寝所にて

 昼間大立ち回りをしたユージェニーは、戦闘後大慌てで船に乗せられ、屋敷へと連行された後すぐさま入念な治療を受けた。そして、誰かが言ったか、魔の物を討伐したことが漏れたらしく、治療中にも関わらず屋敷に押し寄せる領民の大歓声と宴の声を聞かされる羽目になった。

 「私もお祭り騒ぎに参加したい」「しばらくは寝ていてください」とすったもんだがあったのはご愛敬。

 結局、彼女が侍女たちにベッドに寝転ばされたら、今まで麻痺していて感じていなかったとてつもない痛みが襲い掛かり、ユージェニーはすぐさま昏倒してしまうのだった。

 そして、夜、自然と目が覚めたユージェニーは窓から見える星空を眺めていた。

 その内、部屋にノック音が響き、一人の女性が入ってきた。ベッドから首だけを上げたユージェニーは、扉の前に立つ白い仮面を付けたアンリの事を見た。


「あっ、おかえり」

「……」


 ただいまとは返さず無言でアンリは部屋に入って来て、そのまま寝間着へと着替え始める。ユージェニーが彼女の白い背中を眺めていると、やがて薄い布にそれが覆われ、彼女はベッドへと近寄りその小さな腰を下ろした。

 数秒沈黙があって、アンリが声を発する。


「魔の物の処理は私が責任をもって行いました」


 きっぱりとそう言い切った彼女に、ユージェニーは居心地の悪いものを感じながら口を開いた。


「怒ってます?」

「怒ってます!」


 アンリが振り返り、ベッドに横たわる左腕に添木と包帯を巻いたユージェニーへと怒鳴る。

 怒鳴られたユージェニーはどう言葉を重ねても駄目だなと直感し、それからここまで心配させたかと反省する。

 気まずいけれど、どこか暖かい静寂が暫く続き、アンリがおもむろに白い仮面を外し、ベッドサイドテーブルへとそれを置いた。

 アンリが仮面を外した事にユージェニーは目を丸くさせ、彼女のことを見上げる。アンリはやはりハンスとは打って変わって釣り目の美しい人で、銀色の髪と瞳を持っていた。

 草原では見ない色だな、とユージェニーが思っていると、アンリがベッドにさらに深く腰かけ、ユージェニーの体の傍に手を置いて少し重心を彼女に向けた。


「シフ、という呼び名は何なのですか?」

「あー……ええっと……」


 どう説明した物かとユージェニーは考える。草原の国の独特の言い回しであり、該当する王国の言葉が思いつかなかった。結局、彼女はその『シフ』と言う呼び名に含まれている意味を列挙することにした。


「勇気ある人、立ち向かう人、困難を打破する人、炎そのもの、そんな感じの意味がある称号?名前?みたいなもの」

「勇者、英雄、に当たる言葉ですか?」

「大体はそんなところだけど……氏族の長を任せられる人みたいな意味も含まれてるかな。故郷でも色々やってたからね。そう呼ばれるようになったんだ」


 アンリは懐かしむような表情のユージェニーに目を細める。そして、名前と言えばとアンリは僅かに考えるそぶりを見せながら口を開く。


「そう言えば、ユージニアと言う名前もこちら風ですよね」

「はやい段階でこちらに嫁ぐことが決まったから、そう名乗ることにしたんだよ。それから……一応、ユージェニー……なんだけど」

「Eugeniaでユージェニー?」


 目を丸くさせるアンリと、バツの悪そうな表情のユージェニー。


「……はいそうです」


 今まで仮面で見えていなかったけれど、アンリは表情がはっきり出る人なんだと、ユージェニーは初めて知った。それから、ハンスも一瞬似た雰囲気の驚いた表情をしていたなと、思い出す。


「おかしいんだ」


 そう言って笑い声を上げるアンリ。一方の笑われている側がいたたまれずに窓の外へと視線を外しながらため息をついている間に、彼女はベッドに寝転がる。そして、自分の枕に頭を預けながらユージェニーの方を向いた。


「シフ、も後から付けられた名前ですよね?」

「うん」

「じゃあ、本名は?」


 アンリのその質問にユージェニーはややあって、横を向き銀色の瞳と目を合わせた。


「レイヴァ」

「意味は?」

「黒いおおとり。家族しか呼ばない名前だけどね」

「黒い鳳――レイヴァ」


 アンリは目を瞑ってその名前を口の中で転がし、少し黙る。

 不謹慎かもしれないけれど、アンリは兄が知らない、兄の妻の本名を知れたことに優越感を抱いていた。そして、そんな彼女が隣で息をしている事にも。

 そう、彼女の体温がそこにあるのだ。


「本当に、本当に生きていて、良かった……」


 アンリはそう言いながらレイヴァの右手とって、指先でなぞった。一方のレイヴァは、こちらを安堵の表情で見つめてくるアンリに申し訳なさそうに微笑み、そのまま何も言えずに彼女の肩まで布団をかけた。


「おやすみ」

「……おやすみなさい」


 アンリは今日は誤魔化されてあげようと目を瞑る。

 すると、いつもの匂いがした。

 香しいような、息がつまるような、灰と煙の匂い。詩的に表現するなら、火の匂い。

 最初は違和感があったこの匂いも、いつの間にか嗅ぎ慣れてしまった。今はむしろ安心する匂いだとさえ思った。この匂いも兄は知らないのだ。

 何だか、兄が死んだときのような寂しさがこみあげてきて、それを誤魔化すために努めて隣の体温と匂いに集中する。いつか、シフと名付けられた理由も聞けたらいいなと、アンリは思った。

 レイヴァはやがて寝息をたてはじめたアンリに痛むも動く右手を伸ばし、彼女の頬にかかる銀色の髪を払う。指に掛かる髪はきめ細かく、指先に感じる肌の滑らかな感触に、「不思議だ」と呟いた。

 結婚するかと思いきや婚約者は死んでいて、そしたら婚約者の妹が付いてきて。領地を運営するかと思ったら、魔の物を退治する羽目になり、最後はこうしてアンリと共に寝ている。


「ま、いいか」


 レイヴァはアンリのことを片腕で抱き寄せた。彼女はどこか蜂蜜のような花のような甘い香りがした。



 その夜

 レイヴァは夢を見た

 故郷の草原の夢を

 どこまでも続く緑と青空

 それから、足元に一輪の花

 小川は無い

 ただ、向こうの丘にハンスがいた

 垂れ目の彼の顔は見えなかった

 けれど、笑ってるような気がした


「まだまだ、そっちには行けないですよ」


 また、忙しくも楽しい明日が来る。

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婚約者が死んだのに、結婚するってどういうことですか? ATライカ @aigistemeraire

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