第91話 降参です。ばんざーい!

「まずい。一等まずいぞ、これは」

「お手上げだねえ」

呑気のんきに構えている場合か!」


 まるで他人事のように降参のポーズを取る氷理ひょうり教諭に、いかつい顔を更に厳つくして李樹りじゅ教諭が怒鳴った。

 上院本校舎に設けられた会議室。

 中央にある円卓テーブルには、三人の女教師の姿がある。


李樹りじゅさん、李樹りじゅさん。そんなに怒ったりしたら、お顔にしわができちゃいますよー」


 ピンクのリボンを頭に二つ付け、若干ぶりっこの入った女性は、上院・光魔術担当の綾奈あやな教諭だ。彼女の羽織はお龍衣りゅういは、学園規則を無視したリボンのついた特別製。教師のカラーは、上院下院共に緑で統一されているのだが、しかしなぜか彼女の龍衣は派手なパッションピンクである。


綾奈あやなの個性は限界突破してるよねえ。白衣の私が言うのもなんだが」


 くりっとした目のショートボブ。綾奈あやな教諭を睨みつけるようにして、李樹りじゅ教諭が鼻息を荒くする。


「ふんっ。頭がお花畑なだけだろう」

「ひどいです、ひどいです! 李樹りじゅさんはそこ意地いじが悪いですねー」


 ぷくーっとふくれてみせる綾奈あやな教諭。場の緊張感をぶち壊すぶりっこぶりに、李樹りじゅ教諭の顔がますますけわしくなる。険悪になりつつある二人を仲裁するのは氷理ひょうり教諭だ。


