【10】運命の〈黒〉
◇
それからの旅路は、おおむね順調だった。いくどか〈禍津影〉や〈穢獣〉に遭遇したが、篝たちが事もなく祓ってくれたし、彼らは戦いはもちろん、旅にも手馴れていた。馬の背に揺られながらの道中は、ほとんど村や町を通らぬ野宿だったが、ひとり彷徨うことになってから味わえなかった快適さと人らしい食事に、伊砂那は感動しきりだった。
捕らわれの笹羅が、不満を垂れつつ大人しくついて来たのもまた、つつがない旅路に貢献した。伊砂那が自主的に篝たちについていっていると、認めざるを得なかったからだろう。おかげで、旅に出てから十日とちょっとあまり。目当ての人物と合流する時には、とうに縄をほどかれ、自由を手に出来ていた。
「で、誰が来るってんだよ」
戒めるもののない両腕を後頭部に、ふてぶてしく土壁に寄りかかって、笹羅は唇を尖らせる。
久しぶりに立ち寄った町――を外れた廃屋。手入れのされていない竹林に覆われ、囲む土壁はところどころ毀れているが、往年の重厚なたたずまいを残したそこが、
「君も知ってるような、知らないような、そんな相手だよ」
「反神徒なんかに知り合いはいねぇよ」
「そうか、それは残念だ。ある意味、数少ないお身内とでもいうべき相手なんだけどっ、ね」
篝の悠々とした言葉は末尾で不自然に途切れた。それもそのはず。かすか遠方から「篝さま~!」と跳ね飛ぶ声が響いたかと思った、その瞬間。壊れた壁の向こうから走り抜けてきた猪のごとき体当たりを背後から喰らったのだ。よくそのまま倒れず、もちこたえたものである。
「お久しぶりです! 篝さま!」
「……
腰に腕を回し、晴れ晴れと見上げる気持ちのいい笑顔を、そっと優しく篝はひっぺがした。
「そいつが、俺の身内?」
「その人が、私の運命の人?」
「う~ん、致し方のない誤解」
胡乱げな笹羅と素直に首を傾ぐ伊砂那に、篝は諦めの納得を示す。
突撃してきたのは、凛としたつり目と蜜色の長い髪を持つ少女だった。北の方の出自なのだろう。淡い髪色は、日差しの具合で稲穂の波のように金色に揺れる。それに白に薄紅をさした着物がよく映えた。人目を引く顔立ちはいかにも快活で華やかだ。動かず澄んだ冬の水面のような伊砂那の精緻な整い方とは、また別の麗しさがある。
「俺がいってたのは、彼女じゃなくて、そのうしろにいるやつね」
そう篝が、未朱が飛び込んできた壊れた壁の穴を指し示せば、いつの間にかひっそりと、もうひとり青年がたたずんでいた。
静謐に沈み、吸い込まれそうな深い黒の双眸。さらさらとした短い髪は、漆を重ねたように艶やかに光をとりこめている。背丈はすらりと高い篝よりもなお高く、すっと細身だが、纏う空気に質量を伴うと紛う重厚さがあった。そしてなにより、伊砂那と笹羅を驚愕させたのは、その首筋から鎖骨にかけて浮かび上がる、黒い呪紋の痣だ。
「〈黒〉の鬼神官……」
「嘘だろ。常盤との騒乱時にまだ幼かったから亡くなって、次代待ちだって聞いてたぞ……」
「
ふたりの驚きを放って、篝はおかしそうに〈黒〉の青年に向けて笑った。
「もう俺が常盤についていってから、十数年は経っているんだがな。常盤造反の数年前に亡くなった〈青〉の次代も生まれているのだから、本当に死んでたなら、俺の次がそろそろ育っていそうなものだが」
「いやぁ、でも、鬼神官の長である〈黄〉に次ぐ力を持つ〈黒〉だからさ。それに君は、七つの時からご活躍のあった、歴代〈黒〉でもっとも優れた鬼神官だったわけだし。そりゃ、そうした逸材の次が出てくるのは、時間がかかるよね~、とでも思われてるんじゃないの?」
「お前が言うと、言葉通り褒められている心地が微塵もしないのがすごいところだな」
そう〈黒〉の青年は、篝と遠慮会釈ない言葉を親しげに投げつけあう。
置いてきぼりとなった伊砂那と笹羅へ、双子が脇から顔をのぞかせ、話を付け足した。
「知ってっかもしれないけど、斎八は七つ過ぎから〈禍津影〉退治させられて、どんどん祓いまくってたっつうからな。〈まほろば〉にとっては期待の鬼神官さまだったわけよ」
「でも小さいうちからそんなことさせてたから、常盤さまが気にかけてたんだってさ。そしたら、ちょっと子弟……みたいになって、それで、叛乱の時、どさくさに紛れて一緒についてきたんだって」
「逃げるにあたって、備蓄の肉や骨を適当に集めたもんを常盤さまの炎で判別もつかねぇほど焼いて、遺体を誤魔化したらしいからな。それでうまい具合に死んだってことになったんだろうぜ」
