四十四話 再会

「おお、集まってるわい。下品な顔の連中が、揃いも揃って」


 塀の上に立った私を、攻撃してくる賊徒はいない。

 遠目に見た私はきっと、艶やかな絹の衣を重ね着した貴婦人である。

 おそらくは降伏の使者かなにかかと思われたんだろう。

 どんな交渉をしようと、奴らの目的が後宮を破って焼くことである以上は、ただの時間稼ぎにしかならないけど。

 私は眼前に展開する、戌族(じゅつぞく)の歩兵騎兵入り混じった連中を眺める。


「いるかな~?」  


 一度しか見ていないけど、頭の中で何度も反芻した、馴染みの顔を探す。

 都督の検使さんたちを撃退する歩兵と。

 塀を壊そうとする、破壊工作担当の兵と。

 馬に乗って火付けや連絡行動に走り回る騎兵と。


「いた」


 そいつらを監督するように見守る、白馬に乗った長髪の男。

 人の背丈ほどある大刀を肩担ぎにして。

 隣には褐色の片目女を侍らせ、あの日と同じ顔で、そこに立ち。

 真っ直ぐに私を見据えて、少しだけ、楽しそうな表情を浮かべていた。

 私はその姿を見て。

 交渉や、陽動や、時間稼ぎをするはずだったのが、全部、頭からぶっ飛んで。

 叫んだ。

 叫ばずには、いられなかった。


「覇あああああぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!」


 お母さん。

 デカい声の出せる体に産んでくれて、ありがとう。


「聖ええええええええええぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!」


 翔霏(しょうひ)、軽螢(けいけい)。

 なにもなかったあの日の私に、優しくしてくれて、ありがとう。


「鳳おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ~~~~~~!!」


 石数(せきすう)くん、雷来(らいらい)おじいちゃん。

 神台邑(じんだいむら)のみんな。

 みんなが私に、勇気をくれたんだ。

 そのおかげで今があるよ。

 生きて、燃えている命の証を、叫んでるよ!!


「気安く呼ぶなよ、ちんちくりん。お前誰だ?」 


 私に名を呼ばれた覇聖鳳は、シニカルに笑って聞いた。

 問いに対する私の答えは、こうだ。


「神台邑(じんだいむら)の、生き残りだあーーーーッ!!」


 一瞬、覇聖鳳はなにかを思い出すかのように思案して。

 あーあー、と納得したように小さく頷いた。

 そして横にいる、邸瑠魅(てるみ)とかいう女になにか一言伝えた。

 すかさず邸瑠魅が、携えていたごつい長弓から火薬付きの矢を放つ。


「問答無用かよ!」


 ドバァン! 

 私のすぐ足元横で矢は弾けた。


「話が通じる相手じゃないとは思ってたけどなーッ!!」


 片目なのに弓のお上手ですこと!

 幸い直撃しなかったけど、塀の上でバランスを崩した私は。


「やばっ」


 およそ4メートル50センチ下の地面へ向かい、力無く落ちて行く。

 後宮の内側でなく、外側へ。

 戌族の暴徒がひしめく、その地面へ。


「ウンギィ!」


 ドスンと落ちて転がって、体のあちこち、痛い。

 高い所から落ちたら、眩暈みたいに気分も悪くなるんだな。

 いい経験になったけど、この後の人生に活かせるか、どうか。

 手も足も折れた感じはしなかったので、それは幸いだけど。


「好きにしな!」


 邸瑠魅(てるみ)の声が聞こえた。

 突然現れたこの変な女を生かすも殺すも、勝手にしろと言うことだろう。

 しゃがみこんで身体のしびれが引くのを待っている私の所へ、何人もの屈強な戌族の男が押し寄せる。

 逃げ出すための足は、ガクガクで動かない。

 だけど、手は動きそうだ。

 私は袖の中に隠していた毒の串を一本、取り出して後ろ手に握る。

 視界がまだ、くらくらする。

 近付いてきた一人や二人、道連れにできるだろうか?


「来るなら来てみろ。楽に死ねる毒じゃないぞ」


 地獄へのお伴は、戌族の兵士Aくらいかよ、私の末期。

 まあでも。

 私、頑張ったな。

 足を前に力強く踏み出して。

 手を前へと必死に伸ばして。

 ちんまい体で、やれるだけ、やったよね。

 翠さま、宦官のみなさん、あとはよろしく。

 なんとかなるための一手くらいは遺して逝くので、上手く使ってくださいな。

 ああ、でも。

 翔霏(しょうひ)と軽螢(けいけい)に、死ぬ前に一度でも、会いたかったなあ……。


「お母さん、さようなら。これからも元気でね」


 悲しみではなく、誇りを持って私は言う。

 あなたの一人娘、麗央那(れおな)は。

 精一杯、生きました。

 これが私の命の答えなら、悔いは微塵もありません。

 

「ずいぶんと薄汚れてんなあ」

「まだ子供じゃねえか」

「生娘だったら、頭領に渡すか?」


 下卑た笑みを浮かべた男たちの手が、こっちに伸びる。

 あと半歩、踏み込んで来い。

 衣服に覆われてない、その首元を、私の手が届く近さに。

 大柄な髭もじゃ男が、にやけながら手を伸ばしてくる。

 ぼやけた視界の端で、なにかが飛んだ影が見えた気がする。

 鳥だろうか。

 生まれ変わったら、渡り鳥になりたいな。


「ほ~れ、大人しくし、ろゴェッ!?」


 ゴィィィィィン!!

 私が相手の男に串を刺そうと足を踏ん張った、ちょうどそのタイミングで。

 強烈な打撃音が一発、鳴り響いた。

 私の目の前で男の一人が悶絶して、どさりと倒れた。

 視界がかすんで、よく見えてなかったけど。

 男は頭部に、なにか致命的な打撃、衝撃を、喰らったのだ。


「相変わらずいい声だな。遠くからでもすぐにわかったよ」


 若い女性の後ろ姿が、私の目の前に立っていた。

 長いポニーテールが、殺戮の場に不似合いに、優雅に風に乗って揺れていた。

 ひゅん、と長い木の棒を振り回して構え直す女性。

 混乱の極みにあるこの状況でなお、無表情な顔と、無感動な声。

 その手には彼女の在り方を示すような、真っ直ぐで、強く固く、飾りのない長い木の棒。

 いや、あの棒は「棍」と呼んでいたはずだ。

 

「あ、ああ、あああああ」


 彼女の声を聞いて、私はもう。

 溢れ出る涙を止めようとも思わない。

 生きていた。

 また、生きて会えるなんて。

 さらに、別の方向から。


「おーらおらおらーー!! 突っ込めーーーーーい!!」

「メエエエエエエェェェァッ!!」


 迫り聞こえる軽快な声。

 声の主は、馬とも見まがうほどに大きく立派な体格のヤギの背に乗って。


「ごぶえ!」

「ぐぎゃあ!」


 私に近寄ってきた他の男たちに、盛大にヤギタックルをぶちかまし、自分も地面に転がった。


「あいててて。ちくしょう、擦り剥いた」


 ヤギの交通事故を発生させ、血の滲んだ腕をフーフーする、その男の子。

 最後に会ったときよりも、幾分か、髪が伸びて。

 顔に向こう傷を増やし、手には刃こぼれした青銅剣を持っていた。

 会えなかった、離れ離れだったこの間、彼もきっと必死で、戦っていたんだ。

 私はヘロヘロとした足取りで彼に抱きついて。


「軽螢ェ……大丈夫? 怪我したの? 痛くない?」


 せっかくの再会なのに。

 涙と鼻水と、私もあちこち擦り剥いてて、台無しだ。


「こんなもん、全然へっちゃらだよ。大丈夫、大丈夫」


 軽螢は、いつもそうだったように、鷹揚に笑い、私の頭を撫でた。


「うわあああああああん。あああああああん。軽螢ェ、本当に、翔霏と軽螢なんだよねぇ? ここ、あの世じゃないんだよねぇ?」


 私は、そのまま泣き崩れて、軽螢の服に涙でべしょ濡れの顔を押し付けた。

 ぽんぽんと優しく私の背中を、あやすように叩きながら軽螢は言う。


「なんで麗央那、こんな危ないことしてンだ?」

「お互いさまでしょー、バカァ。軽螢のバカァ、翔霏のバカァー」


 あの夏の日と同じく、子供のように泣くしか、できない。

 だけど、これは良い涙。

 私の心と魂が、人間並みにまだまだ潤っている証拠。

 翔霏が私と軽螢を守るように屹立し、覇聖鳳たちを睨みつけた。  

 

