可哀想な王様 前

 とある国の国立美術館の企画展には、素朴で荒々しい木版画がおおよそ二十点展示されているという。葉書サイズのモノが十点、ポスターのように大きなモノが四点、そして沢山の画用紙を貼り合わせて作られたものや実験的に作られたものが六点ある。国内外の著名な画家が描いたとされる美しい絵よりも上手いとはいえないようなものではあるが、その絵を描いた者の正体を知った者は皆こう叫ぶ。

「この国の国王が描いたって⁈なんと独創的な絵なんだ!」




 この国の何代か前の国王のたった一つの趣味は木版画の制作だった。賭け事には興味を示さず、酒に逃げることさえしなかったという。正室と側室を含めて何人もの妻がおり、全員を平等に愛したとも、女癖が悪く、妻がありながら何人もの女中に手を出したとも伝えられていた。暇さえあればメモ書きのように帳簿と鉛筆を持ち歩き、草花や動物、さらには建物や街を歩く人々の姿をも描いたという。そのスケッチは国立博物館の特別棟に展示されている。




 歴史書が伝える王の姿は微妙に異なる点こそあれど、領民に対しては良き王であったと伝えられている。他国に対して容赦なく攻めたのも、自国の領土が狭いせいで目立った産業がないことを憂いた結果でさえある。事実、この国はそれなりに広く、周りを海に囲まれた国であり、近年になって金や銀などに代わる鉱物の採掘で賑わっている。また、写真はなく、肖像画のみが残されているものの、そこに描かれている若き日の王は、着飾ってこそいるものの目鼻立ちが濃い美丈夫であった。肌は浅黒く、髪の色は茶色い。眼は青灰色という西洋人のような風貌だったが、絵の中の彼はどこか物憂げな表情をしていた。この表情については、画家が当時の自分自身の感情を少なからず反映したものだとか、王自身が元からそんな顔をしていただとか様々な説がある。しかし、この二人はとうに死去した昔の人だ。本意は本人のみぞ知る、といったところだろう。




 絵の話に戻ろう。王が残した木版画の数々は、風景画や静物画ではないらしく、ぱっと見は何を描いているのか分からないものである。しかし、近年になってこの絵は再評価されるようになった。所謂抽象画であり、王の心の中を描いているのだと唱える学者が現れたのだ。王には共感覚があり、他人には見えないものが見えていた、とする学者もいる。記録には残っていないのでそれについては分からない。闇の中、といったところだが、この美術館を訪れた私にはそのどちらでもないような気がしている。

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