ひととき
もちもちの餅
一服
さて、私はポケットの中からひとつの箱を取り出す。カラカラと小さな音が鳴る。それはタバコの残り本数が半分以下であることを示していた。今朝買ったばかりだというのに、もうそんなに残りが少なくなっているということは、今日はきっと考え事が多かったのだろう。
何をそんなに考えていたのかは覚えていない。つまり、さほど大事なことではなかったのかもしれない。「人間は考える葦である」とはよく言ったものである。人間とは、きっと気がつけば何かを考えてしまう性質を持っているのであろう。文明はそのチカラによって発達したとも言えるが、一方で、考えるがゆえに思い悩み、時にそれが自らの未来すら奪うことになってしまうこともある。実に厄介な生き物である。だが、それは今この瞬間において、どうでもよいことであり、問題はただポケットの中にライターの感触が存在しないことにあった。
「私は一体ライターをどこに忘れてしまったのだろう?もう一度あの部屋に戻らなければならないのか?」
そんな一抹の不安にも似た、でもどこか心の奥底で「面倒で気だるい」といった怠惰な姿勢が見え隠れするような、そんな言い様のない思いが頭の中を駆け巡ったのだが、それは次の瞬間、安堵の気持ちへと変わった。そう、反対側のポケットにライターの感触を見つけたのである。果たしていつ反対側にライターを入れてしまったのであろうか?自らの未来を否定するほどに「考える葦」たる人間のくせに、たかだか「ライターをいつ反対側のポケットに忍ばせたのか?」すら人間は記憶できないのである。つまり、人間という生き物は実に不便な乗り物だと言わざるを得ない。DNAも乗りこなすのにひと苦労である。
そんな陰鬱な想いとは裏腹に、私は静かにライターの火を着ける。ターボライターの静かな轟音が喫煙所の空間に染み渡る。別に誰もいないわけではない。斜め向こう側には若い男女がふたり、軽やかに談笑している。それでも静かな轟音はこの空間に染み渡るのである。そして、その音が染み渡るほんのひとときの間だけ、私の思考は停止する。そのひとときこそが私にとって至福の時なのである。言い換えるならば、「考える葦は考えない時にこそ、ストレスから解放される」ものであり、それは今この瞬間が「人間という生き物の気難しさを知る絶好のタイミング」であることを同時に示していた。神様は実に残酷である。
轟音を発するライターは、やがて咥えたタバコの先端へと近づき、その向こう側を赤く染めた。少しのチリチリ音が心地よく響き、それがまるでスタートの合図かのように、私はフィルターの向こうに生まれた煙を取り込むべく息を吸った。そしてそれは私の肺へと向かう。その肺に向かったそれは、いつも吸う空気よりもどこか重たく、まるで何かを侵食するかのような攻撃性を漂わせ、そして私の肺を侵食し、一方で私に安らぎを与えた。物事は万事良好とはいかないものなのである。
タバコの先端に灯った橙色の光は、まるで線香花火を彷彿とさせるような音を発しながら、私の呼吸に合わせて明るく輝いた。そして私はライターを再びポケットへとしまった。今度は反対側のポケットにならないように気をつけながら。
思えばZIPPOをプレゼントされたこともあった。だが今、私が使っているのは200円のターボライターである。それはZIPPOが忌み嫌うべき象徴になったわけでもなく、ただ単に面倒な存在になっただけという単純明快な理由である。いまや、家の引き出しの奥底に眠っている彼は、かつての私にとって憧れのような存在でもあった。蓋を開閉する時の小気味よい金属音は、喫煙する誰もが一度は羨望の眼差しを向ける対象であり、思春期の私のことも当然にして魅了した。だが、実際にその憧れが日常になった時、人は悲しいかな、理想の裏側にある現実を知るのである。これは何もZIPPOに限った話ではなく、多くの物事は同様の性質を持っている。隣の芝は実際のところ「思ったよりも茶色い」のである。ZIPPOのオイル交換に始まり、発火石の交換、芯の交換、フェルトの交換など、多くの作業は私にとって現実そのものであり、それは羨望の向こう側にいるステージ上のアーティストたる私の姿から溢れ出る「憧れ」とやらを遥かに上回った。簡単に言えば「面倒くささが憧れを上回った」という話である。
きっと私がこまめな人間であったならば、そうはならなかっただろうし、もし、もっと強烈な憧れを抱いていたとするならば、それは悦びへの序曲となったであろう。ただ、ZIPPOにおいて私は、そのどちらも持ち合わせていなかったという話である。
