二十五話 れおな、鮮烈の身代わりデビュー
彩林(さいりん)さんのお骨を無事にご実家に送り出してから、数日後。
「あーもう我慢できないわ! いいかげんにしてちょうだいってのよ!!」
我らがあるじ、翠蝶(すいちょう)貴妃殿下が、ご乱心あそばされた。
「ど、どうかなさいましたか。まあ、檸檬水を一杯。スイカもありますよ」
私は事態が飲めず、とりあえずご機嫌取り、お気持ちの慰撫に走る。
夏も終わってしまうことだし、悔いのないようにスイカを大量に食べるべきだ。
「これだけあたしが動き回ってるってのにあの美人たちはどうしてだんまりなの!? 少しは様子を見に来たり手伝おうって気にならないの!? 自分たちの立場を一体なんだと思ってるの!?」
私の手からスイカを奪って、猛烈な勢いでシャクシャクとかじって、種をププププと私の顔に飛ばした。
美人というのはそのままの意味ではなく、後宮の妃の序列である。
翠さまが貴人で、その一つ下が美人だ。
後宮全体で八人、私たちのいる西苑(さいえん)には二人の美人がいる。
「あ、あー。確かに、翠さまを補佐して西苑の取り仕切りを、もうちょっと頑張ってもいいはずですけど、存在感なかったですね」
スイカの種を顔から避け、床から拾いながら、率直なコメントを私は返す。
私もすっかり、そんな中間管理職的な妃たちがいることを忘れていた。
いや、一応はここに来てからすぐに、後宮全員の妃の名前と位階は覚えたけどね。
接触がないと、いつの間にか意識の外に追いやっちゃうよね。
「央那(おうな)!」
「は、はいっ!」
強く名前を呼ばれ、私は気を付けして指示を受ける。
「身代わり作戦の初仕事よ! あたしに成りすまして二人の美人に説教してきなさい! 『汝らは貴き後宮の秩序を守る心がけがどれだけあるのか』ってキツく問いただしてきなさい!!」
「いやいやそんな無茶な」
うっかり素で「ないない」と手を横に振って答えてしまった。
しまったと思って気を付けに戻るも、翠貴妃は容赦してくれない。
「無茶でもなんでもやるのよ! あたしの真似をすれば少々の無茶は通るんだから!」
カッコいいのか悪いのかわからない理屈をごり押しして。
翠さまは、近頃の後宮でのストレスと、大立ち回りの疲労から逃げるように。
いや、比喩でなく本当に逃げて、私そっくりの顔になるような貧相な化粧と服装で、塀の外へ出してしまった。
貴妃が、後宮の外へ。
誰の許しも確認もなく、ちんちくりん侍女に成りすまして、出て行ってしまったのだ。
「ほ、本当に逃げた!?」
身代わり、影武者要員として雇われているからには、いつかこういうことがあるだろうと覚悟していたけど。
覚悟と想定の遥か斜め上を、翠さまはびゅーんと、飛んで行かれてしまった。
「あの猫背な歩き方、央那にそっくりね。翠さまったら、この日のために一人で練習してたのかしら」
先輩侍女の毛蘭(もうらん)さんが、私に化けて出て行った翠さまを見て、感心したようなコメントを残す。
いやいや、マジで逃げたよ、あの貴妃さま。
え、私ってばあんなに猫背だったの、他の人から見ると。
んなこと今はどうでもいい。
私なんかに大事な仕事を任せて、どうなっても知ーらねーよー。
「あ、あの、毛蘭さん」
「はい、なんなりと、翠さま」
翠さま、じゃねーよ、ホント。
くしゃ顔で毛蘭さんに助けを請うも、冗談か本気かわからない反応を貰う。
「いじめないで下さいよ~。どうすればいいんですか~?」
マジで泣く五秒前。
感動とか喜びとかの、イイこと以外では、泣かないって決めたのにな。
そんな私を見て毛蘭さんはクスクスと笑う。
「翠さまがおっしゃったのは、西苑の二人の美人さまに、後宮でのご自身の在り方を見つめ直すように、という訓戒ね」
「そういうことだと思います」
翠さまは、自分で動き回るのが好きではあるのだろうけど。
それはそれとして他の妃がサボっているのは、我慢ならないのだろう。
気持ちはマジでわかる、わかりすぎる。
だからっていきなり逃げて街に遊びに行くか!?
「書面にしたためて、翠さまのお化粧をしたあなたが直接、その書を美人の部屋に持って行けば、十分に相手には伝わるでしょ。もちろんお伴は私がするわ」
「ありがとうございます~。でも、そんな格式ばった文書の書き方なんて、私、知りません~」
本当に私、わからないこと、できないことだらけだなあ。
人は窮地に立たされると、今までの経験を試されるという人生訓は、真実であるのだ。
「文書は麻耶(まや)宦官に作ってもらいましょう。あの人の得意分野だし、張り切るんじゃないかしら」
「あ、そうか。得意な人に任せるのが一番ですね」
そうして私は麻耶さんに頼み、美人の二人をお説教する手紙を作ってもらった。
内容を軽く紹介すると以下の通り。
「我思うに、畏(かしこ)くも朱蜂宮(しゅほうきゅう)の妃嬪(ひひん)たるは、ただ色香に恃(たの)むにあらず、謙虚実直精励を以て宮内ひいては主上と万民の安寧を願い、うんぬん、かんぬん」
などと色々書かれている。
要約すると、美人という格の高い妃として後宮に住んでいるのだから、問題がないか目を配り、起こったときの対処を怠るな、ということ。
いわゆる形式、ポーズだけの文書なので、書かれていること自体にあまり意味はない。
重要なのは「西苑の美人二人が、翠蝶貴人に直々のお説教を喰らった」という事実である。
後宮の妃は、なにか良い功績や、皇帝のお子を産むなどがあれば、出世はするけど、降格はしない。
降格がない代わりに、立場、位階にふさわしくないと判断された妃は、問答無用で追い出されるのだ。
大相撲の横綱と同じである。
それを決める権限は翠さまではなく、正妃、準妃と皇帝陛下、皇太后たち。
私が目にすることもないであろう、この国の真の意味で頂点に立つお方たちだ。
美人二人の普段の怠慢を見かねた翠さまが、戒めの行動を起こした。
その事実が、お偉いさんたちに伝わることが重要なのだな。
「うう、緊張するなあ。おしっこ漏れそう」
「私が拭いてあげるわよ。今のあなたは翠さまなんだから」
毛蘭さんとそんなやりとりをしながら、完璧な変装を施された私は、一人目の美人の元へ向かう。
確か、若(じゃく)呂華(りょか)さま、だったかな。
西苑でも屈指の美貌とせくしぃばでぃをお持ちの妃だ。
彩林さんのお葬式のときに、ちらっと見かけた。
あまりメスぢからの強い人を前にすると、私はコンプレックスで上手く息が吸えなくなるんだけど、大丈夫だろうか。
「翠蝶貴妃殿下がお入りになられます」
先導してくれる毛蘭さんが、呂華美人の部屋の前で宣言する。
これから伺いますということは事前に連絡している。
相手もちゃんと準備して待っていたはずだ。
扉が開き、中では左右に侍女たちが膝を屈して並んで侍っていた。
「かようなつまらぬ部屋に、ようこそいらっしゃいました」
正面には腰を曲げ頭を下げて、礼に則って私を迎える、呂華美人の姿がある。
間近で見ると背が高く手足が長く、腰周りの豊かな、本当にセクシーダイナマイツな美人さんで、くらくらしそうになる。
もちろん呂華美人は、私個人に礼を尽くしているのではない。
あくまでも私が扮装をしている翠さまのお姿に対して、恐縮しているのである。
呂華美人は緊張しているようで、体に力が入っているのがわずかにわかった。
「ん」
それだけを私は言って、翠さまを真似て胸を張り、やや上方向を見る堂々とした歩き方で室内へ進む。
私も緊張してるけど、顔色に出ないように、必死である。
従って毛蘭さんが進み出て、こう述べた。
「翠蝶貴妃はただ今、喉のお加減がよろしくありませぬ。この侍女毛蘭が代わりに申し上げます。貴妃殿下におかれましては、本日特別の思慮を持って、お文(ふみ)を若(じゃく)呂華(りょか)美人に賜れます。謹んでお受けいただきますよう」
余計なことはしゃべらないようにと、私と毛蘭さんとの間で事前に計画済みである。
毛蘭さんは私に封書を手渡して、私はそれをバトンリレーのように呂華美人に手渡す。
恭しく封書を手に取った呂華美人は、改めて深く頭を下げる。
「翠蝶貴妃殿下のお心に、この呂華、深く深く感謝いたします」
「ん」
私は頷いて踵を返し、呂華美人の部屋を後にする。
椅子にも座らず、お茶も飲まず、世間話も一切せず。
ボロが出ないようにそうしているんだけど、毛蘭さんはその方がかえって都合がいい、と話した。
「不機嫌なときの翠さまに似てたわよ。呂華美人も少しは懲りるでしょう。いい薬になったんじゃないかしら」
「沈黙だからこそ、語れることがあるんですね」
偉い人が黙って睨んでいるだけで、結構なプレッシャーになるものだ。
私は小市民なので、高位の妃が私にかしずいて縮こまっている姿を見て、少し楽しくなってしまった。
承認欲求を満たすために、嘘ついてホラ吹いて、自分を大きく見せる哀しい人たちの気持ちがわかってしまう。
って、いかんいかん。
偽りの権威に酔うことは毒であり、麻薬であるな。
「次の美人もすんなり従ってくれれば楽だけど」
私はそんな自分都合の不安を抱きながら、もう一人の美人、湾(わん)李翻(りほん)さまのお部屋へ向かう。
中庭を突っ切った方が近いので、そのルートを選択すると。
「あ、巌力(がんりき)さんだ」
遠目でも一目でわかる山のような巨体の持ち主、巌力宦官がいた。
隣に、誰だろう、私の知らない女性がいる。
艶やかに染められた絹の服と、見事に結い上げられ盛られた髪の毛から見るに、位の高い妃だろう。
彩林さんの葬儀にいなかった人なので、西苑の妃ではないと思うけど。
「毛蘭さん、巌力さんの横にいるのは、誰ですかね。挨拶した方がいいのかな」
「しっ、黙って。別の道を行きますよ」
「えっえっ」
私はわけもわからず毛蘭さんに手を取られて、わざわざ遠回りして中庭から逃げ、李翻美人の元へ向かうのだった。
変装しているとはいえ、今の私は、翠さまに成りきっているはずだ。
後宮の大頭目の一人とも言えるその翠さまが、逃げるように避けなければならない相手なんて、想像もつかなかった。
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