最終話「二つのアイリス」
新しい日の昼下がり。
街中には、楽しそうな談笑の声が響き渡る。
俺はこの世界で出来た友達と、ただ他愛もない会話をしながら過ごしていた。
「今日も、とっても良い日だね」
「え、急にどうしたの?」
「ううん、なんでもないよ!」
ここに縁の声は無い。
左手に抱えた本は、確かな重みを感じる、少々白紙の頁の多い本だ。
「その本、いつも持ってるね?」
「うん、俺のお気に入りなんだ」
「でも、一度も見せてくれないんだよねー」
「えへへ、内容は……秘密!」
「何それ、変なの」
空には大きな雲たちがぷかぷかと浮かんでいる。
涼しい風が、空高く舞った木の葉をどこか遠くへ押し上げていく。
彼らの行く先にあるものは分からない。
だけど、きっと楽しい旅になるはずだ。
「ねえ?」
俺は、ここに居ない君に対してそっと呟く。
「いつか、また逢えたら──」
そう、ここではないどこか。
遠い未来、俺が行くべき場所で……。
「また、お話しようね!」
大丈夫。俺が信じている限り、絶対にまた逢える。
それが、俺の物語。
*****
あの日のことを思い出していた。
"物語"の中、笑顔で俺の背中を押してくれた君のこと。
果たして、それは実在したハナシだろうか?
いや、愚問だろう。
何故ならそれは、俺の中に、確かに在る記憶だから。
そして、それは遠い遠い──思い出の中にある。
「……おい、聞いてるか?」
「ああ、ごめん。また考え事をしてたよ」
「お前なぁ……」
「で、今日は何をするんだっけ?」
俺は"観測者"と二人、夜が更けた街を歩く。
生きることを選択したとはいえ、俺──本来のユンが投げ出してしまったものは大きい。
その点、"もう一人の俺"は新しい世界の日々を楽んでいるし、
何より、俺がこの世界に呼び寄せてしまった負い目が無いわけでもない。
だからこうして、アイツが寝静まった頃に表に出ては"観測者"と共にあてもなく過ごしている。
何もない日常も、この先何があるか分からない未来も、きっと、きっと素晴らしいものだから。
「な、この世界は面白かっただろう?」
「……お前、どこまで知ってたんだ?」
「さあな。ただ言えるとするなら……お前らはいざっていう時素直になれない似た者同士だった、ってことなんじゃないか?」
「お前ら、って……誰とのこと言って……」
「誰だと思う?」
相変わらず、勿体付けた言い方をする奴だ。
どうせ、聞いたところで教えてくれはしないのだろう。
「ところで……いつまでその偽名を名乗るつもりなんだ?」
「俺の心配事が消えるまでかな」
「心配事?」
「お前が楽しく笑い続けている姿を見る日までだ」
「それじゃ、まだ暫くは"観測者"であってもらおうかな。
俺も、話し相手の一人や二人くらい欲しいからね」
この世界は生きている。
風も、雲も、月も……全てが、時間の流れと共に移り変わっていく。
あの日、俺が求めた"永遠"は、雪のように、幼き日の夢のように溶けて消えて行った。
「ねえ」
俺は、遠き日に確かに存在していた君に対してそっと呟く。
「……きっと、明日も幸せだよね」
今日も俺は生きている。
これが、俺の物語。
*****
"あるところに、独りぼっちの少年が居ました。
少年は寂しさを紛らわす為に、言の葉を紡いでたくさんの世界を創りました。
それでも、少年は願います。
「僕にも、友達が欲しいな」
本物が欲しい。
そう願う度、少年は世界を壊してしまいます。
ある日、屋敷の窓から外を見ていた少年に、一人の少年が声をかけます。
「ねえ、何してるの?」
その日から、二人は友達になりました。
少年は、初めての友達に一つの物語を書いてあげることにしました。
友達が、みんなの希望となる物語を。
しかし、物語は完成しませんでした。
体の弱い少年には、僅かな余命しか残されていなかったのです。
「ねえ、今日は何して遊ぶ?」
何も知らない友達を見て、寂しがりな少年は言いました。
「ユンなんて、大嫌い」
そのまま、書きかけの物語と友達を置いて少年は遠くに行ってしまいました。