人によってはこうした「ある種の固執とも呼べる同一物質への執着」を一途という言葉で理解しようとする場合もあるが、これについては反論をしておきたい。なぜなら私は、そのZIPPOを引き出しの奥にしまって以来、ターボライターひと筋だからである。無論、燃料が切れたら次なるターボライターを購入するのだが、それは決して浮気や目移りといった類のものではなく、ひとえに同じものを求めての行為であり、その点において一途であることに疑いの余地はない。言い換えるならば、牛丼ひとすじである人間が、吉野家に毎日通うのと同様の話である。究極の話をすれば、とある人を一途に想ったとしても、半年もすれば物質としての彼は別人である。つまり、同じ物質を愛で続けることのみが「一途」を名乗るべきものではなく、つまりは「ZIPPOを愛用し続けること」こそが一途であるというのは、ある種の偏見としか言い様がないということである。要約するならば、ZIPPOをやめたからと言って、それが「一途でない」という話には繋がらないということである。現に私はZIPPO後はターボライターひと筋である。
そんな言い訳めいた妄想をしている間にもタバコの明かりは絶えることなく、その命を燃焼させていた。一方で、その明かりは時折吹く緩やかな風に呼応するかのように、その光を揺らげていた。それは我々が日々、気分の高揚や脱力を繰り返す姿かのようでもあり、裏を返せば人生というものは所詮タバコの揺らぎ程度のものでしかないと言われているような、そんな皮肉すら感じるものであった。余談だが、日中過ぎると涼しくなるようになったものである。日が落ちかけたこの時刻においては、昼間のうなうだるような暑さは既になく、むしろ若干の過ごしやすさすら感じるような気温になっていた。
そして私は煙をもう一度吸い、私を侵食した残りカスのような煙を吐き出した。たったそれだけの何気ない動作であったが、その瞬間、私はその動作を「スクリーンの向こう側から、まるで映画を眺めているかのように第三者的な視点から観察している私」という、私でいて私のようではない奇妙な別人の存在をはたと感じた。実に気持ち悪い感覚である。私はその奇妙な存在に驚き、一方である種の恐怖のようなものを感じ、ほんのつかの間の出来事であったにも関わらず、一瞬にして血の気が引くような、そんな感覚を覚えた。恐らくであるが、時間にしてほんの数秒、もしかすると1秒にも満たない間だったのかもしれない。私としては当然、その恐ろしい感覚は歓迎すべきものではなく、願わくばその感覚を覚えた事実すら無かったことにしたいと思えるようなものであったが、同時に、どうもこれは看過できない、いや、むしろ向き合わなければならないものであるという気持ちを抱かせるものでもあった。
私はどこか一抹の不安を感じながらも恐る恐る、その私のようなものと向き合うことにしてみた。
まずもって、その奇妙な感覚こそ鮮明にあれども、脳内に映された映像のようなものはとてもボンヤリしていた。私はまず、その解像度のようなものを高めることに挑戦してみることにした。その映像はどうやら薄暗い場所でありそうだった。逆に言うと、その薄暗さが映像を茫洋なものにしていたとも言えるかもしれない。
私はじっと目を凝らしてみた。
どうも薄暗い中に僅かながらの橙色のようなものを感じた。それは背景のようなものに思えた。いや、むしろ背景そのものであった。なぜなら、その「私のようなもの」のシルエットが分かったからだ。つまり、シルエットの向こう側がほんのり明るいがために、それが「私のようなもの」のシルエットを描き出していたのだ。だが、それが分かった瞬間、その「私のようなもの」は私でないことが分かった。なぜなら、そのシルエットは華奢な体型でストレートヘアーのボブカットを描き出していたからである。天然パーマでガッチリ体型の私とは真逆の存在である。私は、「私のようなもの」が私でないことに安堵を覚えると同時に、それが何者であるか?に対するある種の興味と恐怖を抱いていた。
私はより解像度を高めることへと挑戦した。
だが、「どう解像度を高めていくか?」に対して何らアイデアのない私は、どこか思案に暮れていた。ところが、ふとしたタイミングで私はあることに気がついた。それは「カメラをコントロールできる」ということである。シルエットを追おうとした時、どうも「カメラを少し引く」、つまり「ドリーバックする」という感覚があったのだ。そこで私はグッとカメラを引いてみることにした。すると、そのシルエットはスーッと小さくなっていった。ドリーバック成功である。
よし!
私はどこか実験室のような場所で、右手をグッと握りしめて、そう雄叫びを上げている3人目の私を感じた。だが、それは明確なまでに私そのものであり、そこに何ら違和感を覚えるものではなかった。一方で、ドリーバックに成功した私は、その喜びもつかの間、またもや奇妙な感覚に見舞われた。何故なら、そのシルエットの人物は体操座りをしていたからである。
なぜ?
そんな疑問が私の中を駆け巡った。だが、それに答えを出すことは容易でなく、仕方のなくなった私は、今度はドリーインしてみることにした。とりあえず、その人物は体操座りをしながらタバコを吸っていたので、手元と口元を確認すべく、私はタバコの光を頼りにドリーインしてみた。すると、私はあることに気がついた。それは、その手がとても華奢でスラーっと細長いということである。
女性?
私はとっさにそう思った。そして、よくよく口元を見てみると、僅かながらにグロスのようなテカりが存在することを発見した。そして、その唇はやはり私のそれよりも遥かに小さかった。
やはり女性だ!
疑問は確信へと変わった。だが、それが一体誰であるのか?それは分かるようでいて分からなかった。何故なら、その姿に初対面のような奇妙さはなく、むしろどこか懐かしさすら感じるものであったからである。
・・・先生?
何故だか分からないが、私はふとそのように思った。しかし、その瞬間、そのシルエットが別人へと変わってしまったかのような感覚を覚えた。そして、それは錯覚ではなく、事実であった。何故なら、髪型がウェーブヘアーに変わっていたからである。だが、髪型こそ変わっていたものの、華奢な佇まいは変わっておらず、それが別の「女性」であることに疑いの余地は無かった。一方、いささか不思議であったのは、その女性も体操座りをしていた点である。体操座りが何を示しているのか、私にはまったく解らなかった。そうこうしているうちに私は、「先程の女性」と「この人物」にはタバコの持ち方に違いがあることに気がついた。先程の人物はタバコの持つ手首が真っ直ぐであったが、どうも今度の人物はタバコの持つ手が大きく外側に傾斜していた。その様相はまるで花魁がキセルを持つ姿のような、そんな雰囲気を醸し出していた。そして、その花魁のような雰囲気を持つ人物はタバコをひと吸いすると、口元の左側だけを少し開け、フッと横に向かって煙を吹いた。そして、憎しみとも愛情とも思えるような、なんとも言えない「うっすらとした眼差し」をこちらに向けていた。
あ、・・・
ふと、私は何かに気がついた。それは、この女性も初対面ではなく、私の記憶のどこかに眠る「懐かしい誰か」であることだった。年の頃、20代後半ぐらいの雰囲気だ。思えば、先程の人物もそれぐらいの年齢のようだった気がした。
果たしてこれらの人物がいったい何者なのか?そして、今このタイミングでこうして脳裏に現れた意味とはいったい何なのか?これはもしかすると何かの暗示なのか?
そんなような多くの疑問が私の中を駆け巡った。だが、とりあえず最も大事なことは、まずはこれらの人物が何者であるか?を解き明かすことだと私は感じた。何故なら、そこを明らかにしないと何も手がかりが見つからなそうな、そんな気がしたからである。ということで、私はまず、この点に注力することにした。
そう思った矢先のことである。その人物は眼差しを私から外し、真正面を向いて眼前にある灰皿にトントンとタバコを当て、少しばかり長く連なった灰を灰皿へといざな・・・
・・・あ、やべ。打ち合わせ時間過ぎてる。
早く行かなきゃ。
私は即座にタバコを消し、ダッシュで会議室へと向かうのであった。
おわり。
ひととき もちもちの餅 @yuashizawa
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