二十三話 中書堂の怪僧(あくまでも麗央那の主観)

 ゴン、ゴン。

 侍女は敲く、陽下の門。


「ごめんください。朱蜂宮(しゅほうきゅう)は西苑(さいえん)、翠蝶(すいちょう)貴妃殿下の、使いのものです」


 挨拶の少し後で、中から、ドタバタドタ、と足音がする。

 戸を開けて迎えてくれた人は、あごひげもまだ薄い、痩せた青白い肌の青年だった。

 私より年上ではあるだろうけどね。


「こ、後宮の方が、どんなご用ですか?」


 ちんちくりん娘がおつかいで来ただけだというのに、とても嬉しそう、楽しそうに顔を上気させている。

 オイオイオイ、そこまで若い女に飢えてるのか、中書堂の人たちは。

 だとしたら入るのちょっと怖いよ。

 帰る頃には妊娠させられてましたなんて、笑い話にもならない。


「学僧の百憩(ひゃっけい)さまに、文書をお届けに参りました」

「だったら僕が、百憩どのに渡しておきますよ! まあそれはそれとして、汚い所ですけど、どうぞお茶でも。水出しの新茶だから冷たくて美味しいですよ。この暑い中、大変ですね」


 なんか強引に、中に入ってお茶でも飲んで行け、と誘われている。

 いや、後宮の門からここまで、100メートルもないし。

 疲れてもいないし、喉が渇いてもいないし。


「直接渡すように翠蝶貴人から申し付かっておりますので。百憩さまはどちらに?」

「そ、そうか……百憩どのなら、三階の東の間にいるよ。案内しようか?」


 こやつ、いつの間にかタメ口になってるし。

 私が若い娘で、身分も高そうではないと値踏みが終わったからか。

 よく考えると、これはいわゆる一つの、ナンパというやつなのでは。

 人生初ナンパが、ガリ勉の塔ね~。

 贅沢は言わないけど、複雑。

 

「大丈夫です。急いでおりますので、これで失礼」

「また、いつでも来てね。今度はゆっくりしてって」


 ええい、しっかり勉強しろ、お前は。

 中央政治の秘書官、あるいはその候補生たる俊英が、そんな色ボケでどうする。

 私は昂国の将来を若干憂慮しながら、中書堂の階段を三階まで登った。

 一階や二階はひたすら大量の図書が保管されているようで、執務室や会議室は三階より上にあるようだ。


「東の間、ここか」


 内部はわかりやすい区分けになっていて、柱にも東西南北と親切に書かれている。

 一階ほどではないけど、ここも書棚で埋め尽くされていて、隙間に挟まるように各官の文机が置かれている。

 確認した限り、トイレは建物の外にしかない。

 議論が白熱しているときに便意が唐突に訪れたら大変そうだ、などとくだらないことを心配した。


「申し訳ございません。学士僧の百憩さまにお会いしたいのですけど」


 手近な机にいた男性に、来た用向きを簡単に伝えて、取り次いでもらうことにした。


「あっち」


 口数少なく指を差して、男性は百憩さまの居場所を示した。

 今度の人は、入口の青年とは正反対で、全く私に興味を持っていないようだ。

 示された先では、書き物をしているおかっぱ、というか散切り頭の男性がいた。

 官僚が着用する袍衣や帽子を身に付けていないので、お坊さんだろう。


「ありがとうございます」


 教えてくれた男性に礼を告げる。

 特に返事はなかった。

 考え事に夢中らしく、腕を組んで瞑目している。

 机の上にある文書は白紙だった。


「中書堂、めんどくせえ」


 心の中で悪態を吐きながら、百憩さまの机へ向かった。

 壁の大窓に近く、風が優しく入る、いい場所だ。

 筆で字を書いている途中のようだし、ひと段落したら声をかけよう。

 中央政治の秘書機関、シンクタンクの中に僧侶、宗教の人を働かせているということは。

 百憩さまが修める「沸教(ふっきょう)」も、天下万民を統治するために、重大な要素だと考えているのだろうか。

 昂国には創世神話にして国体をしろしめす「恒教」というものがあるけど、神道と仏教、儒教と道教のように、別枠なのだろうか。

 

