第3話

喉が乾いて目が覚めた。いつのまにか寝ていたようだ。辺りを見回すと、カーテンの隙間から夕日が差し込んでいた。台所へ行って、マグカップに水を注いで一気に飲み干しリビングに戻った。


「もしかして一日中、寝てたのか?」


 何だか頭も重いし、溜息しか出ない。幸いな事に、今日は失禁しなかったし、もうこのまま二度寝してしまおう。敷きっぱなしになっている、布団に潜り込んで目を閉じる。


 思ったより直ぐに睡魔がやってきた。



〆〆〆


 高校生の時、同級生の胡桃沢一樹に恋をした。野球少年らしく短い黒髪に、少し日焼けをしている健康的な肌、キリッとした目元、185ある高身長、爽やかな雰囲気で性格も良いので男女に関わらず人気があった。目立たない生徒だったオレにも、気さくに話しかけてくれたし、一緒に遊びに行くくらいには仲が良かった。

「僕と、奏一は似てるね」

「え⁉︎」

「だって2人共、一がついてる」

「本当だな」

「一緒だね!」

 たったそれだけの事も嬉しく思える程に、オレは一樹の事を好きになってしまっていた。

 けどなかなか告白する勇気はでなかった。一樹はモテていたから、オレなんかを恋愛対象には見てくれないだろうから……。


〆〆〆


 ゆるゆると目が覚める。温かで優しくて懐かしい夢だった。


 もう一度会いたいな……。


『……僕も会いたかった』



 耳元で、一樹の声が聞こえたような気がしたけど、リビングには相変わらずオレしか居ない。


 カーテンの隙間からは、朝日が差し込んでいる。





♪♬♪〜♫♩〜♬〜


 鳴らないと思っていた、スマホから音楽が流れ着信を伝えてきた。昨日、放り投げたから、一瞬探してしまったけど、テーブルの下に転がっていた。画面の蘇芳槐の名前を見て、安心感で泣きたくなってしまう。


「はい」

「奏一〜! 休暇はどうよ? 楽しんでるか?」

「槐……助けてくれ……」

「どうした⁉︎ 何があった!!」

「信じて貰えないかもしれないけど……」

「いいから話せ!」


 この家に来てからの事を、小さな声で震えながらポツポツと話した。要領の得ない部分があるにも関わらず、槐は最後まで聞いてくれた。


「分かった。明日そっちに行く」

「え⁉︎ 仕事はいいのか?」

「気にするな。親友の一大事に仕事なんてしてられる訳ないだろ! おとなしく待ってろ!」

「ありがとう……待ってる」



ボーン……ボーン……ボーン……



 最初は、このボンボン時計もレトロな感じが気に入っていたけど、今は音も聞きたくない。と言うのも夜中にも鳴るから、気になって仕方がないのだ。電池を取り出しても、動き続けるとか本当に勘弁して欲しい。


 殆どの時間を、薄暗いリビングの布団に包まって過ごしているから、時間の感覚が多少おかしくなっては来てる。だから午前の3時なのか、午後の3時なのか、よく分からない。それでも明日には槐が来てくれると思うと、気分が少しだけ軽くなる。



 立ち上がって台所から、ビールとミックスナッツをリビングに持って来た。テレビを見ながら飲みはじめた。普段は五月蝿く感じるバラエティー番組も、こんな時は賑やかなのも悪くないと思ってしまうから不思議だ。


 5時を知らせる、ボンボン時計が鳴る頃には、再びシトシトと雨が降り出したのもあって、室内は暗闇に包まれる。


 色々な事がありすぎて、腹はまったく空かないが、尿意は我慢できない。門灯を付けて、靴を履いて雨の中、隣にあるトイレ小屋まで小走りで向かう。あまり明るい光ではないけど、点けないよりは明るい白熱灯のスイッチも押す。


「どうせ誰もいない。開けたままでいいよな」


 ぼんやりした灯の中、用を足そうと便器に向かった。


バタン!