「落ち着きたまえよ。麒翔きしょうくんへの対応をどうするのかって話だったろう。まったく君たちは、まるで水と油だねえ」

「心外です、心外です! 李樹りじゅさんが突っ掛かってきているだけだと思いますよー」

「この非常事態に、浮ついた空気を出しているからだろうが!」


 溜息をついて氷理ひょうり教諭が立ちあがる。


「おい待て。どこへ行くつもりだ」

「真面目にやらないのなら私は失礼させてもらうよ。こう見えて忙しい身なのでね」

「あー、李樹りじゅさんが氷理ひょうりさんを怒らせたー!」

「貴様も同罪だろうがっ!」


 そして形ばかりの謝罪を二人から受け、氷理ひょうり教諭は不承不承ふしょうぶしょう着席した。


「で、だ。どこまで話したんだったかな」

「一大派閥ができてお手上げだってところまでだ」


 氷理ひょうり教諭は溜息混じりに頷いた。


「そう。麒翔きしょうくんと蒼月そうげつくんを中心に、今までにない規模の派閥が出来上がってしまった。これにどう対処するのか、というのが議題であり、難題だ」

氷理ひょうりさん、氷理ひょうりさん。学生が派閥を作るのは、今に始まったことではありませんよー。何か問題がありますかー?」

「大ありだ、馬鹿者! あのような一大派閥が出来上がってしまったら、もう誰もあの男に手を出そうとは思わんだろうが」


 ゴリラのような雄叫びに氷理ひょうり教諭が耳を塞ぐ。

 円卓テーブルに両肘をついて、不貞ふてくされた様子の綾奈あやな教諭が投げやりに言う。


「別にいいじゃないですかー。そんなに目くじら立てなくても」

「いいわけあるか! 学園長直々のご下命かめいなんだぞ。それにこのままでは上院の面子めんつが立たん」

「まさにそこなんだよねえ。あの陰険いんけん三角眼鏡が送り込んできた以上、絶対に何かあるとは思っていたけど、まさかここまでとはねえ」


 大きな溜息をつく教師二名。しかし一人、綾奈あやな教諭だけはのほほんとしていた。


「外交戦略上、もう何をしたって上院の生徒は動かないってことですよねー。つまり、わたしたちにはもう手駒てごまがないんです。この意味わかりますかー?」

「だからまずいと言ってるんだろうが!!!」

「いいや李樹りじゅ綾奈あやなの言うことは正しいよ。教師である我々が、生徒とバーリトゥードで殺し合うわけにはいかない。私たちはもう詰んでいるんだよねえ」


 氷理ひょうり教諭の同意を得たことで、綾奈あやな教諭のテンションが一気に高くなる。


「そうです、そうです! 諦めましょうよー!」

「まだ三年首席の緑林りょくりんがいるだろう。うまく戦うように仕向けられればまだわからんぞ」

李樹りじゅさん、李樹りじゅさん。あなたの頭の中は筋肉が詰まっているんですかー?」

「なんだと! 貴様の方こそ一面がピンクの花畑だろうが!」

「やめないか、二人とも」


 氷理ひょうり教諭の制止の声は、かなり投げやりだった。今日何度目かもわからぬ、大きな溜息をつく。


緑林りょくりんくんは首を縦に振らないだろうねえ。なにせ獅子天ししてんくんが瞬殺されているんだ。事を構えたくないと思うのが普通だよ」

「そうです、そうです! 百歩譲って、獅子天ししてんくんが善戦したのであれば、緑林りょくりんくんも乗り気になったかもしれません。獅子天ししてんくんよりも強い自信が彼にはあるからです。でも現実は非情でしたー」

獅子天ししてんが負けたのは剣の間合いで戦ってしまったからだ。最初から距離を取ることに注力していれば、ああはならなかったろう」


 李樹りじゅ教諭だけが徹底抗戦の構え。残り二人は白旗を上げている。

 諦めの悪い同僚に、氷理ひょうり教諭がさとすように言う。


「だいたい獅子天ししてんくんの模擬刀を真っ二つにしたんだろう。とすると、やはり麒翔きしょうくんの《剣気》は規格外だと思うんだがね。専門家の見立てはどうなんだい」

「ぐっ……それは」


 言いよどむ。それは李樹りじゅ教諭自身がその威力を認めてしまっている証左しょうさである。


李樹りじゅさん、李樹りじゅさん。もう諦めましょうよー。学園長だってわかってくださいますってー」

「私も綾奈あやなに同感だ。これ以上悪あがきしても、傷口が広がるだけじゃないかなぁ。下院教師の思うつぼだと思うんだよねえ」

「だが、いいのか? もしこれで将妃しょうひ様との関係が悪化すれば、学園長の失脚しっきゃくだってありえるぞ」


 痛いところを突かれたのか、氷理ひょうり教諭が「むう」と唸る。


青蘭せいらん様を盟妃めいひの座につけたのは将妃様だからねえ。可能性がゼロとは言えないところが厄介かなぁ」

氷理ひょうりさん、氷理ひょうりさん。どうして将妃様や学園長は、転入生くんを毛嫌いするんですかねー? これだけの実力があれば十分だと思うんですけどー」

「ふんっ、そんなの決まっている。適性属性なしの半龍人だからだろう」

李樹りじゅさん、李樹りじゅさん。頭ゴリラのあなたには聞いていないんですけどー」

「なんだと貴様!」

「あー、もういいから! 君たちは私に何か恨みでもあるのかね」


 下院と上院の教師は犬猿けんえんの仲だが、李樹りじゅ綾奈あやなも犬猿の仲なのである。その間に挟まれる形の氷理ひょうりたまったものではない。一枚岩ではない同僚の益体やくたい吐息といきを挟み、氷理ひょうり教諭はぐるぐる眼鏡を外した。


「とにかく、我々はこの件から手を引くべきだと思うよ」




 ◇◇◇◇◇


 上院の敷地には小さな森がある。

 遊歩道ゆうほどうが通され、整地された薄暗い森だ。

 歩道の脇を小川が流れ、水のせせらぎが小鳥のさえずりと共に聴こえてくる。

 冬に咲く青い花が岩場に群生ぐんせいしていた。


「うー、さみぃ。しっかし紅蘭こうらんの奴、こんなところに呼び出してどういうつもりだ」


 寒さで歯をカチカチ鳴らしながら、麒翔きしょう悪態あくたいをついた。


 前を見ても後ろを見ても、遊歩道に他の生徒の姿はない。

 人気のない寂れた森だ。

 上院にはこの他に、日の当たる見通しの良い庭園や、温室ガーデンなどもある。自然をでたいのであれば、普通はそちらに足を向けるものだろう。


 おそらく、夏場はいやしになるであろう小川の放つマイナスイオンでさえも、冬場には正反対の効果をもたらしてくれる。要するにめちゃくちゃ寒い。


 ふと空を見上げると、お腹のでっぷり太った鳥が、バタバタと一生懸命飛んでいるのが見えた。お世辞せじにも優美とは言えぬ、ニワトリが羽ばたいているような必死さが伝わってくる。天敵に狙われたらひとたまりもないであろう緩慢かんまん飛翔ひしょう。かの鳥が現存げんぞんできているのは、この森に危険な捕食者が存在しない証拠だろう。


