白波の

 八月初旬。お盆前。

 市街地と真逆方面の電車内はびっくりするほど乗客が居ない。

 真昼の日差しが照りつけて、冷房の風があってもじわじわと汗が滲む。それなのにボックス席に並んで座っている。肩が触れ合う度に少しずつ体温を分け合って。繋いだままの手も、暑さで不快なはずなのに離さずに固く指を絡めて。


 最初はイヤイヤだった。

 暑いし、意味わかんないし、離してくれないし。

 ほぼ貸し切りの車内で、昔みたいにぎゃあぎゃあわめきあってさ。小さいボクがこっち見てるのにも関わらず、繋いだ手をぶんぶん振りながら「次の駅で降りるから!」「ここまで来たら目的地まで行こーぜ」の押し問答がバカみたいで、誰よりも幼稚なこと言ってるんだろうなってわかっていたから余計に笑っちゃうのを我慢してて。


「責任取ってよね!」


「任せろ。お前とはイチレンタクショーだから」


 まっすぐに私を瞳で捉えて言ってくるもんだから、二人して声上げて笑った。


 一蓮托生イチレンタクショー。そんな言葉がこの関係性の名前かもしれない。

 人生の殆どはアンタと共にある。

 幼なじみの形は様々だろう。家が近所、親同士が友達。そんなのはきっと世の中にごまんといるんでしょ。私たちはどこか違うけど。

 保育園の年少、年中、年長。常に二クラス。毎年クラス替えがあったのに三年間一緒。

 小学校の六年間。三学級でクラス替えは二年ごと。やっぱり毎年アンタと机を並べてた。

 中学校の三年間。五学級に増えて、毎年クラス替え。お察しの通りよ。毎朝おはようを交わしていた。

 十二年。二の三乗。三の三乗。五の三乗。全部かけたら二万と七千。嘘みたいな確率でアンタと私は共に居た。


 中学の卒業式から二年と半年。

 連絡先を聞きそびれても、何となく「コイツは絶対いつか会う」っていう自信だけはあったから、そんないつかを夢に見ていた。


 最寄り駅なんだから何度も使ってるし、この時間だって初めてじゃなかった。

 それなのに出会えたの。紛れもない今日。藤原秋人に。


「一蓮托生だから、か。」


 相変わらずぶんぶんと握った手を振っている少年は、一体何を思っているんだろう。


 コテンと肩に頭を預けてみた。

 制汗剤のシトラスの香りが鼻腔をくすぐる。

 窓辺から夏の日が差し込んで、秋人の髪がキラキラしていた。


「なにね?」


 目が細められる。すごく優しい目。

 大丈夫。私の隣には秋人がいる。


「なんでもない。何となくこんな気分なだけ」


「お好きにドーゾ、お嬢さん」


 絡めた指はそのまんま。

 ガタゴトと揺れる座席から車窓を眺める。

 穏やかに、緩やかに、緑の平野は途切れない。


「……一番に名前を呼んだの」


 会えない時間ばかりが増える中。消えてしまう思い出には埋もれずに、今日みたいに頼ってしまうの。


「……一番に会いたいなって思ったの」


 これは独り言。オサナナジミの独り言。

 答えなくていいよ。あんたはただ肩を貸して。黙って何処かに連れて行け。


「……呼ばれた気がした」


「え?」


「そんな気がしたんだ」


 ぽつりぽつりと呟いて夏の温度に溶けてくのは誰の声。

 きっと自分だって、あんたもそうだけど、誰に向かっても話してない。


 車窓の景色はずっと緑一色で、建物だって錆びているわ、ってぼちぼちと廃れた農村だけが広がっている。


 変化もなく、そのまま古びてしまうんだ。

 思い出だけを胸に。きっと君のことも。


「……あきひと」


「ここにいる」


「秋人」


「だぁいじょーぶ。ここにいるよ」


 繋いだ右手。手の甲をぽんぽんと。優しく。あやすように。


「美冬の声はきっと何処にいたって聞こえる気がするんだ」


「私も、秋人ならいつでも来てくれる気がする」


 きっと、たぶん。そんな気がする。

 不確定で不安定。未来なんて誰がわかるかよ。絶対なんて約束できっこないから。次の再会なんていつかわからないのが私たちの関係みたいだから。


「遠くに連れてって。どこだかわからないくらい知らないところまで」


 緑色の向こう側。ずっと先もセピア色に色褪せない程の場所に連れてってよ。アンタの存在だけがフルカラーになるように。何年先も覚えていられるように。


な? 二人で行ける所まで行って、オトナに怒られよーぜ」


 くしゃくしゃな笑顔。何回見たんだろう。何回一緒に隣で同じように笑っただろう。


「私たちワルだね」


「優等生の美冬も今日はワルさね」


「仕方ねーろ? 全部がイヤになったんだもん」


「うわうわうわ! コイツ開き直りやがったわー」


「ワルだからね」


「明日のことは……?」


「今は気にしなーい」


「不良だ。不良がここにいる……!」


「そうよ。今日の美冬はワルイコだから。学校も行かないし、予備校も行かない。受験生だけど勉強しない。おやつも電車でいっぱい食べるッ!」


 秋人の持っていた自分のカバンからグミとチョコレートを出す。体に悪そうなパッケージから片手に乗るだけのグミを取り出して、口いっぱいに頬張る。

 ブドウ、オレンジ、イチゴ。混ざって何味かわからない。

 もきゅもきゅと咀嚼するごとに頭がクラクラするほどの甘さをダイレクトに感じた。秋人もマネをして袋から残りの全部を片手に出して口に含んだ。もきゅもきゅとグミを咀嚼する音だけが二人の間に響いて、お互いに見つめ合って、ただ満足した。


「何味かわかんねぇ」


「色んな味がする」


 笑いあっていた。口いっぱいのグミは今まで食べたお菓子の中で一番甘くておいしかった。


「チョコ、食べる?」


「お口直しで食べよ」


 アーモンド入りのチョコレートは一粒ずつ食べた。

 結局ふつうが一番かもしれない。それでも、冒険の味のするグミの方がおいしいみたいだった。


 秋人はペコペコのカバンから棒付きの飴を二本出した。


「俺なー、お前みたいに生きてみたかったんだよねぇ」


「意味わかんないんだけど」


「昔っから俺の目印なわけよ」


 ペリペリとくっ付く包装を剥がして、形の歪な飴を見つめる。


。けど、食べれば飴なんよ。溶けて形が変わってもさ、プレッシャーで俺と逃亡しようとさ。結局は変わらないものなんよ」


 手渡された変形した球体を舐める。ラムネ特有の鼻に抜ける甘さが舌先からビリビリと感じた。


「美冬も変わらないものなんだ。……何年か越しに会っても、泣いてても。一緒にいれば美冬なんだよ。その隣の俺もなわけよ」


 甘い。シュワシュワと泡が弾ける。

 絡めた指先からシュワシュワ、パチパチ。


「秋人と二人でいれる時間は束の間……なのかもしれないね。隣にいれることも、しばらく先までない気がするの。それでも、次に会ったら同じこと思うんだろーって」


 飴玉みたいに転がして、溶けるまではラムネ味。

 もう少し、まだ無くならないで。消えてしまったらまた欲しくなる。

 自分で同じのはなかなか探さないから。たまに貰うくらいが幸せだから。おすそ分けくらいが丁度いいんだ。

 それでも。


 ガリっ。ガリ、ガリッ。


「なぁ、一蓮托生って言った」


 奥歯にザラザラと砕けた飴が付く。

 ラムネの棘が柔らかな頬の内側を刺す。


「お前の声、どこにいても聞こえるって言った」


「名前を呼んだら来ちゃうでしょ。……それじゃだめなんだよ」


「何でさ」


 何で? 何でだろう。わからないよ。でも、ダメなんだ。

 秋人に迷惑かけちゃうから?

 秋人に頼っちゃうから?

 秋人と離れられなくなるから?


 やだ。やだよ。

 アンタのいない日常もイヤ。

 私がアンタを縛り付けてしまうのもイヤ。


 ガタガタと音がして、緑が黒に飲まれる。

 車窓からは何も見えない。

 答えも見つからない。


「トンネルの先は海」


 耳がキーンと鳴った。

 車内の蛍光灯がチカチカと点滅する。


 まだ目的地に着くな。

 終わりたくない。

 旅の終点はもっと先がいい。


「みふゆ」


 ゆっくりと顔をあげると私たちは青の中だった。

 窓の外はきらきらしてて、すごく、きれいだった。


 車内アナウンス。停車駅は青海川おうみがわ

 緩やかに手を繋ぎ直して、黙って銀色の車体の外に出る。


 磯の香り。

 ゼロ距離の日本海。

 打ち寄せる白波の音。

 どこまでも続く青。

 照りつける日差し。

 体温を分け合ったのは秋人。


 無人駅で乗降者は二人きり。

 通る電車もほとんどない。


 百八十度が青だった。

 穏やかな海。

 止まらない潮騒の音。


「秋人───」

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