第6話 有給延長とみたらし団子




 ──夢の中、小学生の拓は、しょげていた。

 友だちが出来ず、いつもひとりぼっち。

 祖父も家に帰ると、俯く拓を出迎えるのは、十センチに満たない泥団子の人形。

 人形は、拓に神さまと呼ばれている。

 そんな拓と神さまは、祖父の留守を確かると、茶箪笥ちゃだんすを漁る。


「お団子だ、お団子だよ、神さま!」

「キュイ?」


 泥団子の人形である神さまは、人間の食べ物を必要としない。少量の水さえあれば、その身を保てた。

 が、拓の喜びように、神さまはお団子を覗き込む。

 甘い匂い。それにちょっと、香ばしい。


「みたらし団子、おいしそう。ね、食べちゃおうか」


 神さまに問いかけるが、拓は返事を待たない。

 小皿を一枚出して、串から引き抜いたみたらし団子をひとつ、置く。


「神さま、食べられるかな」

「キュイ!」


 神さまは元気よく鳴き、小皿のみたらし団子にかぶりついた。


「キュイ、キュイキュイ!」


 一口食べるごとに、神さまは拓を見て鳴く。さらには、踊って喜びを表していた。


 ……そうか、もうそんな時期か。

 目が覚めたら──




 帰郷二日目の朝。

 何故か望月拓の部屋に運ばれた二人分の朝食を目の前に、会社の後輩であるロングワンピースの宮沢一穂は眠たげだった。

 その膝の上、どろだんごの神さまに至っては、コテンと寝ては起きて、の繰り返しだった。

 きっと二人で夜更かししていたのだろう。

 不良後輩社員に、不良神さまである。


「朝メシ食べたら、もう少し寝るか」

「いえ、寝ている暇などありませんよ」

「あ、そう……」


 珍しく気を利かせた拓の提案を、一穂は一蹴する。


「今日は街に出て食べ歩き、なんですから」

「え、今日は帰るんじゃ」

「予定変更、連泊します。その辺の手続き諸々は私がやりますので、先輩はご安心ください」

「……レンタカーも返さないと」

「借り直しましょう。今度は別の車種を」


 拓は思い出した。

 この牧村一穂という後輩社員、拓の前では甘えたような口調で話したりするが、他の社員や上司の前では別人であった。

 判断が早く的確で、動じず焦らず、ミスもない。

 先輩社員や上司にも遠慮せず、自分が正しいと思った意見を、その弁舌で押し通す。

 今の一穂の意見や判断の早さは、その片鱗だった。


「本当、仕事できるよな、宮沢は」

「まだまだ先輩には及びませんよ、仕事面では」


 宮沢一穂の引っかかる言い方に、拓は反論しない。

 仕事以外がダメなのは、拓も自覚している。

 一穂は、仕事も出来る。しかし拓の場合は、仕事だけは出来る、なのである。

 他者と仕事をしたくない、一人で仕事したい、という一心で頑張った結果であるから、決して胸を張れることではないが。


「今夜は寝かせませんよ、だぁりん♪」

「へいへい。もちろん部屋は別々、消灯は夜九時な」


 そんな拓にだけ、一穂は甘えたり巫山戯ふざけたりするのだから、社内では公然のカップルとして扱われていた。

 一部の若い男性社員は、可愛くて仕事の出来る宮沢一穂を狙って行動を共にしようとしたり、拓を逆恨みしたりだったが、すべて宮沢一穂によって内々に処理されていた。

 それを知らないのは、当事者の拓だけである。


 兎にも角にも、一穂の提案によって事態は動き始めた。

 部屋の片隅で、


「大事な彼との大事な旅行なので、有給延長お願いしますね」


 と、拓をチラ見しながら話す一穂だったが、それよりもスマートフォンを握る一穂の華奢な背中が、拓には頼もしく見えていた。

 一穂の通話終了を待ちながら、拓はどろだんごの神さまと遊ぶ。


「そろそろ、お団子の時期だな」

「キュイー!」


 さっきまで眠そうだったどろだんごの神さまは、お団子という言葉で踊り出す。

 どろだんごの神さまは、泥団子なので基本的に食事をしない。

 土がひび割れない程度の、ほんの少しの水があれば大丈夫らしい。

 しかし、みたらし団子だけは別のようだ。

 月に一回、串から抜いた一個だけ、食べるのだ。

 どろだんごの神さまにとってのみたらし団子は、月に一度のイベントなのだろう。


「キュイくんのお団子ですか? ちゃんと用意してきましたよー」


 通話を終えた一穂が、三本入りのみたらし団子のパックを差し出してくる。


「キュイ〜!」


 どろだんごの神さまは、くるくると回って、コテンと転けた。


「仕事が出来るのは承知していたけど、気配りもすごいな」

「はい。ここに来る途中に寄ったコンビニで、ちょいちょいと」

「さすがだ、本当にありがとう」

