第3話 勘違い女vs.勘違い男




   ◇◇◇◇◇



 ――○○線 車内




「「…………」」



 ガタンッゴトンッ、ガタンッゴトンッ……




 今日も今日とて、隣にはハーフ系S級美女。



 いつもはライトノベルしか読まない俺ではあるが、見た目通りのオタクと思われるのも心許ない。


 本日用意した、俺の“内容が入ってこない本”は太宰の「人間失格」。純文学とか読むんだぜ?と幽霊に中2を発揮するくらいには、俺はこの美少女幽霊に見栄を張っている。


(……それにしても、太宰の本って、たいがいレイプされるよな……)


 いや、純文学の“じゅ”の字も知らない俺に批評されたくないのはわかってはいるんだが……。ってか、内容なんてほぼほぼ入っては来ないんだが……。



「「…………」」



 今日の幽霊は何やらソワソワしている。

 理由なんてもちろん知らないが、隙を見せれば電車内でも話しかけて来そうな雰囲気を醸し出している。


 読書のフリをしているうちは、話してこないのは知っているが……、



『なぁああらあ!!!!』



 奇声を上げながら全裸で走り回っているおっさん幽霊に一言いいたい。



(「1人進撃の○人」してんじゃねぇ!!)



 ツッコミは御法度だ。

 そもそも、視線を向けるのも御法度。


 でも、視界の端で行ったり来たりしている全裸のオッサンには、心の中でくらいツッコませてほしい。……電車の通路にぶら下がっている広告を見つめながら、全力でツッコミ事くらいは許して欲しいのだ。



「……あ、あの清明(セイメイ)君。昨日、お菓子を作ったんですけど……」



 本から視線を外した途端にコレだ。

 反射的に(清明(セイメイ)じゃねぇわ!)とツッコミそうになる。


 俺は相変わらず、ユニークスキル《完全無視》を発動させ、一心不乱に通路に垂れ下がっている広告を見つめる。



「……えっと、清明君……。よかったら貰ってくれれば」

「…………」

「あ、いや、なんでもないです」

「…………」

「も、もっと練習しますね!」

「…………」

「今回はちょっと失敗しちゃったかな……うん。よかったです! 次は完璧に美味しいの作りますね?」

「……」



 美女幽霊はグッと拳を作っているような雰囲気を出したが、俺は読書に戻ったフリをしながら打ち震えていた。



(……可愛いかよ、クソッ!! もう好きだ、バカ!! いい加減にしてくれよ! どうすんのよ、ガチ惚れしたら!! なんてタチの悪い幽霊だよ!!)



 美女の手作りお菓子とか、致死量だろ。

 生まれてこの方、そんなもんは貰った事がない。


 無理矢理にでも差し出されて、フラフラと手を伸ばしたらスカッ……。「やっとこちらを見ましたねぇ〜」なんて悪霊になったら、失禁する事しかできない自信がある。


 可愛いからこその落差はキツい。

 全神経を研ぎ澄ませて、彼女を完全無視し続ける必要があるのだ。



「……『人間失格』って有名ですよね……? 私も読もうかな……なんて……」


「…………」

(もうすでに『人間失格』だろ!? なんて高度なブラックジョークを挟んで来やがる!?)


「でも、なんだか難しそう……」


「…………」

(……ヒィイィイイイ!! 寄るな! よ、寄るな……あっ、いい匂い……、って、い、いい匂いじゃねええ! 俺!! 意識を保てクソ!!)


「あっ。ごめんなさい……。えへへっ……」


(か、か、可愛いかよ! クッソ!! いや、マジでクソ可愛い!! なんだよ、天使かよ! 女神かよ! いや、死神だよな! 怖すぎるんだよ、お前!!)



 女幽霊はご機嫌そうに「ふぅんふふん」と俺にしか聞こえない声で鼻歌を始めた。


(………え、マジ……?)


 最近、流行っているバンドの歌だとはわかったが、そのあまりの音痴さに胸がキュンキュンして仕方がない。

 上手いなら上手いで、それはキュンキュンしてたんだろうが、ここでまさかの「音痴かよギャップ」に俺は白目だった。



 ガタンッゴトンッ、ガタンッゴトンッ……



 電車の音に合わせて紡がれる、


「ふんふぅーん、ふふん、ふん……」


 小さな声の音痴(ハーモニー)に本を握る手が震える。


 ……もうマジで勘弁してくれよ。

 まさか高校3年間、“コレ”は続くのか?

