可哀想な王様 後

 全ての記録が正しいわけではない。恐らくは嘘や誇張がどこかに含まれている筈だ。幸いにも今はインターネットがあるものの、こちらの方が嘘や誇張が多い。それでも私は肘掛けも背もたれもない、白い椅子に腰掛け、王についての情報を調べてみた。得られた情報からはこんなことが推測出来た。




 この国の数代前の王が絵を描き始めた理由の一端として、恐らく自分の中にある闇や虚といったものを理解して欲しいのではないかというものだ。彼は、若くして十数人の妻を娶っていたので、側から見れば世の男たちの憧れである『ハーレム』が出来ていたことになる。その上正妻の子を含め、跡継ぎの子供は何十人もいた。しかし実際のところは、それすらも彼にとっては重荷でしかなかったようだ。何しろ平等に妻たちを愛さなければならないし、執務や公務だって重なっていた。そんな彼が趣味に興じられるのはほんの僅かな時間だった。




 絢爛豪華な暮らしに、歌舞音曲の日々でさえ彼にとっては目眩しの幻に過ぎなかったというのだから、当時の王がどんな思いで生きていたのかが偲ばれる。そして、まるで暗号のように想いを忍ばせた版画を描き続けていたのだ。大半が抽象画であり、見る人が見なければただの落書きとして見向きもされなさそうではあるが。そうしてヴァニタス画のような絵をこれだけ残したが、彼としてはこれでも足りないくらいだったという。それは、展示室の隅に未完成の版画があることからも分かる。生まれた時代が違っていれば、生まれたところが違っていれば、きっと画家として生きられたのかもしれないと、私は思ってしまった。




 ところで、このコレクションの中には女性を描いたものが一つだけ含まれているという。それも、王の目から見た女性が裸で描かれているのだ。しかし、艶かしいというよりかはグロテスクなそれは、女性が抱える闇の深さや強かさを描いたものだとも、子を宿した母親を描いたものだともいわれている。髪は大樹の根っこに、目は塑像のように。腹に当たる部分には、果実のような丸い何かを抱いている。脈打つその中には、まだ形を成していない赤ん坊とも怪物ともつかない何かが描かれていて、目つきは赤く虚だ。私も女性だが、この絵からは女性への恐怖や畏れが感じられる。それでいてある種の偶像にさえ見えるこの絵を一言で表すならば、『敬虔な畏れ』だろうか。




 沢山の絵の中にあって一際輝いて見える王の絵が色褪せることはないだろう。あれ程の輝きは、『上手い』だけでは出せないからだ。

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