魔法を創れし者、魔法を創ることを拒む
陸沢宝史
魔法を創れし者、魔法を創ることを拒む
「これなんかお似合いですよ」
服飾店の店員は一着のズボンを手にとって正面にいる一人の男に勧める。
ライナー・バイルケは目を尖らせ勧められたズボンを真剣な眼差しで見詰めていた。
決して広くはない店内にはチェニックやコートなどが並べられており品揃えは悪くはない。
「色合いが綺麗ですね。ならこれにします」
ライナーは満足したような笑みで言った。
「気に入ってもらって何よりです」
店員は頭を下げてお辞儀をする。
「買うものは他にないのでお会計してもらっていいですか」
「かしこまりました。それではカウンターまでどうぞ」
店員はズボンを持ったまま奥にあるカウンターまで歩いていく。ライナーもその後に続いていく。
買い物を終えたライナーは服飾店の扉を開け外に出る。
服飾店の前にある通りには石材を用いた平屋の家が多く立ち並んでいる。道もいくつもの石を詰めて舗装されている。
ライナーは通りを歩みだす。
昼間の時間帯だが太陽は分厚い雲で隠され青ではなく灰色によって空は染まっている。
背負っているリュックには先程買ったズボンが収められていた。
新品のズボンが欲しくなったライナーは自分の町から少し離れたこの町を訪れていた。
通りに人とすれ違うが気力を欠いた顔つきの人が多い。その光景を見てライナーは首を傾ける。
「早く行かなきゃ」
ライナーの横を慌てるような声を出しながら背の低い少年が走っていく。
ライナーは気になったような目で少年を見る。少年は全く足元を見ずに走っていた。
するとライナーから少し離れた先で少年の足は道端に落ちていた円柱の形をした木製のコップを踏んでしまう。
コップは頑丈で踏まれても壊れず逆に少年は足を滑らせる。体勢を崩し後方へと倒れ掛かる。
ライナーは目つきを強めると片手の前に出しその手の先に意識を集める。
「
ライナーは魔法名を唱えた後、歯を食いしばる。
少年の背中付近には勢いが弱い風の渦が生じる。
そのまま少年は足裏が僅かに浮くように風の渦にもたれかかる。
宙に浮いた少年の表情は口を開いたまま固まっていた。
やがて少年は渦を支えにして地面に足をつけ直立する。
ライナーは渦を消滅させると少年のもとに駆け寄る。
「怪我はないか」
「お兄さんありがとう」
少年はライナーを見上げると控えめな声を出す。
「足元には気をつけて進めよ」
ライナーは少年に語りかけると前方を見る。そのまま歩き出そうとして右足を前に出す。
「うん! だけどさっきのって魔法だよね? もしかしてお兄さん魔法の運び手さん?」
少年は状況を呑み込めたのか元気のある口調でライナーに聞く。ライナーは踏み出した右足を引くと少年の方を見ずに答える。
「そうだが」
「魔法の運び手さんだけが魔法を創れるから会えてうれしい」
少年は両手で拳を作りそれを体の前で振りながらはしゃぐ。
「運び手なんて魔法を開発できるだけで後は他の人間と殆ど変わらんぞ」
「だからそれがすごいんだよ。お願いだけど野菜を作れる魔法を創ってくれない?」
少年は体の動きを止めライナーをじっと見据える。ライナーは呆れたような瞳で少年を見下ろして口を動かす。
「悪いがそれは出来ない。そもそも作物ぐらい魔法に頼らず作れ」
「それだと時間かかるもん」
少年は頬を膨らませる。
「作物を育てるのに時間がかかる。それは常識的なことだろう」
ライナーは右手をポケットに入れながら話す。
「もういいよ。じゃあね魔法の運び手の人」
少年は眉間に皺を寄せると大声で辛辣な言葉を放つと走り去ってしまう。ライナーの視界から少年が消えるとライナーはため息を吐いた。
四角形の広場にある茶色のベンチにライナーは座り、パンを噛んでいていた。
広場を囲う建物にはパン屋を始めいくつもの飲食店が営業されている。露店を出ており、その中には町の製菓店が出張しており店舗もある。
