テンプラ作品

 前書き

 動揺のあまり口調がいつもと異なります。

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 テンプラという言葉がある。偽物とかそういう意味の言葉だ。


 そしてテンプレとテンプラが似ていることから、テンプレ作品と似て非なるものをテンプラ作品と呼ぶ話を、ふと思い出した。

 これはテンプレ作品を嫌いな人間が、嫌々テンプレ作品を書いても、それはテンプラ(偽物)作品にしかならないという話だったと記憶している。

(※テンプラ:最近では目にしなくなった。死語なのかもしれない)


 似て非なるもの……それはまさに、前回魔改造を施したアレが相当する気がする。そもそもアレは本当にテンプレなのか? もはや別の何かではないのか?


 不安になった私は、色々と調べまわった。


 すると、ある興味深い記事を見つけた。


「作者が感情移入している先が読者の感情移入先と異なる場合、両者の間には、面白さに差が生まれてしまう」


 要約するとこのような内容だったと思う。


 作者は物語を書くにあたって、様々な設定を考える。それは小説で表現される以上の情報量を抱えていて、それゆえに、作者は強烈な感情移入をした状態から小説を書き始める。あるいは書いているうちにどんどん感情移入していく。作者こそが一番のファンである、といわれる所以ゆえんである。


 いわゆる強化バフがかかっている状態とも言い換えられるだろう。そしてそのバフは読者にはない。これが温度差の原因の一つなのではないかと考えたこともある。


 客観視をうまくすることができず、変なバイアスがかかってしまうのも、この強烈な感情移入が影響を及ぼしているせいなのかもしれない。


 さて、話がそれてしまった。


 当然、作者は思い入れのある登場人物に強烈な感情移入をしているわけだから、活躍させてあげたいと思うようになる。ヒロインはもちろん、サブキャラクターでさえも時には主人公格に据えられることがあるのではないだろうか。


 しかし、読者にバフはついていないので、感情移入する先は主人公となる。決してヒロインやサブキャラクターなどではない。


 どうやら、ここに大きな溝があるようだ。


「テンプレを検討する」でも話したが、なろう読者はストレスに弱い。だから第一話を除いて、主人公が敗北することは許されない。もっというと、苦戦しただけでも読者は離れてしまう。それが小説家になろうというサイトの特性だ。

 つまり、ヒロインやサブキャラクターを活躍させる際、主人公を落とすような真似はご法度ということ。これを頭では、わかっているつもりでいた。


 が、実際はわかっていなかった。


 私はヒロインに感情移入しており、ヒロインを活躍させたいと思っているので、ヒロインが活躍すれば面白いと感じてしまう。そこに違和感はなく、とても面白い物語に感じてしまうのだ。


 しかし果たして、読者はどうなのだろうか?


 読者が感情移入する先は主人公であって、ヒロインではない。その場合、私の「面白い」は読者にとっての「つまらない」に転じてしまわないだろうか?


 そう考えたら途端に不安になった。


 もちろん、露骨に主人公を下げるようなことはしていない。が、ヒロインが活躍する関係上、その間は案山子かかしのようになってしまっている。探偵役がヒロインで、ワトスン役が主人公みたいな感じだ。


 そもそも「少女に抱かれて行く異世界の旅」も同様の問題を孕んでいた可能性がある。以前行った客観視が間違っているとは思わないが、完璧だとも思わない。


 結構、メンタルにきた。

 このまま書き進めて良いのか、自信がなくなってしまった。


 そこでもう一度、自作品を読んでみた。

 やっぱり面白い。少し元気が出た。

 単純である。

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