第90話 全体会合

 休日の午前。


 暖炉だんろの火が温かく照らす室内で、麒翔きしょうは横向きに寝そべっている。頭には柔らかい太ももの感触。背中には冷たいソファーの感触。そして耳には、こそばゆくも優しい感触が上下していた。


「ご主人様、痛くないですか?」

「ああ、全然。むしろすごく気持ちがいいよ」


 寝そべり九十度反転した暖炉の火を眺めながら、心地よさそうに麒翔きしょうは目を細めた。遠慮気味に綿棒めんぼうが上下するたびに、背中に甘いしびれがずぞぞっと走る。


「このままひと眠りしたいぐらいだよ」


 ――膝枕ひざまくら。それは男のロマンである。

 月乃つきのの膝の上で、夢心地に麒翔きしょうはまどろんだ。

 そんな様子を、上から覗き見た月乃つきのがふふっと笑って、


「もうすぐお昼です。ご希望はありますか?」

「そうだな……今日は、チキンが食べたい気分だ」

「かしこまりました。腕によりをかけて作るです!」


 月乃つきのがぐっと両手でガッツポーズを作ると、その反動で太ももが大きく揺れた。頬のあたりに、布地を通した柔肌やわはだの感触が伝わってくる。


 あまりの心地よさに何もやる気がいてこない。月乃つきの身動みじろぎする小さな振動が、眠気を誘う。麒翔きしょうがまどろんでいると玄関ドアの鐘が鳴った。


「お客様のようです」

「休日に一体誰だ?」


 気怠けだるげに上体を起こし、麒翔きしょうは正面玄関へ向かう。

 扉を開けると、そこには見知らぬ女子生徒が一人立っていた。


「ごきげんよう。麒翔きしょう様」


 赤と黒の龍衣。上院の制服だ。

 誰だっけという言葉を飲み込んで、麒翔きしょうは訊いた。


「お、おう。えーと、何の用かな」

「お迎えに上がりましたわ」


 貴族の令嬢を思わせる優美な所作で、女子生徒がうやうやしく一礼した。


「迎えにってどこへ?」

「派閥の全体会合がありますの。お話、伝わっておりませんか?」

「いや、特には何も聞いていないかな」

「あら、これはたいへん失礼をいたしました。わたくしどもの手落ちですね。お許しくださいませ」


 深々と頭を下げる女子生徒に、麒翔きしょうは慌てて身振り手振りで制す。


「いやいや、許すも何も全然構わないけど。それでどこへ行けばいいんだい」

「はい。ご案内いたしますわ」


 ふと振り返ると、月乃つきのが玄関奥に控えていた。


「よし、月乃つきの。一緒に行くか」

「はいです!」


 跳ねるようにジャンプした月乃つきのを見て、女子生徒が申し訳なさそうに頭を下げる。


「申し訳ございません。各群れからは代表者が男女一名ずつとなっておりまして、麒翔きしょう様の群れからは、すでに一名様が、ご参加されております」

「ん? ああ、そうなのか……とすると、黒陽あいつがすでに会場にいるのか」


 月乃つきのを同伴できないことを残念に思う麒翔きしょう

 そんな浮かない顔を見越してか、月乃つきのがドンと大きな胸を張った。


「それでは、月乃つきのは昼食兼夕食の支度をするです! じっくりコトコト煮込んだチキンスープをたくさん用意して、お帰りをお待ちしているです」

「おう、そうだな。楽しみにしておくよ」

「はいです!」


 女子生徒が丁寧なお辞儀をして、龍衣りゅういすそひるがえす。


「それでは参りましょうか。麒翔きしょう様」


 月乃つきのに見送られる形で、麒翔きしょうは特別宿舎を後にした。




 ◇◇◇◇◇


「一年二年合同の巨大派閥が発足ほっそくしたらしいですよ」

「ええ、存じておりますわ。何でも例の転入生と、二年の蒼月そうげつ様が中心となって発足したんだとか」

「今日は、その全体会合があると聞きましたわ」

「でしたら、わたくしたちもさんじた方がよろしいのではないかしら」


 ガシャーン! と茶器が割れるけたたましい音が寒空に響いた。

 茶室にあるカフェテラス。粉々になった茶器がウッドデッキの上で散乱し、急須きゅうすからこぼれた熱い湯が、白い蒸気となって辺りに立ち込めている。その惨状に目を丸くする女子生徒たちをにらみつけ、ツインテールの少女――四葉よつばが怒りをあらわにした。


「そんなこと絶対に許しませんよ。あの男の派閥に入るなど……絶対に認めません」

「しかし、四葉よつばさん。巨大派閥と対立するのは良くありませんわ」

「そうですよ。将来のことも考えなくては」


 飛び散った茶器を踏みつけるようにして、四葉よつば地団駄じだんだを踏んだ。

 茶器の破片を力一杯に踏みつける。その鋭利な刃は内履うちばきの草履ぞうりを余裕で貫通しているが、龍人の強靭きょうじんな足裏を傷つけるには至らない。細かく粉砕ふんさいされた破片が、ウッドデッキに食い込んでいく。


 その狂気をまき散らすような光景に、女子生徒たちは息を呑み、押し黙った。

 ぜいぜいと荒い息を整えて、四葉よつば剣呑けんのんな視線を女子生徒たちへ向ける。


「将来のことを考えるのなら、私のパパと敵対しないように立ち回る方が、よっぽど有意義だと思うけど?」


 上院における四葉よつばの成績はかんばしいものではない。本来なら誰にも相手にされない落ちこぼれなのだが、彼女の父の影響力は絶大だった。


 新進気鋭しんしんきえいの龍王。今もっとも勢いのある龍王が、四葉よつばの父・幽玄ゆうげんである。破竹はちくの勢いで勢力を伸ばすその背景には、圧倒的な実力と、好戦的な性格に裏打ちされた侵略行為がある。

 外交を無視した全方位への侵略。そのスタイルは、外交を重視し、穏健おんけんに立ち回ろうとする龍皇とは対極に位置する。


 しかし、そんな暴挙ぼうきょでさえも、実力さえあれば許される。否、誰も文句をつけられないのが現状だ。その獰猛どうもう分別ぶんべつのない侵略行為に、貴族たちの腰はすっかり引けてしまっている。


「私はパパに愛されているの。だから私の機嫌を取っておけば、あなたたちの群れも安泰あんたいってわけ。私のパパと巨大派閥、どっちが上かなんて言うまでもないでしょ。たばになったって敵わないわよ」


 困惑気味にお互いの顔を見合わせる女子生徒たち。

 そんな中、一人の女子生徒が声を上げた。


「しかしね、四葉よつばさん。確かにあなたのお父様は立派な方だし、敬意を表すべき人物ですわ。だけれど、学園内の派閥と同列に語るのはいささか乱暴じゃないかしら。卒業後も派閥の付き合いは続くのよ。荒野における厳しい環境の中、その繋がりは生存率に大きく影響しますでしょ。であれば、龍王陛下のご機嫌だけをうかがっているわけにもいかないとわかるのではないかしら」


 龍王・幽玄ゆうげんというける凶器に畏怖いふしつつも、真っすぐと四葉よつばを見つめて異を唱えた女子生徒へ賛同の頷きがいくつも入る。

 その孤立した状況に四葉よつばは、格上であるはずの上院生たちを仁王立ちのまま見下すように睥睨へいげいした。


「私はね、どちらにつくのか、という話をしているの。私のパパを敵に回すか、巨大派閥を敵に回すか、という話をね」

「そんな乱暴な――」

「乱暴じゃないわ。敵対する者には死あるのみ。これがパパの教えよ」


 傲岸不遜ごうがんふそんな性格は父親ゆずり。巨大派閥に入ることはすなわち、自分と敵対する行為なのだと四葉よつばは断じる。そのワガママも、龍王・幽玄ゆうげんという後ろ盾があればこそ。幽玄ゆうげんと縄張りを接する女子生徒たちは特に、四葉よつばとの対立は避けたいのが本音だ。