その店からは甘い香りが広場に流れていた。昼間の広場には子どもたちの姿は見かけられず、勤務中の人を除けば広場に留まっている人数は数人程度だ。
ライナーはパンをすべて体内に取り込むと前かがみの姿勢になる。
ライナーの右斜め前方から上質なトップスとズボンで着飾った一人の中年の男がライナーに近づいてくる。
ライナーは背中を持たれない程度にベンチの背もたれの方に傾ける。
やがて中年の男はライナーの前に止まり微笑むと挨拶をした。
「初めまして魔法の運び手様。わたしはこの町の役所で働くものです。あなたにお願いがあってきました」
ラニナーは鋭い目付きで役人を凝視する。
「なぜ役人さんがわたしの正体を知っている」
「あなたが少し前に魔法を使って子どもを助ける光景を目撃したからです」
「だったらあの会話も聞いていただろう。どうせあんたらのお願いは魔法の開発だろう」
役人を突き放すような言動を取る。役人は「ええ」と緊張感のある声で認めた。
ライナーは足と腰に力を入れて立ち上がりると役人の顔に目を据える。
「悪いが魔法を開発する気にはなれない。それじゃあな」
ライナーは役人に背を向けると右足で一歩前に踏み出す。すると役人が厚みのある大声で話しかける。
「我々はこの前起きた洪水で困り果てています。町の現状だけでも聞いていただけないでしょうか」
ライナーは憂いを抱いたような顔つきになると立ち止まった。そしてベンチに腰掛け役人の方を向く。
「現状を聞くだけだぞ」
役人は胸に手を当てほっとした顔をすると体を前に傾け軽く一礼する。
「ありがとうございます。それではお話させていただきます。まずこの町に洪水があったことはご存知でしたか」
ライナーは渋い顔をする。
「いやさっきあんた口から初めて聞いた」
「一週間ほど前この町で洪水が発生しました。この通りのなどの市街地の被害は軽微でしたが問題はこの町の外れにある農業区域です」
「そういえば来るときに畑を見た気がするな」
ライナーは町に来るときに乗車していた馬車から広大な畑を目にしていた。
「町で消費する目的で町を上げて野菜を育てております。ですがその畑の大半が浸水してしまい野菜は腐りこのままでは収穫量は絶望的
です」
男は表情は強張らせ石を敷き詰めた地面を見下ろした。
「しかし畑が洪水の被害を受けるのはこの世界では珍しいことではないはずだ」
「確かにそうですが、この町の人口は急激に増加しており、食料確保は急務となっています。その対応策の要であった町の畑が壊滅してはこのままでは飢餓に苦しむ人が出てきます」
役人は腹の前で両手を強く組む、ライナーは役人から目を離し困惑の目で前方にある建物を眺めながら言った、
「食料を輸入することはできないのか」
「現在食糧費は高騰しておりまして大量に仕入れるのは厳しかと。ですから魔法の運ぶ手様にはこの現状を改善できる魔法を開発してほしくお声を掛けてさせていただきました」
男は姿勢を正し背筋を伸ばす。ライナーは俯き石の地面と対峙しながら右手の人差し指で左腕の二の腕をトントンと三十秒程度叩いた。するとライナーは顔を上げ役人と視線を重ねるとこう言い放つ。
「悪いが魔法を創る気にはなれない」
「なぜですか。魔法の守り手様は希少な方々です。あなたを逃せば魔法の守り手様に次に会える機会はないかもしれません」
役人は声を乱しながらライナーに問う。するとライナーは吹雪のような顔をして話した。
「わたしは魔法が嫌いだからだ」
ライナーは両手をズボンのポケットに突っ込みその場を去ってしまう。
広場と繋がる細い道に入ったライナーは目をすぼめ顔を下げたまま歩いていた。
ライナーの脳裏に人の子として誕生したときに世界から与えられた知識が溢れ出す。そしてライナーは親指が鳴るほど右手を握り締めた。
人類が魔法を行使したときに魔力と呼ばれる透明の粒子が排出される。それが大気内に一定以上存在していないと世界は消滅する。それが世界の法則である。
