第28話 根の国のいざない:三題噺#75「門」「こころ」「明暗」
目を覚ました時、涼介は自分が見知らぬ場所にいる事に気付いた。
正面には大きく古ぼけた門扉があり、その向こうに何があるのかは定かではない。それにしても、見知らぬ場所で突っ立っているというのはどういうことなのだろうか。確かに盆休みという事もあり、外へぶらっと出歩いていた気はする。しかしここまで出向いた道中の記憶はさっぱりと抜け落ちていた。
自分のこころの中を探ってみても、一向に答えは見つからない。
「おい、そこの若者よ」
不意に声が聞こえて来た。古ぼけた門扉が喋ったのか。トンチキな考えが首をもたげたが、もちろんそんな訳ではない。
門扉の前には、一人の子供が佇んでいたのだ。パッと見た感じでは中学生かそれより年下という感じだった。ひどく中性的で、その子は男児にも女児にも見えた。それよりも、妙にひらひらとした、着物とも洋服ともつかないその子の衣裳が印象的だった。
子供は涼介と目が合うと、にっこりと笑みを深めた。その笑みは少年少女のそれとは言い難かった。老獪で、そして底知れぬ得体の知れなさを伴っていたのだ。
「お前さんは運のいい若者だぞ。何せ現世に生きる有象無象の中から、他ならぬこの私が見出したのだからなぁ」
「はぁ……」
得意げに語る子供に対し、涼介は生返事で応じる他なかった。何やら妙な事を言っているようだが、涼介は子供の言葉を全て理解したわけでは無い。半ば聞き流してもいた。
そんな態度に気付かれたのだろう。子供はあからさまにむくれ、ご丁寧に一度地団太を踏んだ。
「何だ何だ。根の国の使者にして常世神としても有名なこの私を前にして、何とも冴えない反応だな。まぁあれか。暑さで脳味噌が茹っちまったのかい?」
暑さで脳味噌が茹る。トコヨカミと名乗る子供の言葉に、涼介の瞼がピクリと動いた。そう言えば、ずっと暑い所にいたような気がする。そしてここも暑いような気がするが、詳しい事はよく解らない。汗をかいている訳でもない。
ぼんやりとしている涼介に対し、子供は半歩ほど前進した。右手を差し出しながら。
「まぁ良い。私の手を取り給え。先に言った通り、私は根の国から来る神だぞ。使い切れぬ富と永遠の生命――望めばそれを与える事も、やぶさかではない」
何言ってんだこいつ。涼介ははじめ、そう思っていた気がした。そりゃあそうだ。訳の判らない子供が現れて神だと名乗り、あまつさえ富と永遠の命を与えるなどと言い出したのだから。
しかし――熱に浮かされたかのような涼介の頭は、トコヨカミとやらの申し出を受けるのもやぶさかではないと思い始めていたのだ。
ああだから、気付けば涼介も歩み寄っていた。子供の姿をした、神を名乗る奇妙な存在に。
涼介は、もはやためらいなく、その子の手を取ろうとしていた。
「ギュギィッ、ギギギギッ!」
奇妙な啼き声と共に、涼介と子供の間に何かが割って入って来た。
涼介の瞳が、驚きで大きく見開かれる。予期せぬ闖入者に驚いた事もあるが、それ以上に闖入者の正体に驚いていた。
闖入者はチーコという。黄色いメスのセキセイインコだ。だがチーコは――二年前に老衰で世を去っていたはずだ。朦朧とした意識だったのに、何故か涼介はその事だけは覚えていた。
「おい、畜生、一体何をするんだ」
どうやらチーコは子供の指に噛み付いているらしい。四十グラム程度と言えども、セキセイインコが本気で噛めば痛い事は涼介も知っている。
しかし、チーコと子供の奮闘は涼介にははっきりと見えなかった。何故か霞が掛かったかのように視界が定まらないからだ。
その霞が晴れた時には、既に子供の姿は無かった。大きなアゲハチョウがひらひらと飛び、地面の上でチーコがふんぞり返っているだけだった。
飼い鳥だったセキセイインコの、つぶらな瞳を見つめているうちに、涼介の意識が遠のいていく。
※
ねっとりとした羽毛布団にくるまった状態で、涼介は目を覚ました。全身汗だくで、明暗の入り混じる室内は暑く湿った空気に包まれていた。
手許の目覚まし時計は、午前四時半を指している。涼介はそこで、奇妙な夢を見ていたのだと気付いたのだった。
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