「えへへ、もっと褒めても良いんですぜ、ダンナ」


 満面のドヤ顔で近寄ってくる一穂を、拓はひらりと躱した。


「調子に乗り過ぎだ」

「えー、せっかくですから、調子に乗らせてくださいよー」

「せっかくってなんだよ」

「だからぁ、貯まってた有給、今回一気に消化しますよ!」

「え」


 拓は理解が追いつかなかった。

 頭の中で直前の会話を何度も繰り返してみたが、無理問答のごとく意味が繋がらない。


「一週間、お休み追加ですよー。テンション上がりませんか?」

「一週間!?」


 拓は思わず叫ぶ。

 いくらなんでも、無茶が過ぎる。

 二週間も経てばお盆休みだというのに、よく会社が許したな。

 呆れる拓だが、一穂には響かないし、届かない。

 拓の溜息をそよ風のようにさらりと流した一穂は、さらに続けた。


「井上課長に電話したら無理って言われたので、人事部長に直接電話しました〜」

「ああ、そう……じゃなくて!」


 拓の脳裏に、苦い顔の人事部長が浮かぶ。

 片目を閉じて左手の人差し指を立てる一穂に、拓はさらに呆れる。


「一週間も休んだら、その間の仕事はどうするんだよ」

「大丈夫ですって。私の家来……もとい四人の後輩に割り振っておきました」

「え、家来ってなに。というか、なんで宮沢が俺の仕事を把握してるの? なにそれこわい」

「んふふ、高性能ストーカーとでも呼んでください」

「わかった、高性能ストーカーさん」

「何でそういうトコだけ素直になるんですかぁ〜」


 じゃれるように、拓の肩を両手の拳でポカポカと叩く一穂を尻目に、どろだんごの神さまの視線はみたらし団子に釘付けだ。


「わ、ごめんキュイくん、お団子すぐ用意するね」

「キュイ〜!」


 やっと神さまが月イチのご馳走、みたらし団子にありつけたところで、一穂が巻き起こした朝の騒動は幕を閉じた。



 二日目の昼は、昨日よりも日差しが強かった。

 フロントガラス越しに注ぐ真夏の太陽は、車の冷房の邪魔をしている。

 レンタカーのラジオで聴いた地元のFMラジオでは、今日は猛暑日になるらしい。


「え、今日は街ブラですよ。日傘の準備もバッチリでーす」


 今日は車移動メインだな、などと考える拓とは裏腹に、一穂は予定を変更するつもりはないようだ。

 籐編みのバスケットの中で待機するどろだんごの神さまも外出が嬉しいのか、ガサゴソキュイキュイと落ち着きがない。


「おー、やっぱり横浜とは違いますねー」


 街に近いコインパーキングに車を停めた直後、辺りを見回した一穂が呟く。


「ま、地方都市だからな。東京や横浜ほど、ビルは高くないし」

「じゃなくて、あれです」


 一穂が指差した方向は、コインパーキングの看板だ。


「めちゃくちゃ安いですよね、駐車料金」

「そこかよ」


 呆れた拓が零した溜息は、何処か弾んでいた。


 静岡市街、拓たちはいろんな場所へ立ち寄った。

 ちょっとした史跡や公園なんかに寄って、神さまを含めた三人で写真を撮りまくるだけ、だったが。

 バスケットの隙間からキュイと鳴き声が何度も聞こえたので、どろだんごの神さまも喜んでいるようだ。


「今日はお目当てがあるので、静岡しぞーかおでんは明日のお昼ごはんですねー」


 出来る後輩社員は、目に入る名物のチェックも忘れない。そんな仕事の出来る高性能ストーカーこと宮沢一穂は、実に生き生きと静岡の街並みを歩いていく。

 それは、かつての拓が選択し得なかった光景だった。


 自分が、女性と、故郷の街を歩く。

 しかも相手は、社内でも人気の可愛い女性社員。

 そして拓自身が持つ籐編みの四角いバスケットの中には、どろだんごの神さまがいるのである。

 楽しい。

 それと同時に、拓は後悔した。

 こうすれば神さまと一緒に外出できた場面は、二十年の間には幾らでもあった。

 拓は、自身が放棄してきた選択肢に神さまを巻き込んでしまったことを、深く反省した。

 そしてこのような機会を作ってくれた後輩社員に、自分と一緒に街を歩いてくれている宮沢一穂に、感謝の念を抱くのだった。

 それが、未だ名前のない感情の新芽になるとは、拓自身は知らない。

 或いは、知らない方が良いのかもしれない。

 手に入れなければ、時間や思い出を共有しなければ、またうしなうことも無いのだから。


 富士宮焼きそばという、B級グルメがある。

 富士山の麓の街、富士宮市の名物だ。

 メニューの存在は知っていたが、静岡市街にも富士宮焼きそばを提供する店があるとは、拓は知らなかった。

 その知らない店を、美貌かつ有能な後輩社員の宮沢一穂は綿密に調べ上げていた。


「美味い……」

「喜んでいただけて、光栄です」


