十七話 あなたの悲劇が私にも悲劇とは限らない

 後宮、西苑(さいえん)の物品庫において。

 一人の若き侍女が、死んでいた。


「はー、はー、ふー」


 と深呼吸する私。

 大丈夫、大丈夫。

 なんとか、なんとか、こらえる。


「気分が悪いなら下がってもいいわよあんた」


 翠さまが気遣ってくれる。

 こんなときこそ、冷静にならなければいけない、しっかり気を持たなければいけない。

 自分に言い聞かせた。


「いえ、大丈夫です。お心遣い、ありがとうございます」

「ならいいわ。状況を調べなきゃいけないから手伝いなさい」


 私にそう言った翠さまは、遺体の側で哀しみ、懼れている侍女たちに向き合い。


「ほらみんな呆けてるヒマはないわよ! あんたたちは博佳人(はくかじん)のとこの子でしょ! 早く呼んできなさい! ついでに誰でもいいから太監(たいかん)もね!」


 勢いよく、的確に指示を飛ばした。

 太監というのは、役職付きの偉い宦官のことだ。


「は、はい、ただちにっ」


 まだ座ったまま嘆いている侍女を置いて、他の二人の侍女は自分たちの主人である「兆(ちょう)博柚(はくゆう)」佳人の部屋へと走った。

 さっき後宮の図を見てたので、環貴人と合わせてたまたまその名前は覚えてた。

 佳人というのは貴人の二つ下の位階で、中堅の妃というところだ。

 もちろん、後宮という特別な世界で中ぐらいの立ち位置という話であって、一般庶民から見れば殿上人であることに変わりはない。


「下手に物を触らぬ方がよろしいか」


 怪力宦官の巌力さんが、翠さまに確認する。

 事件が起こったときの現場保存は調査の鉄則である。


「そうね。悪いんだけど巌力も手伝ってくれる? 環貴人の用向きはこれが済んでからにしてちょうだい」 

「わかり申した。いたし方ありますまい」

 

 倉庫の中央まで進み、くるりと全体を見渡す翠さま。

 私も手足が物に触れないように気を付けながら、できる限りの情報を摂取しようと倉庫内を観察する。


「おっきな、鏡、かな?」


 立ち並ぶ棚の中段に、直径1メートルを超える銀色の金属器が立てかけてある。

 表面は徹底的に磨き上げられていて、ピッカピカだ。

 化粧を最低限しかしていない、私の見慣れた顔が映っている。

 しかし、その鏡像は歪んでいた。

 鏡が内側に湾曲した、お盆やお鉢のような形をしているからだ。


「環貴人がこちら西苑に貸し出していた、銀盆でございます」


 注意深く見ていたら、巌力さんが教えてくれた。


「凄く立派なお盆ですね」


 これは確かに、侍女が持ち運ぶのは厳しい。

 総純銀ではなく表面だけ銀メッキを施したのだと思うけど、厚みから見て総重量は20キログラムを下るまい。

 巌力さんが取に来るというのは納得の話だった。 


「盆に冷水を張り、果実などを浮かべて賞しまする」


 ああ、それは実に涼しげで風流だなあ。

 夏の盛りの今時期は、大活躍に違いない。 

 と、立派な銀盆に気を取られていたけど。


「扉の他に出入りできそうなところは、なさそうですね」


 まず一番最初に注意しなければいけない点を確認する。

 倉庫の壁には日光を取り入れるための、斜め格子の装飾的な窓が空いている。

 しかし格子となっている木枠の幅が狭いので、人間が通れる空間はない。


「チューチュー、チュチュッ」

「わっ、なに!?」


 いきなり私の足元を、小さいものが通った。


「ただのネズミよ。落ち着きなさい」


 棚の上部、なにか落下物がなかったかどうかを見渡しながら、翠さまが言った。

 他にネズミがいたり、フンが散らかっていないかを私は確認する。 


「あ、壁の下に通風孔があるんだ」 


 湿気を予防するためか、倉庫の壁の最下部には、人間の握りこぶし大の穴がいくつか施工されていた。

 ネズミ程度ならなんとでもなるけど、人間が通るのは無理だ。

 外側から開かない重い扉、人が通れない窓と壁の穴。

 導かれる一番大きな可能性と言えば。 


「これはまさに密室殺」

「やっぱり暑くて倒れたのかしらね。前から具合が悪そうだったとか? でもそんな子に一人で蒸し暑い物品庫の仕事なんてさせるかしら。博佳人たちが来たら詳しく聞かないと」


 私の妄言は、翠さまのとても冷静で穏当な発言にかぶせられて立ち消えた。


「ううっ、彩林……彩林……」


 よほど仲が良かったのか、ご遺体の横で一人の侍女さんがずっと泣いている。

 彩林さんの髪や顔を、いつまでも優しく、撫で続けていた。

 それを見ているのが、私には辛かった。

 悲しみに引きずられることから逃げるように、私は視線を庫の中に並べられている品々に移す。


「毒とか火薬になるものあるかな」


 機会があれば、じっくり調べてみようと思っていたのだ。

 人でなしもいいことに自分勝手なことを考えて、悲しみの共有を、私は無理矢理に拒絶するのだった。

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