【13】奇襲


 斎八と未朱に合流してから須万までの旅路は、つつがなく過ぎていった。出逢いの頃はほどけ始めだった春の空気もすっかり深まり、暖かさと花の香りがほころんでいた。


 風にそよぐ森の木立の東の端。そこにのぞきかけた望月の光も、まだ野宿の場には遠い。伊砂那は黒髪の髪飾りをしきりに気にして、いくどかつけ直していた。


「さっきからどうした?」

 小さくも忙しない動きを目に止めて、穏やかに斎夜が問う。伊砂那は気恥ずかしげに微笑んだ。

「今日、落としたのに気づかなくて。墓守のおじさまが拾ってくれたからよかったけど、なくしちゃうところだったから」


 須万についてから、どんな形であろうとも、まずは淡竹の手がかりを探そうと、伊砂那たちは別れて情報収集を行っていた。いまのところまだ収穫はないが、別れの場となった草原の探索や、生存の可能性をかけての近くの村での聞き込み、そして――罪人や無縁の旅人がまとめて葬られる墓所にも足を向けていた。

 伊砂那は今日、未朱と墓所を訪れていたのだが、どうもそこで髪飾りが彼女の髪から滑り落ちてしまったらしかった。


「やっぱり髪が短いからかな……」

「髪質の問題もあると思うわよ。伊砂那、さらさらだから。智景や智登世みたいな癖があれば違ったかもしれないわね」

「俺ら寝起き、鳥の巣だもんなぁ」

「湿度は、敵……」

 そう双子はくせ毛の苦労を滲ませるが、いまの伊砂那には髪飾りの落ちない髪質が羨ましかった。


「別にそんなに大事にしなくていいってば」

 双子へ羨望の眼差しをやる伊砂那に、篝が苦笑する。その手はいつも通り、せっせと狩の獲物を食事に変える支度に勤しんでいた。その脇で笹羅が手伝わされているのも、だいぶ見慣れた光景になってきている。


「失くしたら、また誰かに新しいのを見立てて買ってもらえばいいんだからさ」

 事もなげに篝はそう口にしたが、伊砂那の大きな双眸がどこか寂しげにしぼんだ。斎八が無言で篝の背を肘で小突く。お前がやく世話はそれではない、とばかりに、篝が彼を横目に睨んだ。

 その時。


 猛り吠える獣の声が幾重にもこだました。離れてはいる。だが、遠くもない。ただの獣の声ではなかった。苦悶と悲痛で空を裂くような金切声。――〈穢獣〉だ。

 すぐさま智景が近場の木の上へと軽やかに登り、声の方角を見定めるとともに、飛び降りてきた。


「村だ! すげぇ数の群れが、ここに一番近い村に向かってる」

「こちらに来てるわけではないのか」

「村なら神宮から討伐隊が助けに向かうだろうが、時間がかかるかもしれねぇな」

 意外さを滲ませる斎八に続けて、笹羅が唸る。篝が太刀を手に取った。


「討伐隊と鉢合わせる危険はあるが、捨て置くわけにもいかないな。斎八、笹羅は村の外。人目に触れないところで極力群れを叩いて。智景は俺と。村まできたやつらを倒す。未朱と智登世は、伊砂那と待機。いいね?」

 言い置いて、篝は馬に飛び乗った。それに智景が続き、笹羅を同じ馬の背に伴って斎八が追う。


 蹄の音が遠のき、訪れたしばしの静寂を、未朱の明るい声が破った。

「ま、鬼神官がふたりもいればどんな群れだろうと大丈夫よ。ひとりは〈黒〉の斎八だし」

 いやおうなく淡竹との離別の記憶が蘇ったのか、表情を凍りつかせていた伊砂那をなだめるように笑って、彼女の隣に座す。後押しするように、智登世も静かに頷いた。

「篝も智景も強い。あと、ついでに笹羅も。だから、すぐ戻る。平気」


 それが心遣いでもあり、気休めではない真実確かな信頼でもあるのは、分かるようになっていた。ふと、強張った身体の緊張がほどける。ありがとうと紡ごうと、伊砂那が唇を動かしかけた――瞬間。


 未朱が伊砂那の身体を抱いて地に伏せ、智登世が腰の短刀を抜き放った。唸りをあげて飛び来た火矢を切り払うも、捌ききれなかった矢の数々が、乾いた枯草に炎を灯して煙をあげる。


 同時にいくつもの黒い影が、森の向こうから飛び出してきた。獣の形。けれど、赤黒く膿爛れた身体。そこに牙や爪だけが、燃え上がり出した森の火の手を受けてぎらぎらと鈍く光っている。〈穢獣〉だ。数が、多い。


「群れの一部がこっちに来たのかしら?」

「だとしても、獣は道具を使わない」

「そうね、とたんに、きな臭いこと!」


 襲い来る〈穢獣〉をそれぞれに短刀で防ぎ、払いながら、未朱と智登世が紡いだ会話に答えを与えるように、また森の木立の合間を縫って、矢の雨が降り注いだ。〈穢獣〉を追い立て、伊砂那と未朱たちを断絶するように滑り落ちる。


