第98話 義母上に挨拶に伺おうと思う

 コロシアム内部に用意された控室の前で、麒翔きしょうは深呼吸をした。

 この扉の先には、親しくしている女子たちが集まっている。


 今までかたくなに群れを作ることを拒否してきた麒翔きしょう。当然、上院に来てからの月乃つきのめぐる一連の流れ――その心変わりを知らない者たちがいる。特に、桜華とアリスに至っては、完全に寝耳ねみみに水だろう。

 公主様にしても、今までの簡単な経緯けいいは説明してあるものの、その仔細しさいについては話していない。


 だからこそ今、そのケジメをつけるべく麒翔きしょうはこの場に一同を集めた。

 果たして、どのようなリアクションが返ってくるのか。

 恐ろしくもあるが、避けては通れない道だ。


 スーハー、スーハー。

 深呼吸をして緊張をほぐす。


 呼吸を整えてドアノブに手を掛けたところで、不意にポンッと肩を叩かれた。

 飛び上がりそうになった。


「何をグズグズしてるのよ」


 ほぼ同じ目線。真紅しんく双眸そうぼうがこちらを射抜いぬくように見据えている。

 もはや馴染なじみの顔になりつつある紅蘭こうらんだった。

 集合は控室の中だと伝えていたはずだが、トイレにでも行っていたのだろうか。


「いや、少し緊張しちまってな。みんなどう思うんだろうって」

「さぁね。なるようにしかならないわよ」

「そのポジティブシンキングを、少しでも分けてもらいてーわ」


 パンパンと両頬を叩き、気合を入れる。再びドアノブに手を掛け、


「よし! 黒陽にちゃんと伝えないとな。おまえだけを愛してる。他の妃は娶らないつもりだって」


 鉄のノブをひねって内側へ押した。その開閉に合わせて、室内の光景が少しずつ展開されていく――その隣で、


「あ、そうそう。『力ある龍人の義務』について、一つだけ言い忘れていたことがあったわ」

「あ? なんだよ今更」

「知ってる? 子供の能力は親の血統によって左右されるのよ」

「おう。黒陽との子供ならきっと優秀な子が生まれてくるだろうな」


 クスクスと紅蘭こうらんが笑う。


「優秀な男はね。子孫をたくさん残す義務があるの。だから妃を一人だけ娶るなんて真似を、お姉様が許すはずがないのよね」

「――は?」

「思い返してもみてよ。お姉様はあんたに『力ある龍人の義務』について説教するような真似はしなかった。なぜなら、いずれ立ち上がると信じていたから。だけど、妃は一生懸命になって選定しようとしてたわよね」

「ちょっと待て。その言い方だとまるで……」


 いつの間にかドアは全開となっており、薄暗い廊下を室内灯がまばゆく照らしている。その照明しょうめいを背に立つ影が、コクリと頷いた。


「妃に関しては、私が積極的に推進すいしんしていかなければ、話が前へ進まないからだな」

「うおっ」


 麒翔きしょうの到着をドアの前で待ち構えていたとしか思えないタイミングで、公主様が登場。紅蘭こうらんに気を取られていた麒翔きしょうは、今度こそ本気でビックリした。


「あのな、黒陽。俺はおまえだけを愛して――」

「駄目だ」

「最後まで言わせろよ!?」

「私だけを愛してはならない」

「なんでだよ!?」

「共に狩りをし、獲物えものを分け合う。主人の寵愛ちょうあいもまた同様だ。群れの調和ちょうわを乱してはならない。そして何より、優秀な男の子種こだねは分け合うべきだ」