「ごめんね……」
少年は、すぐに後悔しました。
友達が求めた最後の質問に、嘘の結末を伝えてしまったことを。
そんなある日、少年の元を訪れたのは青髪の少年でした。
彼は少年が書いた物語と結末を知り、様子を見に来たのだとか。
「違う、違うんだ……!」
少年は真実を懺悔し、青髪の少年に助けを求めます。
「ならば、謝ることから始めてみたらどうだ?」
「そんなこと、僕にはもう……」
残された時間も、許してもらう資格もない。
何もできないことを悔やみながらも、少年は何も告げないことを望みます。
そんな少年に、青髪の少年は言いました。
「ならば、俺が"観測者"になる」
「えっ……?」
「俺が"観測者"になって、ユンを見守る。あいつが楽しく笑って過ごせるようにするから……安心してほしい」
「……」
少年は、思います。
何もしない方がいいなんて言い訳を並べて逃げる自分は、きっと弱虫なのだと。
「ごめん。僕、頑張ってみるよ……!」
だけど、その願いは叶いませんでした。
スマホの通話ボタンを押そうとする手も、
精一杯に考えた謝罪の手紙も、
最後の勇気を振り絞れないまま時間だけが過ぎて行きました。
そんな想いを嘲笑うかのように、病気は少年を蝕み、
とうとう起き上がることすらできなくなってしまったのです。
だから、最期に少年は物語に願いました。
「どうか、ユンと一緒にいてあげてね。
僕は先に逝ってしまうけれど、ずっと、ずっと見守っているから」
少年の想いは、届いたのでしょうか。
これは、言の葉使いの少年が遺した奇跡の物語。"
*****
それは、少し遠い未来。
その日、俺は思い出に向き合っていた。
『ユンはいつでも、俺のヒーローだよ。
出会った日から今まで、ずっとそうだった。
きっと、これからも変わらない』
果たして、それはいつの会話だっただろう?
出口のない建物の中で、俺は縁と二人、長椅子に座りながら語り合った。
俺たちは、互いに支え合って精一杯に生きてきた。
それは、あのゲームが始まってからも同じ。
だからこそ……俺たちは決意していた。
何があっても、守るものは一つだけだと。
『どうか、生きて……』
それは、どちらの言葉でもある。
縁に刺された時、俺たちは……同時にその言葉を発した。
「……あれ?」
どうして、今まで気づかなかったのだろう?
あの時、俺は刺された痛みに意識を失ったものだと思っていた。
でも、本当は違ったのではないか?
俺の"能力"は、自分の気持ちを相手に感化させる。
それは心からの想いであるほど強まり、時に俺自身の精神に負担をかけてしまうのだ。
そう、気絶してしまうこともある程に。
ならば、あの時は……?
それは一つの可能性に過ぎない。
だけど、辿り着いた答えに俺は確信を持った。
「縁は……生きて、いた……?」
根拠なら、ある。
感化の能力が最大限発揮された状態で、縁にそれが届かなかったはずがないんだ。
それと、もう一つ。
「未瑠が……教えてくれた」
そう、〝神様〟の存在だ。
俺たちを創り出した、白い服の少年。
彼がもし、未瑠を送り出してくれた主だとしたら?
それに、彼女がお使いで来た理由は……?
「……真実を見つけること」
記憶の欠片が、ゆっくりと繋がっていく。
俺が真実にたどり着いていたならば、未瑠がそんなことを言う必要はない。
つまり、あの本を読んだ後にも、俺には見つけられていない真実があったことになる。
その内容は、きっと……。
「縁……」
物語の結末は、違っていたんだ。
縁は、あの世界を生き延びた。
それからのことは分からないけれど……それでも、あの世界で縁は生きていた。
「ありがとう……」
それは、誰に向けての言葉だったのだろう?
俺にもよく分からない。
「今日も、空は綺麗だよ」
物語は、続いていく。
君と願う言ノ葉 綾辻ユン @AyatsujiYun
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