だが数百年前から魔法を用いる者は世界中が急激に減り、このままいけば世界は消滅の危機を迎えていた。人類の生活から魔法が消えるに連れ人類は魔法開発能力すらも失った。そこで世界は人類に魔法を普及させるためだけに魔法の運び手を創造した。
ライナーは細い道を抜け広い道に入る。通りには平屋の住宅と食料品店が混ざり合っている。
ライナーがとある青果店の前を通る。青果店は二階建てとなっており一階部分が店舗スペースとなっており、外の部分にも陳列棚が配置され、多種多様な野菜が並べられていた。
店外では店主と女が立ち話をしている。女の右腕の関節には木を編み込んで作られた買い物かごがかけられており、その中には野菜が入っている。
「奥さん、この前の洪水の影響でこれから野菜が高騰していくで頭に入れといてください」
「それは厳しいわね。うちは子どもの多いからそれだけ食費がかかるし」
女の地面に沈んでいきそうな声がライナーの耳に入るとライナーの足が止める。
「なんとかしたのは山々ですが、こればかりは自然次第なんでどうしようもならないです」
男は両手を広げて首を横に振る。
「自然なんて気にせずに食べ物を確保できる手段があればいいのにね」
女は渇望の眼差しで野菜を見詰める。
「そんな夢のような方法には何らかの代償があるのが相場ですよ」
男は顔を苦めながら肩を上げる。その後も店主と女は会話を続けたがライナーはその場から離れる。
背中を丸めながらライナーは歩幅を小さめにして道を歩いていた。
ライナーは歩みを止め灰色の空を見上げる。
分厚い雲はのんびりするように少しずつ動きそして重なり合う。
ライナーは右手で荒々しく後ろ髪を掻くと速歩きで動き出した。
「あなた様自ら役所に来られたということはこちらの要望を受け入れてくれるということでしょうか?」
役所の奥の方にある一室の真中付近で役人がソファーに座りながら尋ねてくる。
部屋は広く部屋の奥の方には艶のある木目のデスクと椅子がある。役人が座るソファーは深い緑色で高級な物だ。
細長い机を間に挟んでその役人の向かい側にある同品のソファーにライナーは腰を曲げながら着席していた。
「その通りだ。だが初めに確認しておきたいことがある」
「それは何でしょうか?」
「人が魔法を行使するのに肉体的な負荷がかかるのは知っているのか?」
ライナーは鋭い目付きで役人の顔を凝視する。魔法を行使すれば少なからず人体に負担がかかる。それは魔法の運び手でも同じであった。
役人は張り詰めた表情で両手を組むと口を開く。
「わたしもその件については承知しております。魔法行使時に体内から消費される魔力というのものが多いほど肉体に強い負担がかかることも」
「場合によっては死すらもあり得る。もっともそれが人類が魔法を捨てた要因でもあるのだがな」
「それでも我々には魔法が必要なのです。どうかお願い致します」
役人は深々と頭を下げる。ライナーは己の右手を一目見ると声を出す。
「わかった。一日だけ時間をくれ。できる限り負担が少なくて効果的なものを創る」
ライナーはそれから宿に泊まり魔法の開発に時間を費やした。そして次の日の早朝、ライナーは役人とともに被害を受けた農場を訪れていた。
灰色の雲と雲の切れ目から青と太陽の光が微かに視界で確認できる。町にある農場は一目では全貌を把握しきれないほど広大である。
ライナーは手前側にある一枚の畑に目をやる。植えられている作物の葉が枯れてしまっている。洪水により長時間冠水した結果作物が腐ってしまったのだ。周囲の畑を見回しても同じ状況だ。
ライナーは哀傷の顔つきで役人に尋ねる。
「この辺り以外の畑もこのような感じなのか?」
「殆どの畑は洪水により収穫は絶望的です」
「だとしたら相当厳しいな」
ライナーは腕を組むと顔を歪める。
「あの役人様。この方が魔法の運び手様でしょうか?」
ライナーは声に反応して左を向く。視線の先には男の老人が立っていた。
「はい、こちらの方が魔法の運び手様です」
役人は掌をライナーに向けながら話す。ライナーは老人の顔を見た後に役人の方に顔を向ける。
「この方は?」