 押し黙った女子生徒たちを悠然ゆうぜんと見下ろし、四葉よつばは満足げに言う。


「とにかく。あの男は詐欺師なのよ。今に見てなさい。化けの皮が剥がれてボロが出るはずだから。その時が楽しみだわ」




 ◇◇◇◇◇


 女子生徒に案内された先は、上院本校舎の教室だった。

 休日ゆえに授業はない。空き教室である。


 そこは履修りしゅうしゃの多い授業で使われる大教室で、かなりの人数が収容可能。教室を見回してみると、すでに結構な数の生徒が入っているようだったが、教室内は薄暗いためその全貌ぜんぼうは見えない。


「それでは麒翔きしょう様。こちらにお掛けになってしばらくお待ちください」


 指定された席に着席すると、案内役の女子生徒は丁寧にお辞儀をして去っていった。


「遅かったわね」


 隣の暗がりから声がかけられた。

 腕組みをする馴染なじみの顔に、麒翔きしょうこうべめぐらせながらたずねる。


「よう。黒陽がどこにいるか知ってるか?」

「お姉様は来てないわよ。あたしが代理だし」

「ああ、そうなのか――って、すでに一名様が参加って紅蘭おまえのことだったのかよ!?」

「当然でしょ。お姉様の代理はあたしにしか務まらないわ」

「ナチュラルに俺の群れに入ってるって体裁ていさいなのな……」


 これはもしかして、既成きせい事実作戦の延長なのでは? と麒翔きしょういぶかしむ。

 そんな麒翔きしょうの心配をよそに紅蘭こうらんあごをしゃくった。


「始まるわよ」


 暗がりの壇上だんじょうにぱっとスポットライトがともった。

 教室後方から放たれる、強力な光石によるライトだ。


 登場したのは蒼月そうげつと、三歩後ろをいく慎ましさで翠蓮すいれん公主が続く。

 教壇きょうだんの前へ立ち、蒼月そうげつがゆっくりと首を巡らせる。教室に集まった生徒たちを眺めまわし、その動員人数に気を良くしたのか、彼は満足げに切れ長の目を細めた。


「さて、本日は貴重な休日だというのに、時間を割いてもらってすまないね。先日、一年・二年合同の巨大派閥が発足したということで、一度この辺りで認識をすり合わせておくべきだと思ったわけさ。で、本日の議題なんだけど――」


 身振り手振りを交え、よどみなく演説を続ける蒼月そうげつ。手慣れたその手腕しゅわん麒翔きしょうが感心していると、紅蘭こうらんが不満そうに口をとがらせた。


「いいの? あのまま好きにさせといて」

「あん? 何か問題でもあんのか?」

「あんたも派閥の中心人物なのよ。それなのに蒼月そうげつだけが脚光きゃっこうを浴びて、あんたはこんなすみっこに押しやられてる。悔しくないわけ?」


 腕組みした紅蘭こうらんが、むすっとした顔でそう言った。

 まばゆい檀上の光に目を細め、麒翔きしょうは投げやりに応じる。


「別にいいんじゃねえか? だいたい前へ出て仕切れって言われても困るぞ」

「だからってこの扱いは納得がいかないわ」

「どうしておまえが怒ってんだよ」

「主人のかくおとしめられて不快感のない龍人女子なんていないわよ」


 ガタン! と大きな音を立てて、麒翔きしょうはズッコケそうになった。周囲の生徒から集まる好奇こうきの視線を手のジェスチャーだけで「すまん」とやり過ごし、


「俺のために怒ってんのかよ!?」

「ち、違うわよ! あんたはお姉様の主人になる男でしょ! だからお姉様の代理として、あたしは怒ったわけ。勘違いしないでよね」


 薄闇の中でもわかるほどに顔を紅潮こうちょうさせて、紅蘭こうらんが叫んだ。再び周囲の注目が集まる中、居心地の悪さを感じ、麒翔きしょうは声をひそめる。


「なんだよ。黒陽の代わりに怒っただけかよ。ビックリさせんなって。椅子から転がり落ちそうになっただろ」


 ずれ落ちかかった尻の位置を元に戻し、前を向く。


 壇上では蒼月そうげつが演説を続けている。

 その後ろで翠蓮すいれん公主が慎ましく控えているが、その顔はどこか誇らしげだ。それとは対照的に、紅蘭こうらんはふくれっ面のままである。両者の差は、主人の待遇たいぐうの差にある――ような気がして、麒翔きしょうは少し気まずくなった。


 そして座りの悪さを感じた彼は、熟考じゅっこうした上で切り出した。


「派閥も結局は、外交の一貫なんだよな」

「ええ、そうよ」

「だったらなおさら、ここは静観するのが正解じゃねえかな」

「どうしてよ」


 壇上の蒼月そうげつを顎でしゃくる。紅蘭こうらんの視線も前方へ向いた。


「見てみろよ。あの嬉しそうな顔を」

有頂天うちょうてんになってるわね」

「ああ。だからここは、花を持たせておいてやるのも一興いっきょうだと思うんだよな」

譲歩じょうほするってわけ?」

「ああ、奴隷の件では譲歩してもらったからな。持ちつ持たれつ、そのお返しだと思っておけばいい」

「ふーん。お姉様風に言うなら、譲歩を引き出すための譲歩ってところかしら」


 戦略的な話がこうそうしたのか、紅蘭こうらんがふんふんと感心するように頷いた。眉間みけんからはけんが解け、普段の勝気な少女に戻っている。喜ぶ彼女に、「実は目立つのが苦手なだけなんだよな」などとは口が裂けても言えず、麒翔きしょうはしたり顔でやり過ごした。


 話は一区切りし、会話が途切れた。

 檀上では蒼月そうげつが白チョークを手に取ったところだった。

 白チョークがカッカッと走り、『冬季特別実習』という大きな文字が板書ばんしょされる。話題も自然とそちらへ移る。


 冬季特別実習は、中立都市・アシタナで行われる。毎年脱落者が出るような過酷かこくな実習なので、派閥内で協力していこうという趣旨しゅしのようだ。

 会場の生徒――主に二年生から拍手が送られた。一年生は麒翔きしょうも含め、状況がよくわかっていないのだろう。協力と言われてもピンと来ない。


 大した興味を持てず、麒翔きしょうは退屈そうに欠伸を噛み殺す。


「この派閥会ってのは、どのぐらいの頻度ひんどでやるもんなんだ」

「ん-、そうね。月1ってところじゃないかしら」

「そうか。こんなのが毎週あったら、どうしようかと思ったよ」

「毎週あるのは茶会の方ね。年に何回かはパーティもあるわよ」

「げ、まじか……」


 貴族社会の社交場に駆り出される自分を想像し、麒翔きしょうはげんなりした。


紅蘭おまえが茶会に辟易へきえきしていた気持ちがよくわかったよ」


 まさか紅蘭こうらんに共感する日がくるとは。彼女との刺激的な初対面を思い出し、麒翔きしょうは苦笑するしかない。もっとも、女子生徒たちの行う茶会は毎日あるらしいから、彼女の方が遥かに大変ではあるのだが。

 そんなしみじみとした麒翔きしょうの共感に対し、紅蘭こうらんは腕組みしたまま「ふふん」と笑った。どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「ま、このぐらい我慢しなさいよ。巨大派閥が完成したおかげで、教師たちは今頃大慌てのはずよ」

「どうして教師たちが慌てるんだ?」

「ふふ、それはね――」


 どこか誇らしげに紅蘭こうらんは胸を張った。

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