 いやいや、1年続けば「結婚してくれ」のレベルだぞ。

 

 誰か助け……あっ。



 ――ウチが見に行ったげるよ!



 昨日、唯一の友達である真紘(まひろ)に「そろそろ憑かれそうだ」と相談したら、その双子の妹にして女幽霊の千紘(ちひろ)が嬉々として声を上げたのを思い出した。


 案の定現れなかったし、期待もなにもしていなかったが、1ヶ月も続けば第三者の意見を聞きたい……って、これが幽霊じゃなければ、それはそれで怖すぎるが……。


 この1ヶ月、完全無視を続けられているのに、ご機嫌に鼻歌なんて完璧なメンヘラ確定だ。俺が失礼すぎるとかは置いておいても、嬉々として根暗でヒョロガリのオタク男子の隣に座ってくる理由なんて皆無だ。


 この幽霊が生者だとしたら、詐欺か、宗教か……。そんなカモに見えたという事だろう……。随分と舐めてくれる。




 ――△△駅〜。△△駅〜……。お出口は……



 最寄り駅に着くと、入り口の前で汗だくになりながら反復横跳びをしているサラリーマン幽霊が立ち塞がる。安定のスルーを決め込み、もう一つの出入り口へと足を進める俺だが……、



 チョコんッ……



「清明君……? 降りないんですか?」



 俺は美女幽霊に制服の裾を掴まれ、すぐにパッと離される。



 ゾワゾワゾワッ……!!



(さ、触れるタイプの方ですかッ!?!?)



 ここで狼狽えてはいけない。

 触られた事に気づいてはいけない。

 認識しては絶対にいけない……!!


 俺は両腕に装備している数珠に祈る。



(ナム南無ナァアム!!)



 背中にはひんやりとした汗。

 夏だからって冷房効きすぎだぞ、このぉ……。


 とか言いつつ、


(ナムナムナムナムナァアム!!)



 俺は両腕の数珠に俺の未来を託す。

 祖母が力を込めている魔除けの数珠に……。



「…………あっ。間違えた……こっちか……」



 (教えてやったのに、無視しやがったな?)なんて美女幽霊に逆恨みされたら完璧に詰むと考えた俺は、白々しく小さな声で呟き、反復横跳びの道が空いたタイミングに合わせて電車を降りた。


 そのついでに、(さっさと成仏しろ、このイカレやろう!)と反復ヤロウに悪態を吐いていると、後ろから絶望の狼煙が上がる。



「……ふ、ふふふふふっ……。か、可愛いです。……あっ。私も降りなきゃ……」


(ヒィイイイイイイイ!!!! やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やっばい!! 怖い、怖い、怖い、怖い……!!)


 振り返るわけにはいかない俺は、ジワァっと涙を浮かべる。「ふふふふふ」なんて、姿が見えていなければ邪悪な魔女の囁きと同義。


(か、完璧に認識されちゃってませんか!? 完全に見えるのバレてませんか!? 触ってくるのは反則ですよね、そうですよねぇえ!?)


 俺は誰に言うでもなく嘆きに嘆く。



「あっ。待ってください。清明(セイメイ)君!」


(待てるか、ばぁか! やばいやばいやばい!)


「ふふっ、ちゃんと寝てますか? 読書ばかりしててはダメですよ? 身体が資本ですからね!」


(今日は寝れません! 今、はっきりとわかりました。み、見えてません。許してください。勘弁してください! あなたのせいで、身体が壊れますぅ!!)


 俺はいつもより早歩きで改札を抜け、高校への道を急いだ。トコトコトコと小走りで俺の隣に並んだ美女幽霊は、


「ふぅ……、清明君は足が長いので歩くの早いですね? ついていくのでやっとです」


 困ったように小首をかしげる。

 一心不乱に前だけを見つめる俺は、やっぱり心の中で絶叫した。



(ばっ、バカ可愛いかよ、クソォオォオ!!)





    ※※※※※




 清明(きよあき)を見送ったエリーは「ふふんふぅん」とまた音痴な鼻歌を口ずさみながら、弓道部の部室へと急いだ。



「……ふふっ。今日、初めて話してくれた!」



 清明の「あっ。間違えた」という独り言が自分に向けられた言葉だと勘違いし、あまりの嬉しさに笑ってしまったエリー。


「明日もお話ししてくれるかな……?」


 ニッコニコと上機嫌に前の学校の制服を脱ぎ、弓道着に着替える。もちろん、「ふふんふん」という音痴な鼻歌を歌っていた。








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