増殖する変換

上雲楽

邂逅

 私の小説の四度目の改稿で登場させてみたキャラクターはどこか大学の先輩に似ていた。先輩は視覚文化研究を専攻していて、特に手塚治虫についていくつかの論文やレポートを書いていた。私は手塚治虫は火の鳥くらいしか読んでいなかったし、新宝島の修正がすごいという又聞きしか知らなかったので先輩の研究内容はよく理解できなかったが、自分の書いたキャラクターの自己矛盾と自己韜晦は先輩そのもののような気がした。

「手塚治虫の改稿は本質から変えるんだよ。タイトルが同じだけの別作品。なんでみんなわかんないかな」

と先輩は居酒屋に私を連れ込むと酔っぱらって延々と今の研究状況について愚痴るのだが、門外漢の私は適当に聞き流しながらソフトドリンクに入った氷をストローでかき混ぜて時間を潰していた。

 上記の台詞は先輩が実際に発した言葉ではない。私が登場させた「先輩」の台詞だ。私は「私」のキャラクターが曖昧だから「先輩」のキャラクターも定まらないのかもしれないと思えて、手塚治虫全集を図書館でちまちまと読んでいくことにした。「私」は手塚治虫についてよく知らない設定だが、正直に言えば私はかなりファンな方だった。とはいえどの程度の改稿がなされているかほどまでは認識しておらず、せいぜい代表作を読んだことがある程度だった。

「改稿といえば手塚治虫かなって思ったけど先輩的にどうなんですか?同時代の作家もそういうの多いんですか」

 ここで筆が止まってしまった。先輩は大学はサボりがちでほとんどゼミに顔を出さなかったし、提出したレポートもあまり新規性があるものではなかった。私は「先輩」を書くために先輩を思い出そうとしたが、すっきりと鼻の通った顔筋しかほとんど記憶にない。先輩のアイロニカルな韜晦はあとから私が書き加えたものだった。改稿の時に「先輩」を出そうと思ったのは、同じ男性で話をしたことがある人が先輩くらいしかパッと思いつかなかったからだった。

「だがその記憶はあとから改竄されているよ。チャットの履歴を見なよ。お前は人気者だったからな。ずっと誰かとおしゃべりしていた。俺はそのうちの一人、いやそこからも疎外されていたのかもな」

 チャットの履歴は携帯電話の機種変更をした際にすべて消えた。そのあとに最初にメッセージを送信したのは先輩だった。

 先輩は必ず思っていることと逆のことを言った。なぜなら「先輩」をそういうキャラクターにしたからだった。三回目までの改稿で登場させたキャラクターに「先輩」はいなかったが、先輩の要素は多数のキャラクターに分割して挿入した。高慢で見栄っ張りで衒学的でお人好しで俗っぽくて借り物の言葉で自分の価値を誇示する空っぽの先輩。分割されたキャラクターたちは何を語ることもなかった。キャラクターたちの空虚さは「私」の空虚さでもあったし私の空虚さでもあった。だから先輩と話したかった。

「誰?」

と先輩は言った。

「先輩」はいくつかの先輩のパッチワークで構築したが、改稿が進むにつれて「先輩」たちも分割されていった。ラーメンを奢ってくれた先輩。ホームセンターでノギスを買った先輩。拒食症の先輩。後輩の先輩。そのすべてが私にとって先輩だった。

 この小説は先輩との共作だから手塚治虫よりも藤子不二雄を参照するべきではないか、と「私」に語らせようとしたが、なおさら修正部分がわからないし、別に論文を書くつもりは「先輩」にはないらしい。

 五度目の改稿で私は「先輩」を物語から消した。そのとき、スマートフォンが振動し、メッセージを受信した。

「このメッセージは削除されました」

私は先輩が私の小説の内部にいることを確信した。

「漫画がわからんなら『銀河鉄道の夜』とかどう?あれも改稿多いでしょ」

という「先輩」の台詞をどこかに挿入しようとしたときには「先輩」はこの物語にいなくなっていたが、上記にその台詞を記載することで「先輩」をもたらすことに成功した。この小説の内部と外部から先輩を登場させるか抹消しなければならないと思ったが、先輩はどうしても「私」のキャラクター性の薄さが気になるらしい。

「『私』に確たる語るべきことがないから他のキャラクターだって話すことないんでしょ。代わりになんか言ってやろうか?昔昔あるところに改稿された物語がありました。おじいさんとおばあさんは政治的イデオロギーと文学的洗練の間を引き裂くと鬼を殺す男が出現しました」

