五十四話 後悔と罪悪感の行き先は

 河旭(かきょく)城都の中央卸売取引所、名は銀府(ぎんぷ)。

 そこには大小さまざまな店を連ねた市場が併設されている。

 私はお店が開く時間まで、薄明の中、恒教(こうきょう)と泰学(たいがく)の二冊の愛読書をめくって過ごした。

 おおよその内容は、把握していたつもりだったんだけどな。

 改めて読み直すと、以前とは違う発見があるもんだ。


「ふー、さっぱりした」


 朝になり、市場が開いて店が客を入れ始めると同時に、私は銭湯で汗と汚れを流した。

 その後、服屋に行ってそれまで着ていたズタボロの絹衣を処分し、平民が着る簡素な綿の服と革の沓(くつ)を買った。

 翠さまの持ち物である絹の服を下取りに出したので、業務上横領の罪まで重ねてしまった。


「いつかきっと、諸々含めてお返ししますので、どうかお許しください」


 心の中で必死に懺悔する。

 さて、心身ともにさっぱりしたし、これからどうするか。


「覇聖鳳(はせお)たちは西から逃げて行ったよね。バカ正直に行った道をたどるか、それとも北上して戌族(じゅつぞく)の領域を実際に見て調べるかな」


 ぶつぶつ言いながら今後の方針を考える。

 すると街の人たちの、穏やかでない噂話が聞こえてきた。


「なんとかってえ宦官が、禁軍に処刑されるんだってよ」

「昨日の騒ぎで、お城に戌族の外道たちや、怪魔を招き入れたらしいな」

「そりゃ殺されて当然だ。見物できるのか?」

「ああ、冬至の次の日に大路で牛裂きって話だぜ。おっかねえけど行くか!」


 今回の講義で麻耶(まや)さんが導き出した解答。

 それは、牛さんたちに両手足を引っ張られて、五体バラバラの刑らしい。

 元教え子として、私は麻耶さんに、真っ向から立ち向かった。

 結末を見届けるべきなんだろうけど、やめておこう。

 あなたは私にとって、素敵な恩師であり、憎むべき敵でした。

 差し引きゼロで、もうお互い、他人のまま、お別れしましょう。

 知らんぷりして、私はこの街を去ります。


「お疲れさまでした、麻耶さん」


 彼が私に遺してくれたものは、決して小さくない。

 良くも悪くも。

 思えば、戌族が真っ先に中書堂を焼いたのも、もちろんそこが燃えやすい攻撃目標であったからというのが第一義だろうけど。

 麻耶さんが、けしかけたに違いない。

 彼は百憩和尚と旧知の知り合いのはずなのに、挨拶にすら行かなかった。

 中書堂に、行きたくなかったのだ。

 自分が断たれた夢と未来に邁進する、学士や書官を、見たくなかったのだ。

 いや、もうよそう。

 彼のコンプレックスがなんであれ、もうどうでもいい。

 私はこれ以上、麻耶さんのことで思い煩うのを、やめることにしたのだから。


「お城を荒らした戌族の連中は、どうなるんだ?」

「処刑されるとは聞いてねえな。捕えられて刑徒(けいと)か奴隷にでもされるんじゃないかね」


 街の人のうわさ話に耳を傾けながら、私は歩く。

 生きて捕えられた戌族の兵たちがどうなるのか。

 あいつらを捕虜にして人質にしても、覇聖鳳に対しては交渉材料になるまい。

 手下の兵たちをあれだけ冷酷に使い潰す覇聖鳳が、部族の仲間に食わせる食料のために、無茶と無法を続けている。

 どうして、命を無駄に費やしてまで、そんなことをしなきゃならない?

 その矛盾を理解するのは、私のこれからの課題だ。

 

「西の城門は、見るの初めてだな」


 私は市街地中心部を離れて、河旭(かきょく)城都(じょうと)の西の出口に辿り着いた。

 城門の近辺で徹夜して、朝が来るのを待つことにした。

 朝方早くに城都の外へ出て行こうと思ったからで、そろそろ鶏が鳴き、城門が開く時間だ。

 鶏の鳴き声を真似して、さっさと門を開けさせてやろうか。

 そう思ったけど、門衛さんたちがせわせわと開門準備に取り掛かっているのを見て、無意味なモノマネショーはやめた。


「メエエエエエエェェ」


 しかし盛大に鳴いたのは、ニワトリより先に、ヤギであった。

 堂々たる体躯に立派な角を誇らしげに持つ、白い雄ヤギだ。


「もう行くンか? 早起きだなあ」

「軽螢もだよ」


 思わず笑って返す。

 大勢で来ていない、と言うことは。


「角州(かくしゅう)や翼州(よくしゅう)のはぐれ少年たちはどうしてるの?」 

「結局は工事の手伝いすることにしたってさ。メシも寝床も用意されてるし。大丈夫じゃね?」


 うん、玄霧さんに任せておけば、悪いことにはならない。

 先輩として先に皇都で働いてた私が保証する。

 そしてもう一人は、もちろん。


「西から逃げたクソ狗どもの足取りをそのまま追うのか?」


 さも当たり前のように、覇聖鳳を追い詰めて、トドメを刺そうと考えている、翔霏だ。

 その手に持つ柿の木の棍のように、翔霏は全く真っ直ぐで、ぶれない。


「どんなふうに逃げたのか、逃げ道にいた人たちの話を、聞いて回りたいよね」


 私たちは、お互いになにも言わなくても、いや、言わないからこそ、ここに集まることがわかった。

 翔霏は、私と同じか、それ以上の復讐心を未だにたぎらせて、覇聖鳳(はせお)を殺すことに執着している。

 それしか考えていないと言っていい彼女は、人の形をした復讐の刃だ。


「なるほどね。奴らの手口とか、手掛かりとか、いろいろわかるかもしンねーな」


 軽螢は、数字に弱い翔霏が一人で旅をできないことを知っている。

 誰かが一緒にいて、お金の計算や、日程や距離の計算、食料のあるなしを把握しなければいけない。

 戌族の領域に乗り込むこれからの旅は、危険が更に大きくなるだろう。

 だから少年義兵団を連れて行くわけにはいかず、解散させたのだ。

 みんなの働き口を斡旋してくれた玄霧(げんむ)さんは、本当に救いの神だったよ。


「久しぶりに三人揃ったけど、私が一番、足手まといだよね。ほんとゴメン」


 私たち三人は口に出さずとも、覇背鳳をさらに追い詰めるために旅に出る、その目的で一致していた。

 言葉にしなくても、自然にここに集まった。

 誰が誰を助けるとか、誰が誰を連れて行くとか、そう言う話じゃないのだ。

 これから一緒に、三人で、覇聖鳳をぶちのめしに行くための、旅を始めるんだ。

 並大抵の苦労じゃない、それは確実だった。

 それでも。


「ま、なんとかなるんじゃね。大丈夫、大丈夫」


 よいしょ、と私の体を持ち上げてヤギの背に乗せ、軽螢が言った。

 今、なにげに私をお姫さま抱っこしやがったな、こいつめ!?


「け、結局このヤギさん、食べなかったんだね」


 胸のドギマギを悟られないように、色っぽくない話を振る。

 そうそう、と当時の話をしたくてたまらないような口調で、軽螢が話題に乗っかってくれる。


「覇聖鳳を追っかけたり、戌族の情報を集めたり、あちこちうろうろした後でいったん、神台邑に戻ったンだよ。邑はなんもかんも片付けられちゃってたけど、コイツがのんびり草を食いまくってて、前より一回りもデカくなっててさ」

「私はさっさと潰して食おうと言ったんだが」


 おそらく今でもそう思っているであろう翔霏が口を挟んだ。


「そりゃあ食いごたえもありそうだけど、なんか、情が移っちゃったンだよな。コイツもあの日を生き残った、神台邑の仲間なんだよなーって思っちゃってさ」 

 

 色々なことを思い出したのか、軽螢はグスッと鼻を鳴らした。

 そして、私と翔霏に、あの日のことを告白した。


「俺さ、じっちゃんたちが覇聖鳳たちの青牙部(せいがぶ)と商売で揉めてたこと、知ってたんだ」

「軽螢はじっさまたちとの話し合いにもちょくちょく出ていたからな」


 想定内の話であるので、翔霏の反応は薄い。 

 私もそのことには薄々感付いていた。


「覇聖鳳は食料を欲しがってたんだけど、州の決まりで神台邑はこれ以上、戌族と商売しちゃいけない、ってことになってたんだ」

「私もちょっとだけど、耳にしたよ。邑のみんなは決まりを守っただけなんだから、落ち度なんかない」


 私の当たり前の解釈に、軽螢は苦笑いを返して言った。


「でも売り買いがダメなら、余った食料をこっそり渡してやる、一時的に貸してやる、そんな手が使えるんじゃねえかなって、俺は思ったんだよね。あの頃は戌族も覇聖鳳も、それほど憎い相手じゃなかったわけだし、それくらいしてやるのが、人情じゃねえのかな、って」