はははは、と笹羅の肩を抱いて智景は笑い飛ばすが、それを聞く笹羅の方は複雑そうだ。
鬼神官となった時にもっていた、〈まほろば〉と《ツクヨミ》への認識。それにじわじわと罅が入って崩れそうになっているのを、感じずにはいられないのだろう。
歴代〈黒〉の中でも稀有な実力を持ち、反逆者と果敢に戦い、夭折した鬼神官――。そう、なかば伝説のように語り聞かされた彼が、その実、立派に青年にまで成長し、おまけにその反逆者集団の一角と、気を置かない様でいるのをまざまざと見せつけられているのだから。
「斎八は、こっちにとっても、隠し玉……。だから普段はあんまり表に出る活動はしないで、未朱と組んで諜報みたいなこと、してる」
「この女、諜報とかできんの!」
「あらぁ、失礼ね、この〈青〉の鬼神官!」
先ほどの騒々しい登場ぶりに思わず笹羅が力強い疑義申し立てをすれば、未朱はにこにこ笑いながらその足を踏みつけた。
それをきっかけにぎゃあぎゃあと騒ぎだしたふたりと、はやし立て始めた智景の喧噪を背後に流したまま、ぽつりと伊砂那がつぶやく。
「……篝、仲、よさそうだね」
「ん? ああ、篝と斎八は常盤さまの元で、一緒に育ったから……」
伊砂那と一緒に騒ぎの外にいた智登世が、伊砂那の呟きを拾って言う。藍色の眼差しが見つめる篝と斎八の方へ、彼も視線を移した。ふたりは引き続き、何事か話し合っているようだ。
「ふたりは、なかば兄弟みたいなもん」
「篝は、あの人が私の運命の人だって言ってた。どうして?」
「予言」
短く答え、しばし沈黙したあと、それでは分からないと気づいたらしく、智登世は言葉を足した。
「……えっと、〈
伊砂那は頷いた。鬼神官や〈禍津影〉と同じく、月天女にまつわる伝承の中に出てくる、神代からいまに繋がるものだ。鏡面の奥に呪紋が刻まれた大きな鏡で、神子の代替わりが近づいた時、次の神子がどこに生れ落ちるのかを見通す力があるとされていた。普段は、〈まほろば〉の中央。神殿の奥深くに祀られている。
「〈まほろば〉にあるそれ、偽物。常盤さまが叛乱の時、盗んで持ち出した。だから、いまは、僕たちがもってる」
「あの鏡……そう、なの?」
「たぶんあっちは、いまは別に、君がいるから困らない。だからあとで取り戻せばいいと思って、騒がれないように誤魔化してるんでしょ。でも、〈月天鏡〉が見通せる先は、なにも次の神子の生まれる場所だけじゃない……って、常盤さまが言ってた。あらゆる先のことが分かるって。ただ、はっきりとは知れないみたいだけど。僕たちが〈月天鏡〉で見ようとしたのは、〈まほろば〉の終わらせ方。そしたら、鏡はこう伝えた。『
「……だから、〈黒〉の鬼神官さんが?」
「そう。君と斎八は、僕たちにとって、〈まほろば〉を討つ、運命」
なるほど、納得がいった。それゆえに篝たちは〈月花の神子〉を探し、連れてきたわけで、早めに斎八とも引き合わせたかったのだ。
「そっか……」
納得は、いった。いったのだが、こぼれた伊砂那の声音は力なかった。なぜかは伊砂那自身でもさっぱりわからない。ただ、もやもやと胸の内から燻ぶる喪失感のようなものが、喉のあたりを締めつけてくる。
(なんでだろ……?)
眉を寄せ、首をひねる。そこへ、「伊砂那」と、たった数日で聞き慣れた低く柔らかな声が彼女の名を呼んだ。
はっと沈みかけた視線をあげれば、紅の瞳が微笑んでいる。
赤、真紅――焔の色だ。彼の剣が纏う呪紋様の力も紅蓮の炎。
(……焔の導き……)
黒の者と月の神子を結び合わせる存在。確かに伊砂那は彼によって、〈黒〉の鬼神官に巡り会わせられた。
(それが、運命で……篝は――)
ただの導き手。それだけということだ。
なぜかそれだけの事実が、薬の苦みが喉奥に張り付くいているような、なんともいえない違和となって飲み込めない。
それに気を取られるあまり、篝の話を半ば聞き流してしまった。だがようは、今後の旅に必要な品の買い出しを、未朱と一緒にしてきてほしいと頼まれたようだ。
「ふたりの買い物をしてきてくれてもいいよ。男ばっかで、伊砂那には足りないものがあったりしたかもしれないし」
「わかりました! 篝さま!」
一段高音を刻んだ元気に弾む答えとともに、未朱が伊砂那の手を握りしめる。
そのままあれよあれよと伊砂那は引きずられ、結局、渦巻いた得体のしれない感覚はよく分からないまま、買い物の道連れとなってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます