第97話 決着。そして……
太陽光が円形闘技場の舞台へ
青空の下で、観客席の
コロシアムの壁に
その周囲には、
観客席から数人の教師と生徒が飛び降りた。
少年の関係者たちだろうか。複数の人影が、少年の名を口々に叫びながら、慌ただしく駆けていく。その姿は、
まるで他人事のように、そんな光景を
残像を引きながら放った
例え模擬刀の一撃だったとしても、その威力は必殺を有している。もしまともに直撃したなら、龍皇陛下でさえも仕留めることが可能だ。そもそも龍人の耐久力の枠外の話なのだ。誰も耐えることなどできはしない。
必ず殺すと書いて、必殺。それはまさに必殺と呼ぶに
ゆえに、少年の生存は絶望的だった。
否、万に一つもその可能性はない。
学生の身分であれほどの《剣気》を扱える者など、そうはいない。百年に一人。いや千年に一人という
もし彼があのまま成長していけば、確実に龍王の席に手が届いただろう。あるいはその先も。まず間違いなく、
しかし、その可能性の
一体、彼女にどのような申し開きをすれば良いというのか。
目をつぶり、少年の
ビュウと寒風が通り過ぎる。戦いの余熱の残った体は何も感じなかった。
夢心地に
遠目からでもはっきりわかる圧倒的な美を
「黒陽公主」
ふいに剣身を抜く金属音が、周囲に鳴り響いた。
「なぜ、
どこまでも冷たく
「申し開きのしようもございません」
「なぜ使ったかと聞いている」
「未熟者ゆえに、でございます」
少年の放った最後のひと振りは、受けも回避も効かぬ
それは模擬刀とはいえ、
ゆえの緊急回避。
生存本能による無意識による行動。
学生相手には絶対に使うまいと決めていた奥の手を、少年の
――未熟。
それ以外に評す言葉を
「そうか。
神に愛された
言葉は途切れ、黒陽公主は押し黙った。
少年に駆け寄ることなく、真っすぐここへやって来たということは、彼女も悟っているのだ。生存はまずあり得ないと。
「言い残すことはあるか」
婚約者を失った黒陽公主の怒りが、静かに響いた。
龍皇直属の部隊である禁軍。しかもそれを束ねる統領を勝手に断罪すれば、いくら黒陽公主といえど、ただでは済まない。が、それを百も承知で彼女は剣を向けている。そして己の未熟を恥じる
「ありません」
首筋に置かれた剣先がすっと離れる。
固く目をつぶり、
「…………」
しかし、いくら待っても一向に振り下ろされる気配がない。
「――――っ」
黒陽公主は、自らの細い首筋に長い刃を当てていた。
その
闘技場の群衆も大きくどよめいた。
「幼少の頃から何かと世話になった。貴様を手に掛けることなどできん。だが――」
銀の刃がぐっと白肌に食い込み、首筋から赤い血が
シミひとつない肌に
「お待ちください! 早まってはなりません」
「主人と命を共にするが妃の宿命」
太陽に
薄桃色の唇が、その意志を
「あなた様はまだ正式に嫁いでおりません!」
「いいや、私の主人は後にも先にも
そこで黒陽公主は遠方の空を見やった。
「元よりこの勝負、
もはやその漆黒の瞳に
彼女の意識は、遥か天空の
「あの人と共に歩めぬ世界に
端正な
「さらばだ」
「――っ、お待ちを!」
頬を伝った涙が白タイルの床へ落ちる。
黒陽公主は、首筋に当てた長剣を一気に引いた。
――ように
が、その刃はブルブルと震えるばかりでその場から動いていなかった。
黒陽公主が
「おいおい。
「
カランと無機質な金属音を立てて、長剣がタイルの床へ転がる。
黒陽公主が振り向くと同時に、少年がその
◇◇◇◇◇
背骨を砕かれるんじゃないかってぐらい強く強く抱きしめられて、その愛の深さに
魂が抜けかけた口を閉じて、代わりに軽口を叩く。
「みんな心配して来てくれたのに、
「わ、私は……もう駄目かと。死んだものとばかり……」
腕の中で公主様が震えている。
その公主様らしからぬ弱々しい姿は、彼女の見た絶望の深さそのものを象徴しているようだった。あるいは、取り返しのつかない大事には至っていなかった――そんな安堵の表れか。
捨てられた子犬のように震え続ける公主様。
胸板に額を擦り付けるようにして、小さな子供がするみたいにイヤイヤと首を振る。それは十五の少女にありがちな、等身大の姿だった。
「らしくないな。常に
「あ、あなたが――あなたを失ったら私は生きていけない。だから――」
公主様が顔を上げた。その美しい顔は涙に
ボロボロとその
感情の乏しい彼女がこれほど取り乱していることに、その愛の深さを実感した
鼻頭をポリポリと
「それだけ愛されてるって思えば悪い気はしないけどな」
涙に濡れた顔を指先で
「無茶しやがって。
「
「んなわけないだろ。例え顔に
「ならば何も問題はない」
公主様は無言のまま、体を預けるように
と、そこへ。
抱き合う二人の元へ歩み寄る影があった。
「取り込み中のところすまない。こう言っては何だが……その、大丈夫なのか?」
その顔には、「とても信じられない」という困惑がありありと浮かんでいる。
「ええ。全く問題ありません。流石に、無傷とまではいかなかったけど」
公主様に「ちょっとごめんな」と断って、
全身の龍衣はボロボロで、特に左脇腹の布地はビリビリに破れてしまっている。そして
その
「本当にあの
「ちゃんとダメージは受けてますよ。ほら内出血してるでしょ」
「その程度の傷がダメージの内に入るものか!」
黒衣のイケメンが取り乱したおかげか、公主様の方は逆に冷静になれたようで、しげしげとその傷跡を眺めている。彼女は前屈みになった姿勢のまま、その細く長い指先で内出血の跡をなぞった。
「あの《剣気》をまともに受けて、この程度のダメージで済むはずがない。とすると、何かしらの方法を使って軽減したとしか考えられないわけだが」
チラリ、と
「ああ。もし軽減できていなかったら、俺の体は真っ二つになっていただろう。そうしたら、そもそもコロシアムの壁まで吹き飛ばされることもなかったろうな」
そこで公主様が上体を起こし、考える仕草を取った。
「すると《闘気》か。あの秘術だけは私にも目視することができない」
「ピンポーン! 正解。さすが、黒陽だな」
「しかし、《闘気》は《剣気》に劣るとされる失われた秘術だろう? あのような大出力の《剣気》を防げるものなのか?」
「武術が剣術に劣るのは事実だ。けど、《闘気》が《剣気》に劣るわけではない。思い出してみてくれ、斬撃の威力は何によって決まるのか」
そこで公主様は少考し、すぐに答えを返してきた。
「斬撃の威力は[《気》の練度×武器の品質]で決まる」
「そう、その通りだ。そしてこれは《闘気》でも全く同じ理屈が通用するんだ」
公主様が神妙に頷いた。
「……なるほど。《闘気》は肉体に宿した《気》を昇華させたもの。ならば差し詰め、打撃の威力は[《気》の練度×肉体の強度]で決まるとも言えそうだな」
一を聞いて十を知る。
「龍人の肉体は
「あの刹那の間に《闘気》を高めて防御したわけだな」
「おう。流石に《気》を
見慣れぬステップにより
「全身の《気》の総量は決まってるだろ。だから瞬時に《剣気》を解除し、全身に《闘気》を
特に《気》の気配が濃厚だった左脇腹付近は入念に。
この瞬時の切り替えは、呼吸をするぐらい自然に《気》を操れるようになっていればこそ。毎晩欠かすことなく行っていた夜練が役に立った形だ。
とはいえ――
「ところで、これはやっぱり……俺の負けってことになるのか?」
一撃を貰ってしまった以上、これが模擬戦なら一本といったところだ。
しかし、これが決闘であるのならば、勝負はまだ決していない。五体満足の
この戦いは模擬刀を使ってはいるが、審判のいない決闘形式である。
ならば、決着の線引きはどうなっているのか。そんな
「心配することはない。私の負けだ」
「負け? 少なくとも俺はまだ勝っていませんよ」
「この勝負、私は純粋な剣術だけで戦うと決めていた。だが現実には、君の気迫に押され、自らに課した
学生に負けたとなれば、禁軍統領の名に傷がつく。それを百も承知で自らの負けと断ずるその
「この学園の生徒は、『荒野では』とよく口にします。これは学園ではなく、龍人社会に
学園において。闘争は容認されているが、死亡者が出ないように十分な配慮がされている。
死というボーダーラインを超えないように、学生の間はしっかり保護されているのだ。しかしそれは、現実社会とは大きく
その状況を『ぬるい』と感じているからこそ、学生たちは『荒野では』とよく口にするのだろう。ならば、彼らに習うとすれば、
「これが荒野だったら俺は死んでいました。真剣を使った攻撃だったら、おそらくは防げなかったと思うんです。だから勝ちとするには、少し抵抗がありますね」
が、
そしてそのまま足早に去っていく。
「――おい、ちょっと」
追いかけようとした袖を公主様に引かれた。
「どこへ行く。私はまだ甘え足りないぞ」
泣き
三百六十度、大観衆の注目が集まる舞台上での出来事だ。これ以上、この場でイチャイチャするのは避けたいところ。
「それに甘えたいのは私だけではないぞ。見ろ」
公主様の指差す先には見慣れた面々が、少し距離を置いて並んでいた。
公主様に手を引かれる。
「さぁ。皆のところへ戻ろう。
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