四十一話 師から与えられた課題

 私と巌力(がんりき)さんが中庭に戻ると、みんなの目つきが少し、変わっていた。

 加えて中庭にいる人数が、明らかに増えてる。

 外の騒乱はまだまだ収まらず、むしろ激しさを増した。

 全員、賊徒の襲撃が深刻であることを、理解したのだろう。


「ご無事なお帰り、なによりでございまする、翠(すい)貴妃さま」


 銀月(ぎんげつ)太監が、前に進み出て迎えてくれる。

 見ると、他の部屋に勤めている侍女さんたちも代わる代わる、毛蘭さんの傷を抑え、血で濡れた布を替え、傷口を洗ってくれている。

 その中には、いつぞやの「侍女さん怪死事件」の関係者、博柚(はくゆう)佳人たちまでいる。


「今のところ、毛蘭どのに大きな容態の変化はございません」


 私と目を逸らしながらも、博柚佳人は血を拭き取った汚れた手と顔で言った。

 翠さまにご迷惑をかけて、会わせられる顔がないという気持ちは、まだ上向かないのかな。

 私は今この状況だけで、あなたにものすごく感謝してますけどね。


「ん」


 短く答えて、居並ぶ人たちの顔を見る。

 中庭に退避した面々に、私と翠さまの入れ替わりはバレていないようだ。

 もしくは、少々の違和感など追及している場合ではないと、誰もが理解しているのだろう。

 痛みに耐えて精神力を使い気を失ったのか、毛蘭さんは安定した寝息を立てていた。

 本当に良かった。

 怪我の危機は無事に脱したな。

 銀月さんが、私たちのいない間の動きを説明してくれる。


「東苑(とうえん)のみなさまも、ひとまず中庭で難を避けておられるようです。北苑(ほくえん)と南苑(なんえん)から逃れて来られた妃さまたちも、東西二つに分かれて、受け入れましてございます」

「上々だわ。みんなよくやってくれたわね」


 すっかり枯れてガラガラの声で、私は宦官さんたちの働きを労わった。

 うん、上々だ。

 今の時点で採れるベストな対応と言っていい。

 元々、工事を前にした北苑には人が少なかったのも幸いした。

 自信満々に「よくやった」と評したことで、ほっとした顔で私を見るお妃さま、侍女さんたちが、たくさんいた。

 翠さまに成りきっている私は明らかに、多くの人から期待されていた。

 持ち前の気迫と理知、責任感で、西苑(さいえん)のみんなを導いてくれと、多くの瞳が語っていた。


「汚れを、お拭きいたします」


 貴人の次に偉い美人(びじん)の位階である、若(じゃく)呂華(りょか)さまが、水に濡れた布巾で私の手足を、手ずから拭いてくれた。

 血だらけの手で塀に登ったから、土もホコリもなにもかも、べたついている。

 凄いグラマラスなお姉さんに優しく体を拭かれて、へにゃっと変な顔になりそうだけど。


「ありがと」


 こらえて、威厳のある翠さまのむっつり顔を作り、私は見て来たことの説明をする。


「南の正門周りで暴れてる連中もいるけど本命の狙いは北の塀よ。そこを火薬や大槌(おおづち)でぶち破られたら一巻の終わりでしょうね」


 私の説明に、ざわ、ざわ、と動揺が走る。

 南門前の広場の敵の攻撃は、門をこじ開けようという意志が感じられなかった。

 ひたすら目立つように暴れているだけで、目的が北であること、陽動作戦であることは明白だ。


「み、都の検使(けんし)たちの対応は、間に合わぬのですか?」


 誰かがそう質問した。

 正直なところ、私にはハッキリとわからない。

 外の敵に対して強固な守りを誇っていても、内に入られた場合に脆い、という状況は、よくある。

 今回もそれにあたるのかもしれないし、断言はできない。

 しかし、塀の上から状況を確認したことで、判断できることもあった。


「敵の中には自分の命も顧みずに手当たり次第に火をつけて回る役目のやつがいたわ。消火と避難とに人手を割かれたら検使の対応も後手後手に回っちゃうかもね」

「そ、そんな……」


 縦横無尽に暴れている賊徒の中には、明らかに自爆戦術を使ってるやつらがいたのだ。

 賊は目的のために一枚岩で行動し、必要とあれば命も捨てているけど、都督(ととく)検使たちはそうではない。

 検使の人たちは賊を問答無用で殺すべきか、生け捕りにすべきかも、すぐには決断できていなかったように思う。


「あくまでも確認のためだけど」


 と知ったかぶったツラで、近くに控える銀月さんに訊ねる。


「禁軍の兵たちはすぐには皇城まで来られないんだったかしら?」


 首都である河旭城(かきょくじょう)には、皇帝直轄の禁軍がいる。

 軍隊の力が入れば、間違いなく賊を皆殺しにすることを前提とした作戦行動が採られるはずだ。

 ただし、禁軍の部隊編成や配置がどうなっているのか、私は詳しく知らない。


「左様にござります。禁軍の主部隊が駐屯するは河旭の城壁城門、及びその郊外にございますれば、いましばらくの忍耐が必要かと。それと……」


 銀月さんは歯切れ悪く、言葉を濁した。


「なに? 遠慮なく言ってちょうだい」

「は、以前より、尾州(びしゅう)で再び不穏な動きあり、とのことから、禁軍右軍もその補助として、極秘裏に西南に移動中でありました」


 帝都を守る四分の一である、右軍が丸ごといない、と銀月太監は言う。

 昂国八州では伝統的に四軍編成を基準としており、上軍、中軍、右軍、左軍が、それぞれの州と河旭の都に配される。

 都を守る四分の一である禁軍右軍は、離れた西南に赴いていて、あてにならない。

 定番の「都の防備が薄い今こそ攻める好機!」というやつだった。

 怨むぜ、姜(きょう)ちゃんよ~。

 あんたがいないせいで、尾州がまた荒れて来たよ~?


「河旭の街にいる兵数自体がそもそも少ないってことね」

「その事実はいかんともしがたく」


 軍人の家に生まれただけあって、銀月さんは軍務関係の情報にも明るいんだな。

 こう見えて太監の役にあるので、中央官僚や将軍さまたちの覚えがいいのかもしれない。

 総括すると、皇都禁軍が郊外の駐屯地から救援に来るのは、少しだけど時間がかかる。

 国境の北辺や過去に反乱が起きた尾州とは違い、固く守られた首都の、皇城。

 そこを守る警察組織の都督検使は、唐突で思いがけない襲撃を目の前にして、いっぱいいっぱいだ。

 あと、実戦訓練が足りていなくて、統率が乱れている可能性も高い。


「も、申し上げます、申し上げます」


 そのとき、別の若い宦官が慌てて中庭に駆け込んできた。


「どうしたの落ち着いて。誰か彼に飲み物をあげてちょうだい」

「それどころではございませぬ。か、かような文(ふみ)が、後宮に投げ込まれましてございまする」


 私は彼から、折りたたまれた一枚の紙を受け取る。

 暴徒集団からの投げ文にしては、不自然に美しい字だな。



 大道既偏燃 戌疾至城辺 刀槍悉殺民 日嘗仰没塵



 開いてみると、そのように書かれていたのだった。

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