第4話 婚前交渉編II(2)




「簡単な魔法です。正確には、『魔術』ですけどね。あちらとこちらを繋げた……あちらの鏡が映す光景をこちらに写した訳です。本来映し出すべきものを他に移した、と言い換えることも出来るでしょう」


 にわかには、信じられない話だった。満弦みつるの中の冷静な部分が、理性的で現実的な部分が、今目の前で起こったことに難癖をつけようとしている。


 だけどその一方、満弦の中の大部分はといえば、これまで培ってきた常識や知識を無視して、素直に彼の言葉を受け入れようとしていた。疑問や驚きではない、純粋な喜びが胸の内に広がっていくのを感じる。


「日本語というのは『音』の同じ言葉が実に多い。そして同じ音、読みを持つ言葉は、どこかで意味が似通っている。『映す』という言葉は、映像を映す、なんらかの像を目に収めるといった意味合いを持つ。かたや、写真などの『写す』はあるものを別のものに写す、コピーするといったようなニュアンスです」


 仮にも文章を扱うものとして、胡太楼こたろうの言いたいことはなんとなくは理解できるのだが、


「そうした意味の似通った言葉を集め、その情報を束ねて強度を増し、そこに立体性を加える。立方による立法にして、律法……望む結果・現象を思考に載せ指向性を持たせ、発声と文脈の奔流をエネルギーとして、事象を発生させる術――即ち、『魔術』です」


「…………」


 茫然と、頭の中が真っ白になって何も考えられない、そんな状態に陥る。


「とまれ、私はこういうことが出来る人間です、という簡単な自己紹介ということです。まあ、すぐには呑み込めないでしょうが、貴女には理解できる下地がある。なので、話を続けますね」


 こくん、と満弦は半ば無自覚に頷いていた。空白の頭に、胡太楼の声が浸透していく。


「私は訳あって、こちら……〈基盤世界〉ではない、いわゆる『異世界』からやってきたものです。異世界とはいえ、貴女の書く小説ほどファンタジーではないですよ?」


 ……軽くバカにされているような気がして、ちょっと頭が冷静になる。


「ほんの数十年ほど前にこちらから分かたれた、まあちょっとした外国のようなものと考えてください。なので私も血筋的には純粋な日本人ではありませんが、日本語に支障はありません。……そうですね、もうちょっと詳しく説明しましょうか。では、質問します。今、貴女の住むこの世界……この現実の世界に、魔法や魔術の類いが見られないのは何故でしょう?」


「…………」


 それは……。分からないけど。


「正解は、そうした〈神秘〉がこの現実から〈分別〉されてしまったから。たとえば『神』なるものがいたとして、その存在がこの世界で観測されないのは、今はこの世界を離れているから。〈分別世界〉……そう私たちは呼んでいます。この世界から切り離され、別の世界となった領域」


 魔法や魔術、その他さまざまなファンタジー・オカルトも同様で、昔は確かに幽霊や妖怪はいたけれど、今はこの世界から離れている――分別され、別の世界のものになっている。


「そのため、こちらの世界は限りなく〈神秘〉が薄まっている訳ですね。魔術が使える人間も、いわゆる幽霊や妖怪同様、別の世界にわたっている、というのも理由の一つ。そして私は、そうした別の世界、つまり異世界からこちらにやってきた訳です」


 ……なぜ?


「端的に言えば、ビジネス。出張ですね」


「……ぇ?」


「〈神秘〉が薄いとはいえ、何かしらの怪奇現象は起こるものでしょう? 心霊映像だとかありますしね。そうした現象によるトラブル、その解決のため私が派遣されてきた、という感じですかね。こちらでは『地域振興課』というお役所仕事、市民のみなさんのなんでも相談室みたいなところに所属してるんですが、『あっち』……異世界でも私は同様の仕事をしていましてね」


 トラブル解決のための、海外出張――


「といった理解でオーケイです。むこうの役所みたいなところが、ちょっと本格的にこっちの世界でも仕事をしよう、と考えたような感じです。そのため、私は試験的に派遣された。長期にわたってこちらの世界に滞在する予定になっています。まあ、もうすでに一年近くいますけどね」


 満弦は無意識に口をあうあう動かしながらも、頭の中ではちゃんと彼の言葉を整理し、自分なりに納得のいくかたちで理解しようとしていた。そうすると、浮かび上がる疑問符がいくつか。


 ……彼が異世界の人間だというなら……。


「さすが、察しが良いですね。この『尾代おしろ胡太楼』という名前ですが、もちろんこの世界での偽名です。私はあちらの生まれなので、当然こちらでの戸籍などはない訳で。なので、ちょうど良い人物の戸籍を利用させてもらっている、という感じです」


 ……え? それって犯罪では?


「そこはうまいこと、差し引きゼロになるよう考えていますとも。この『尾代胡太楼』なる人物は数年前に失踪、もうじき死亡扱いされそうな、ちょうど良い『空席』だった訳です。なので、私が有効利用させてもらった、と。……彼について詳しく知る血縁者もほとんどいないので、問題はありません」


 公務員試験も、私が実力で受かったものなんですよ、と冗談っぽく言う。


 異世界の人間が、この現実世界の人間に成りすましている……。それはちょっとホラーな印象を受けるが、そこはともかく。


「なぜ、お見合いをしたのか、でしょう? それはもちろん……男一人だというのは、世間的に体裁が悪いといいますか、何かと『結婚はしないのか、良い相手はいないのか』と言われますし。悪目立ちするのは避けたいところなんです。それに、なにぶんこちらの世界について熟知している訳でもないですからね、トラブルがあるとマズい。なので、事情をよく知る現地住人にフォローしてもらおう、という魂胆です」


「…………」


 なんというか、あけすけだ。身もふたもない。だけど、それは――


「私がこうしていろいろと打ち明けているのも、そのためです。私は都合の良い相手はいないかと探していた。そんな折、結婚相談所で貴女を紹介された。年齢が近かったからでしょうね。それで貴女について少し調べ、ちょうど良さそうな相手だと、私は運命的なものを感じたのです――」


 あぁ、そうか、これは――


「ビジネスの話をしませんか?」


 この人は私にとって、だいぶ都合の良い相手だ。



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