第2話 婚前交渉編I(2)




(というか……)


 その時、満弦みつるの中でどっと疑念が溢れだした。


 本日は平日である。平日の真っ昼間に、公務員がこんなところに現れるものだろうか?

 思えば『胡太楼こたろう』という名前の「胡」の字は「胡散臭い」の「胡」じゃないか。本当に公務員なのかも怪しくなってきたし、そもそも日本人かどうかも疑わしい見た目をしている。別に国籍にこだわるつもりはないし、実際のところ彼は流暢な日本語で喋っているものの――やっぱりこの髪の色で公務員って無理がないか? 多様性の時代ってこと?


 それ以前に、私みたいな人間とお見合いするっておかしくない?


「まあ、少し落ち着いてください。まずは食事でもしながら」


 顔にでも出ていたのか、内心不安に苛まれていた満弦を諫めるようにそう言って、彼はちらりと襖の方に目をやる。すると静かな足音が近づいてきて、従業員の女性が二人、部屋に入ってくる。

 慣れた手つきで目の前に並べられる料理の数々。待っているあいだに空になっていたコップとピッチャーが回収され、代わりに湯呑みが置かれ、湯気を立てながらお茶が注がれる。途端に喉に渇きを覚えるも、食欲の方は萎えていくような気がした。


 従業員が立ち去り、部屋に再び静けさが戻ってくる。


 彼――尾代おしろ胡太楼がおもむろにスーツの内側に手を入れ、名刺入れを取り出した。一枚の名刺を満弦に差し出す。


 そこには『地域振興課、尾白胡太楼』と……なるほど確かに公務員であるらしい。隣町の市役所にお勤めのようだ。一方、満弦はいわゆるヒキニートであるため、代わりに差し出せるものもなく、名刺を受け取ったままその手を胸の前まで引っ込める。


 ……さっきまでは慣れたつもりでいたのに、今や完全にアウェイだ。今しがた来たばかりの人物にすっかりこの場の空気が支配されてしまっている。……それはそうだ。この店は相手が指定し、彼の名前で予約されているのだから。料金もたぶん、相手持ち。


「遠慮なく、どうぞ、召しあがってください」


 と言いつつ、彼は箸に手を伸ばすでもなく、傍らに置いていた革鞄を手に取った。


「叶乃満弦さん。……満弦さんとお呼びしても?」


「……ぁ、」


 はい、と口にしようとしたが、声が出なかった。こくりと頷いて、慌てて湯呑に手を伸ばす。熱かった。


「実は私、貴女のことを少し調べさせてもらいました」


「……はぇ?」


 変な声が出た。湯呑を取り落としそうになり、結局口を付けることなくテーブルに戻した。相手の顔を直視できず視線を伏せる満弦の目に、彼が鞄から取り出す紙束が映る。なんだそれ、分厚すぎない? と混乱する一方、奇妙な既視感。


「小説家を目指されているそうで。主なジャンルはミステリとファンタジー。かけ離れているようでいて、どちらも現実離れした事柄を扱っているという点では近しいものがありますね」


「――――」


「ところでこちら、満弦さんがネット上に投稿されていた作品をプリントしたものなんですが、」


「ひっ……!?」


 やはりそうか、それは原稿の束……!


「実に楽しく読ませてもらいました。いや、本当に。しかしあれですね、批評などにもありましたが、どうもリアリティに欠けるというか、描写が弱いですね。それから個々のエピソードは面白いものの、全体としての繋がりが感じられないというか」


 ……鬼か?


「でもなかなか良い表現もありまして、特にこのあたり、」


「~~~!?」


 自分でもよく分からない奇声を上げていた。そうでもしなければこのまま朗読でも始めそうな流れだったのである。なにせ、原稿の束にはところどころに付箋が貼られているのだ。


「まあ、冗談はさておき」


 ……冗談? これが社交辞令だとでもいうの?


 心臓がばくばくと音を立てている。顔を上げられない。もらった名刺を握り潰しながら、膝の上で拳を固めて震えている。


 まさかこんなところで、ペンネームを使わず本名でネットに小説を投稿していたことが裏目に出るなんて。自分の本名、字面が好きだからそうしていたのに。知り合いに見られる心配とか人付き合いなさすぎてまったく考えていなかった。


「聞けば、あまりご実家から外出されないそうで。描写にリアリティが欠けると言われるのはそういうところに所以があるんでしょうか」


 喉が渇き、変な汗が滲む。水分を補給しようと、改めて湯呑を手に取る。冷え切った手のひらにちょうど良い温度になっていた。


「一方で心情描写は実に多彩で、評価も高いですね。私個人としても、実に"的を射ている"文章だと思いました。……貴女はリアリティをかたちづくる創造力は足りないながらも、他人を思いやる、他者の気持ちを考えられる想像力はお持ちのようだ」


 ……何者なんだ、この男は?


 相手は一方的に喋っている。だというのに、出てくる言葉はこちらの情報ばかりで、この男に関する話は一切出てこない。

 どうにも掴みどころがないというか、テーブルを挟んですぐ、手の届く距離にいるにもかかわらず、アクリル板か何かで隔てられているかのような……。


「申し遅れました、」


 不自然な文脈の言葉に思わず顔を上げると、目が合った。


「私、実は『異世界』から来た〈魔述士まじゅつし〉――〈公証人トレーダーでして」


 ……はい?


「いわゆる、『魔法使い』というものです」


 リアリティがないのはどっちだ! ……と、言いたかった。


 しかし満弦は声を上げる代わりに腰を上げていて、思わずそうしてしまったはいいが言うべき言葉が出てこずに立ち尽くす。脚が痺れているのもあって、中腰の姿勢のままヘタに動けなかった。


「あ、トイレですか? どうぞ、行ってきてください。だいぶ待たせてしまったみたいで、その間に結構飲まれていたみたいですし。空っぽだったじゃないですか、さっきのピッチャー。仲居さんも驚いてましたよ」


「……!」


 どうしようもなく図星で、恥ずかしさから逃げ出すように満弦はその部屋を飛び出した。転びそうになりながら、みっともない格好で。


 ……正直、もう戻ってこれる気がしなかった。



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