第3話 下

 ふわふわとした浮遊感。

 私は、今度こそ、死んだのね……。


 そう思っていたら、わあーっという歓声が聞こえた。

 目をあけると、まぶしい……。


 飛び散る光がおさまると、大勢の人たちが私を見ていることに気がついた。


 見慣れた光景。

 そして、見たことがある人たち。

 

 これって、前の世界に戻って来たのね……。


 ふと、自分の体を見おろすと、腰までの波打つ銀色の髪が見える。

 私の本当の体に戻っている。


「クリスティーヌ!」

と、叫びながら駆け寄って来るのは、ムルダー様。


 以前より、少し背が高くなってはいるなと思ったけれど、それだけ。

 何の感情もわいてこない。


 もう、私の心からは完全に消えた人なんだわ……。


「クリスティーヌ、生きてたんだね! 良かった! 去年、君が自分を刺した時、君の体は光に包まれて消えた。そして、また、光に包まれて戻ってきた。あんなに血を流していたのに、生きて帰ってくるなんて、君こそが本物の聖女だったんだね! しかも、ぼくの18回目の誕生日を祝うパーティーに戻ってきてくれるなんて嬉しいよ。やっぱり、クリスティーヌがぼくの妃になる人だ!」

と、ムルダー様が興奮気味に言った。


 私の心はどんどん冷えてくる。

 一体、この人は何を言っているのかしら……?


 こんな人を愛して、傷ついて、死のうとしたなんて、やっぱり、私って馬鹿だ。

 命がもったいなかったわ……。


 私をだきしめようと手を伸ばしてきたムルダー様の手を振り払った。

 ムルダー様がショックをうけたような顔をする。


 私は静かに言った。


「私は聖女ではありませんし、ムルダー様を愛した私はあの時に死んでおります。それに、ムルダー様にはルリ様がいるじゃありませんか」


「ルリは聖女じゃなかったよ。異世界の薬を少しだけ持っていただけで、ルリ自身には何の能力もない。王太子妃教育を施しても、何も覚えられない。それでいて、わがままばかり。王太子妃になるのは無理だ。本人も嫌がり、私との婚約は解消になった。ルリを好きな伯爵に嫁ぐそうだ。だから、クリスティーヌはルリのことを何も気にしなくていいんだよ。王太子妃になってくれるよね?」


 は……? 

 ムルダー様の勝手な言い分にあきれすぎて、言葉がでてこない。


「お断りします」


 その時だ。


「クリスティーヌ! ありがたく受け入れなさい!」

と、言いながら、近づいてきたのは、私の両親と妹だった人たち。


「お断りです。赤の他人が口をはさまないでいただけますか?」


「赤の他人?! 親に向かってなんて口をきくんだ!」

と、父親だった人がどなった。


「ひどいわ、お姉様! 家族なのに!」

と、悲壮感たっぷりに叫ぶのは、妹だった人。


「ひどいのは、どちらでしょう。家の為に王太子妃になるようにと言って、私にだけ厳しくした両親。甘やかされているくせに、私の物ばかり欲しがり、奪っていく妹。両親は妹とばかり出かけ、いつも、私だけ取り残され、勉強をさせられていました」


「それは、あなたのためを思って……!」

と、母親だった人が声をあげる。


 私は無視して、話を続けた。


「私はずっと苦しかった……。それなのに、王太子妃になれないと知ったとたん、あなたたちは、私を見限った。すぐに聖女様を養女にして、聖女様に笑いかけていた。絶望した私には、なぐさめの言葉ひとつかけなかったのに……。そんな人たちを、家族だなんて思えませんよね。自分を刺したあの時、両親に愛され、妹とも仲良くしたかった私も死にました。どうぞ、あなたたちも、私のことはお忘れください」


 私の言葉を聞いたまわりの人たちがささやきだす。


「アンガス公爵夫妻、実の娘にひどいな……」


「確かに、自分の娘が婚約解消されたのに、あたらしい婚約者を養女にするなんて……」


「あげくに、また王太子妃になれると思ったら、家族面するのも勝手すぎるわよね」


「そういえば、あの妹、わがままで有名だったよな……」


 いたたまれなくなったのか、両親と妹だった人たちは、あわてて、私の前から去っていった。


 ムルダー様が泣きそうな顔になった。


「ごめん……、クリスティーヌ。でも、ぼくは、やっぱり、クリスティーヌと結婚したい。これからは、絶対に裏切らない。だから、やりなおしてもらえないだろうか!」


「ごめんなさい。ムルダー様。もう、無理なんです。何度も言うようですが、ムルダー様を愛した私は、完全に死にました」


 ムルダー様が、更に何か言おうとした時だ。


「黙れ、ムルダー! あきらめろ! こちらの勝手で婚約を解消したのに、無理に婚姻することなどできぬ。アンガス公爵令嬢……いや、クリスティーヌ。色々、申し訳なかった。これからは、命を大事に生きてくれ」

と、国王様が私に向かって、声をかけてくれた。


 私は、国王様に最後のカーテシーをしてみせる。


 そして、静まりかえった広間をつっきり、王宮の外へでようとした時、背後から走ってくる足音が……。


「待って、クリス!」


 懐かしい声に、すぐさま振り返る。


「ライアン……!」


「ほんとに、クリスか!? 顔をしっかり見せてくれ!」

 

 ライアンは、私の顔をのぞきこんできた。

 そして、ほっとしたように息をはいた。


「ほんとに、クリスだ……。生きていてくれて……本当に良かった……」

と、つぶやいたライアン。


 目から大粒の涙がこぼれ始めた。


「ライアン……。あの時、私のために泣いてくれて、本当に嬉しかった。今も、私のために泣いてくれて嬉しいわ」


 私の言葉に、更に泣き始めたライアン。

 

 騎士団に入っているライアンは、たくましい体を縮こまらせて泣いている。小さい頃と同じだわ……。


 ライアンと、はじめて会ったのは、王太子妃教育の合間に休憩にでた王宮の庭。

 公爵家のご子息であるライアンは、王太子様の側近候補として、同年代の高位貴族の子息たちとともに、王宮に集めらていた。

 当時、大人しかったライアンは、いじめられたらしく、植物の陰で泣いていたのよね。


 私は、ハンカチでライアンの涙をふいて、泣きやむまで頭をなでた。

 それがきっかけで、私たちは仲良くなった。

 王宮で、たまに会えば、大好きな本の話をしたっけ。


 思い出したら、笑みがこぼれた。

 自然に笑えたのは、いつぶりかしら……?


「ライアン、本当にありがとう」

そう告げた私の心は、とても穏やかだ。


 こうして、自分を犠牲にして生きる私は死んだ。

 これからは、自分の気持ちを大事にして、自由に生きていくわ。



 その後、アンガス公爵家と縁を切って平民になった私。

 それなのに、何故か、公爵家のご子息ライアンと結婚することになるのは、また別のお話。



(完)

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あの時、私は死にました。だからもう私のことは忘れてください。 水無月 あん @minazuki8

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