四十三話 私は麗央那
よく歴史ものの映画やドラマで、城壁や外塀を乗り越えて相手陣地に侵入しようとする兵士たちの姿が映される。
あれは侵入して戦うことが主目的ではない。
内側から門を開けて自軍の兵を迎え入れるために、壁を乗り越えようとしているのである。
侵入が成功する人数なんて、たかが知れているからね。
やはり城攻めは基本的に門をこじ開けて、外にいる仲間と合流しなければならない。
その、はずなのだが。
「やっぱりいないわね」
後宮の北の塀を視認できる距離まで私は来た。
そして、塀を乗り越えて侵入しようとする賊がいないことを確認した。
あいつらは、あくまでも北の塀を火薬や大ハンマーなどで物理的にぶち破って、中に入ることを目指しているのだ。
「す、翠(すい)貴妃さま。もう十分でございまする。あなたさまの勇気は、末代まで語り継がれましょう」
結局は何人かの宦官たちが私について来て、早く西苑の中庭に戻れとうるさい。
銀月さんには中庭の取り仕切りをお願いしたので、ここにはいない。
ドゴオオオォォォン!!
炸裂音が激しく鳴り、塀が揺れる。
火薬と大槌が奏でる衝撃打撃の多重奏は、北の塀が破られるのが時間の問題であることを告げている。
「ヒィッ!?」
宦官さんたちは身を竦めて、私をしゃがませようと服を引っ張る。
細かい瓦礫が風に乗って飛散する中で、私は仁王立ちして一人ごちる。
「検使(けんし)さんたちは南の方で手いっぱいかあ」
後宮を破る。
言葉の、概念だけの話ではなく、物理的に、破りたいのだ。
それが今回の、戌族(じゅつぞく)青牙部(せいがぶ)、覇聖鳳(はせお)の、皇都襲撃におけるテーマに違いない。
後宮を破って美女と財宝を持ち帰ることが、その後の覇聖鳳たちの「伝説」になる。
その伝説、あるいは貫禄と実績は、覇聖鳳の戌族部族内での立場を、より一層高める。
ついでに戌族と国境を接している北辺に暮らす昂国(こうこく)の民衆にとって、覇聖鳳の恐怖を一段と高める結果を得られるだろう。
「ちょとあんたたちなにやってるの!? 早く逃げなさいよ!!」
破壊攻撃を受けている塀の、ちょうど真裏。
塀一つ隔てて戌族の暴徒がたむろしているその現場に、大勢の宦官がいた。
みんなで、せっせと石や煉瓦、木材、果ては手押しの荷車などを運んでいた。
壁がぶち破られた際のバリケードにするつもりだろう。
塀の内側に射込まれている火矢や火薬矢に対しても、懸命に消火活動をしていた。
彼らは私の姿を認めて、口々に心配の言葉を連ねた。
「す、翠貴妃殿下。ここは危のうございまする」
「どうか他の場所へお逃げ下され」
「拙どもは、後宮の御盾(みたて)になって死ぬる所存でございますゆえ、どうか、どうか」
バカ~~~~~~~!!
と叫びそうになるのを、こらえた。
彼らがここで死ぬ必要なんて、微塵もない。
だのに、彼ら宦官たちはこの後宮、朱蜂宮を守るため、ただそれだけのために、その命をここで使い果たそうと決めている表情だった。
愛すべきバカモノどもだけど、私は彼らの決死の意気を否定しなければならない。
だって今の私は、司午(しご)家の令嬢、翠蝶貴妃殿下だから。
「そんな石くれだのなんだの運んでるヒマがあったら私を手伝いなさい! もっと役に立つものでこの塀の前を埋めるわよ!」
私が一喝してずんずんと歩みを進めると、戸惑いながらも宦官さんたちは後をついてきた。
宦官や宮妃たちから全幅の信頼を寄せられている翠さまの立場こそが、今、私が手にしている、最大の武器だ。
そのうちの何人かに私は具体的な指示を飛ばす。
「北苑の物品庫にも硫黄や鉄粉や辰砂(しんしゃ)があるでしょ? とにかく運べるだけ運んできてちょうだい! 硫黄が優先!」
命令の真意はわからなくても、翠さまが言うのであればと、無条件に宦官は動いてくれるのだ。
残った宦官に、私は別の指示を出す。
「燃料庫からありったけの炭と油を持って来るわよ! 台車や荷車があるならそれを使って!」
「か、かしこまりまして!」
全員が避難してもぬけの殻になった北苑を、私と宦官たちが走る。
そこに、いざというときに非常に頼りになる、あの大きな体の宦官さんも合流した。
「れ……司午貴妃、奴才(ぬさい)もお役立てください」
どうやったらそんな体になるのか、いくら考えても結局わからない、巌力(がんりき)さんだ。
「東苑(とうえん)は大丈夫なの?」
「環(かん)貴人以下、秩序と平穏を保っておられます。環貴人の言伝により、司午貴妃を助けよ、と」
「ありがと。一緒に荷物を運んでもらおうかしら?」
私はもう、自分が翠さまであるのか、侍女の央那(おうな)であるのか曖昧な心持ちで、後宮内を駆けた。
人数が多いという力はやはり偉大で、賊が破ろうとしている北の塀の前に、大量の資材が運び込まれる。
硫黄。
鉄粉。
辰砂、またの名を水銀朱。
木炭。
植物油脂や樹脂。
ある程度の物資が集まった段階で、私は別の指示を出す。
「北苑から東西に繋がる回廊の扉を全部閉めてちょうだい!」
建物の扉を閉めても、空気は上から流れるから、気休めなんだけどね。
さて、後宮の内部で今私にできることは、やり尽くした。
あとは少しでも、奴らが穴をブチ開けようとしているこの北の塀に、多くの敵を集めることなんだけど。
「一席ぶつしかないか」
私は長梯子を巌力さんたちに運んでもらい、それを登って塀の上に立とうとする、けど。
ドォォォン!!
ガアアアァァン!!
爆音と衝突音がほぼ同時に鳴り響き、北塀を補強する煉瓦が崩れ落ちて行く。
「おおおお、おやめくだされ! それだけはおやめくだされ!」
名も知らぬ宦官さんたちも。
「奴才もそればかりは看過できませぬ。敵はこの塀のすぐ向こうに跋扈しておるのです。やつめらに伝言があるのなら、誰か代わりのものに」
もちろん巌力さんも、強硬に反対した。
塀の上に登りたくても、彼らの理解を得られない限り、通せんぼされて梯子も外されてしまう。
でも、他の人に任せたり、手紙を向こうに投げ込むのでは、やっぱり効果が低いのだ。
翠貴妃に変装した私が、位の高い妃の格好をした女が前面に立つことで得られる注目度というのが、あるのだ。
ここか。
ここが勝負の分かれ目か。
そう心に唱えて、私は。
「あ、い、いけませぬ!」
巌力さんが止めるのに構わず。
私は翠さまに変化していた魔法を解く。
ちょうど水に濡れていた袖で、口紅と頬紅をごしごしとぬぐい落とし、アイシャドウも眉墨(まゆずみ)も拭き取って。
頬の内に詰めていた小さな綿を、ぺっと地面に吐き捨てる。
魔法が解けて現れた顔は、明らかに司午翠蝶貴妃殿下とは別の、眉毛の薄いしょぼくれた庶民の女。
「みなさん、今まで騙してこき使って、ごめんなさい。私は翠さまではありません。お付きの侍女が、成り済ましていたんです」
唖然としている宦官たちを尻目に、私は梯子に足をかけ、塀の上に昇って行く。
私が途中まで登ってしまったせいで、巌力さんももう止めることはできず、梯子を抑える役に回ってくれた。
「だから、死んでも大丈夫です。翠さまはどこかでご健在のはずで、これからもみなさんを、導いてくれるでしょう」
死にたいわけでもないし、死ぬつもりは微塵もない。
だけど私は、死地に往く。
塀一つ越えた先にある、私にとっての「死」を見据えに。
たまらなく生きたいし。
たまらなく生きている、この気持ちの高鳴りを胸に。
残酷で血なまぐさい「死」のリアルを覗きに行くのは。
「こんな気持ち、生まれてはじめてだ」
言葉では表せなかった。
体が震えているのは、恐怖ではない。
私の魂が激しい業火を浴びて、煮えたぎって沸騰している。
その情熱の律動なのだから。
鏡がないから、わからないけれど。
化粧も落としてすっぴんだし、あちこち泥かぶりのほこりまみれで、擦り傷だらけだけど。
きっと今の私は、美しい。
麗央那という名前に負けない自分になれたことが、なによりも嬉しかった。
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