 視線を足元へ落とす。遊歩道の木目へ意識がいった瞬間、頭上でメキメキメキッ! と枝がへし折れる嫌な音がした。


「なん、だ――」

「きゃああああああああ!」


 頭上を見上げるのと、それが麒翔きしょうを直撃するのはほぼ同時だった。

 頭にゴチンと何か硬いものが当たり、次いで体にかかる重力が一気に増した。

 気が付けば、麒翔きしょうは地面に横たわっていた。頭がクラクラする。


「痛ててて、一体なにが起こった?」


 素早く身を起こそうとしたところで、腹部に重みを感じて麒翔きしょうは眉をひそめる。


「痛いです、痛いです! 失敗しましたー」


 お腹の上できゅ~と倒れていたのは、眩暈めまいがするほどピンク色の女性だった。ショートボブの頭には、二つのリボン。彼女の着る龍衣は、教師のものでも生徒のものでもない、派手なパッションピンク。しかも改造かいぞうほどこされていて、小さなリボンがたくさんついている。


「おや、おや? もしかして君は、噂の転入生くんではありませんかー?」


 体を起こした女性は、麒翔きしょうの上で馬乗りとなって首を傾げた。

 見た目は二十歳前後。龍人の年齢で言えば百歳ぐらいにあたるだろうか。髪の毛の短さが少しだけ桜華を彷彿ほうふつとさせるが、胸の谷間は深かった。ある意味エロティックな状況に、麒翔きしょうは慌てて起き上がる。


「あんっ」


 強引なたい移動に、女性がなまめかしい声を上げた。


「転入生くんは大胆ですねー。これは対面座位と呼ばれる大人の――」

「いいから早くどいて下さい!」


 なんともくせの強い女性だが、美人であることに変わりなく。密着して抱き合っているかのようなこの状況は、青少年にとって毒であった。赤面して先方の顔を見れなくなるのも致し方ない。


「いいですね、いいですね! 初心うぶで可愛いですねー」


 耳元に顔を近づけて吐息といきを挟まれる。ぞわっと背筋がったところで、ようやくいましめが解かれた。女性は立ち上がると、空に向かって生い茂る木々を見上げ、


「むー、今晩のおかずはぷくぷく鳥が良かったんですけどねー」


 などと不満を口にしている。

 尻についた泥を払いのけながら麒翔きしょうも立ちあがり、


「学園の人ですか? どうにもそうは見えないんですけど……」


 全身ピンクのエロい人。それが今現在の麒翔きしょうの認識のすべてだ。

 疑わしげな麒翔きしょうの視線を受け、女性はその場でくるりと一回転するとポーズを取った。テヘっと舌を出して、


「元・魔法少女マジカル☆アヤナだよ! 今は上院の教師をやっているの」


 その右手にはいつの間にか木の棒が握られていて、どや顔と共にビシッと枝先がこちらへ突き出されている。


「あ、これ絶対に関わっちゃいけないやつだ」


 麒翔きしょうの周囲に集まる龍人たちは、とりわけ個性が強い傾向にある。そこでつちかわれた直感が、「こいつは今までで一番やばい」と告げていた。無言のまま回れ右をする。


「ちょっと、ちょっと! 待ってくださいよー。無視はひどいです、無視は!」


 まるで衛星えいせいのようにぐるぐるとまとわり付き、そしてようやく離れたかと思ったら、今度は両手を広げてとおせんぼの構え。一応は女教師(らしい)ことを考えると、強行突破はためらわれる。