「この方はこの農場にあるいくつかの畑を管理される方です」
役人は掌で老人を示しながら説明をする。ライナーは体ごと老人の方を向くと背中を丸めて一礼する。
「ライナーという。今日はよろしく頼む」
「いえいえ。こちらこそお願いしますぞ。このまま行けば食糧不足で死人が出る恐れがあるので」
老人は気落ちした言い振りで言った。ライナーは口をきつく一度結ぶと上下の唇を離し芯の通った声を出す。
「その辺りは魔法で解決できるので安心してくれ」
老人は勇気を貰ったような面差しでライナーを見る。
「よろしくお願い致します」
ライナーは役人と老人に「それでは作業を始める」と通達すると畑の目の前まで近づき立ち止まる。
ライナーは両手を垂らしたまま深呼吸をして魔力を体内の一箇所に集める。魔力が貯まるとライナーは魔法を唱える。
「
目の前の畑腐った作物を消滅させ更に土を農業に最適な状態へと変えていく。そして数分の時間をかけて魔法の効果は農場全体に広まっていく。
「これは凄いですね」
老人は驚愕の言葉を漏らす。
「魔法の効果がこれほどとは」
役人も綺麗になった畑の周囲を歩きながら確認する。
「流石にこれは辛いな」
ライナーの呼吸は激しく乱れ左手を地面に付いていた。
「大丈夫ですか? 魔法の運び手様」
役人がライナーの側に駆けつける。老人も近づいてくる。ライナーは何度も深呼吸をすると左手を地面から離し立ち上がる。
「流石に畑全体に魔法をかけるのは無理があったようだ」
「やはり噂通りの負担ですね」
役人は考え込むように唇の下に手を当てる。
「魔法の運び手とはいえ魔法行使時の負担は他の人間と変わりないからな」
ライナーは息を乱しながら鈍い声で言うが発音は所々はっきりとしていない。
「腐った作物が消えるどころ土の状態まで良くなっておる。しかし今から種を蒔いても収穫期には間に合わん」
老人は屈み畑の土を右手ですくう。ライナーは老人に近づきポケットから数枚の紙を取り出す。
「今の魔法はあくまで腐った植物を消滅させ土の状態を改善する魔法。ここに先ほど使った魔法と作物を急激に成長させる魔法の行使方法を書いてある」
「種を蒔いた畑にその魔法を使えばすぐに収穫ができるのか」
役人が紙に顔を近づけ見入る。
「一瞬で収穫はわたしの開発する魔法では厳しい。魔法の運び手でも得意と不得意の分野があるので」
「だとしたらどれぐらいで収穫ができますか」
「種を蒔いてから一週間もあれば収穫できるはず」
ライナーは説明をすると老人は立ち上がり空に響き渡る大声を出す。
「一週間だと。それは有り難い。早く種を埋める準備がしたい」
ライナーは愛想笑いをしながら老人に両手の掌を向けて老人を落ち着かせるような仕草をする。
「魔法の行使には負担がかかります。まずは町で魔法の使用者を探すのが先決です」
役人はライナーに問う。
「どれだけの人数が必要だ」
「これだけの広さなら二十人程度は必要。それと魔法の行使には最大限の気を配ってくれ。最悪死人が出るので。それとこちらを」
ライナーは役人に紙を差し出す。役人はそれを受け取った
「わかった気をつけよう」
「それではわたしは宿に戻ります」
ライナーは二人に頭を下げると農場に背を向ける。すると老人が駆け足で近づいてきてライナーに声をかける。
「魔法の運び手様ありがとうございます。これで何とか町は救われそうです」
ライナーは反転し老人の方を向け返事をする。
「役に立てたなら何よりです」
ライナーは笑顔を浮かべた。
灰色の雲はいつの間にか消え空には白色の雲が漂い、夕日が大地に明かりを届けている。
ライナーは馬車駅で立っていた。
ライナーは町の風景を見ると誇らしげな顔付きとなる。
そしてライナー馬車に乗り込み町を離れていく。
そのライナーの予定には魔法普及のための旅が加わっていた。
魔法を創れし者、魔法を創ることを拒む 陸沢宝史 @rizokipeke
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