 私も翔霏も、黙るしかなかった。

 当時、散発的に人攫い、失踪事件、あるいは旅人への強盗事件が、翼州の北部で発生していた。

 犯人は大方、戌族の流れ者であろうと思われていたし、実際その可能性がとても高い。

 けれど覇聖鳳たちのグループの仕業であるかどうか、誰も確証は持てない。

 神台邑もあのとき、事態が詳しくわからないという理由で、行動を「保留」したんだ。

 私が商店ビルで煙に包まれている間に、逃げるべきか、立ち止まるべきか、苦しんでいる人を助けるべきか、判断できずに「保留」したのと、同じくだ。

 しかし、保留を続けていたら、事態はどうなるのか。

 軽螢は、その核心を突く発言をした。


「でも、ぼやぼやモタモタしてる間に、覇聖鳳たちが襲ってきて、あんなことになっちまってさ。俺のせいだ、あのとき、いい手を思いついてたのに、じっちゃんたちに言えなかった俺のせいで邑は焼かれたんだって、そう思っちゃってなァ」


 立ち止まって躊躇していたら、物事は最悪の事態を招き、後悔しても手遅れになる。

 その残酷な事実を軽螢に突き付けられて。


「違うよ!」

「違う!」

「メェ!?」


 軽螢の口から紡がれる後悔を、私と翔霏が、声を揃えて否定した。

 私たちが同時に叫んだので、軽螢はびっくりした顔をした。

 あと、ヤギもビビってた。

 私たちが本当に否定したかったのは、軽螢の罪悪感と責任なのか。

 それとも、自分の中にも同じように存在している、自分自身を許せない心なのか。

 軽螢はいつものように鷹揚な笑顔に戻り。 


「今はンなこと思ってねーよ。邑を焼いたのも、石数(せきすう)やじっちゃんたちみんなを殺したのも、覇聖鳳たちに決まってるし」

「だよね」

「それ以外の事実などない」


 やっぱり、軽螢の心は、強いと同時にしなやかだ。

 過酷な現実も反省も後悔も罪悪感も、感じないわけじゃないし、平気なわけでもない。

 でもそれら全部を一通り飲み下したうえで、前を向いて軽やかに笑うことができる。

 彼は今回の旅における、自分の展望を私と翔霏に語って聞かせた。


「麗央那と翔霏が覇聖鳳を殺しに行くンなら、俺はそれを最前列のかぶりつき、特等席から見物させてもらおっかな。きっとどんな芝居より楽しいぜ」

「繊細な乙女を面白い見せモノ扱いしないでくれるかな」


 痛い存在であることは自覚しつつも、一淑女として名誉のために抗議する。


「お前も手伝え……」


 相変わらずサボりたがりの軽螢に、翔霏は呆れているようだった。

 昂国の首都、河旭城。

 朝日が昇る。

 鶏鳴が賑やかに響き、大きく分厚い西門が開く。

 狗盗どもを追い詰め、殺すための私たちの旅が、始まる。

 今度は守るための戦いじゃないぞ。

 こっちから、お前の命を狙いに、出向いてやるんだ。


「さ、行こっか」


 雑多な通行人たちに紛れて、私たちも街の外へ出た。

 城壁の外には、平地と丘陵が斑に配された、眺めのいい景色が広がっていた。

 都市の近隣は怪魔の害から比較的守られているのか、田畑も多い。

 いざとなれば都城の中に逃げ込むのだろう。

 覇聖鳳が逃げた足取りは、西門の周辺で噂話を集めたのでだいたい見当がついている。

 三人で適当に歌いながら、気分よく田園地帯の真ん中を歩いていた、そのとき。


「待てーーーーい! そこの三人、止まれーーーーーい!」


 誰かが私たちを馬で追いかけてきて、叫んでいた。

 気持ちよく出発したのに、邪魔をしないでくれないかなあ。

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