「不幸な事故だった。ただそれだけだと思うんですけど。まだ俺に何か用ですか?」

「君にたいへん興味がありますー」

「俺は興味ないんで。すいませんけど、これで」


 右へ行くと見せかけてからの左への切り替えし。そのフェイントに元・魔法少女(自称)は軽いフットワークでしっかり対応し、


「逃げるつもりなら捕まえちゃいますー」


 えいやっ! と抱き着いてきた。


「わぁあああ! 女教師ともあろうものが何をしてるんですか!」

「この方法が一番確実にお話ができますー」


 ドエロい女教師がほおずりしてくる。女性に対してまだまだ経験の浅い麒翔きしょうは、全力でそのほっぺを遠くへ押し返した。


「いやいやいや! 龍人女子の名節どこいった!?」

故郷こきょうに置いてきましたー」

「置いてこれるもんなのそれ!?」


 強く押し返されながらも、強引に顔を近づけてこようとする綾奈あやなと名乗った女教師。顔が変形することもいとわずに、ぐぎぎぎぎ、と顔面を突き出してくる。力と力がせめぎ合い、制御が難しい。少しでも加減をミスれば、勢い余って唇と唇が触れ合ってしまいそうである。その誰も望まぬ不幸な事故に恐怖を覚え、麒翔きしょうは力いっぱい叫んだ。


「わかりましたから! 逃げないから離してください!!」


 その口約こうやくに満足したのか、元・魔法少女(自称)の拘束が緩む。そのすきにばっと距離を取り、


「だいたい女教師あんたたちは、俺を敵視していたんじゃないのか」

「わたしは別に敵視していませんよー?」

「さて、どうだかな」


 胡散うさんくさそうにめつけられて、心外だとばかりに頬を膨らませるぶりっこ教師。月乃つきのあたりが同じことをやれば素直に可愛いと思えるのだろうが、よわい百を超えた聖職者であることを考えると少し残念な感は否めない。

 そんな残念教師・綾奈あやなは、なぜかとつぜん万歳をした。


「わたしたちの手駒てごまはもうないんですよー。だから降参です。ばんざーい!」


 龍衣に付いたピンクリボンと一緒に、全身を使って両手を何度も空へ持ち上げる。

 そこに教師としての威厳いげん微塵みじんも存在しなかった。


「どことなく、風曄ふうか先生と似ているような……」

「はぁ? 今なんて言いましたかぁ? わたしがあの飲んだくれ幼女と同じぃ?」


 とつぜん目の色が変わり、どす黒いオーラが綾奈あやなを包んだ。

 そういえば、上院と下院の教師は犬猿の仲だという話を思い出し、麒翔きしょうはその豹変ひょうへんぶりに一人震撼しんかんした。


 ガミガミと説教が始まった。ガチの説教かと思えば、ほとんどは下院教師への愚痴ぐちである。風曄ふうかからも似たような愚痴を聞かされたことがあったので、耐性のある麒翔きしょうは、うんうんと頷きながら右から左へ受け流す。


「――って、ちょっと、ちょっと! ちゃんと聞いてますか、転入生くん」

「はいはい。聞いてますよ。風曄先生は毎日牛乳を飲んで無駄な悪あが――じゃなかった、身長を伸ばす努力をしているんだから、あんまりチビチビ言わないであげてください」


 一通り愚痴を吐き出しスッキリしたのか、つやを取り戻した顔で綾奈あやなが言う。


「とにかく、とにかく! 我々上院教師は、転入生くんと敵対することはもうないと思いますよー。氷理ひょうりさんがそう言ってたし……まー、李樹りじゅさんは微妙かもですけど」

「あのいかつい先生か」

「そうです、そうです! 李樹りじゅさんは頭の中まで筋肉で出来ていますから、理屈が通じません。気を付けてくださいねー」


 さらっと放たれた同僚教師への辛辣しんらつな言葉。今のは風曄ふうかへの愚痴よりもきつかったのでは? と麒翔きしょういぶかしむ。

 とはいえ、女教師に認められたというのは朗報だった。


「そうですか。これで黒陽との結婚をはばむ障害は、排除できたってことになりますかね」


「――――それがそうもいかないのよね」


 その言葉は、目の前でほわほわした空気をかもし出すぶりっこ教師のものではなかった。前方からではなく背後。聞き覚えのある勝ち気な声に振り向くと、腕組みする長身の少女――紅蘭こうらんが立っていた。

 そもそもこの森に呼び出したのは彼女であり、大遅刻したことに目をつぶるとすれば、この場に居合わせるのはむしろ必然なきである。


 そして紅蘭こうらんは、この森へ呼び出した要件を単刀直入に切り出した。


「まだお母様が認めていないのよ。少し面倒なことになりそうだわ」

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