「そんなもんシェアしなくていいよ!?」

「そうはいかない。優秀な子孫を残し、しゅ繁栄はんえいさせるのは力ある龍人の義務だ」


 ほらね、と言いたげに紅蘭こうらんが肩をすくめた。

 今すぐにドアを閉めて、全部なかったことにして帰りたいと麒翔きしょうは思った。

 控室では、頬を赤くしたアリスが両手で顔をおおっている。指の隙間からチラチラとこちらをうかがう視線を感じて、その動きが麒翔きしょう羞恥心しゅうちしんに火をつけた。


「と、とにかく! 月乃つきのは俺の従者じゅうしゃってことで納得してくれているからな」


 控室で行儀よくしていた月乃つきのに同意を求める。が、しかし――


「はいです。月乃つきのはご主人様の奴隷です」

「いや、奴隷じゃないよ!? 誤解を生むようなことを言わないで!」


 きゃあ、と黄色い悲鳴が室内に反響した。その発生源であるアリスの顔は真っ赤に染まっている。一体、何を想像しているのか。


 早速、誤解されているようだ。

 何だか話がどんどんややこしくなっていくぞ、と麒翔きしょうが気をんでいると、後ろ手にドアを閉めた紅蘭こうらんが追撃を入れてきた。


月乃つきのの件は置いておくとしても、あたしのことは妃として娶ってもらうわよ」

「はぁ!? また物凄ものすごい剛速球をねじ込んできたな!?」

「あたし、言ったわよね。報酬はキスで許してあげるって」

「了承してねえだろ! だいたい案内の報酬がキスってどんだけ暴利ぼうりなんだよ」


 普段ならこういう流れの場合、紅蘭こうらんが追加の狂人ムーブをぶちかましてくる局面である。が、なぜか今日の紅蘭こうらんの顔には、知性の色が浮かんでいた。

 余裕の腕組みをし、彼女は「ふふん」と得意げに笑う。


「あんたはあたしと財産を共有したでしょう?」

「――あ?」

「お金のないあんたの代わりに、文房具を買ったのは誰だったかしら」

「そりゃあん時はおごってもらったし、ありがたいとも思って――」

「それは本当か、紅蘭こうらん! よくやったな!!」


 麒翔きしょうの言葉は、公主様の歓声によってき消された。


「はい、お姉様。これでようやくお姉様と共に歩めます」

「ちょっと待って!? 意味がわかりませんけど!?」

「そうだな、紅蘭こうらん。財産の共有は夫婦の証。二人がそこまで深い仲になっていたとはな。嬉しい誤算だ」

「全然深い仲になってないよ!? てか、かたくなに金を出すって言い張るからおかしいとは思ったんだ。あれはトラップだったのかよ。チキショー!」


 妃と主人の財布は同じ。群れ内部では財産は共有されるという話を思い出し、麒翔きしょうは絶叫した。要するに、上院転属初日から罠にハマっていたわけだ。


「いやいや、まだ慌てる時間じゃない。俺たちはまだ婚約キスしてないからな!」

「本当に往生際おうじょうぎわが悪いわね。お姉様の予定にある以上、それは確定した未来なのだと知りなさい」

「やめろ、フラグを立てるな。黒陽の手腕しゅわんだと本当に実現しそうだから怖い」

「安心しろ。私の智謀ちぼうとあなたの力が合わされば百万の妃を従えることも可能だ」

「百万も妃がいてたまるか!」


 いつもの夫婦漫才に、アリスがクスクスと笑っている。

 ポカンとしていた月乃つきのもつられて笑いだす。

 腕組みした紅蘭こうらんが、勝ち誇ったようにんでいるのは少しムカつく。


 場がなごみ。まぁいいか、という気分になって麒翔きしょうは浅く息をついた。

 そんな中、上機嫌の公主様が言った。


「群れの初期メンバーもおおよそ決まったことだし、そろそろ頃合いだろう。義母上に挨拶に伺おうと思う」

「え? 俺ん!?」

「そうだ。妃を代表して私と桜華で伺おうと思う。どうだろうか」

「どうだろうかって、桜華は妃なんかじゃ――」


 言いかけて、麒翔きしょうは控室を見回した。

 そこに桜華の姿はなかった。




 ◇◇◇◇◇


 肩を怒らせて、ツインテールを揺らす少女が一人。

 狭いコロシアムの通路に地響じひびきを立てて、突き進むのは四葉よつばだ。

