【12】恋の呪い
蜜色の長い髪が、うららかな日差しに金色を纏って振り返る。
「未朱でいいわよ」
華やかな笑顔は、呼び方に惑った伊砂那にそう告げた。
「あなたのことは、伊砂那って呼んでいいのかしら? それとも、町中では神宮にばれる可能性があるから、控えた方がいい?」
「ううん。伊砂那で大丈夫。〈月花の神子〉じゃなく、私の名前を知る人は、ほとんどいないから」
「ふぅん、それもさびしい話ね」
微笑み返す伊砂那に、どこか腑に落ちない風情で未朱は唇を尖らせた。だが次には、力強い双眸に興味の輝きを燦燦とたたえて見上げてくる。
「ところで、さっき篝さまのことずっと気にしてたみたいだけど、斎八のことはどうなの? 会った時になんかこう、ぐっとくるものとかあったりした?」
「ぐっと……くる……?」
伊砂那は出逢いを反芻した。死んだとされた〈黒〉の鬼神官が現れるとは思っていなかったので、びっくりはした。びっくりはしたのだが――他にといわれると、難しい。
「――そんなにない?」
うんうん首をひねる伊砂那に、拍子抜けした調子で未朱は苦笑した。それこそ、運命を思わせる劇的な感想を期待していたのかもしれない。
「優しそうだな……とは思った」
ようやく伊砂那からこぼれた斎八への印象は、ありふれた飾りないものだった。
けれど最初、鋭く冷ややかな眼光に近寄りがたさを覚えたのだが、篝と話していた時の楽しげな空気に、伊砂那は確かにそう感じたのだ。それは篝とよく似通った雰囲気だった。
「あと、ちょっと……いいな、と思った」
彼と話す篝は、ずいぶん打ち解け切った様で戯れていた。兄弟のようなもの、というからには、当たり前なのかもしれないが――それが伊砂那には、うらやましかった。
「そう。やっぱり、いいな、とは思ったのね。それに斎八を初対面で優しいっていう人は、そういないわよ」
言葉の意味を取り違えたまま、くすくすと未朱はおかしそうに肩を揺らした。
「斎八は篝さまと違って、伝わりにくいから。同じくらいとても優しいのにね。でも……あなたはすぐにわかったってことは、やっぱり運命ってのは、間違いなくちゃんとあるのかもね」
「篝も、運命の人だっていっていたけど……その運命っていうのは、結局、どういうものなのだろう?」
「どういう……そうね、そういわれると困るけど、まあ、やっぱり惹かれ合う関係なんだろうし、定番は恋じゃないかしら? 抗いがたく落ちるものだし」
素朴に答えて、「ああ、でも」と未朱は小さく言葉を区切った。
「抗えないだけで、運命ではないものも、あるわよね……」
「恋……」
ぽつりと落ちた呟きは上手く拾えなかったが、伊砂那は吟味するように、神妙に舌の上でその単語を転がした。藍色の双眸を少し当惑にくゆらせる。
「知ってはいるけれど、それがどんな気持ちのものなのか、私はよく分からないんだ。母さまが、『父さまに恋をしたから、何度殺されてもいい』って言っていらしたから、そういうものなんだろうとは思うのだけれど……」
「……それ、かなり稀有な恋のしかたじゃないかしら……」
さらりと流れていった比喩ではなさそうな話に、未朱は深く踏み込めないまま、小さく異義の声をあげておいた。伊砂那には、未朱の軽く身を引いた心地が、いまひとつ伝わらなかったようだが。
「母さまは、神子の血の力は、恋の呪いだって言っていた……。だから、呪いを解くのも、恋しかないって……」
「恋の呪い?」
思い出したようにこぼされた伊砂那の一言を未朱は訝った。が、ちょうどそのあたりで、ふたりの足は人気のない小道から、町の賑わいの中へと踏み込んでしまった。周囲をはばからない会話はもうできない。話はそこまでとなってしまった。
そのまま旅路で擦り切れた履物の調達や、食料、武器や馬具の手入れの品などを買い求め、両手の包みがそこそこ膨れた頃に、未朱は伊砂那を振り返った。
「篝さまが自分の買い物もしていいっておっしゃったから、なにか見てきましょうか」
なにかといわれても、伊砂那には見たいものなど思いつかなかったが、楽しげな未朱の足取りにつられるままに、そのあとをついていった。やがて「あら、素敵じゃない」と彼女が足を止めたのは、
その中で思わず伊砂那が目を止めたのは、赤い石をあしらった銀細工の髪飾りだった。綺麗だと思ったのは、その石の色だ。どうにも心惹かれてじっと見つめていると、店の男が声をかけてきた。
「兄ちゃん、姉さんにそれ買ってやるのかい?」
微笑ましげな調子に、はたと自分が男装のままであることを思い出す。はたから見れば、いい年頃の仲睦まじい男女だ。誤解をされても仕方がない。
だがそれでなんとなく、己が欲しいと言い出すのに気が引けて、伊砂那は違うと首を振りかけた。が、
「なに? 君、これが気になるの?」
背後から歩み寄ってきた気配が、伊砂那の隣からひょいと腕を伸ばして髪飾りを取った。
長い黒髪。烏を思わせる黒い装束。真紅の瞳が髪飾りをしげしげと眺めている。
「篝さま!」
伊砂那がその名を呼ぶ前に、未朱の声が喜色に弾んだ。すぐうしろには斎八の姿もある。ふたりしていつの間にやってきたのだろう。あまりに忍びやかな登場に、伊砂那は瞳を瞬かせた。
その間に、いまは黒い伊砂那の短い髪に、篝が手にした飾りを当たり前の手つきで器用に差した。味気ない伊砂那の出で立ちの中に、華やかに赤い色彩が灯る。
「これ、貰うよ。悪い品じゃなさそうだし。お代は?」
「別にいいんだけど……兄ちゃんにそれやるのかい?」
抜け目なく代金を告げて受け取りながらも、店主は篝に向けて困惑をこぼした。その戸惑いの意味にいまさら気づいて――しかし、篝は唇を引き上げる。
「ああ、いいだろ? 似合うからね」
加えて未朱の紅と香を買い足して、買い物は終わりとなった。店主は最後まで不可解そうな表情を残していたが、もう会うこともない。そのまま捨て置いて、篝は伊砂那の手を引いた。
廃屋までの道すがら、伊砂那はそっと頭の飾りに指先を伸ばす。〈まほろば〉では、髪に余計な色を差し挟まないために、どんなに長くても飾りなど身に着けることはなかった。だがいまは、ちょうど暮れだした夕焼けの空よりなお赤い石が、滑らかに触れる。
慣れない感触。けれど、悪くない。心がほんのり温かく踊るままに、伊砂那は先行く篝を見上げて、頬をほころばせた。
「ありがとう、篝。とても、大事にする」
「――いいよ。別にそんなたいしたものじゃないからさ」
嬉しそうに灯る伊砂那の笑みを映して、紅蓮の瞳は困ったような不思議な色で細められた。
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