「や、これは気付かずに失礼を。拙僧に御用で?」


 知らぬ女が横でボッ立ちしながら自分を見つめていることに、百憩さまはやっと気づいた。

 見るからに優男、と言うか中性的で、声も男性にしては高い。

 筆を持つ手と、書き物をする姿勢と所作が、とても綺麗な人だった。

 優美過ぎて、少し人間離れしていると思うくらいに。


「はじめまして。麗(れい)と申します。後宮から来ました」


 私は自己紹介の挨拶をして、麻耶(まや)宦官から託された文書を渡す。

 百憩さまは書を読むにつれ寂しそうな顔になり、ふうと溜息を吐き出して言った。


「人が亡くなられたというお話は朝のうちに聞き及んでおります。沸教の同胞だったとは知りませんでした」 


 眉間をぐりぐりと指で押さえて、百憩さまは穏やかな微笑に戻り。


「お話はわかりました。未だ修業の浅い身ではありますが、ご葬儀の際には力を尽くさせていただきます」

「ありがとうございます。あるじの翠蝶貴妃も安心すると思います」


 確認と了解を取り付けた私は、ぺこりと深くお辞儀をして、その場を去ろうとする。

 特に個人的な話があるわけでもないし。

 しかし百憩さまに呼び止められた。


「麗女史、この文(ふみ)を書いたのは麻耶奴(まややっこ)ですか?」


 宦官仲間でもないのに、麻弥さんを「やっこ」呼ばわりしているのが、私は微妙にイラッとした。


「先ほど麻耶宦官から、文を届けるように指示を受けました」


 冷たい口調で返したけど、私の返答に百憩さまは満足そうに頷いた。


「元気にしているようですね。良かった。堂にこもって読み書きしていると、どうも外の事情に疎くなる」

「お仕事ですので仕方のないことかと」


 なんだよ、まだお話は続くのか?

 私はあんたの第一印象、ハッキリ言って、良くないからさっさと帰りたい。

 そこはかとなく怪しいんだよな、雰囲気が。


「どうか麻耶奴にも、たまには中書堂に顔を出せとお伝えください。百憩が寂しがっているぞと」

「わかりました。そのように伝えます」


 麻耶さんと百憩さん、普通に馴染みのアミーゴか。

 やっこ呼ばわりしているのも、宦官をバカにしているのではなく、親しみを込めてのことなのかもしれない。


「麻耶さんも、書類くらい自分で渡せばいいのに」


 百憩さんの元を退去し、階段を下りながらボヤく。

 もっとも、後宮やお城の他のエリアに詳しくない私に、あちこち探検させてくれているというのはわかるけどね。

 せめて一緒に来て、百憩さんと世間話の一つや二つでもしてやればいいと、私は思ったのだった。


「さっきのあいつは、いないな」


 私は入り口でウザく絡んできた青年が一階にいないことを確認し、そそくさと中書堂をあとにした。

 大した時間のかかる用事でもなかったはずだけど、もう夕方だ。

 明日は早くから、彩林さんの仮葬のために翠貴妃の部屋付き侍女一同、動き回らなければならない。


「マジで忙しいな、後宮。先に言っておいてよ玄霧(げんむ)さん~」


 私を後宮に放り込んだ張本人の、翼州(よくしゅう)左軍副使、司午(しご)玄霧さん。

 彼は、今、どうしているだろう。

 相変わらず偉そうにしながら、相変わらず忙しいんだろうか。

 ブチブチ愚痴りながら部屋に戻ると、翠さまがご自慢のふかふかの大椅子にくつろぎながら、手紙を読んでいた。


「玄兄さまからお便りが来たわ」

「え、本当ですか。翼州の守りに関して、なにか書いてらっしゃいますか」


 私は食い気味に訊ねた。

 玄霧が健康かどうかなんかより、そっちの方が気になるんだ。


「大きな動きはなないみたいね。北の国境の警戒は引き続き強めるみたい」

「そ、そうですか」


 現状、それでいいのだろうと私は自分に言い聞かせるしかなかった。

 第二、第三の神台邑(じんだいむら)が生まれないためにも。


「国境沿いの邑人(むらびと)をかなり避難させてるみたいね。その指示に従わず勝手にどっか行っちゃう若者がいて困るって書いてあるわ」

「勝手に避難の列から離れちゃって、どうするつもりなんでしょう?」

「さあ。知らない引っ越し先で小作人をするより新天地でなにか始めたいのかしら」

「別の地域に避難しても、前と同じ暮らしは、できませんよね」


 もし、神台邑の人たちが、襲われる前に避難をしていたら。

 あの桑畑とおカイコさんたちは、ヤギの群れは。

 ツボ押しの名人だけど足の弱っていた雷来(らいらい)おじいちゃんは、どうなったのだろう。

 石数くんは一念発起して、知らない街で豆腐屋を開いただろうか。

 あり得なかった未来予想を、必死で頭から追い出す。

 その未来を閉ざした張本人は、翼州の北を根城にする戌族(じゅつぞく)青牙部(せいがぶ)の覇聖鳳(はせお)。

 私は想像の中で覇聖鳳と、ついでにその横にいた邸瑠魅(てるみ)とかいう片目女を密室に閉じ込めて、硫化ガスで殺し、一日を終えたのだった。

 楽しいけど、虚しかった。

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