ラスト・ロスト・フェアリーテイル ~本を買うために本を書きたい人生でした~
人生
第1話 婚前交渉編I(1)
正しい意志を持って進むなら、自ずとその道は正しい答えへと繋がっている。
つまりは、そういう
――ワズロウ・ヴェンツェールの言葉
25歳になったら小説家になる夢を諦め、結婚(というか、まずは婚活)する――
それが
25といえば四捨五入すれば30だ。女の盛りともいえるその年齢を過ぎれば、婚期は遠のく一方。孫の顔を見たい両親との値引き交渉のような話し合いの末、決まったのが25歳。その歳までに結果を出せなければ、結婚する。しかしそれまではこちらの夢を応援する……とまではいかずとも、少なくとも口は挟まない。そういう契約である。
……家庭環境、つまり両親には恵まれていた方だと思う。中学で不登校、高校は通信教育……そんな人見知りで引きこもりな娘のわがままを叶えてくれたのだから。しかし生憎と、夢を叶える才能までは恵んではくれなかったようだ。
……才能だとか運命だとか、そういう言葉は嫌いだけれども、そうやって自分を納得させるしかない。才能がなかった、こうなる運命だった、と。
25を迎える年の初めから、母は満弦の結婚相手を探し始めた。
そのため、現在――つまりは叶乃満弦が25歳の誕生日を迎えた翌日、彼女はさっそくお見合いをすることになったのである。
「…………」
なんだかいい感じの料亭の一室、叶乃満弦は静かにその時を待っている。
……ひとりだ。
相手の指定なのかお見合いとはそういうものなのか、両親は同伴していない。割と心配性なのでもしかすると近くでこちらの様子を窺っているかもしれないが……少なくとも、この料亭には満弦一人でやってきた。車で送ってはもらったけれども。
相手の男性は遅れているようだ。この部屋に満弦を案内してくれた従業員の女性がそのようなことを言っていた。正直、緊張していて何も憶えていない。今この場にいることがもう奇跡、大冒険、そんな人生を送ってきたのだから仕方ない。
満弦は人見知りである。そして引きこもりだった。そのためこれまで一人でこのような場所に来たことはないし、今の自分が果たしてこの場所に相応しいのかも分からない。今すぐここから逃げ出したいけれど脚の感覚はとうになくなっているし、正座した膝の上で握りしめているハンカチはとっくに湿っていた。
傍らに置いたハンドバッグからポーチを取り出し、小さな手鏡で自分の顔を確かめる。普段より少しだけ、美人。汗はかいているが、化粧は崩れていない。
もしも崩れていたらと思うと自分の手ではどうしようもないから確認するのも恐いのだが、満弦は何度となく手鏡を手にとっては自分の顔を確認していた。
これまで家の中だけが世界の全てだった満弦である。化粧どころか服装なども気にしたことがない人生だった。この化粧も、バッグや今着ているお洒落な服を用意してくれたのも、全て満弦の母だ。そんな娘の面倒を見る母はなんだか楽しそうで、その様子を思い出すたびに満弦は申し訳ないような気持ちになって、そして同時に後ろめたさを覚えた。
……それから、これも親孝行だ、と逃げ腰になる自分を改めて奮い立たせる。
さんざん世話になったのだ。25になったら結婚する、そう約束した以上、それを守らなければそれこそ親不孝というもの。
だけども、そこにはいくつかの打算がある。
……学校もロクに通っていない私にとって、今さら社会に出るなんてとうてい無理な話だ。これは結婚して家庭に入るという、逃げ道。そして家庭に入りそれなりに良い妻を演じる傍ら、小説を書こう。それなら文句はないはずだ。そうして成功して自立できれば――そういう、打算。
だから少しだけ後ろめたいけれど、でも気持ちとしては前向きな方だ。
これも人生経験。お見合いの結果がどうあれ、この経験は執筆活動に活きてくるだろう。もしも仮にうまくいって、とんとん拍子に結婚して、それで案外うまくいったりなんかしちゃったりして……幸せになることだって、あるかもしれない。
つまりは最終結論、なるようになれ、だ。
もう、来るところまで来てしまったのだから、後には引けない。
「…………」
呼吸を整え、相手の到着を待つ。いい加減、この空間にも慣れてきた。
……それにしても、遅い。
満弦のお見合いの相手は、一つ年上の男性だ。満弦の誕生日は1月で早生まれなので、ともすれば同級生かもしれない。
社会人。公務員。眼鏡をかけた、どこにでもいそうな感じの冴えない顔だった。母が見繕ってきた相手だが、満弦は現状彼についての情報をそれ以上を持っていない。
今時マッチングアプリ等でなく、こうしたお見合いに出会いの場を求める二十代後半男性……正直、あまり良いイメージは湧かない。ぜんぶ親頼みにしてきた私が言うのもなんだけど、という前置きつきだが、相手もそれなりに親に依存している感じだったらどうしようという不安がある。いわゆる、マザコン。いちおう、母の所感としては、「今時お見合いだなんて、真面目そうな人ね」とのことだが。
しかし相手がどんな人物であれ、満弦は贅沢を言える立場ではない。どんな人でも、私をもらってくれるだけありがたいと思うべきだ……。こちらとしても、夢を追い続けるための隠れ蓑にするつもりなのだし。
……などと失礼なことを考えていると、ようやく部屋の外から人の足音が聞こえてきた。
そうやってさっきも素通りしていったんだよな、と満弦が心の中であぐらをかこうとした時、「失礼します」と女性の声。襖がゆっくりと開かれる。
(来た……!)
すっと汗が引く。背筋に冷たいものが走り抜け、ぶるっと身震い。
スーツ姿の男性が入ってくる。満弦はとっさに頭を下げた。畳に両手をついて、さながら土下座でもするように。急に胸が苦しくなってきた。顔を上げられそうにない。
「はは、顔を上げてください」
と、乾いたような笑い。恥ずかしさでよけいに顔を上げられないが、しかしいつまでもこうしてはいらない。
今の私はこれまでの私とは違うのだ。化粧をすることで別人になったのだ。そう言い聞かせながら、思い切って顔を上げ、
(……?)
テーブルを挟んだ向かい側、スーツ姿の男性が座っている。
しかし、なんていうか――
「
と、男性は穏やかに微笑んだ。
……写真で見るよりもだいぶ若い印象だ。やや長めに切り揃えられた黒髪には清潔感を覚えるが、その中に光の加減によるものか、緑色のものが混ざっている。染めているのかもしれない。肌の色は日本人にしては白く、顔立ちもどこか外国人めいているどころか、眼鏡の奥の瞳は薄いグリーンである。
……眼鏡こそ写真と同じものをかけているが、顔はまるで別人だ。
(え、でも、名前……)
相手が名乗ったのは、確かに今日会う男性の名前だった。
ということは、写真が間違っていたのか? 加工? ……そういう話はよくあるだろう。会ってみたら写真とぜんぜん違っていた、というような。しかしそれはたいてい現実が下方修正されるものだが、こちらは違う。棚からぼたもちというか、思わぬイケメンが現れた。
「叶乃、満弦さんですよね? もしかして、そちらは写真、盛ってました?」
「…………」
……えっと? これはバカにされているのか?
「あぁ、いえいえ、写真よりも今の素の
……え? AIでつくったお見合い写真が流行なんですかこの世界?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます