第2話

何を思い出せと言うのだろうか?



 気にはなるけど、まずは片付けだな。と春子が使っていたオボンに、食べ終わった皿を重ねて乗せて、リビングの奥の台所に運んで流し台で洗って、隅にあるテーブルにタオルを敷いて食器を乾かしておく。


「この家かなり広そうだけど、一体何部屋あるんだ?」


 まずは、家の探検をしようと、台所の奥にあるドアを開ける。


「ちょっと暗いけど、なかなか良いじゃん!」


 そこは、洗面所になっていて鏡も大きく見やすい。すぐ隣の磨りガラスのドアを開けると、中々の広さの風呂場で湯船は木製だ。ちゃんと自動の給湯器までついている。


「今からスイッチ入れとけば夕方には入れそうだな」


 給湯器のスイッチを入れる。ゴボゴボ音を立てながら、お湯が少しずつ出てくるのを確かめて、壁に立てかけてあった、木製の板で蓋をしておく。


 台所、リビングを通り越して、向かい側のドアを開ける。ここは客間だろうか? 畳敷の部屋になっていて、中央に長方形の重厚感溢れる木製のテーブルがあり、周りに座布団が並んでいる。

 更に奥の部屋へ続く襖を開けてみると、またもや畳敷だ。端っこに畳まれた布団があるから寝室だと思う。

 そのまた奥は板の間になっていて本棚が3つ、分厚い古書がみっちり並べられ、入りきれない本は床に積んである。かなり埃っぽい。

 本棚を一つ一つ見ていくが、どれも難しそうな本ばかりだ。そしてドアから1番離れた、本棚の奥にドアを見つけた。衣装を入れたダンボールが、オレの背丈くらい高く積まれていて、かろうじてドアノブが見えているだけの状態だ。まるで、隠し扉のようになっている。


「こう言うのって、めっちゃ気になるよな! 宝でも見つかったりして!」

 

 鼻歌を響かせながら、ダンボールを一つずつ持ち上げ、隣の本棚の前に置いていく。


「ふぅ! これで最後っと!」


 隠し扉にしては、普通の木製のドアだけど、重要なのは部屋の中だ。


 ギギギギギィィィ〜……


 油の切れた古く錆びついた、蝶番が嫌な音を立てる。そんな事を、気にもしないでドアを開けた。


「なんじゃこりゃ?」


 部屋の隅には、可愛らしい動物の描かれたタンス、その隣に勉強机、真ん中に小さな子供用ベッドがあるだけだった。

 ただ妙に気になるのは、黒いシミが至る所にこびりついてカーテンまで汚れている事だろうか? 子供部屋と言う感じなので、泥遊びの成れの果てかもしれないが……。

 その時、不意に背筋にゾクリと悪寒が走るのを感じ、タンスの方を見ると先程まで閉まっていた引き出しが、ゴトン! と音を立ててスルスル開いて、黒いモヤのようなものが立ち上り始めた。部屋に入った時より強い寒気を感じた、オレは逃げるようにして部屋を飛び出し、勢いよくドアを閉じ、ダンボールを元通りにドアの前に積み上げた。


「ふぅ……なんか見ちゃいけないもの見た気がする……」


 こんな時は、さっさと寝てしまおう! と言う訳で、途中で見かけた布団を抱えて、リビングに戻って床に敷くと太陽の匂いがした。ルイくんが昼間に干しておいてくれたようだ。



 『ピーピーピー! お風呂が沸きました!』


 寝転がってテレビを見ようとしたら、大音量の給湯器に呼ばれてしまった。せっかく沸かしたし湯が勿体ないので、トランクから着替えを出して風呂にいく事にした。


「その前にビール冷やしとくか」


 一旦、着替えを床に置いて、旅行カバンから、缶ビールを3本出して抱え台所に向かい冷蔵庫に入れる。春子が作り置きを置いていってくれたのか、タッパが4つ並んでいる。出して中身を確認すると、小魚の煮浸しと、きゅうりやナスの漬物などが入っている。ツマミに丁度良さそうだ。などと思いながら冷蔵庫を閉じた。


 再びリビングに戻ると、目の前の雑木林が真っ黒の、まるで得体の知れない生き物のようにザワザワうねっている。しかも誰かに、見られているように感じて、ゾワゾワと体が震えてしまう。慌ててカーテンを閉めて、電気とテレビを点ける。


「オレは、そんなに怖がりじゃ無かったはずなんだけどな……」



 とりあえず体を温めて、長旅の疲れと汗を流せば気分も落ち着くはずだ。と、床に置きっぱなしの着替えを持って、風呂場に向かった。


 まだ5時前だ、と言うのに家の中は真っ暗だ。古い家は思ったより、かなり気味が悪い。しかも秘境に行きたい! などと言ったばかりに、周りにコンビニも無ければ民家も無い。


「明日には東京に帰るか……」


 出来れば今すぐに帰りたい所だか、真っ暗な雑木林を歩いて帰る勇気は無い。

 さすがに、帰りまで春子に駅まで送ってもらう訳にはいかない。なので事前にタクシーを1週間後、迎えに来てもらえるよう予約してある。その予約を明日に変更したくても、この家には電話が無いしスマホも圏外なのだ。仕方ないけど、明日の昼間に駅まで歩くのがよさそうだ。荷物は重いけど……。


 溜息を吐きながら、洗面所に行く。すると鏡の中の自分と目が合った。そして、そのもう1人の自分の、口元が弧を描くように、ニタリと笑ったような気がした。


「気のせい! 気のせい!」


 頭を振って素早く服を脱いで、湯船に被せた木製の蓋の隙間から、たちのぼる湯気で程よく温まった風呂場に入る。


 そして、蓋を開けると……


「うわぁ〜……」


 思わず蓋を放り出して、風呂場から、転がるように飛び出しリビングまで戻った。明るい部屋と、テレビの音にホッとする。風呂場に着替えを取りに戻る勇気はないから、トランクからジャージを取り出して着て、座りこんでしまう。


 なんなんだアレは⁉︎


 湯船の中には女性がいた! 長い黒髪は湯の中でユラユラ揺れて、皮膚はふやけて白くブヨブヨで、目は死んだ魚のように濁っていた。なのに何かを、訴えるように口がパクパク動いていた。


 

ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……



 荒い息を落ち着かせていると、昼間よりやけに響いて聞こえる時計の音に、思わずビクッとしてしまう。



 その時、玄関の引き戸がガラガラと開け閉めされる音と、ドタドタバタバタと何者かが走り回る足音が響いた。


 もしかして、春子が忘れ物でもして戻って来たのだろか? 出来たら、このまま駅まで送って欲しくて、急いで玄関に向かう。


「春子! 丁度良かった! 駅まで……」

 

 そこには誰も居なかった。


 その代わり、数え切れない程の白い足跡が、ビッシリ家の奥へと向かって続いている。逃げ出したいのに、震えながらも自分の足は、何故だか白い足跡の、あとを追うようにフラフラと歩き出す。


 昼間とは違い、真っ暗で冷え切った客間と畳敷きの部屋をヨロヨロ通り過ぎ、本棚のある部屋、つまり子供部屋の前に来ると、一旦どこに消えたのか分からないが、ダンボールは一つも無くなっていた。



 恐る恐るドアノブに手を伸ばし開ける。



 そこには……



 鉄臭い匂いと、腐ったような匂いが充満して、部屋一面に、飛び散った鮮やかな赤い赤い血と、床には、胴体やら、首、腕、足がバラバラに散らばっていた。


 後ずさろうとすると、転がっていた首が3つ一斉にグルンと、オレの方を向いたかと思うとニタリと笑んで、千切れた血まみれな手をズルズル嫌な音を立てて伸ばして来た。


 足に冷たい氷のような手が、ヒタリと触れた瞬間。


「…………!!」


 声にならない悲鳴を上げ意識を失った。






 カーテンの隙間から、チラチラ差し込む光を感じて目を覚ました。起き上がって見回すとバラバラの死体は無くなって最初見た、黒いシミがあるだけの子供部屋に戻っていた。昨夜は恐怖のあまり、気絶してしまった事が分かった。しかも股間が濡れている。失禁までしてしまって居た堪れない。着替えたいし風呂にも、やっぱり入りたい。と言う事でヨロヨロ立ち上がって、暗いよりは明るい方が良いと思い、子供部屋のカーテンを開けてからリビングに戻った。



「昼間なら何も起きないだろう」



 リビングのカーテンも開ける。雑木林が、朝日の中ザワザワ揺れている。そして昨日と同様に、何者かの無数の視線を感じレースのカーテンで遮る事にした。


「周辺には誰も住んで無いって聞いたけど、春子が知らないだけで誰かいるのか?」


 言葉でも発していないと、不安でたまらない気持ちになる。


「まずは風呂だな」


 まだ少し怖いが、汚れたまま過ごすよりは良い。トランクから部屋着とバスタオルを出して手に持ち、勇気を振り絞って風呂場に向かう。


「この家、何でこんなに暗いのかって思ったら窓が少ないんだな」


 ザッと見た感じ、部屋の一つ一つが広く作られている割に、窓があるのはリビングと客間と子供部屋、あとは風呂場の小窓くらいしか無い。だから台所とか、布団の置いてあった寝室なんかは、昼間でも真っ暗に近い。ちなみに外にあるトイレの中も、昼間は足元に小窓があるが、夜は白熱灯が一つ灯るだけなので薄暗い。もっと言えば、ボットン便所だからか、かなり臭い。


 台所の電気を点け、更に洗面所の電気も点ける。怖々見た、鏡の中の自分に異変は無かった。そして昨日から、保温状態で放置してある風呂場は室内も暖かい。ソッと湯船の蓋を開けて見たけど何も居なかった。


「やっぱり気のせいだよな!」


 ホッと肩をなで下ろし汚れた衣服を脱いで、朝風呂を楽しむ事にした。体を念入りに洗って湯船に浸かり、小窓から入る優しい日差しに深呼吸をする。


「朝飯食べたら帰ろう」


 ザバァ! と勢いよく立ち上がって、湯船の栓を抜いて出る。バスタオルで体を拭いて、部屋着に着替える。



「昨日買ったコーヒーと焼きそばパンでも食べるか」


 台所へ行き、食器戸棚からマグカップを出して、冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルのアイスコーヒーを注ぐ。パンを袋ごと口に咥え、手にマグカップを持ってリビングに戻って来た。

 テレビを点けると、ニュースキャスターが元気よく食レポをしている最中だ。それを見ながら、パンを袋から取り出して齧る。

 

「焼きそばパンって、たまに無性に食べたくなるんだよな」


 パンを食べ終え、コーヒーを飲んでいると、急に暗くなってきた。立ち上がりカーテン越しに、外を見ると雨が降り出していた。

 テレビから、緊急速報の電子音が聞こえ、大雨特別警報が出た事が分かった。


「マジか……朝あんなに天気良かったのに帰れないじゃないか」


 次第に雨だけでなく、風までゴウゴウ騒ぎ、雷まで鳴りだした。古い家なので、ゴドゴトガタガタと壊れてしまいそうな音までする。

 

 その時。


バァン!


 と、もの凄い音がリビングに響く。


 雑木林の気が折れ、飛んできてガラスが割れたかと思って、音のした窓ガラスに近づき、レースのカーテンを開いた。


「!!!」


 そこには、窓ガラスに白い大きな手を貼りつけた、短めの黒髪の男性の、落ち窪んだドロリとした目がギョロリと、オレを悲しげな表情で見つめていた。条件反射で厚手のカーテンで外を遮断して座り込んでしまった。


 停電したらしく、室内は真っ暗になっていた。それでも少しでも安心したくて、テーブルの上のスマホを立ち上げる。電波は無くても明かりにはなるからだ。


 いつものように、スマホ会社のハートマークが現れ、そして……


『…部……ヤ…の……カー……てん…ガ……チで…マッ……赤…にソ…マり…………ぼク……たチも……』


「ヒッ!!」


 思わずスマホを放り投げ、足を抱えて顔を伏せて蹲る。

 深呼吸しても、体をさすってもガタガタ震えるし奥歯までガチガチ鳴って、心臓はバクバク五月蠅い。


 


 深呼吸を繰り返しながら目を閉じて考え思う。昨日の湯船の人物といい、今さっき外にいた人物にも、見覚えがあるような気がするのだ。恐ろしいはずなのに、懐かしいようなそんな感じ。


 誰だったかな?


 思い出せない。


 スマホから聞こえた、あの恐ろし気な声も確かに知ってるのに……。

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