 今入って来たドアが、風も無いのに勢いよく閉まって白熱灯も消えた。


 そして、足元のボットン便所の、昏いポッカリ開いた闇の中から、白い手が這い出して来て、オレの足首を掴むと、引き摺り込もうと、もの凄い力で引っ張りだした。引きはがそうとしたけど、あり得ないくらいの握力でビクともしない。


「うわぁ! やっ! やめ!」


『……思い……だし…て……』


 耳元で声が聞こえ、同時にドアノブを掴んだ瞬間、白い手は消えてくれた。


 這いずるようにして、トイレから抜け出し、玄関を入って、ズルズル崩れ落ちるように座り込む。ゼイゼイと荒い息は、なかなか治まってくれないし、衣服は雨水と汚物でドロドロだ。


 足首には、白い手形がくっきりと残っていた……

  

 暫く呆然と、座り込んでいたがフラフラ立ち上がって、リビングへ行きトランクから着替えを出して、風呂場に行く。湯をためるのも億劫で、蛇口からお湯を洗面器にジャバジャバ入れて、タオルで体を洗って、直ぐに浴室を出て足速にリビングに戻って布団に包まった。もちろん、電気は点けたまま眠るつもりだ。




〆〆〆


 高校を、卒業して2年がたった頃、ハガキが届いた。

 差し出し人は、胡桃沢一樹。

 結局、告白も出来ないまま卒業してしまった。

 今ではお互い違う道を進んでいる。それぞれの違う生活、人間関係が始まって、いつしか連絡すらしなくなっていた。

 だからこそ、覚えていてくれた喜びに、顔はニコニコしてしまうし、興奮に体も熱くなってしまう。

 宛名を、ひっくり返し裏面を見て固まる。

【奏一、久しぶりだね。元気にしているか?僕は相変わらずだよ。今日、手紙を出したのは結婚が決まった報告なんだ。結婚式に来てくれたら嬉しい。また詳細が決まったら知らせるよ。】

 先ほどまでの興奮は一瞬で冷め、心の中を身体全部を、制御出来ない何かよく分からないドロリとしたモノが荒れ狂うのを感じた。ハガキは、返事を書く事もなくビリビリに破り捨てた。

  

〆〆〆



 目が覚めると、嫌な汗が全身を伝う。思い出したくない夢を見た。

 そう言えば、あの数ヶ月後、結婚式の招待状が届いた。それを読むこともなく、近所の公園の枯れ木と共に燃やしたんだった。




ドンドンドン!


 玄関を叩く音がして、ビクリ! と体が震える。カーテンの隙間からは、明るい日差しが細くオレの足元にまで伸びている。かなりの時間、呆然と布団の中に座っていたようだ。


 また何かが、家に入って来るのだろうか? 緊張が走る。


ドンドンドンドンドン!!


「奏一! 居ないのか?」

「黒木くん!」


 槐と、浅木の声だ。慌てて立ち上がり、玄関の引き戸を開けて、思わず槐に飛びついてしまった。


「無事で良かった」

「昨日、いきなり蘇芳くんが休み取るって言うから、何事? ってなるじゃない! そしたら黒木くんが危ないなんて言うから、心配で私もついて来ちゃった!」


 槐は、まるで子供を慰めるかのように、オレの体を抱きしめ背中を撫でてくれる。浅木も、ポフポフと肩口を優しい叩く。2人の体温が、冷え切った体と心に伝わりじんわりと温かくなる。



「来てくれてありがとう」



 いつまでも玄関で、抱き合ってる訳にはいかないので2人をリビングに通し、台所からお茶のペットボトルを持って来て渡す。沢山の飲料と食べ物を買って置いて良かった。


「サンキュー! しかし凄い秘境でビックリしたぞ!」

「ありがと! 本当よね! まさか駅から山登りするなんて思わなかったわ!」


 槐も浅木も、山歩きで喉が乾いてたみたいで、受け取ったお茶を一気に飲み干した。


「え⁉︎ オレここまで春子の軽トラで来たんだけど……」

「道って言う道は無かったよ」

「そう! そう! 車なんて通れないと思うぞ?」

「そんなはずは無い……」

「じゃ! 3人で確かめるか!」

「そうね! 不安要素は少ない方が良いでしょ!」


 そんな訳で一旦家から出て、春子が軽トラを停めた場所まで歩いて行くと、2人の言うように車が通れそうな道などは無かった。


「どう言う事なんだ?」


 考え込み始めたオレの肩を、槐がポンと叩き再び家に向かって歩きだした。


 家に戻ると槐が、リビングでオレを真剣な目で見る。


「一つ質問いいか?」

「あぁ」

「春子さんと、ルイくんには、あのあと会ったか?」

「いや。会ってないし、よく考えたら携帯番号しか知らない」


 槐は姿勢を正し真剣な顔で、オレの両手を包み込み握る。


「あのな。よく聞いてくれ」

「あぁ」


 緊張で、ゴクリと喉が鳴る。


「この家の住人は全員亡くなっているんだ」

「亡くなった?」

「終点のバス停あっただろ?」

「あぁ」

「そのバス停で降りた時に、この家の場所が分からなくて、バスの運転手に聞いたんだ。そうしたら何年か前に殺人事件があって、今はこのバス停から先の道、つまり俺たちが通った道を行く人は居ないって言ってた」


 槐と、浅木が顔を見合わせてから、困ったような表情でオレを見る。


「でね。気になって警察に電話して聞いてみたら、まだ遺体の一部が見つかって無いんだって言ってたの」

「……どこの?」



「左手の薬指よ」



 その言葉を聞いた瞬間、胸元のペンダントを無意識に握りしめる。喉が無性に乾いて、息が出来ない。



 その時……


ドタドタドタ!


ギャァーーー……


 何者かが走り回り、空間を切り裂く程の叫び声が響いた。



 真っ昼間の怪奇現象に、槐も浅木も思わずオレに抱きつく。


「早くこの家から出た方が良さそうだな」

「そ! そうね! ほら黒木くん、立ちなさい!」

「荷物は持ってやる。行くぞ!」


 リビングを出て、玄関へ向かおうと動いた瞬間。


『みつ……け……』


 背後から、掠れた聞き取りにくい声と、オレを見つめる視線を感じて振り返ると、血に濡れ、腐りかけた頬は骨が見え、ボサボサの髪の毛の痛々しい姿の女性が立っていた。

 

 その女性は、オレの胸元を指さして『カエシテ……』と呟くと、サラサラ砂が崩れるようにして消えて行った。




 槐と、浅木の悲鳴を、聞きながらオレの意識は途切れた。




〆〆〆


 会社から帰ると、ハガキが届いていた。高校の同窓会の案内状だ。

【私たちが卒業して15年、と言う節目の年に同窓会を開きたいと思います。出席、出来る人は、是非参加してください。】

 参加受付の締切ギリギリまで、悩んだが(参加)に○を付けて出した。

 そして同窓会当日、胡桃沢一樹に再会した。相変わらず人当たりが良く、15年ぶりの同級生たちと、ビール片手に楽しげに笑っている。

 一樹の笑顔が好きだ。ニカッと白い歯を見せて笑うとまるで太陽みたいだ。やっぱり好きだなぁ。元気そうで良かった。一樹の顔が見れただけで充分だ。と、こっそりと会場を後にしようとした時、肩をポンッと軽く叩かれて振り返る。

「奏一久しぶりだな! 元気そうで良かった」

「久しぶり一樹。お前も元気そうだな」

「最近はどうしてたんだ? 結婚式にも来てくれなかったから心配してたんだ。忙しいのか?」

「結婚式に行けなくて悪かった。毎日、残業続きで休みもなかったんだ」

「そっか。でも無理するなよ」

「一樹もな」

「そうだ。僕の嫁さん見てくれよ!」

 オレの肩に腕を回し、スマホ画面を見せてくれた。見たくない気持ちと、一樹の選んだ女性が、どんな人か気になる気持ち、両方が渦巻き複雑な気分で見た。ウェーブがかった明るい茶髪に、目がパッチリ二重で鼻も高い、かなりの美人が微笑んでいる。

「めちゃくちゃ綺麗な人だな」

「だろ! 春子さんって言うんだけどさ! なんと奏一の従兄妹なんだそうだ。僕たち親戚になったんだよ!」

 よりによって一樹と、春子が結婚? で、オレと親戚?

 なんだソレ?

 オレはそんな事は望んでない!

 全く知らない人と結婚だったなら、今まで通り見ないふりで耳を塞いでいられた。

 姿形のよく似た従兄妹の、春子を選ぶんなら、オレでも良かった筈だ。何で春子なんだ!

 おかしいだろ!


 

〆〆〆


 あの後、オレはどうしたんだっけ? ぐるぐるとドス黒い何かが、心だけじゃなく体も侵食する感覚だけは覚えている。


 頭が霞みがかったように、ぼんやりとしてクラクラする。


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