二十四話 零と、一と、二と、無限

 彩林(さいりん)さんの仮葬(かりそう)は、慎ましやかに、厳かに、混乱なく執り行われた。

 本来、喪主を務めるべきは、彩林さんの雇用主である兆(ちょう)博柚(はくゆう)佳人なんだけど。

 なにもせずに役立たずだったのは、キリキリ働いた私として、腑に落ちない。


「余計な口出しするより黙っててくれた方がいいわ」


 と、私のご主人である司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下が言った通りではあるのだけどね。

 翠さまの差配で万事つつがなく、故人を見送ることができたと思う。

 哀しい想像だけど、やっぱり翠さまは近親者の死を送った経験が、豊富なのだろう。

 人々の感情と面倒な段取りが交差し渦巻く葬送の現場を、何度も体験して、そのたびになにかを学んだに違いない。


「お疲れさまでございました」

「あんたもね」


 合間に翠さまの手足をモミモミしていたら、私もねぎらわれて、ちょっと泣きそうになった。

 私も微力ではあるけど、花を並べたり、椅子を並べたり、お棺を運んだり、せわしく務めさせていただいた。

 死者に届くかわからないけど、少なくとも送った側、私たちにとっては、いい葬儀だったと思う。

 印象に残ったのは、葬儀の最終盤のことだ。

 火葬された彩林さんのお骨を壺に入れ終わって、さらに箱に納めて封を閉じたとき。


「虚空へと安らかな旅に出た御魂(みたま)を、拙僧が念辞(ねんじ)を唱えてお送りさせていただきます」


 葬儀の監督役を務めた、沸教(ふっきょう)の学士僧、百憩(ひゃっけい)さまがそう言って、お骨が置かれている祭壇の前に歩み出た。

 彩林さんのご実家は、西方からの外来宗教である沸教の信徒だったらしいので、その縁だ。

 念辞の一部を、下に記す。


「水の如く固まり、水の如く流れ、水の如く沸く。


 沸きし水はいずれ雲となり、雨となり、海に還る。


 宇宙万物、等しくこのさだめの環の下にあるなり。


 しかれどもその身朽ちて、生の終わりに往きし道。


 其(そ)は無限の環から解き放たれし虚空なり。


 潤氏(じゅんし)の女(むすめ)、彩林の魂、今まさに虚空となる。


 むべなるかな、むべなるかな、むべなるかな……」


 言い終わって百憩さまは、錫杖の先に付いた輪っかの束を、シャンと鳴らして一礼した。

 説法の内容は、一回聞いただけでは私にはハッキリとつかめなかったけど。


「二とか八とか、きっぱり割り切れる数字を重視してる『恒教(こうきょう)』の感覚とは、ずいぶん違う気がしますね」


 葬儀後のバタバタが落ち着いた後、お茶を飲みながら先輩侍女の毛蘭(もうらん)さんに、そんな話を振ってみた。

 恒教と泰学(たいがく)という分厚い二冊の書物から、この昂国(こうこく)の常識を教わった私にとっては、意外な追悼の辞だったからだ。


「そうねえ。私はよくわからないけど、翠さまは沸教をあまりお好きではないみたいね。言ってることがはっきりしてない、って理由で」


 昂国の基礎的な価値観である恒教は、二で割り切れる事象を非常に重要視している。

 最初は慣れなかった八進数や十六進数のものの数え方、測り方も、二の累乗数であり、それは神話の時代から尊ばれている聖数なのだ。

 そこから私は恒教と昂国に流れる「哲学・価値基準」を、少し理解することができた。

 天地が二つに分かれ、四神が生まれ、八畜が国土を定めたように。

 さらにそこから様々な命が、人々の氏族が枝分かれして行ったように。

 まず「二つに割る、分ける」ことが、世界を貫く秩序の大前提として存在するのだ。

 分別して弁えることこそが、秩序という言葉の本質、とでも言おうか。

 天と地。

 自と他。

 上と下。

 右と左。

 内と外。

 善と悪。

 白と黒。

 生と死。

 男と女。

 文と武。

 敵と味方、などなど。

 世界は二極に始まりその枝分かれで構成されていると考えるのが、恒教の基本理念である。

 単純で明快、わかりやすいからこそ、その哲学は人々に広く親しまれ、普遍的であるように思える。


「特に翠さまは、はっきりしたお方ですからね」

「そうねえ。これだけ後宮に尽くしておられるのだから、早く御子が授かれば、と思ってしまうわ」


 寂しそうに毛蘭さんは呟いた。

 翠さまはかぞえで十九歳。

 同じくかぞえで十六歳である私の、三つ上だ。

 皇帝陛下より一つ年上の、姉さん女房である。

 最高の歳の差カップリング、と私の趣味傾向から、言わざるを得ない。

 ま、正妃じゃないんだけどね。

 兄の玄霧(げんむ)さんが州軍の幹部を務めていることからわかるように、司午(しご)家という名門の武官一家の生まれだ。

 五年前から後宮入りしているけど、まだ陛下との間にお子さまがいない。


「翠さまの赤ちゃんなら、きっと利発で元気で、可愛らしいでしょうね」

「ふふ、央那(おうな)もそう思う? 私も、翠さまに似た皇子さまが、お生まれになってくれればと、ずっと思っているのよ」


 有り余るエネルギーで、周囲百官を大いに振り回す、天衣無縫なプリンスになるに違いない。

 などと女二人、少し不敬で不謹慎で、それ以上に楽しいトークを繰り広げた。


「赤ちゃんかあ」

 

 一人になり、改めて考える。

 ここは後宮だ。

 後宮の役目は、皇帝の世継ぎを生産することである。

 私は恒教の、まず「原初のなにか、書かれていないもの」から天地が生じて分かたれたという記述を思い出す。

 天地始めに成る。

 それは生物の受精卵がまず最初に二つに分かれ、そして四つに分かれて多細胞生物が形成されることに似ている、と思った。

 後宮という場所は抽象的な意味でも、現実的な意味でも、受精を待っている卵細胞と、それを囲む子宮であるのだ。


「でも受精卵は『原初の一』じゃないよね。精子と卵子の合体でできるんだし」


 人は男と女が合一しなければ、新しくは生まれない。

 神話のように、謎のカオスから勝手に天地が分かれて出来上がりはしないのだ。

 原初の一、受精卵が最初に出来上がる前に必要な条件は、異なる二極、男と女の混じり合いである。

 一が二に分かれる反面、二は一に合わさる。

 異なる二つが一つになったときに、命は始まるのだ。


「この視点は、恒教にも泰学にも書いてなかった気がするな」


 考えすぎて疲労感が増した。

 あとで中書堂にでも行って、参考になる本があるかどうか、探してみよう。

 百憩さんはまだ、なんかつかみどころがなくて、苦手意識あるんだけどね。

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