第5話 婚前交渉編III(1)




 才能や運命なんて言葉は嫌いだけど――


「『魔法』には才能が要ります。ですが、『魔術』は技術体系化された、万人が使えるものです。もちろん学習や練習は必要ですし、得手不得手というものはありますが。貴女がそれを望むなら、私が手解きすることも出来ますよ。……もちろん、結婚が前提の話ではありますがね?」


 まるで悪魔の誘惑だった。話を聞けば聞くほどに胡散臭く思えてくる人物だった。しかし、その提案は実に魅力的で、この上なく満弦みつるにとって都合の良い話だったのだ。


「まあ、今すぐこの場で決めろ、とは言いません。さすがに出会ったその日に婚姻届を出すのも不自然ですからね。交際期間を設けましょうか。……結果的に破談になったとしても、安心してください。記憶を消すので」


 しれっと恐ろしいことを言われたが、それは裏を返せば、「どうせ記憶を消せるので、なんでも話せる」という意思表示でもある。

 そして、ファンタジーの世界に触れてそれが気に食わなかったり性に合わないと感じたら、そこから手を引くことも出来る、という意味も含んでいるのだろう。


 要するに、「お試し」で付き合ってみないか、という提案なのだった。


「あぁ、もちろん……あえて言うまでもないとは思いますが、他言は厳禁でお願いしますね?」


 胡散臭さは拭えないものの、尾代おしろ胡太楼こたろうという人物はどこまでも誠実だったと満弦は思う。話しているうちに……というか、むこうの話を聞いているうちに、だいぶ緊張も解れ、リラックスして相対することも出来た。

 結婚する、という話はまだ想像できないが、仮にそうなっても現在の状態とさしたる違いはないように感じられた。


 これなら、大丈夫かもしれない。人見知りで引きこもりな私でも、付き合っていけるかもしれない。打算ビジネスのための付き合いというのはロマンの欠片もないけれど……。


 少なくとも、両親に良い報告が出来る。実際、満弦の報告を受けた両親は安堵し、喜んでいた。どんな人だったかなどと訊ねられるのはやや返事に困ったが、「悪い人ではない」ことだけははっきり告げられた。


 ただ、一点。事前に聞いていなかった重大事項があって、


「実は私、娘がいるんですよ。あ、いや、実の娘ではなくてですね?」


 この問題を伝えても、両親は果たして彼を受け入れてくれるだろうか。


 ……なんでも、失踪した『尾代胡太楼』の娘で、先日、その子の面倒を見ていた祖母が亡くなったため、胡太楼が引き取ることになった。というか、既に一緒に暮らしているし、なんならその『尾代胡太楼』の実家が彼の現在の活動拠点であるらしい。


 いろいろと突っ込みたいところはあったが……背に腹は代えられないというか、なんというか。


「娘の名前は『来実くるみ』ちゃんと言います。小学生です。一度、会ってもらえませんか」


 そんな訳で……満弦としてはお見合いの翌日でも良かったが、あちらは公務員、子どもは小学生、時間がとれるのは休日くらいのもので、お見合いのあったその週末、満弦は問題の娘と対面することになったのである。


 つまりは彼の実家にご挨拶という、いろんな過程をすっ飛ばした展開なのだった。


 そんなこともあって……近所のコンビニくらいまで出歩くことはあっても、着飾って隣町まで、というのは満弦の人生としては滅多にないことで、両親は満弦以上にひどく心配していたが、件のお見合い相手自ら出迎えに来たことでいろいろと察してくれたようだった。


 とはいえ、休日のお外である。いろんな人が周囲を行き交う環境に満弦は息をしているだけでつらくなってくる。おまけに、隣には休日であるにもかかわらず前回と同じスーツ姿で、その服装にはそぐわないような奇妙な髪色をした異世界人男性までいるのだ。加えて、彼は人目を避けようとするように大きめの日傘をさしていた。悪目立ちしたくないと言いながら、これでは注目の的になりかねない。


