【11】舞台の端


「なるほど、須万か」

 篝の話に、斎八は頷いた。

 いま、このところどころ腐りかけた廃屋の板間に座すのは、彼らふたりだけだ。伊砂那と未朱はもちろん、双子と笹羅たちも外の用に赴いていた。智景たちに夕飯の獲物調達を任せると、笹羅まで連れていかれたのだ。彼の植物を操る力が狩りに都合がいいらしい。なんだかんだで笹羅も付き合うあたり、ずいぶんと仲良くなってきたものである。

 おかげでふたりは騒音も邪魔もなく、今後の方針について話を進めることができた。


「須万の神宮については、きな臭い噂を拾っていてな。調べる予定があったから、ちょうどいい。渡りに船だ」

「そいつはいいけど、いまは伊砂那がいる。あまり危険を冒したくはない。できればその諜報活動は他に回してもらうか、別動として俺が引き受けるよ。で、君には伊砂那を《迦具》の里に連れていくのを頼みたい」

「初対面も同然の俺より、つきあうのはお前の方がいいだろう? ずいぶんと、なついた様子だったが……」


 どこか寂しそうに、心もとなさそうに。まよい子のように、藍色の視線は斎八と話す篝の背に縋っていた。

 だが、篝は渋い顔で呆れる。


「いや、俺だってまだ会って十日かそこらだし、君と大差ないよ。そりゃ、逃げられないよう優しくしてやってはいますからね? 悪くは思われてないだろうけどさ。そうやってこっちに心入れしてもらった方が都合がいいし。でもあれは、雛鳥が親鳥のあとをついてく類のもんだよ」


 淡竹と別れ、ひとり所在なくうろついていたところへ、たまたま淡竹との縁を持ち出して声をかけてきた最初の相手が篝だったというだけだ。


「それこそ、君が先に出会ってたら、同じ目を君に向けてただろうさ。――むしろ、その方が良かったんだろうな。予言。忘れたわけじゃないだろ? 君にこそ、彼女と仲良くなってもらわないと困る」

「それについてだが……漆黒の篝、という呼び名がある奴がいてな」

「よし、表出るか。久々に本気で喧嘩しよう」


 神妙な顔で切り出した斎八へ、満面の笑みで篝は受けて立ってやった。斎八が低く笑う。


「冗談はさておき、俺とは限らないんじゃないのか、ということは考えておいた方がいいと思うが」

「どうだかね。黒が指し示す者といわれて、この世で誰もが思い描くのは〈黒〉の鬼神官だ。月天女の代からいまにまで在る、五色ごしきを掌る鬼神官。それを知らぬ者はいないからね。予言がいくら曖昧だからって、黒髪だの黒い服だの、そんなありふれてる黒程度を、わざわざ取り立てて〈黒〉の者なんていうわけないでしょ」


 至極当然の結論とばかりに、篝は斎八の主張を世迷い事と切って捨てた。

 予言を聞いた時から、斎八は己のことではない可能性を訴えてやまないが、篝にしてみれば、余人よひとの入る隙がある内容とは思えなかった。


 予言の〈焔〉は、〈赤〉の鬼神官である常盤のことで違いないだろう。そうなると、指し示されたものはみな、神代の伝説と繋がるものたちになる。

 〈赤〉の鬼神官、〈黒〉の鬼神官、〈月花の神子〉、そして〈まほろば〉――。


 常盤が目指す、〈まほろば〉の打倒。それは神子の血が不死と安寧を振りまくことで、〈禍津影〉という不幸を生み出しゆく――そんなこの世の流れを断ち切ることを掲げたものだ。


 だから、予言が伝えた登場人物たちは、いかにも相応しい。神子の血の力も、〈禍津影〉も、神代の名残。それと戦える力を持つ者は、やはり、その時代の力を受け継ぐ者たちなのだろう。

 反乱軍のひとりなど、たとえ遊撃隊の長をしてようが、ただの人。神の力を受け継ぐ彼らの前では、名もなきその他大勢でしかない。


(立ってる場所が違うんだよ)

 特別な力と、それに伴う責務を背負う彼ら。そんな者たちと、同じ舞台に上がれるはずがない。


「彼女と手を携え常永久を討つとされたのは――君でしかないと、俺は思うけどね」


 そしてもし、手を取り合うことを定められた出逢いならば、あの綺麗な顔に朧ないろどりしか宿さないこの世離れした神子さまを、〈まほろば〉の外という営みの中に引き寄せてもらいたいとも、願う。


(あの夜、間に合わなかった……)

 正確には、間に合わせなかった。見極めようと、どこか心の片端で過った思いが、野盗の手から彼女を救うのを遅らせたのは否めない。

(だけど、そのせいで……――)