「久しぶりだな、クソ狗(いぬ)ども。今日こそは一匹残らず、叩き殺してくれる」


 その翔霏と軽螢に遅れること、わずかばかり。

 雪崩のように、人間の集団が走り込んできた。


「うおおおおおお! ここで会ったが百年目ーー!!」

「邑のみんなの仇だーーーーーーッ!!」

「翔霏姐(ねえ)さんに続けえええッ!!」


 数十人の若者たちが、手に不揃いの武器を持って、めいめい雄たけびを上げた。

 中には、見覚えのある顔もいて、私は嬉しさのあまり叫ぶ。


「神台邑の、やんちゃ少年たち!」


 彼らの先陣先頭を担い、翔霏が敵の群れへと飛び出して行った。


「貴様らの髑髏で仲間の墓を飾ってやる!!」


 傍にいた敵をあっと言う間に殴り倒し、覇聖鳳のもとへ走り出す翔霏。


「でえええりゃああああっ!!」

「遅れを取るなあああっ!」


 彼女の背中を追い、真正面から戌族の集団にぶつかっていく、若き闘士たち。


「みんな無事だったんだね! 見覚えのない子たちもたくさんいるけど?」


 私の驚きに、軽螢が説明を返す。


「他の邑から避難するときにはぐれたやつとか。角州(かくしゅう)から来たやつもいるよ」


 住んでいたところからの避難が決まって、故郷を奪われた邑人は多い。

 彼らの一部は翔霏や軽螢に合流して、戌族討伐のために流浪することを決めたのだろう。

 軽螢は興奮しているヤギをなだめ、私の体をヤギの背にまたがらせる。


「ここは危ないから、麗央那は少し離れてろよ。あとで迎えに行っからさ」

「やだーーーッ!!」


 ノータイムで却下。

 逃げて後悔した私が、この期に及んで逃げるなんて、あり得ない。


「いやいやいや、ガキみたいに聞き分けないこと言うなって」

「まだ子供だし! 十六だし!」

「参ったなコリャ。麗央那は言い出したら聞かないからなあ……」


 呆れて頭をポリポリとかく軽螢。

 しかし私と軽螢の押し問答は、そこで終わった。

 議論している場合ではない、別の局面が発生したからだ。


「こ、後宮南門前に、複数の巨大な怪魔(かいま)が出現! 誰か手を貸してくれるものはいないか!?」


 傷付いた検使のお兄さんがやって来て、そう告げたのだ。


「オイオイ、怪魔(かいま)がなんで都のお城に出て来ンだよ」

「門が開いてた混乱で紛れ込んだのか?」


 少年たちが口々に言う。

 もちろんこれも、偶然であるわけはない。

 一つの疑問を軽蛍に訊ね、確認する。 


「軽螢、街や邑に結界を張ってても、人の手で門を通って連れて来られた怪魔は、入れたりする?」

「ちゃんとした入口から入るなら、できンことないと思うけど」

「じゃあ戌族の連中は、鎖とか縄で怪魔をふん縛って荷物に紛れて持ち込んだんだ。解放した後は、勝手に暴れてくれって感じで」

「迷惑な話だなあ」


 世間話のような緊張感のなさで、軽螢は言った。

 ごめんね、その迷惑な怪魔の引き入れを行ったの、私の職場の指導役だった宦官なんだ。

 怪魔を皇帝の居城にけしかけるなんてね。

 麻耶さんも本当に、手段を選んでない。

 私は軽螢にヤギの背を譲り、お願いする。


「仲間の少年たちと一緒に、怪魔をやっつけに行って。都の検使より、軽螢たちの方がずっと慣れてるし、上手くできるよね?」

「そりゃいいけど、こっちも大変じゃねーの?」


 翔霏と少年たちが大いに食い止めてくれるおかげで、戌族が塀を壊そうとする動きは鈍った。

 しかし今、少年たちが南へ移動して怪魔退治をしてしまうと、戌族たちに塀を破壊する余裕を与えてしまうだろう。


「翔霏がいれば、私の方も大丈夫。私だって後宮で遊んで過ごしてたわけじゃないから」


 ぐいと軽い螢の背中を押して、ヤギさんのお尻を叩く。


「麗央那に考えがあるなら、大丈夫か」

「ヴァァ」


 納得してくれたように軽螢と、ついでにヤギもうなずき、仲間に声をかける。


「野郎ども! こっちは翔霏と麗央那に任せて、南門の怪魔をブッ倒しに行くぜ! ついて来いや!」

「メエエエエエエエ!!」


 声をかけられた少年たちは、首をひねりながらも軽螢に従い、走る。


「おろ? 目標変更?」

「せっかくこっちに麗央那がいるから来たのにな」

「翔霏姐さん! 怪魔をブッ殺すまでの間、ここは任せたッス!」


 状況が微妙に変わる。

 何人もの戌族のつわものを棍の餌食にして昏倒させた翔霏が、いったん私のいる場所まで下がる。

 少年たちをここから離れさせたのは、彼らを守りながら戦っていると、翔霏が全力を出せないからだ。

 破壊工作をしている連中は、もう放っておく。

 翔霏にはその間、なるべくすべての力を、戌族相手の戦闘に使って欲しい。

 そうすれば翔霏の周り、この後宮の北塀エリアに敵の兵力がどんどん、集まってくるはずだ。

 後ろで偉そうな顔をして状況を観察している覇聖鳳の顔が、憎たらしいなあ。


「麗央那、無茶はするなよ」

「平気、眩暈も治まった」


 その二ヤついた顔を、私と翔霏の神台邑乙女コンビで、歪ませてやろうじゃあないか!

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