十八話 誰が見ていなくても真実は必ず存在する

 私と翠(すい)さまは倉庫の様子を。

 巌力(がんりき)宦官は、亡くなった彩林(さいりん)さんを観察している。


「目立った外傷や出血などは、ございませぬ」


 死体を前にしても冷静な巌力さんが言った。

 仲間の侍女さんは、まだこらえきれないようで、うっと涙を流し、目をそらす。


「そ。体調の急変ってことで決まりかしらね」


 翠さまがうつぶせの亡き骸に向き合い、頭を優しく撫でる。

 そのときふと、翠さまは動きを止めてわずかに怪訝な顔をしたように見えた。

 私もその光景を見て、ある一つのことに気付く。


「翠さま。そのご遺体の顔色」

「ん。わかってるからあんたはもう少し倉の中を調べなさい」


 発言を制止された。

 翠さまも、私と同じ違和感を、彩林さんの遺体から受け取っているようだ。


「わかりました」


 ここは聡明な我があるじに任せるとしよう。

 私は並び積まれている物品を見て、巌力さんにいくつか質問をする。


「これって硫黄ですよね? なにに使うために保管してるんですか?」


 黄色い結晶構造、独特のにおい、間違いなく硫黄である。

 後宮の物品庫に、そんな理科準備室みたいなものがあって、私は少しテンションが上がる。


「主に薬でございますが、洗濯に用いたり、虫よけや草花の肥やしにもなるようです。花火に混ぜたりもいたします」

「ははあ。そっか硫黄は酸性だから色抜きに使えるんだ」


 要するに漂白剤である。

 もとはと言えば硫酸の原料だからね、色も汚れもよく落ちるというものだ。

 そして近くにあった別の資材に関しても、再度、巌力さんに訊ねる。


「この上の棚の鉄粉は?」

「これも花火に使いますな。もしくは、冬場の懐炉(カイロ)なでどございましょうか」


 スチールパウダー、要するに鉄の粉は燃やすと激しく細かく光る。

 また、塩などと混ぜて発熱する、ホットなカイロを作ることもできる。

 学校の理科の実験でやったなあと思い出し、懐かしくもあり、切なくもある。

 硫黄も鉄粉も、言われてみれば後宮の倉庫にあってもおかしくない、どれも生活に有用な素材だった。

 日用の燃料にする木炭、石炭、薪などは、量が多すぎるためか別の燃料庫で保管されているようで、ここにはない。

 私と巌力さんがあれこれ庫内を確認していたら、外から声が聞こえた。


「あ、ああ、なんてこと。あんなに可愛がっていた彩林が、こんな」


 瞼に塗った紅が非常に鮮やかで特徴的な女性が、物品庫にやってきた。

 この人が亡くなった彩林侍女の主人、博柚(はくゆう)佳人だろう。

 後ろには、これまたはじめて会う、ひょろりと痩せた年かさの宦官がいる。


「銀月(ぎんげつ)が来たの。まあいいわ。見ての通りよ」


 この人がちょっと偉い宦官、太監と呼ばれる立場の、銀月さんのようだ。

 巌力(がんりき)さんと銀月さんは軽く目配せで会釈し、状況を見て。


「おお、これはおいたわしや。どうしてこのようなことに?」


 遺体を前にして、よよよ、と袖で顔を覆うしぐさが少し芝居じみている気がする。


「見たところ傷もないし上から物が落ちてきたわけでもないわ。昨日までの様子はどうだったのよ」

「そ、それは」


 翠さまの問いかけに、博柚佳人とその取り巻きたちは、なにかを言い淀んでいる雰囲気だ。


「なによハッキリしないわね。なにかやましいことでもあるの?」


 イライラを隠さずに翠さまが言うので、ぽつりぽつりと、博柚佳人はその重い口を開いた。


「彩林は……少し前から『誰かに見られている気がする』『あとをつけられているような気がする』と申しておりまして。彩林だけでなく、わたくしも、近頃」


 漠然とした、よくわからない話だ。

 この女だらけの園で、ストーカー的なことがなにかあるのだろうか。

 人の好みはそれぞれなので、ひょっとしたらあるのかもしれない。

 私もよもや、人生初のモテ期がこの後宮で訪れるかもしれないから、用心しておこう。

 そんな説明を期待していたわけではない我があるじ、翠さまの眉間に皺が寄る。


「あたしは体調が悪そうだったかどうかを聞いてるんだけど。余計な話をしないでくれるかしら」


 とうとう翠さまの苛立ちはマックスになり、相手をきつく睨み、責めるような口調で問いただす。 

 こわっ。

 なるべく私も、この人を怒らせないようにしよう。

 雇い主さまなんだから、当たり前なんだけどね。


「そ、そういうことは、一切、ございません」


 博柚佳人もそのお付きも、蛇に睨まれたカエルのように恐縮して答える。

 しかし侍女の中でも一番の年輩さんらしき人が、勇気を振り絞るように、必死な表情で声を上げた。


「で、ですが、翠蝶(すいちょう)貴妃殿下、お聞きください!」

「なによ。大声出さなくても聞こえるわよ」

「わ、我ら、博佳人も、周りのものも、前々から呪いを受けておるのです! 絶対そうに決まっております!」


 気色ばんで叫ぶ侍女の言葉に、翠さまは明らかに怪訝な顔を浮かべる。


「呪い~? あんたは一体なにを言ってるのよ。まさかその呪いだかなんだかでこの子は死んだって言うつもり? 笑わせんじゃないわよ」


 現実主義者っぽいな、とは思っていたけどやはり翠さまはそのタイプの人のようだ。

 ただ私は、怪魔(かいま)と呼ばれるバケモノや、それを避ける結界というものが、この昂国(こうこく)に存在することをすでに知っている。

 そのために、こう質問せざるを得ない。


「翠さま、呪いというのは、まったく、あり得ない話なんですか?」

「当たり前でしょ央那(おうな)。ここは偉大なる主上(しゅじょう)がお治めになる昂国の皇城のさらにその中にある後宮なのよ。何重もの聖なる結界に守られてるこの朱蜂宮(しゅほうきゅう)の中でどんな呪いが行使されるってのよ」


 あ、そっちかー。

 呪いという存在が、ない、というわけではないのだ。

 ここは皇帝を中心とした偉い人たちの聖なる力で守られまくっているから、呪いなんて跳ね飛ばしてしまう、ということなのだ。

 私が考える、私にとっての合理主義的思考法とは別の理論で、翠さまは「呪いはない」と結論付けているのか。

 しかしどうやら博柚佳人は、その理屈で答えを導いていないらしく、なおも続けてこう言った。


「で、ですが昨今、明らかにわたくしどもの周りでよくないことが立て続けに起こっているのです! 呪いでないとしても、何者かの悪意が陰にあるに違いありません!」

「何者かって言われても心当たりがないなら調べようもないじゃないの。そんなバカな話で都督(ととく)の検使(けんし)は呼べないわよ」


 都督検使というのは首都の治安を司る武官だろう。

 平安時代で言う検非違使かな。

 受験本番の問題で出たわー、ということは今どうでもいい。

 朱蜂宮の内部は女の園であり、特別なことがなければ皇帝と宦官以外の男性は立ち入らない。

 だから翠さまのように位の高い妃が中心となって、自治活動を行っている。

 こんな証拠もなにもないようなあやふやな話で、その原則を崩せない。

 翠さまは堅い意志でそれを表明した、けれど。


「心当たりならあるのです! どうか、どうか同じくここ西苑(さいえん)に居する、楠(なん)江雪(こうせつ)佳人をお調べください!」


 博柚佳人は強い口調でそう主張し、土下座、叩頭までした。

 江雪という佳人さまが怪しい、と。

 侍女たちもそれに倣い、地に伏して口々に嘆願する。 


「昨日まで血色も良く健やかであった彩林が急に倒れるなど、信じられませぬ!」

「そうです! 楠佳人に呪い殺されたのです! そうに決まっております!」


 一斉に女たちに土下座されて、激しくせがまれて、流石の翠さまもたじろぐ。


「ちょっとやめなさいよねあんたたち! 宮妃が叩頭するのは主上をおん前にしたときだけって言ってるでしょ! そんなに言うなら江雪を調べてあげるわ!」


 意外と、情に訴えかけられると弱い翠さまであった。

 お兄さんの玄霧さんもそうだけど、基本的には仁徳の人なんだろう。

 騒がしい中、私は私で別のことが気になってしまい、倉の中や彩林さんの遺体をじろじろと眺めるのであった。

 やれやこれやしているうちに、話がまとまり。


「では、拙と他の奴(やっこ)が、ひとまずお先に江雪佳人のお部屋へ参りますので」


 銀月太監が応援を呼んで、江雪佳人のお部屋を調査し、聞き取りを行うことになった。


「わかったわ。あたしも後で行くから話だけでも聞いておいてちょうだい」


 後宮に呪いなんてない、あるいは効かない。

 翠さまはその確信があるために、江雪佳人がなにかしたとは疑っていないようだった。

 彩林さんのご遺体は、外傷など怪しい部分もないため、落ち着ける場所へ移された。

 これからご葬儀とか、実家のご家族へ連絡とか、色々あるんだろうな。


「巌力も悪かったわね。手間を取らせちゃって」

「滅相もありませぬ。しかし、痛ましいことですな」


 物品庫に残ったのは翠さまと巌力宦官と、私。

 そして彩林さんという仲間を不幸にも失った、博柚佳人とその侍女たち。

 全員を前にして、翠さまが言った。


「どういう状況であの彩林って子が死んだのかわかったわ」

「は? そ、それはどういう……」


 博柚佳人が、わずかに狼狽したように見えた。

 まるで、わかるはずがないという確信があり、それを崩されたように。


「それはうちの央那が説明してあげるわよ。ね?」


 突然の無茶振り、ではない。

 実はさっき、この段取りになることを翠さまと打ち合わせ済みだ。


「え、えと、はい、僭越ながら、不肖、翠貴妃の侍女、麗(れい)が申し上げます」


 下手な口上を皮切りに、私は彩林侍女密室死事件の「真相」を、語り始めるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る