 その狙いが分かっても、さすがに爪と牙を防ぎながらかわすのでは、相手の意図の裏をかくにも無理がある。

 矢の驟雨を飛びのけ、引き裂かれた先で、伊砂那に背後から掴みかかる人影が現れ出た。ひとりふたりではない。武装した一団。統一された服装、整えられた武具。――神宮の討伐隊だ。


「あなたたち、」

「ご安心を、須万の神宮のものです」

 伊砂那の口を塞ぎ、羽交い絞めに自由を奪って、討伐隊の長らしき男は小憎たらしく嘯いた。


「村への〈穢獣〉を追わず、こちらに残っていていただいて、手間が減りました。なによりです。墓守の男はいい仕事してくれた」

「墓守? 確かにあのあと誰かにつけられたけど、巻いたはずよ!」

 耳聡く聞きとがめ、獣の爪を刃で弾いた未朱が振り返る。払っても斬り伏せても襲い来る〈穢獣〉の数に、息が上がってきていた。


「それが裏目だ。追尾に気を配る者がいた。そこが逆に、後ろ暗そうではないか」

「でも、どうして……場所、わかった?」

 せせら笑う男を静かに色違いの双眸が睨む。涼しい表情にかすか苦渋が滲んでいるのは、先ほど牙に裂かれた腕の傷のせいだ。


「運よく髪飾りを落としていただいたので、それに墓守が後を追う呪紋様をつけたのだよ。こいつらを管理するために、わが神宮が独自に生み出したものだ」

 その得意げな言葉とともに、討伐隊の控える後ろから、さらに〈穢獣〉が躍りかかってきた。


「最悪! つまりあんたたち、自分で放って、自分で退治して、功績と感謝を稼いでたってわけ!」

 新手の獣の牙をかわし、腕のひと薙ぎを返す刃で斬り払いながら、未朱が吐き捨てる。


「村への〈穢獣〉も、お前らか……」

「この周囲に神子さまがいらっしゃるのは分かっていたが、攫った不届き者どもについては不明な点があったからな。陽動だ。さすがに離れすぎていて確認はできなかったが、何匹かおびき出されて行ってくれたようで助かった」


 冷ややかな侮蔑と怒りを滲ませる智登世の言も鼻で笑って、男は醜く口角を引き上げた。


「下手な正義感さえなければ、なんとか生き残れたかもしれないのにな。お前らもここで終わり。村へ向かったお仲間も、〈穢獣〉の群れ相手になにが出来るか。殊、あいつらは凶暴だからな」

 体力を削られ、鈍る刃の動きに、獣たちの攻勢が重なる。智登世の肩が裂かれ、未朱の足が赤く染まった。


 口を押さえ、喉を絞められ、叫び声さえあげられないまま、男の腕の中で伊砂那はもがく。「さあ、行きますよ神子さま」と、敬意のかけらもない形ばかりの慇懃さが告げてきたが、伊砂那の耳には聞こえすらしていなかった。


(助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ……!)

 締め付けられた喉から狂おしいほど溢れそうになるのはその思いだけで、眼前の光景に見開いた目じりが熱く濡れ、早鐘をうつ鼓動が胸を叩き割りそうなほど苦しい。それがいったいなんの感情なのかも分からないまま、伊砂那は、彼女が暴れるあまり一瞬ゆるんだ男の手に、力の限り噛みついた。


「未朱! 智登世!」

 痛みに上げられた男の怒声に負けぬ叫び声とともに、伊砂那の髪が煌めく銀色に染まり変わる。


 瞬間、白銀の月光のごとき光が閃き、森を飲んで燃え上がっていた炎を射抜いた。とたん、炎が逆巻き渦となって、あたり一帯にいた〈穢獣〉のすべてを刹那の間に焼き払う。そのまま業火は夜空を焦がす火柱ほばしらとなって燃え盛ったかと思うと――火の粉の名残もなくかき消えた。


 畏怖交じりのどよめきが、討伐隊から沸き起こる。その慄きをねじ伏せようとでもいうように、隊長の男は声を荒げた。

「神子の意識を奪え! 死んでも構わない! どうせ生き返る!」

 押さえ込んでいた伊砂那の身体を男は地面に叩きつけるように荒々しく投げ捨てた。強かに背を打ちながら、なお起き上がりかけた伊砂那の頭を、命に従った部下のひとりが槍の柄で殴り飛ばす。

 未朱が悲鳴をあげ、智登世が怪我をおして駆け出そうとしたが、阻まれ、届かない。


「そいつらもきっちり始末しとけ」

 いくどか殴打の音が響き、額から血をしたたらせて動かなくなった伊砂那を担ぎ上げて、隊長の男は言い捨てた。

 森の向こう、村の方からはまだ、〈穢獣〉の金切り声が空を震わせている。


(あ……髪飾り……)

 男の肩に揺すられ、霞む視界。最後に伊砂那の目に映ったのは、地面に打ち捨てられた赤い石の髪飾りだった。殴られた弾みで、また落としてしまったのだ。


(大事に……したかったのに、な……)

 頬を伝う、ぬるく暖かいものが血なのか涙なのか分からないまま、伊砂那の意識は、闇へとすべり落ちていってしまった。



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