四十二話 友よ、たとえこの身は離れていても
塀の外から後宮の内側にいる私たちへ向けた一通の文書。
そこには、こう書かれていた。
大道既偏燃 戌疾至城辺 刀槍悉殺民 日嘗仰没塵
読み下すと次のようになるだろうか。
「大道(だいどう)は既に遍(あまね)く燃え、戌(じゅつ)は疾(はや)くも城辺(じょうへん)に至る。刀槍(とうそう)は悉(ことごと)く民を殺し、嘗(かつ)て仰いだ日も塵に没せん」
皇城だけではなく、河旭の都全体が、戌族の侵入でひどいことになっているぞ、ってところかな。
しかし、この短い文章から読み取れる情報は、もっと深く、多い。
大道というのは大通りのある市街地、要するに首都という意味にも取れる。
別の見方をすれば、天を奉じて地を治めている昂国のありかた、天下の王道とも取れるな。
おまけに、昂という国名の字を「日を仰ぐ」と分解して表現している。
国をバラバラにしてやるぞという攻撃的な意志と、日没に暗示される都と国の崩壊、没落を表現してるわけね。
まず、これを書いたやつは、かなりのインテリであるな。
難解でない、多くもない字を上手に使って、可能な限り、襲撃と混乱の描写に迫真性を持たせている。
と同時に、この文体作法に私は見覚えがある。
な、る、ほ、ど~?
「くだらないわね。ただのこけ脅しよ」
ハッキリと断言した。
今の表情と声色は、かなり翠さまに似ていた自信があるぞ、と一人でご満悦。
軽く対応した私の態度に驚き、若い宦官は異論をはさむ。
「し、しかし翠貴妃さま。かように賊は気勢を上げて後宮を侵犯せしめようと」
「だまらっしゃい。国境で玄兄(げんにい)さまたちが大勢の戌族と睨めっこしてたのを知ってるでしょ。河旭城都を大規模に荒らす手勢がここに押し寄せてるわけないわ。いたとしても別働隊がちょこっと市場を荒らしてるくらいでしょうよ」
間違いなく、敵の規模は部分的で少数なのだ。
いくら多くても、数千人ってことはないだろう。
塀の上からざっくり見た感じだと、南門前では二百人以上が騒乱を起こしていることを確認できた。
楽観を抜きにしても、せいぜい敵は五百人前後だと、私は見積もっている。
「無駄に抵抗しないでさっさと後宮の門を開けろ、あとついでに女とお宝をよこせ」
この投げ文はそう言う意味合いの、中身のない脅迫でしかない。
文の内容が示すような大混乱を可能にする勢力は、ここに来ていない。
だけど、この若い宦官の不安と恐怖も分かる。
国境区域以外は、おそらく平和ボケに近い状態だったんだろう。
十年前に尾州の反乱を平定した除葛(じょかつ)姜(きょう)軍師の功績が、わらべ歌として残っているくらいなのだから。
逆説的にこの十年間、姜さんの衝撃を超える戦乱が、国境以外には起きなかったのだ、とわかる。
でもこの手紙が与えてくれた、私にとってもっと重要な情報が、他にあった。
これで確信したぞ。
心の中で呟き、ほくそ笑む。
「麻耶さん、近くにいるなこりゃ」
文字の塗料が生乾きで滲んでいるし、脅迫文のくせに文章が詩的で教養深い。
あと、文章文体自体が少々、古めかしい。
文字の数を揃えたり、燃と辺、民と塵という末尾の文字で韻を踏んでいるのは、恒教(こうきょう)の神話とか、古い詩文の特徴だ。
ちょっと前にその手の詩集を読んでたからわかったけど、要するに古典教養のある人がこれを書いたわけだ。
あとは、真面目さが表に出ている、角ばった字もね。
この文書は麻耶さんがついさっき書いて、賊徒に渡して後宮に投げ入れさせたんだろう。
そりゃそうだ。
皇城が、後宮が燃えて崩れるさまを、絶対に自分の目で見たいだろうから。
「他に誰かなにか意見はある? ないならあたしの言うことに従ってもらうことになるけど」
脅迫文を脇にうっちゃり、私はみんなに問うた。
それを受けて、上品にしずしずと前に進み出るお妃が一人。
楠(なん)江雪(こうせつ)佳人(かじん)だ。
以前に呪いだかなんだかの疑いをかけられそうになっていたので、私もしっかり覚えている。
あのときもそうだったけど、今回も全く動じておらず、蛇っぽい冷静な顔をして言った。
「賊の狙いが北ということでしたら、みなで南苑(なんえん)の中庭に移る、というのはどうでしょうか」
決して悪くない発想だと私も思ったけど。
それに反論するのは、またもや李翻(りほん)美人だった。
「み、南も北も同時に襲われているのですよ!? それに、北から賊徒が入って来ると、なんの確証があってのことでございますか!?」
ケチ付けたい不安も分かるし、実は李翻美人の言うことにも一理ある。
私が状況から「狙いは北だ」と判断しただけ。
そうと決まったわけではないし、その確信を他の人が共有できるわけもない。
けれど李翻美人とは別の理由から、南苑に人が集中するその意見を、私は却下する。
「あんまりたくさんの人間が南苑の中庭に集まったら始末がつかないわ。押し合いへし合いで大変なことになるもの。仮に逃げ道が確保されたとしても移動中に怪我したり死んじゃうわよ」
「そういうもので、ございますか。翠貴妃のご炯眼には頭を下げるほかありません」
感心した顔で、江雪佳人は静かに引き下がった。
実は私、経験済みなんですよ。
狭い中での避難中の将棋倒しは。
あの地獄はもう二度と、まっぴらごめんである。
敵の都合としては、南の正門を陽動としつつ、北の塀をぶち破りたい。
私の都合としては、南北どちらでもいいけど、どちらか片方に敵を集中させたい。
うん、敵は一か所に、沢山、まとまってくれた方が、いい。
「巌力」
「はっ」
偉そうに呼びつけてゴメンナサイ。
心の中で謝りながら、巌力さんに頼みごとをする。
「東苑のみんなも引き続き中庭で待機するように言いに行ってくれるかしら? 燃料庫に火が回らないように気を付けてね」
「かしこまりました」
「あと全員が中庭の池でも井戸でもなんでもいいから体中に水をかぶっておくように。これから後宮の中にも火矢だの火薬だの飛んできて炎が広がる恐れもあるわ。あんたたちもよ!」
私は同様の指示を、ここ西苑にいる人たちにも繰り返した。
「やはり、そうなりまするか」
後宮に火の手が上がる。
未来の可能性を予測し、巌力さんは声を詰まらせた。
「時間の問題かしら。ないならないで用心に越したことはないわ。寒いけど我慢してもらうしかないわね」
巌力さんが東苑へ移動するのを見届けて、私も動く。
「すすす翠貴妃、今度はどちらへ~!?」
いい加減、私が大人しくしていないと心労で死ぬかもしれない銀月太監が、泣きそうな顔ですがった。
「北の塀よ。もういっそのこと連中に穴を空けてもらおうかしらと思って」
「ななな、なにをおっしゃられますか!? いったい、この朱蜂宮(しゅほうきゅう)をどうなさるおつもりで!?」
「そんなに入りたいならどうぞ入ってもらおうじゃないの。千客万来で結構なことだわ」
多くの賊を北側におびき寄せて、塀に空けてもらった穴から、後宮の中に引き入れて。
そして、まとめて。
死んでもらおう。
そこまでの仕掛けをしてる時間があるかな?
時間がなければ、死ぬのは十中八九、私だ。
「翔霏(しょうひ)。軽螢(けいけい)。私、戦ってるよ。あのときの二人みたいに、全力で頑張ってるよ」
心の友の名前をあえて口に出す。
私は自分自身に勇気を与え、魂を奮い立たせる。
初夏のあの日、二人と一緒に戦えなかった分。
今、私は必死で、戦っている。
ああ、これだ、これだよ。
私は今、猛烈に、生きている!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます