第四章 皇城の泡沫(うたかた)

二十二話 はじめてのおつかい

 後日談は短い。

 すべての企みが暴かれてなお、罪に問われることのなかった博柚(はくゆう)佳人。

 彼女は翠さまの「訪問」を受けて、残っていた真相を全て白状した。

 私たちとお茶しながら、翠さまが話してくれたのだ。


「部屋の掃除をしているときに足場を踏み外して頭を打ったんですって。コブや傷は髪の毛の結い目で隠していたのね」


 彩林(さいりん)侍女の死因は、実に唐突で、あっけないものであった。

 確かに少し高い所からの転倒や落下、そして後頭部への衝撃は、日常でもよくある、バカにできない死因である。

 1メートルは一命を取る、なんて標語があったっけ。


「問題の博柚佳人はこれから、どうなるんですか?」

「あんたごときが気にすることじゃないわ」


 軽く笑ってあしらわれた。

 結局、江雪(こうせつ)佳人の部屋に仕掛けられた呪いの人形も。


「わ、わたくしとしたことが、遊びで作らせた人形を江佳人のお部屋に、お、置き忘れて行ってしまったのね」


 と、博柚佳人が江雪佳人に公式に謝罪、釈明することで、なんの沙汰もなく話は解決した。


「だから言ったでしょ。この朱蜂宮(しゅほうきゅう)で呪いなんてくだらないって」


 自信満々に鷹揚に言ってのける翠さまを見ると、そういうものなんだなと納得せざるを得ない。

 色々な気苦労はあったけど、すべて後宮は、こともなし。

 ってことはないか。

 事故とは言え、人が一人、死んでいるのだ。


「あ、でも巌力(がんりき)さんと、環(かん)貴人には」


 楽観していられない問題が、他にもまだ残っていることを思い出した。

 硫化ガス事故を演出して問題を解決させた、その煽りを喰らっている人たちが、いるのだ。

 自分の持ち物である銀のお盆が、侍女の命を奪ったなんて言われて、気持ちのいい人はいないだろう。


「二人にはあたしが折を見て説明するからいいわ。あんたはくれぐれも環貴人のところに挨拶に行こうなんて考えるんじゃないわよ。いいわね?」

「わかりました」


 やや念入りに翠さまに釘を刺されてしまった。

 巌力さんが気に病んでいるのだとしたら、申し訳ないな。 

 翠さまにはなにか、私が東苑(とうえん)に顔を出すと不味いと思う事情があるのだろうか。

 この問題を脇に置くとして、今、私たちの目の前にある、大事な仕事はというと。


「彩林さんの仮葬(かりそう)の指揮も、翠さまがお執りになられるんですよね?」


 人が亡くなったのだから、お葬式である。

 本式の葬儀は彩林さんの地元親元で行うけれど、遺体はその前に腐ってしまう。

 そうなる前に後宮で火葬して、お骨を故郷に届けるのだ。


「そうしなきゃならないでしょうよ。博柚はあれ以来ずっと引きこもってるんだし」


 自分の出処進退を決めあぐねているのか、それとも翠さまに合わせる顔がないからか。

 博柚佳人は江雪佳人に謝罪して以降、一歩も自室から出ることなく、外部からの連絡も断ってふさぎ込んでいる。

 本来であれば彩林さんの雇い主である博柚佳人が、仮葬の喪主でなければいけないのに。


「貴妃さまって、忙しいんですね」


 私は間の抜けた感想を漏らす。

 アンニュイな有閑夫人の下で働くのだろうかと事前に想像してたけど、翠さまは真逆の存在だった。


「タワケなこと言ってないで庭でも掃いて来なさいな。あたしのところに来た以上はあんたにも暇なんてさせてあげないわよ」


 人を使うのが上手な主人の指示を受け、私は中庭の掃除に赴くのであった。



「きみには怨みもなにもなかったんだけど、ごめんねぇ」


 中庭に出た私は、二本並んで植わっている槐(えんじゅ)の樹の前にしゃがむ。

 硫化ガス実験の犠牲になった、子ネズミちゃんのお墓を掘ったのだ。

 手を合わせて南無南無と拝んでいると、そこに別の人が来た。


「もし、すみません。確か翠貴人のお傍におられた……」


 私に声をかけたその人は、亡くなった彩林さんの同僚さん。

 彩林さんの遺体の側でずっと悲しんでいた、博柚佳人の侍女のうちの一人だ。


「はい、新入りの麗(れい)と申します」


 私が挨拶をすると女の人は深々と頭を下げて。


「このたびは、多大なご足労とお心遣いをまことにありがとうございました。あなたと翠貴人のおかげで、彩林の魂も安らかに旅立てるでしょう」


 そう謝辞を述べ。

 それだけ言って、去って行った。

