五十三話 魂の自己採点
朱蜂宮(しゅほうきゅう)を後にして、怪我人や避難する人に紛れて皇城の大門をすり抜けた私。
夕暮れの城下町は、行きかう人々の騒ぎで多少の喧騒にあった。
けれど私が見立てた通り、戌族(じゅつぞく)の攻撃は市街地までには及んでいなかったようだ。
破壊された建物もなければ、火の手や煙も上がっていない。
「目立たないようにして、どっかで野宿するか」
とりあえず、体力は空っケツだ。
現金は、さっき翔霏たちと山分けした銀貨が三十枚弱。
私が貰う謂れはなかったんだけど、軽螢(けいけい)が押しつけて来たので、大事に使わせてもらう。
「今日は人生で一番疲れた。中学の校内マラソン大会なんてメじゃないくらい疲れた」
表通りから一本入った道の路上に座り、なにやらのお店の壁に背中を預ける。
建物の中からは、歌うような楽しい声と、ドンドンと足踏みをするような振動、そして笛や太鼓の音が聞こえる。
皇城で修羅場があったためか、お客さんは入れてないようだ。
と言うことは、演芸の練習中なのであろう。
「お芝居小屋ってこれかあ。開いてたら入ってみたかったけど、閉業中なら仕方ない。なにより、眠い」
いつか余裕があれば、お芝居も、たまにはおしゃれな服や髪飾りも。
お豆腐屋さんで、買い食いもしたいなあ。
なんてことを考えながら、私は疲労と睡魔の虜になった。
今ここで、スリとか、強盗とか、暴漢とか、人攫いとか、特殊性癖の変質者とか。
そういう類の厄介ごとに出くわしたら、おしまいだな。
なんて考えが頭をよぎったけど、体力気力の枯渇には、抗えなかった。
「央那さん。前に、魂の話をしたのを覚えてますか?」
闇に落ちたはずの意識の中で、なにかが聞こえる。
これは、沸教(ふっきょう)の学士坊主、百憩(ひゃっけい)さんの声だな。
ええ、覚えてますよ。
魂は、虚空から借りて来て、死んだら虚空にお返しするもの。
「魂の本質は虚空なんだから、魂は全てのものから自由であるはずと、前に教えてくれましたね」
「よく理解しておいでだ。しかし人の体と感情は、自由なはずの魂を縛り付ける。ここに、人が生きることの難しさがあります」
わかるような、わからないような。
翠さまのように、感情を思いのまま表現すること。
翔霏のように、肉体を思い通りに動かすこと。
それこそが、人にとっての「自由」ではないのか。
逆にそれは、魂が感情や肉体の奴隷になっているという証拠なのか。
私にはわからない。
それでも闇の中で、私は、答える。
及第点がもらえる回答かどうかは、知らん。
「中書堂(ちゅうしょどう)が燃えているときに、みんなに、叫びました。逃げて、飛び降りて、生き延びて、って」
「ええ、拙僧の耳にも、届いておりましたよ。あの声で正気を取り戻して助かった書生や書官が、何人もいました」
それが本当か、お世辞かはわからないけど、嬉しい話だ。
うん、とても、嬉しい。
私の叫びは、届いていたのだ。
「思いっきり叫んだ中で、私は、私の中に『自由』を感じました。魂が解放されていく気がしたんです」
私の根っこにある後悔と、自己嫌悪。
必死で勉強して志望校に無事、合格したように、私は、やればできる子のはずなのに。
肝心なときに、なにもできずに竦んで、固まって、立ち止まってしまった。
弱っちくて、情けなく、ちっぽけでみっともない、私自身を許せない心。
「私はやっぱりダメなやつなんだ。どうせなにをしても無駄なんだ」
心の中で反響する、自分自身への、絶望のささやき。
その呪縛から本当に解放されたのは、あのときだ。
燃え盛る中書堂を目の前にして、私は喉と体が、勝手に動いたのを感じた。
それからは、頭も体も、私が意識せずともフル回転で、自動的に動いてた感覚を得られたのだ。
賊に襲撃され荒らされて行く皇城、後宮のただ中にあって、私は。
自由だった。
怒りも、憎しみも、仲間を喪ったあの夏の日の悲しみさえも。
私がこだわっていて縛られていた、それらすべてがどこか遠く、虚空の果てにあるような気がして。
たまらなく、気持ちがよかったんだ。
「なるほど。それが央那さんが見つけた『魂』の答えの、一端ですか」
百憩さんの声からは、納得したのか、失望したのか、それとも予想外の回答が来て驚いたのか。
全く読めない。
食えねえ坊主だよ、本当に。
あんたが思わせぶりに言って煙に巻いている言葉の一つ一つが、私にはさっぱりだ。
でも、それでいい。
わからなくても、そのまま進み続けるしかないんだ。
いつか本当の答えを手に入れられる、その日まで。
「しかし、こんなところで寝ていると、風邪をひきますよ。もう冬も深まるというのに」
夢の中のはずなのに、急に現実的なことを言われて、私はパチッと覚醒した。
周囲を確認すると、どうやら明け方の前くらいのようだ。
私の体と持ち回り品は無事で、悪い連中にちょっかいをかけられた感じはしない。
変な体勢で寝入ってしまったせいで、体中はバキバキだったけど、脳は休まった。
「助かった」
私の人生で一番、幸運が味方したのは、今であるらしいぞ。
ひょっとしたら誰かが側にいて、見守ってくれていたのかも。
なんてね。
むくりと体を起こそうとすると、なにかがお尻に触った。
座って寝ていた横に置かれていたらしいそれは、二冊の分厚い本。
「私の恒教(こうきょう)と、泰学(たいがく)じゃん」
手垢の汚れ具合もすっかり見慣れた、座右の書が二冊。
見間違うはずもない。
表紙の「泰」の字の横三本線が滲んでくっついちゃってるこの本は、どう見ても、私が持っていた本だ。
え、いったい誰が、後宮の私の寝床から、これを持って来て、ここに置いたの?
ちょ、怖いんですけど!?
私専属のストーカーでもいるの、この街には!?
「ん、なんだこれ」
本のページの間に、しおりのような、付箋のような、小さな紙が挟まっている。
私が差した記憶はないので、ここに本を置いた謎の人物の仕業だろう。
紙片には綺麗な筆文字で、こう書かれてあった。
「過視遠、而願不溢手中璽」
遠くを見過ぎるあまり、手の中にある宝を取りこぼさないでください。
そんな意味だろうか。
まさかとは思いつつも、この筆者に、心当たりがある気がする。
うるせーな、とっくに取りこぼしたんだよ。
仲間の仇も、環(かん)貴人との友情もね。
だから、取り戻しに行くんだよ。
こいつはいつも、わかるようなわからないような、微妙に偉そうな話をするやつだったな。
「不気味なんだっつの。会ってはっきり言えや」
私は苦笑いして起き上がり、謎の親切な人物に悪態を吐く。
ありがとう。
いつかまた、屁理屈をたくさん用意して、問答しに行きますね。
魂の答えがわかった、いつかその日に。
今までのお礼も込めて。
それまでせいぜい、長生きして待ってろよ。
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