 しかし、そんな満弦の心配とは裏腹に、不思議と周囲からの視線は感じなかった。いわゆる「相合傘状態」の男女が歩いているのに、誰も二度見などしてこない。

 お外ってそういうものなのかな、と満弦は納得することにしたが、それはそれとしてやはり人間が多い環境というものは慣れないし、今のこの「相合傘状態」にも若干の緊張がある。隣を歩くと、自分より拳ふたつぶんくらい背の高い彼の存在を意識してしまう。私は今、知り合って間もない男性と休日に出かけているのだ、と。

 けれども距離をとるのも気が引けるし、何より、隣を歩く胡太楼がこちらの歩調に合わせているため、自然と満弦は彼の持つ傘の陰に隠れるかたちとなっていた。


「〈分別世界〉というものは、要するに人々から忘れ去られた〈神秘〉のことです。あるいはムー大陸やアトランティス、ニライカナイといったものも、そうして〈分別〉され、この世界から消え去ったものかもしれません。……私の住む土地は比較的歴史が浅くてですね。大戦前、日本国内にあった外国人居住地がモデルになっています」


 と、満弦の気を紛らせようとするように、胡太楼は彼女が関心を持つ話題を、あるいは重大な世界の秘密であるかもしれない情報を次々と披露する。


「歴史が浅いとはいえ、今では再現できない『大いなる魔法』ですね、世界を切り離すという行為は。ちなみに『切り離す』というのは喩えであってですね、実際にその土地をこの国から削り取った訳ではありません。複写、コピーした、といったニュアンスになりますかね。当時あったいくつかの外国人居住地、その『領域という情報』を写し取り、別の位相に移した。これが単純なコピーでないのは、その『外国人居住地があったという情報』がこちらの世界から失われたためです」


 近隣の人々の記憶に『近くに外国人が住んでいた』『外国人の友達がいた』程度の記憶は残るし、書類などにもさまざまな記録が残る訳だが、時は大戦前。つまりほとんどの『証拠』は戦火の中に消えていったのである。


 そうやってこの世界から〈神秘〉は薄れていった。そうすることで魔法使いたちは一般人からの差別や迫害を逃れ、戦争や災害といったトラブルから自分たちを守ることにしたのだという。


「いわゆる『あの世』と呼ばれる領域も〈分別世界〉の一種ですが、同じ〈分別〉された世界だからといって、必ずしも繋がりがある訳ではありません。それこそ『神』などがいるであろう領域は〈隔理世かくりよ〉と呼ばれ、明確に区別されます。我々からしても、実在するかどうか疑うような領域ですね」


 行き来できる異世界と、そうでない異世界がある。〈分別〉されて日が浅いほど濃い繋がりを持つが、かといって誰でも自由に行き来できるかといえば、そういう訳でもないらしい。


「特別な設備や能力が必要です。私もあちらに帰るには相応の手続きを踏む必要がある訳ですね。というのも、まああえて言うまでもないでしょうが、空港などに税関等があるのと同じ理屈です。……真面目な話、あちらでは市販品に過ぎないような傷薬が、こちらにわたると『不死を授ける万能薬』に化ける恐れもあるんですよ」


 この世界は〈神秘〉が薄いから、より〈神秘〉の濃い世界のアイテムは相対的に強力な〈神秘〉をまとうことになる……分かるようで、いまいち理解しがたい話だ。


 しかし同じ「いまいち理解しがたい話」でも、たとえば数学や政治の話より、こうした話題は聞いているだけで心が躍るようだ。

 満弦は声も発しないし表情も乏しいため他者からそういう内心は窺い知れないものの、胡太楼には伝わっているようだった。彼の口元が微かに緩む。


「私の仕事はですね、そういう『異法いほうの品』に関するものです。最近、どうもあちらからこちらにものが流れているようで。偶発的な出来事が重なっただけ、という見方も出来ますがね、お偉方はちょっと危惧していて、私のような下っ端が派遣される訳です」


 下っ端。聞けば聞くほどファンタジーらしさが失われていく異世界人事情である。


「有名な話だと、『意思持つ願望器』がこちらにわたった件ですかね。そちらはひとまず問題なさそうなんですが」


 ……冷静になった満弦のテンションが再び跳ね上がった。



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