 微動だにしなかった、あの澄み過ぎた瞳が、いまもどうにも突き刺さって残っている。恐怖も悲しみも絶望もない、あの虚しい瞳が、棘のように。


 だからせめて、償いではないが、あの瞳に息吹のようなものが灯るのを、見たいと思った。


(まあ、斎八に引き合わせたからって、すぐさまそんな奇跡のような影響があるなんて、都合のいい展開は描いてないけどさ……) 

 〈まほろば〉の敷く、信仰による支配。月天女の与える不死と安寧を喧伝し、人々を希望で操り、呪われた結末を秘匿し続ける。その在り方を打破すると予言された、運命の出逢い。それが、〈黒〉の鬼神官と〈月花の神子〉の出逢いだ。


 だが、それはある意味、常盤を筆頭とする、篝たち《迦具》にとっての運命であって、伊砂那本人にとっては違うのかもしれない。


(でも、手を取り合い、大事を為すような関係なら、それこそ在り方を変えるほど運命的であってもいいんじゃない?)

 そうであってくれた方が、なにも知らずに〈まほろば〉から逃げた神子さまを、優しい顔して連れてきて、利用しようとしている利己的な目的の醜悪さも薄れてくれる。


「……まあ、運命うんぬんはこの際置いておいてやるにしても、あの子びっくりするほど、〈まほろば〉の外に疎いところあるからさ。君みたいなしっかりした真面目な奴が、色々手を焼いてやるのがいいと思うわけだよ」

「俺にしてみれば、お前の方がずっと世話焼きなところがあると思うがな」

「必要に迫られなきゃ、俺は人の面倒なんか見ないよ」

 一言差し挟んでくる斎八を睨みやりつつ、篝は何かを思い出したらしく、頭を抱えた。


「ここに来る道中だって、他にいなかったから俺が気を配ってただけであって、君に任せたらお役御免とさせてもらうよ。ほんと、そこそこ驚かせられたんだから。例えば、途中で温泉見つけた時なんかさ。野宿も続いてたし、汗でも流したらって勧めたんだけど、そしたらその場で脱ぎだしたんだよ、あの子! 駄目だろ! 野郎四人いるんだぞ! ほんと、出会った直後服替える時、慎重に慎重を期した俺の気遣いの無駄を悟らされたよ! 思わず勢いで智景たちを蹴り倒して、上着被せたら、『どうしたの?』みたな目できょとんと見上げてきて。どうすんだ、これ! ――と、叫びたくなるのを飲み込みながら、それとなく人目を避けて湯浴みをするように、当たり障りない言葉で指南した俺の気持ちが君にわかるか?」


「欝々と八つ当たりじみた感情を向けてきたくなる程度には苦労したことは察してやろう」

 切々と捲し立てる恨みがましげな視線に、淡白に斎八は返す。彼にぶつける己が理不尽さは分かっているのか、そのつれなさに抗議はせずに、篝は盛大な溜息を落とすと、穴から梁ののぞく天井を仰いだ。


「淡竹殿と一緒の時からそんなだったんだろうけどさ。その時に淡竹殿が、年頃の娘に適切なふるまいを教えてこなかった過ちとやり場のなさと、かといって今さらどう説いていいのか分からない気まずさから、黙して流してしまった気持ちは痛いほど推察できるんだけど、そこは教えておいて欲しかった。切実に」


「まあ、いろいろな意味で、ひとりになってからよく無事だったものだな」

「いや、それが何度か死んでたらしいよ、あの子。ほんと、大丈夫とか言ってたけど、なにも大丈夫じゃない……。……――なんか思い出してたら、ちょっと心配になってきた。様子見てくる」

「お前、必要に迫られなければ他人の面倒を見ない奴なんじゃなかったか?」


 おもむろに立ち上がった篝を、冷静な声が追いかける。それに苦々しげに篝は言い捨てた。


「迫られてるよ! あんな危なっかしいのしばらく見せられてたら――致し方ない」

 長い黒髪が時間と手間を惜しんで、近場の朽ちた窓から邸の外へ躍り出る。それを斎八は肩をすくめて見送り――小さくぼやいた。


「……なんとも、ままならぬえにしだな」

 篝がなにを抱え、なにを見つめ、今日まで歩んできたかを隣で垣間見ている。だから――

「――お前も誰より、不死をこいねがった者だろうに」


 かつて本気で喧嘩をした日々に見せつけられた、苛烈な焔。いまは影を潜めたそれは、なお、彼のどこかで燻ぶっているのだろうか。そこまでは、斎八にはわからない。ただ、〈月花の神子〉という存在が、彼の胸裏の埋み火を、煽らないといえば嘘だろう。


(まぁ、心配が嘘とも思わんが……)

 そう見ることの叶わない、振り回され気味な彼の表情。それに込み上げるおかしさを口端に刻んで――斎八はひとまず、世話焼きに付き合うか、と、己もゆっくり腰をあげた。




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