向けて、深く一礼をしながら。
後半の言葉は少し音量を上げて、部屋の扉の方向へとくるりと首を振り返らせながら。
するとすぐさま扉の外に控えていたらしい侍女たちが何人か入室してくると、私を丁重に浴室へエスコートして行ってくれて――熟練の侍女であったらしい彼女たちの手によって、私はあれよあれよという間に全身をぴかぴかに磨かれることになったのであった。
そして、お風呂が終われば次は食事だ。
席につくといつの間にか私の周りにいる侍女はミーナ以外は入浴担当から配膳担当の者へと入れ替わっており、彼女たちの手によって洗練された仕草で次々と食事が運ばれてくる。
(本当に、生贄ごときにはもったいない待遇をしてくれるのね……)
こちらの疲労を考慮してくれてなのであろうか。
並べられた食事は最上級の素材をふんだんに使った肉料理ではあるものの、なるべくがっつりしたものは避けられており、スープなどさらりと食べられるものが主体となるように構成されている様子が窺われた。
そして、そんな食事をしっかりと美味しくいただいた後で――。
「姫様、皇帝陛下がお会いしたいと仰せですがいかがなさいますか?」
「……!」
(いよいよ、なのね……)
私は早速にと言うべきか、生贄として皇帝陛下に捧げられる瞬間を迎えてしまったらしい。
もとよりそれが目的で来たのだから、拒否する理由は何一つ無い。
「もちろん。陛下のもとへ参ります」
すっと座っていた椅子から腰を浮かせ、皇帝陛下がいらっしゃる場所へと移動しようとする。
だが――。
「それには及ばない。俺の方から出向かせてもらったから」
――ふと聞こえてきたのは、低く響く男性の声。
はっと目を見開き、視線を上げた先にいたのは……。
「あなたがルルーリア姫、だな?」
金髪紫眼の、いまだかつて見たことがないような美丈夫。
その風格だけでも、その人が誰であるのかを雄弁に物語っていた。
「皇帝、陛下……」
この人こそがウルファイン帝国の皇帝、フェイダン・ウルファイン陛下に違いないと。
誰に言われずとも、私にもそう理解出来たのだった。
***
フェイダン・ウルファイン陛下――正直なところ、その人について私が知っていることなどほとんどないに等しかった。
だって、遠国である上に……相手は私たちウサギとは違って、弱肉強食のヒエラルキーの上層に位置する猛獣の皇帝なんだからね!
そんな人について知っていることといえば、生贄話のときに同時に漏れ聞こえてきた「残虐な皇帝であるらしい」という噂くらいであった。
曰く、彼は長年戦場生活を送ってきたそうなのだが、それは血を見ずには生きていられない性分だったからだとか、だからこそ今も生贄を集めては夜な夜な惨殺してその血肉を食らって笑っているらしいだとか……。
なるほど、それが「生贄」話の真相で、私はそういう人に殺されてウサギ肉として食べられてしまう運命なのねという程度のことは思ったけれど、私にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった。
でもまあとにかく、どんな状況であれ皇帝と顔をあわせた以上は挨拶から始めれば無難な対応だと言えるわよね……?
「お初にお目にかかります。お召しによりライラール王国より馳せ参じました、ルルーリアと申します。以後どうぞよろしくお願いいたします」
自分を食べようとしている人に「よろしくお願いします」と言うのも変かなと、思わないではなかった。
とはいえ挨拶としてそれ以上に良い言葉がとっさには思いつかなかったため、定形通りの挨拶を申し述べておくことにする。
いつの間にか侍女たちは部屋の外に出て行っており、二人きりとなっていた室内にはひりつくような緊張感が漂っている。
その中ですっと腰をかがめて挨拶をした私の頭上に、皇帝陛下の淡々とした声がぽつりと響いた。
「……そうか」
こちらが姿勢を正した後も陛下の表情はほとんど動かず、それ以上の言葉も続いてはこない。
おそらくは意図的に威圧しているというよりは、純粋に素の陛下が寡黙な人であるだけなのではないかしら。
うん、そうに違いない。……そうだったら良いなぁ。
なるべく好意的に解釈して、自分の心の安寧を保ってみることにしよう。
いずれにせよ、それが彼の雰囲気をいっそう恐ろしく見せていることは紛れもない事実ではあったのだけれどね。
「……ここに、署名を」
ややあってから彼は私をテーブルを挟んで対面に置かれたソファに座らせ、おもむろに一枚の紙を目の前に差し出してきた。
おそらくは生贄とすることへの同意を示すような書類であったのではないかと思うけれど、実際のところ確証は持てていない。
というのも私は帝国の言葉を話すことくらいは教養としてそれなりに叩き込まれていたものの、公的書類に記されるようなしかつめらしい言葉を読み解けるほどには勉強していなかったものだから。
しかしこの場面で提示される書類と言ったら
どっちみち私はもうすぐ生贄として殺されることになるのだから、多少間違っていたところで大した問題にはなり得ないんじゃないかしら……?
「わかりました」
手元にあったペンを使ってさらさらとサインを書くと、そこで初めて皇帝陛下の口角がほんの僅かに上がった……ように見えた。
だが変化といったらその程度で、署名を終えたあとには再び少々気まずい沈黙が流れる。
「……細いな。……っ」
そして私を見て絞り出すようにそれだけ言うとなぜだかうろうろと視線を彷徨わせて、そして不意にすっくと立ち上がるとそのまま私の部屋から退室していってしまった。
……退室していってしまった?
「あれれ?」
私、早速皇帝陛下に食べられてしまうんじゃなかったのかしら??
そのためにお風呂で体全体をピカピカに磨かれて、良いものまで食べさせてもらえたんじゃなかったのかしら……???
状況から考えるに、すぐに殺さなかった理由は最後に言い捨てていったセリフ。皇帝陛下が私を見て呟いた、「細いな」という発言の中にあると見るべきだろうか。
「つまり、もうちょっと肥え太っていないと美味しそうに見えないってこと?」
正確なところは、本人に聞かないとわからないところではあるのだけれど。
「とにかく私はまだもう少し生きて、美味しいウサギ肉を目指さなくてはいけないっていうことなのね……?」
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