第6話 婚前交渉編III(2)




「気になりますか? まあ簡単に言うと、対価と引き換えにたいていの願い事なら叶えてくれる『お賽銭箱』です。その『箱』が求める対価は、『願い事に関する記憶や感情』……そうしたものを得ていた結果、意思を持つに至った訳ですね。要するに、AIがヒトの感情を学習したようなものです」


 異世界人は存外、こちらの世界の流行について詳しいようだ。それもそうか、と今さらながら満弦みつるは思う。なにせ、自分の小説の原稿をプリントしてきたくらいだ。


 聞けば、〈分別〉されたのは数十年前とのことで、そこまで「異世界み」は強くないようだ。

 彼の住む『世界』にはパソコンやスマホ、インターネットこそないものの、電気は通っているし車やワープロといった近代的なものは一通り揃っているらしい。こちらの世界から物資を持ち込んでくる『商人』のような人々もいて、そのためテレビやラジオも機器自体もあるところにはあるが、放送局などの設備がないためそこまで普及はしていないという。

 

 一方で『意思持つ願望器』などと、満弦の心をくすぐるようなワードが出てくるものだから、いまいち世界観が掴めないところである。それはある意味で夢を見られるということで、空想の余地が生まれる訳だが、時折突きつけられる「現実感」と理想との落差には注意したいところだ。


「まあ、そちらは行方が特定できており、直属の担当者がいるので、私に話が回ってくることはないでしょうね。私の当面の問題は、こちらに流出したと思しき『魔述書まじゅつしょ』です。魔を述べると書いて、魔述の書です」


 まじゅつしょ。口にしづらい単語だ。『魔術』の扱いについて記した書物ではなく、"『魔術』に関する出来事"に関しての記録であるらしい。


「単にあちらからわたってきただけのものであれば、仮に魔力を宿していても、まあこちらにはそれを扱える人間がいませんからね、大して問題視はされません。『魔術書』ともなれば、そもそも解読できないでしょうから。しかし、時にこちらからあちらへ、そしてまたあちらから戻ってきた『逆輸入品』ともいうべき代物が存在します」


 そもそもこちらで書かれたものだから、判読できるのは分かる。だけど、それが魔力を宿したからといって、どうなるのだろう。『魔述書』とは聞く限りだと「日記」みたいなもののようだが、先の「傷薬」の話と違い、これといった問題があるようには思えない。


「『ある朝、鏡を見るとそこに妖精が映っていた』……といった文章の書かれた日記も、それが魔力を帯びれば『魔術書』になるのです」


 これこれこのようにすれば、このような魔術が使える……そういったことを文章として記述し、広く人々に扱えるよう体系化するために書かれるのが『魔術書』だ。

 一方、これこれこのようにした結果、このようなことが起こった……そうした体験を記録しただけの「日記」も、そもそもつくられた意図こそ違うが、やっていることは同じことである、と。そうした理屈らしい。


「その日記に書かれた通りの行動をこなすと、それが実現、再現されるといった……ある種の儀式にしてしまう訳です。この場合で言えば、『妖精』を召喚する儀式といったところですね。これがただの妄想、ただの創作であれば、そもそもあちらへわたることもありません。ですが……」


 時に、事実としてそれを目撃したという記録が、それが微に入り細を穿ち、鮮明に当時の状況を記述したものであれば……。


「"的を射た文章であれば"――それを回収しようとする『妖精』、〈回収者リコレクター〉が現れます。まあ、『妖精』にとっての、いわゆるスキャンダル記事のようなものですからね。自分たちの失敗談をまとめた目撃報告書をこちらの世界から消そうとする。……そうやって回収されたものが、私のいたような〈分別世界〉に保管される訳です。連中は自分たちでは管理しきれないのでね」


 で、それがなぜか流出した、と。


「……いうことですね、はい。正確には、何者かの手によって持ち出された――」


 胡太楼こたろうはこほん、とわざとらしく咳払いを挟む。


「まあ、事件性はともかく、私に与えられた大きな課題はその〈日記〉の回収である、と。こちらでのトラブル解決はそのついで、ということになりますが……同じく〈日記〉を回収しようとしている『妖精』がこちらに出張ってきて、何か悪さをするかもしれない。『妖精』っていうのはそういう厄介なものでしてね、本来の目的を忘れで悪ふざけしがちなんです。私の立場としては、連中の尻拭いもまた仕事のうちになります」


 はあ、とこちらは本気っぽいため息。


 どうやら『妖精』というものは、意思を持ち言葉も通じるそうだが、ほとんど災害と変わらない「自然」に近い存在であるらしい。


 一方、満弦は想う。


(……本当にそんな〈日記〉があるんだ)


 自分が生きるこの〈神秘〉の薄れたリアルな世界で、『妖精』なるファンタジーな存在を目撃した例がある、ということ。


 そして、あるいは――


(……この人といれば、私も……?)


 目撃どころか、いずれ『異世界』にわたることも――


「『妖精』を見てみたいですか?」


 と、やはり口にするまでもなく、胡太楼は満弦の胸中を言い当てる。


「一括りに『妖精』といってもいろいろあるんですが――あまり良いものではないんですけどね……『妖精』も、"そういう感情"も」


「……?」


「見てみたい、会いたい、そういう風に思わせる〈魔力〉が『妖精』の存在にはあるんです。人の心を奪う、虜にするといったような……。時にその〈魔力〉に囚われた人間がトラブルに見舞われる。そして万が一にも『妖精』に関わってしまった場合……『妖精』は証拠の隠滅を図ります」


 この世界には〈神秘〉が薄い。その存在がほとんどないから。

 一方、薄いからこそ価値が高まるという『〈神秘の相対性〉』とでも言うべき理屈があり、『妖精』のような"〈神秘〉そのもの"である存在は、秘されることでその存在を保つ。


「つまり、知られては困る。『異世界』であれば人目につこうが構わないのですが、こちらでは見つかることが『妖精』にとって致命的になる場合もあるのです」


 ……言い換えるなら、この世界はもう、『妖精』が生きていける環境ではない。


「そこで連中は時に、自分たちと関わった人間を『異世界』へと誘う。いわゆる『神隠し』と呼ばれる現象がそれです。……タチが悪いのは、『妖精』って連中は、自分の方から人間に絡んでいく、ということですね。飛んで火にいるなんとやら、というやつですよ」


 まるで当たり屋だと他人事のように思っていた満弦だが、そこでふと、


「そうです。恐らくこの『尾代おしろ胡太楼』もそうした『神隠し』の犠牲者ですね」


 ……疑問を浮かべた瞬間に、それが言い当てられる。あまり心地よい感覚ではないが――言葉にせずとも伝わり、それで会話が成立しているという現状は、満弦にとっては少し気が楽で、逆に落ち着くものがある。


「……、」


 そこで胡太楼は、ふっと息を吐いてから、


「私がこの街、この市を拠点に選んだのは、そうした『事件』がいくつか確認されているためです。『妖精』の匂い、痕跡、俗に〈妖精の尾フェアリーテール〉と呼ばれるものです」


 ……『妖精』のいた証、『妖精』の起こした事件トラブル――即ち、御伽噺フェアリーテイルのような出来事。


「そうすると、都合の良い『空席』も見つかり、貴女という協力者も見つかった」


 ……協力者。いつの間にかそんな認識をされていることが多少引っかかったが、悪くはない。協力できる自信はないが。


「つまり、そういう運命だったということなんでしょう」


「…………」


 ……「運命」という言葉は、嫌いだ。


 そういう運命だった、と――すべてが予め決められていたかのようで。

 その「予定」の前には、あらゆる努力が無に等しく、そこに自分の意思など関係ないかのようで。


 それはまるで、私の人生これまでが否定されるような気がするから。


 この現実世界は、物語ファンタジーのようにはいかないと分かっているから――


 ……〈神秘〉を操る『魔法使い』を名乗る人物の言葉は、特別胸に響いた。



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