悪魔と町医者(前)

 この世に人ならざる者がいることを、私はあの日までは知らなかった。それも己を死に導く者など。だが、私は目にし、言葉を交わし、一緒に暮らしたのだ。きっと誰一人として信じないだろうが、これは本当のこと。私は悪魔の存在を知っている。




 花の都と呼ばれる地から少し離れた場所にある田舎町の小さな教会には、古い墓地があった。殆どが先祖のもので、彫られた字も掠れている。中には松葉色の苔が生えているものもちらほらと見かける。だが、一つだけとはいえ真新しい墓石が一番前の、端の辺りにあった。私はある雨の日にそこで泣いていた。





 蹲っていた時に発した言葉はあまり覚えていない。唯一覚えていたのは後悔の言葉であったことだけ。私は流行り病を治すことも出来ず、妻と子を失ってしまったのだ。そんな時に足音が聞こえてきた。




 振り向いてみると、そこにいたのは黒い青年だった。真っ黒なコートに白いシャツ。首元にはタイを結び、黒い革靴を履いている。肌が黒いことを除けば身なりのいい紳士のようにも見えるが、傘はさしていない。にもかかわらず、彼自身は雨に濡れていなかった。




「あ、あの……。あなたは一体……」

「俺は悪魔。この地に住まう者の願いを叶え、代償に魂を喰らう者。叶えて欲しい願いはあるか?」

「私は全てを失いましたから、叶えて欲しい願いなどありません」

「……ほう?話だけでも聞こうか」




 私は目の前の悪魔につい最近起きたことを話した。流行り病のせいで妻と一人娘を失ったこと、私も早く死にたいのでこのまま一人で逝かせて欲しいことも、全て。

「変わった奴だな。俺に殺して欲しいって言う奴は初めてだ。まあいい。すぐに殺すのは勿体ないからな。お前には不治の病を贈ってやる。だから精々足掻いて生きな。俺は最期までいてやるからよ」

「ありがとう!助かるよ。私は遅かれ早かれ死ぬんだな⁈」

「まあ、優しく見積もっても二ヶ月以内には死ぬだろうな。病で殺すのは俺の得意分野だし」

「私は医者なのだが……」




 こうして私は悪魔を診療所に連れて帰ることになった。建物の中を見るなり彼は目に見える程落ち込み、

「……本当に医者だったのか」

「だから言っただろう。聞いてなかったのが悪い」

「まあ、契約した以上はな……。お前が死ぬまでここにいてやるよ」

先程とは打って変わって弱気になっていた。背中を丸め、ふらふらとソファに座ると、大きなため息をついた。




 私は机の上にある写真に目を遣る。そこにはセピア色の、私と妻と娘がよそ行きを着て写っていた。

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