 人目を気にしてそそくさと戻って行ったので、私と長話できない理由が、なにかあったのかもしれない。

 あの人が今回の陰謀にどれだけ積極的に加担していたのか、私には知る由もないけど。

 彩林さんの骸の横で流した涙と慟哭だけは、嘘ではなく本心だったのではないか。

 そう私は思った。

 嘘ばかりついて、結果的に私が死なせてしまった子ネズミのお墓の前で。

 私はそう、思いたかった。

 たった一つだけでもいいから、かけがえのない本当のことが欲しいと、心の底から思ったのだ。



「央那、ただ今戻りました」 


 私が中庭の掃除を終えて翠さまのお部屋、その侍女たちの詰めの間に戻ると。


「おお、お疲れさまでございました。菓子などありますが、いかがですかな」


 麻耶(まや)宦官が来ていて、私に梅の糖蜜漬けを薦めて来た。


「ありがとうございます。いただきます」


 疲れた体に甘味と酸味が沁みる~。

 麻耶さん、甘いもの好きだよな。

 いつも持ち歩いてるんだろうか?


「ちょうどいいわ。勉強がてら央那に行ってもらいましょうか」


 同じ場にいた先輩侍女の毛蘭(もうらん)さんに言われた。

 翠さまの侍女の中では一番年配の、いわば侍女頭ともいうべき人である。

 いったいどこへ行けとの話だろうか、説明がないのでわからない。

 きょろきょろと首を振って混乱を表現している私に、麻耶さんが笑って教えてくれた。

 

「亡くなられた彩林どののご生家は、篤い『沸教(ふっきょう)』の信徒であるようです。そのため、皇城に勤める百憩(ひゃっけい)僧侶のお力をお借りしようかという話でしてな」

「はあ、お坊さんにお葬式の相談を、ということですか」


 どんな教えか知らないけれど、お葬式なんだから、坊さん的な人が来るよね、そりゃ。

 頷いて、麻耶さんは一通の封書を私の手に持たせる。


「さようでございます。ひとまずは拙(せつ)が必要なことをここに書きしたためましたので、これを中書堂の百憩さまにお渡しいただければ」


 要するに単なるメッセンジャー、おつかいであった。

 細かい葬儀の段取りは百憩というお坊さんと宦官、女官が執り行うので、勝手を知らぬ新人の私ができることは少ない。

 葬儀一連のプロデューサーが翠さまで、ディレクターが百憩というお坊さん、ということかな。


「わかりました。謹んで、百憩和尚のところへおつかいに行ってまいります」

「百憩さまは中書堂の学士僧だから、和尚じゃないのだけどね」


 勘違いを毛蘭先輩に訂正された。

 どうやら寺やお堂を自分で開いている僧侶だけを、和尚と言うらしい。


「すみません、物を知らなくて」

「ふふ、暗くならないうちに、早く行ってらっしゃい。失礼のないように」


 見送られて私は、数日振りに後宮の塀から外へ出て、中書堂という施設へ向かうのだった。

 地図を見るまでもなく、後宮の門を出れば中書堂の建物は視界にすぐ入る。

 中書堂とは木造五階建ての高楼の名前であると同時に、部署の名称でもある。

 確か皇帝陛下の秘書、いわばブレーンの学者や若手の優秀な官僚が、勉強をしながら政策を練るところが、中書堂だったはず。


「昂国(こうこく)の中心頭脳、秀才集団の巣かあ。ガリ勉ばっかりひしめいてるのかな」


 などと言っているけど、私も元は受験戦士のガリ勉女だったわけで。

 必死に勉強している人たちに対する揶揄や侮蔑の気持ちはなく、むしろ尊敬していること大だ。

 勉強しなきゃわからないことが世の中に沢山あるという当然のことは、小娘の私だって日々、常に痛感している。

 先日、翠さまが「博柚佳人と江雪佳人はネズミと蛇だから相性が悪い」と漏らしていた。

 最初はただのたとえ話かと思っていたけど、自分の寝床に戻って枕元の「恒教(こうきょう)」と「泰学(たいがく)」の分厚い二書を見たとき、その意味に思い当たったのだ。


「神話の中で地上を平定した八畜ってのが、今の昂国の人にとっての八大祖先って意味だったんだ。八畜の中に子(ねずみ)と巳(へび)がいて、二人の家系はその子孫ってことになってるんだな」


 なんてことも、本を読んだから理解できることだ。

 読書も勉強も、大事。

 お勉強の神髄、ガリ勉総本山の五階建ての建物、中書堂。

 私はそのぶ厚く大きな木の扉を、緊張しながらも、力を込めて敲くのであった。

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