第4話 梅雨明け宣言
関東では梅雨が明けた。
が、梅雨明け宣言の翌週、中部東海地方では劇的な豪雨に見舞われた。
その規模は水害といってもよいレベルで、特に拓の故郷がある静岡県の雨量は凄まじく、一時間あたりの降水量は最大百ミリに達した。
災害の危険が高まってたと判断した自治体は、山間部の土砂災害レベルを避難勧告まで引き上げた。
そんな情報をネットで見ていた週末。
「先輩。ボーナスが出たら、里帰りしましょう」
「里帰り?」
スケッチブックを広げて神さまと遊ぶ一穂は、唐突に話し始めた。
「そういやボーナス直後の週末、俺は出張だった」
「え、また広島ですか」
「ああ。現地に行ってる測量調査課の連中と合流して、調査の最終報告だ」
「えー、仕方ないですねー、また合鍵借りないと。ねーキュイくん、また二人っきりだよー」
一穂はニヤニヤしながら神さまとイチャイチャし始めた。
その光景に目を細めた拓は、迷う事なく一穂に頭を下げる。
「……また頼む。合鍵は郵便受けに入れとくから」
「ふふ、次はお土産、忘れちゃダメですよ」
「お詫びに崎陽軒のシウマイ買ってきたじゃないか」
「横浜で買った横浜名物を横浜の会社へ持っていくって、少々常識を疑います」
前回の広島出張の土産は、帰りの新幹線にすべて忘れてきてしまったのだ。
「だから、もみまん。今度こそ楽しみにしてます♪」
「……悪かった」
「怒ってませんってば。早くキュイくんに会いたくて、お土産なんて忘れちゃったんですよね〜」
ほぼ、図星だった。
しかし無性に恥ずかしくなった拓は、肯定できない。
拓は思い出していた。
一穂と遊ぶ時の、神さまの様子を。
二人でスケッチブックにお絵描きしたり、くるくる踊る神さまを一穂がスマホで撮影したり。
拓は、そんな光景を見るのが好きになっていた。
出張中の二人を見られないのは残念だが、神さまと一穂が楽しく週末を過ごせれば、それで良いと思った。
「それより、里帰りってなんだ」
話題を変えたつもりの拓は首を傾げて、すぐに思い出す。
「そういえば宮沢って、たしか実家は東京だったよな」
何気なく返した拓の言葉に目を丸くした一穂は、しばし固まって、すぐにブンブンと頭を振る。
「……以前、何気なく言った私の実家を覚えていてくれたことにめちゃくちゃキュンとしましたけど、今は置いておくとして」
聞き取れないほどの早口でボソボソと呟く一穂に、拓は固まる。
神さまは、くるくると回っている。
「私ぃ、先輩の故郷にぃ、行ってみたいんですぅ、泊まりで〜」
先ほどとは打って変わって、あざとさ全開の一穂。
よもや自分がそんなことを言われる日が来るとは思っていなかった拓は、その激しい戸惑いの中で気づく。
「……泊まり?」
「はいっ、もちろん」
屈託のない笑顔を作る、後輩社員宮沢一穂。
が、一穂の腹黒さを垣間見ている拓には、人工的にしか見えない。
一穂の真意を計りかねた拓は、また
「先輩の故郷って、静岡ですよね。私、行ってみたかったんです。ほら、富士山とか」
「富士山は、俺の故郷からだと高速を使っても一時間以上離れてるけど」
「でも、あんなに大きいんだもん。静岡からも見えますよね」
「当然だ。なんなら
「うわー、いきなり自慢げ。まさか先輩、富士山は静岡の物だとか言ってるクチですか」
富士山は静岡、山梨にまたがる日本最高峰。
当然、自分たちの物と主張したがる県民は、双方に存在する。
が、拓の考えは、まったく別であった。
「馬鹿言え。富士山は静岡の物じゃない」
「じゃあ、山梨のもの?」
「それも違う」
一穂は頭上にでっかいハテナを浮かべる。
富士山は、静岡と山梨の県境にまたがる山なのに、と。
が、先ほどまで一穂に翻弄されていた拓は、もうここには存在しない。
一穂の目の前にいるのは、富士山についての持論を喋りたい、ただの山オタクのアラサーだ。
「じゃあ、富士山はどこの物なんですか」
「浅間大社のものだ」
「浅間大社……神社ですか」
「ああ。富士宮にある富士山
突拍子もない展開に、あんぐりと口を開ける一穂。
それを尻目に、回り疲れて小さな大の字に寝る神さまを両手に抱えて、高く掲げる。
「富士山は、
事実、富士山の八合目以上は、静岡側山梨側を問わず、富士山本宮浅間大社の私有地とされている。
そして全国の浅間神社の
つまり富士山は、全国の浅間神社のものなのだ、と拓は強く主張したいのである。
「へー、すごいですねー」
しかし拓の力説も、情報の取捨選択がバッチリな後輩社員はさらりと受け流す。
今の一穂にとっては、拓と神さま以外はどうでもいいのだ。
「では再来週、有給取って行きましょう」
「展開が早過ぎる。富士山の話はどこ行った。というか、なんでわざわざ有給なんだよ」
「だって先輩、来週末は出張なんですよね。それに皆さんが働いている時に新幹線で旅行なんて、優雅じゃないですか。先輩、今年まだ一日も有給消化してないですよね」
できる後輩宮沢一穂の伏し目がちな視線は、拓にチラチラと向けられる。
そんな黒い視線に刺されながら瞑目する拓は、長い溜息を吐いた。
「……有給消化、か」
「ですですっ」
楽しそうに笑う一穂の振舞いが不思議で仕方がない拓だが、大学進学以来、静岡に帰っていないのは事実だった。
故郷に拓の友人はいない。
祖父と過ごした家も今は無く、祖父が所有していた山も叔父が引き継いでいる。
つまり、拓には里帰りする理由がなかった。
「でもキュイくんと出会った山は、ダイラボウはあるんですよね」
そうか。
拓と同じく神さまもずっと山から離れているのだと、拓は改めて気づく。
神さま以外で故郷に良い思い出のない拓は、無意識のうちに里帰りを避けていたのかもしれない。
そう結論付けた拓は、有給消化を兼ねた里帰りを決意する。
「神さま、いっぺん静岡に帰ろうか」
「キュイ?」
「ダイラボウ。神さまと出会った山だよ」
「キュイー!」
神さまに話しかける拓の柔らかく優しい表情に、一穂は内心ドキッとする。
神さまは喜び、またクルクルと回り始めた。
「そうと決まれば、さっそく有給申請しますね。あ、それまでに私の仕事も片付けておかないと」
クルクル回る神さまを微笑みで見守っていた拓だが、口にせずにはいられなかった。
「え、なんで宮沢が有給申請するの」
「やだなぁ、私も一緒に静岡へ行くからに決まってるじゃないですか」
「え、まさか本気で?」
「はい、もちろん泊まりで」
「……まじで来るの?」
「はい♪」
「……ちょっとコンビニ行ってくる」
拓と一穂と神さまの「はじめてのお泊まり旅行」が決定した瞬間、拓はコンビニへ逃げ出した。
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