 味は、一穂の手柄ではない。

 普段ならそう断ずる拓も、今回の手柄は、この店を見つけてきた一穂だと思った。


「今度は、でっかい富士山の近くで食べたいですねー」

「そう、だな」


 拓の言動は、普段と違って無反応、無関心ではない。そして、それに有能な後輩社員が気づかないはずはなく。


「お? 今ちょっとデレてます? デレてますよね?」

「そういうのは、よく判らん」

「わかんなくても良いんです。世の中、解らないことだらけなんですから」


 笑みを浮かべる宮沢一穂は、自身の膝のバスケットに視線を落とす。

 一穂がキュイくんと呼ぶ、どろだんごの神さま。

 幼い頃から拓と一緒のせいか、拓と共にいるのが当たり前になっていた。

 けれど、今更ながらに拓は思う。

 何故、泥団子なのに動くのか。

 どうして泥団子の状態で、山の中に転がっていたのか。

 考えたら、不思議なことばかりだ。

 ずっと起きていた神さまが眠るようになったのは、ここ数ヶ月のこと。

 確かに、考えても解らないことだらけだ。

 胸中でそう呟く拓にとっての最大の謎は、後輩、宮沢一穂と並んで静岡の街で富士宮焼きそばを食べているという、現実だった。


「じゃじゃーん」


 太陽が西のビルに隠れた頃、宮沢一穂が新たなレンタカーを借りた。

 今日のレンタカーは、昨日のようなセダンタイプではなく、ちょっとおしゃれなジープのような四輪駆動の車、いわゆるRV車という代物だった。

 仕事の時、たまに四駆の車には乗ることもあるが、それとはまったく趣は異なる。

 内装は普通の車よりも豪華というか、落ち着いた高級感が漂っている。

 座席シートも作業用車両のような防水のビニール製ではなく、本革製のようだ。

 シートの足元に敷かれたフロアマットは、高級な絨毯のように靴が沈み、砂や泥などが入り込む心配を一切されていない。

 しかし外見だけは、山道を走る「働く車」だ。

 その車で、拓と一穂、そしてどろだんごの神さまは、清水区と駿河区の境にある、日本平という低い山の頂上までドライブをした。

 頂上の駐車場に着いた時には、東の空は完全なる夜だった。

 飲み物は、駐車場にある自販機で買ったペットボトルのお茶。

 音楽は一穂のスマートフォンから、お気に入りの曲を流して。

 はじめての外出に疲れたのか、どろだんごの神さまはフロントガラスの下で眠っている。


「おー。綺麗ですね、夜景」


 拓には、夜景を愛でる余裕などない。

 車内の小さな灯りたちに照らし出された一穂の横顔に、釘付けだった。

 それでも、何か言葉を返す必要がある。

 考えた末に、拓は話す。


「あっちに見えるのは、清水区の夜景だよ。というか、東京や横浜のほうが夜景は綺麗だろうに」


 拓の発言に、一穂はニヤニヤと視線を拓に向ける。


「ここからの夜景は、星も見えるんです。そして海も見えて、さらに向こうには大きな富士山のシルエットまであって」


 拓は夜景を、都市や人工物の光源の集合体だと思っていた。

 だけど、一穂は違った。

 都市も自然も、目に映るものすべてを夜景と呼んだ。


「そう、だな」


 納得するように返したつもりは、拓にはない。

 しかし、そんな拓の顔を見つめる一穂は、柔らかい笑みを浮かべている。


「そうです。最高に贅沢な夜景ですよ、これは」


 拓は、気づく。

 この夜景が最高に贅沢な理由は、宮沢一穂と一緒だからだ、と。

 それが嘘か本当か、はたまた思い過ごしか、なんて、どうでもいい。

 拓が感じて思ったことが拓の事実であり、真実だ。


 ぽつりと、車のフロントガラスに水滴が落ちた。

 水滴は刹那の間に数を増し、大粒になり、数秒後には大きな雨音が音楽をかき消すほどになった。


「ゲリラ豪雨、かな」

「……そろそろ旅館に戻りましょうか」


 レンタカーが山頂の駐車場を出ても、どろだんごの神さまは眠っていた。



 山の中の旅館に着く頃には夜の帳は降り、ほとんど雨は止んでいた。

 車から降りると、拓が想像したよりも蒸し暑い。一穂も同じようで、いつもは伸びた背筋が、少し丸くなっている。

 旅館の玄関に入ると女将が、もう雨はウンザリとぼやいていた。

 無理もない、数日前にもしこたま降ったらしいから。


 夕食の用意を頼み、拓と一穂がそれぞれの部屋に戻ろうとした時。

 二人のスマートフォンに、耳慣れない通知音が同時に鳴る。

 拓と一穂のスマートフォンには、山間部に土砂災害の恐れ、避難指示、という文字が鈍く光っていた。






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