だがこの台詞は臭すぎる。私の関心はすでに改稿すること自体にあるのかもしれない。

 上記までの文章は八割方通算五回書いているのだが、初稿に「先輩」は登場しないはずなので、重要な記憶違いが行われているらしい。私は初稿を記載したデータを開こうとしたが、文字化けした文字列が並ぶだけで、再変換にも失敗した。

「だからバックアップ取っておけって言ったじゃん」と「先輩」が言ったが、初稿の段階で「先輩」がそれを言えるわけない、と反論すると、「私」はキャラクターがすべて先輩ならありうる話だ、と考えるキャラクターになることがわかった。どうやら「私」はあらゆる人間の言動を先輩とのパースペクティブで把握する人物になってしまったらしい。

「手塚中心史観みたいだね」

と「先輩」が言った。下手くそな例えで何を言いたいのかわからなかったが、「私」は理解したらしく、もっともらしく頷いて改稿における間テクスト性の実践例や理論について長々と開陳したが、それは退屈な上に支離滅裂だったのでカットした。先輩はそこの長台詞面白かったのに、と膨れて見せたが、あくまでこれを書いているのは私だからその主義に従うべきだと思った。

 先輩の言葉を消したあとに残ったこの小説には「私」しかいなかった。思い返せば「私」を増殖させるために「先輩」を要請したのにそれを消してしまえばかつて存在したらしい初稿に逆戻りするしかない。だが、ここまで書いて思い出してみると、ここまでのテクストは初稿によく似ていた。常に「私」の話に終始しているからだ。

 二回目の改稿では「先輩」のエッセンスが入った「男」を登場させた。

 この小説では「男」は小説家志望で何度も投稿用の作品を改稿していた。「男」の関心は助詞や形容詞の変更にあり、本質的な改稿を行うことはなかったが、美麗な形容詞たちが削ぎ落とされていくにつれて男の書く物語は露骨に現実に侵食されていった。形容詞や隠喩が覆い隠していた自我が実際に書き連ねる私と一緒に剥ぎ落としていったとき、残ったのは素朴な昔話だった。その話は火の鳥の鳳凰編に似ていた。「男」の小説を書く営みと火の鳥の登場人物である我王の彫刻像はほとんど一致を見せた。それに気がついた「私」は「男」を我王のように悪党にしなければならないと思って、「男」にあらゆる悪徳を働かせた。盗み、強姦、暴力。しかし私に想像できる悪徳はその程度で留まり、「男」の業は小悪党に成り下り、私が書き終えた頃には火の鳥の影はどこにも発見できなくなっていた。「男」の書き方に先輩を思い出したのは五回目の改稿のあとだったから、その頃には私の物語に「男」も「先輩」もいなくなっていた。

 私が次に思いついたのは、「私」を「先輩」にすることだった。上記までの台詞をいくつか「先輩」のものにする。「先輩」が小説を書いたことにする。だから、ここから先は「先輩」の一人称として読んでほしい。

 私の小説の四度目の改稿で登場させてみたキャラクターは誰にも似ていなかった。私は視覚文化研究を専攻していて、特に手塚治虫についていくつかの論文やレポートを書いていた。

「手塚治虫の改稿は本質から変えるんだよ。タイトルが同じだけの別作品。なんでみんなわかんないかな」

と私は居酒屋で一人で管を巻くが誰も聞く者はいない。

 私は「私」を書くために私を思い出そうとしたが、鏡を見ても自分の顔を覚えられない。

 知らない番号からの着信がある。私がそれに出ると知らない男が自分の声を聞きたいと叫んでいた。

「誰?」

というと電話は切れた。

 最近知らない人からのメッセージが絶えることなく来る。そしてそのメッセージは開いた段階ですでに削除されていた。私はその人物に合わなければならない気がしてきた。だが連絡は向こうから一方的に行われ、こちらから連絡しても常に電波が届かなかった。

 私は五度目の改稿でその人物を出すことにしてみた。きっと私に執着がある人物。一方で私の人格に興味のない人物。私はそれを仮に「先輩」と名付けた。

 「先輩」はこう言った。

「昔昔あるところに改稿された物語がありました。おじいさんとおばあさんは政治的イデオロギーと文学的洗練の間を引き裂くと鬼を殺す男が出現しました」

 この言葉は私のものではない。誰かに書かされたものに感じる。私は「先輩」の存在を確信した。「私」が「先輩」の話をしている。

 「私」は六度目の改稿ですべてのデータをデリートしたが、「先輩」の言葉はまだ記憶から消すことができない。

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