第29話 祠の先の祭囃子《甲》

 年齢を重ねるたびに、一年の体感時間は短くなっていくという。その法則の名が何であるかはさておき、それは事実なのだと俺は思っていた。

 何しろ外はが吹いているのだ。少し前まで、それこそ十月の上旬ぐらいまでは、夏日だの真夏日だのと言っていたにも関わらず。とはいえ俺は、季節で言えばむしろ秋の方が好きだった。特に今年は警戒アラートなんぞが出るようなとんでもない暑さだったから尚更だ。

 それにしても、こんな暑さが続くのであれば、らも夏休みが好きだなんて言えなくなるだろうな。俺が学校に通っていた時よりも、夏休みの日数自体も短くなっているというし。それもまた時代の流れってやつなんだろう。だけどなんとなく世知辛くもあるよな。


「しっかし、だからと言って急に寒くなる事もないだろうに」


 俺の言葉はびゅうと吹いた風に紛れて掻き消えた。酷暑の面影を引きずっているからなのか、十一月と言えども比較的暖かい日が続いていた。過去形なのは、夕暮れの外がうすら寒く感じているからだ。

 とはいえ、今俺がこうして寒さを感じているのも、俺自身の迂闊さによるものだって事くらい解っている。天気予報のサイトでも冷え込むって書いてあったじゃあないか。それでもまだ上着を出すのが面倒だと思ってそのままにしたのも、今日の気温を確認するのを怠ったのも他ならぬこの俺だ。ついでに言えば、遊びに行ったのに最寄り駅よりも二駅も前でうっかり降りてしまったのも俺自身の仕業だ。電車に乗り直すのも、電車代が勿体ないからって歩いている訳だし。

 しかし、だ。目的地である漫画屋へととぼとぼと歩いていくのも満更悪くないと、俺は思い始めていた。

 繁華街には漫画屋や本屋があるため足しげく通う事のある俺だったが、この駅で降りて散策する事は殆ど無い。繁華街から二キロ足らずだというのに、この界隈では雰囲気がまるで異なるのも興味深かった。繁華街の部分はいかにも都会という空気が強い。しかしこの辺は、むしろ下町と言った雰囲気が強かった。はからずとも俺は、ノスタルジックな気分を味わってもいた。俺自身、平成生まれのアラサーで、世間で言えばまだ若い部類に入る……はずなんだけど。


 だからという訳ではないが、気付けば漫画屋に向かうのではなくて、下町界隈を俺は散策し始めていた。職場への通勤路や日頃の散歩道とは異なる町並みというのは、どうにも知的好奇心をくすぐってやまない。

 それに、何処からともなく笛や鉦の音が聞こえてきたような気もする。祭囃子に似たその音は、下町めいたこの風景に良くマッチしていた。


 気が付くと、俺は袋小路に入り込んでいた。吸い寄せられるようにこの場所に入り込んだのだと思ったのは、ちいさな祠を見つけたためである。

 俺は勿論、その祠をじぃっと覗き込んでいた。木製の、いかにも年季の入った祠であり、全体的な大きさはランドセルほどの小さなものだった。そして、小さいながらも精巧に出来ていて、神社のミニチュアを目の当たりにしているような気分になり始めていた。

 もちろん、祠だから鳥居もないし、神社とは建物としての構造も違うんだけど。

 それに祠を眺めていると、また祭囃子が聞こえてくる気がした。今回は何処から聞こえてくるのかは解る――祠の中からだ。


「ちょっとちょっとお兄さん。祠をじろじろ見つめて何をしてるのさ?」


 蓮っ葉な女の声が背後から聞こえてきて、俺はびくっとしつつも振り返った。先程まで誰もいないと思っていたのに。一体誰だろうか。

 振り返った先にいたのは、確かに若い女だった。むしろ少女と言っても通用しそうな年恰好である。人懐っこそうなたぬき顔であるが、細めた目には抜け目なさそうな雰囲気が漂っている。ショートボブの髪は青みがかった灰色で、腰のあたりからは毛皮の塊のような物がぶら下がっている。よく見たら尻尾だった。灰色と黒の縞模様のある奴だ。


「た、狸……!」

「アタシはアライグマだよ。チンケな犬アライグマ連中と一緒にしないでくれるかい」


 やや腹立たしそうに少女は言い、その言葉に呼応するように縞模様の尻尾が揺れる。アライグマって何だよ。化け猫や化け狸みたいに化けアライグマって事なのか。そもそも妖怪っているのかよ。

 そんな事を思っている間にも、少女は言葉を続けていた。


「お兄さん。まさか祠を壊してやろうだなんて思ってないよね? やめときな。最近変なミームが流行っているみたいだけど、ガチで洒落にならない事になるだろうから。アタシだってそれ位知ってるさ」


 祠を壊すだなんて、そんな物騒で罰当たりなミームが流行ってるのかよ。そっち方面の知識に疎い俺は、半分ほど感心したり呆れたりしていた。

 しかし、祠を壊すために近付いたと思われるのは心外だ。だから首を振って、別の事を口にした。


「いや別に。ただ、祭囃子の音が聞こえたような気がしたから、それで気になっただけですよ」

「ああ、祭囃子かぁ」


 俺の言葉を聞くと、アライグマ少女の表情が一変した。まず顔を綻ばせ、それから少し残念そうな顔つきになったのだ。


「確かにこの町では秋祭りがあったばかりだねぇ。と言っても、そのお祭りも昨夜には終わったみたいだけど。まぁ後の祭りってやつさ」


 そこまで言うと、アライグマ少女はケラケラと笑い出した。自分の言葉がツボにはまったと言わんばかりの笑い方である。というか後の祭りというよりも単純にって事じゃあないのだろうか。なんか後の祭りだと物騒な感じもするし。


「だけどもしかしたら、祠も祭りが終わった事をちと未練に思っていて、それで祭囃子が聞こえてくるのかもしれないねぇ。そうだろう、きっとそうに違いないよ」


 それは確かにそうかもしれない。確証などないであろうに、気付けば俺もアライグマ少女の言葉に頷いていたのだった。

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きまぐれ短編集 斑猫 @hanmyou

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