 憤怒ふんぬの表情を浮かべる彼女は、ぐしゃぐしゃと髪の毛をきむしる。


「なぜ、あの男が禁軍のトップと引き分けるのよ。禁軍統領は、氷の貴公子・雲嵐うんらんは、パパでさえ警戒するほどの男だというのに。おかしい……絶対におかしいわ」


 適性属性なしの半龍人。まじわる価値なしと切り捨てた男だった。

 それがどうだ。上院へ転属してきてわずか二日でその名声は高まり、更に五日目には、二学年首席の蒼月そうげつと同盟締結ていけつまでしてみせた。

 しかも、しかもである。黒陽公主の婚約者だと言うではないか。それだけでも信じられないというのに、男嫌いで有名な紅蘭こうらんまでしたがえて帰ってきた。


 何の冗談かと四葉よつばは思う。


 今では上院の顔であり、上院最大派閥の中心人物だ。

 もはや上院で、彼の実力を疑う者は誰一人としていない。

 誰もがあこがれる高嶺たかねの花となってしまった。


「おかしいわ。絶対におかしい。私が最初につばをつけたはずなのよ。それなのにどうして、その栄光の中に私はいないの? ねえ、どうして!」


 血走ちばしったき出しにし、怨嗟えんさの声があがる。

 醜悪しゅうあくな叫びが狭い通路に反響はんきょうした。


 四葉よつばの成績は、下院でも下位にあった。

 けに言えば、落ちこぼれである。


 龍王の娘という高貴な血統にありながら、下院に配属されるという屈辱くつじょく。それでもできるだけ優秀な男をゲットしようとあせった結果が、麒翔きしょうだった。


 本来なら、落ちこぼれ同士お似合いの二人。けれど、自分本位でプライドの高い四葉よつばは、優秀な男こそが自分に相応しいと信じて疑わなかった。最低でも下院の首席相当は必要だ――そんなぶん相応そうおうなこだわりが、慈悲じひな婚約破棄へと繋がった。


 しかし、もしもあの時。自分の境遇きょうぐうと重ねて思いやることができていれば、今、彼の隣に立っていたのは四葉よつばだったろう。が、その選択肢は最初から存在しなかった。無能の相手などおぞましい。自分のことを棚上げし、そう思った。だから罵ることに抵抗はなかったし、膝から崩れ落ちた彼を見るのは痛快つうかいですらあった。


 その結果――


「どうして黒陽様がその隣にいるの? ずるい! ずるい!! ずるい!!! その席は、私の物よ!」


 父・幽玄ゆうげんに泣きついて上院へ昇格したものの、落ちこぼれであることに変わりはなく、優秀な男たちは誰も四葉よつばを相手にしなかった。父の名前を使って女子生徒にマウントを取ることはできても、実力不足の彼女に声をかけてくる男はいない。


 だからこそ、逃した魚は大きすぎた。

 必然、四葉よつば妄執もうしゅうは加速する。


「このままでは終われないわ。あの男と最初に婚約したのは、この私なんだから」


 自ら行った悪辣あくらつな仕打ちは綺麗きれいさっぱり忘却ぼうきゃくし、まなじりを吊り上げて勝手な事を叫び続ける四葉よつば。その自己中心的な醜態しゅうたいとがめる者は誰もいない。


「あの男は根っこのところが甘いですからね。泣き落としでも何でも使ってすがり付けば、きっと拒めないはずよ」


 長く続いた通路の終点が見える。てい字路じろを左に折れれば、目当ての控室に辿たどく。そこで言ってやるのだ。「復縁しましょう」と。


 牢獄のような閉塞感のある石の通路。ようやく見えてきた曲がり角へ達した時、死角となっていた通路の先から一つの影が姿を現した。

 栗毛のショートヘアがまず目につく。大きな目に小さな鼻、美人というよりかは可愛い系の女の子。その女子生徒の名を下院に在籍した経験のある四葉よつばは知っていた。


「桜華さん、でしたよね。丁度よかったわ。私も今から――」

「翔くんのところへは行かせないよ」


 昔、下院で見た時は愛嬌あいきょうのある笑い方をする娘だった。しかし今の彼女の表情からは、一切の感情が抜け落ちていた。その茶色の瞳は輝きを失い、実像じつぞうではなく虚像きょぞうを映し出しているかのようにうつろだ。

 先の言動もあいまって、その態度を敵対的と四葉よつばは受け取った。


「あら、どうしてそんな意地悪なことを言うのかな」

「あなたこそ何? 今更、どのつら下げて翔くんに会おうって言うの?」


 静かなる叱責しっせき。言下に「恥知らず」という言葉が聴こえた気がして、四葉よつばは顔を紅潮こうちょうさせる。


「あなたは知らないでしょうけどね。私は麒翔きしょうくんと――」

「婚約してたんでしょ。だから何? もう終わったことだよね」


 無慈悲に切り捨てられた秘密の暴露ばくろ

 その不意打ちにはっと息が止まり、四葉よつばの思考に空白が生まれた。


「何も知らないのはそっちでしょ。呪いの言葉をいてあとは知らんぷり。翔くんがあなたの言葉にどれだけ傷ついて、そして苦悩し続けたのか。少しでも考えてみたことはある? ないよね。もしあったら復縁を迫ろうなんて思えないはずだよ」


 静かで無機質な少女の声が、だんだんと熱を帯び始める。


「あんな酷いこと言われたら誰だって傷つくよ。あなたにかけられた呪いを解くために、わたしがどれだけ苦心したと思う? 翔くんの心の傷を取り除くために、どれだけ気をんだと思う? 想像もつかないでしょ。上院に逃げ込んで、のうのうと生活していたあなたには! 人の痛みなんてわかるはずがないんだ!」


 少女の糾弾きゅうだん痛烈つうれつ耳朶じだを打った。

 プライドを傷つけられた四葉よつば形相ぎょうそうが、般若はんにゃへと変わる。


「はあ? だから何? 私は麒翔きしょうくんと婚約していたの。ちかいのキスだって交わしたのよ。だったら、彼には責任が生まれるわ。私をやしなう責任がね!」

「責任? そうだね。翔くんは悩むと思う。あなたなんかに責任を感じる必要なんてないのに、翔くんは優しいからきっと気に病んでしまう。だからね、ここは通さないよ。翔くんの元へは行かせない」


 仁王立ちとなった桜華が両手を広げていく手をはばんだ。


「あんたこそ何様のつもり? あんたは麒翔きしょうくんの一体なんなのよ」

「わたしは……翔くんの……」

「わかってるわ。麒翔きしょうくんの正妃は黒陽様でしょ。だったらあんたは一介の妃に過ぎないわよね。なら、立場は私と対等。邪魔しないでよね」


 その脇を強引に通り抜けようとしたところ、桜華にがしっと腕をつかまれた。そのままみ合いとなる。


「ここは通さないって言ったよね」

「はぁ!? いつからこのコロシアムはあんたの所有物になったのよ!」


 女子生徒同士の他愛無い喧嘩――に見えるが、大人の男を軽く持ち上げられるだけの力が、双方の腕には入っている。強い力で、四葉よつばは壁際に押し付けられた。


「どうして翔くんに寄り添ってあげなかったの? 辛い現実を二人で乗り越えてこそ、絆は結ばれる物じゃないの? ねえ、答えてよ!」

「うるさいわね。そんなのどうだっていいじゃない!」


 ぐっと腕にかかる力が増した。

 桜華が悔しそうに唇を噛み、こぼれそうになる涙をぐっと堪えて、こちらを睨みつけてくる。


「翔くんになんか興味ないくせに。アクセサリ―感覚で選んでるくせに。あなたのくだらない自尊心じそんしんのために、翔くんを傷つけないでよ!!」

「言ってくれるじゃないの、この女。そうよ。男なんて私の威光いこうを見せつけるための道具でしかないわ。アクセサリーとはうまい例えだこと!」


 攻守が逆転し、今度は四葉よつばが壁際に押し付け返す。桜華の両腕を壁に押し付ける形で動きをふうじ、その耳元へ顔を近づけた四葉よつばが邪悪に笑む。


「顔も好みじゃないし、性格も軟弱なんじゃく反吐へどが出る! だけど、私に栄華えいがをもたらしてくれるのなら、喜んで妃になってあげるわ!」

「ふざけ――っ」


 壁に押し付けていた両腕に物凄い力が込められ、力技で押し返される。四葉よつばの体が一瞬だけちゅうに浮いた。


「――っ、るなぁ!!!」


 右側面やや下方から平手が飛んできて四葉よつばの頬を打ち抜いた。

 強打され、バランスを崩し床へ転倒。四葉よつばは叩かれた頬を抑え、キッと仁王立ちの少女をにらみつけた。

 そこには敗者を見下ろす形で、光の失われた瞳を向ける桜華の姿があった。


「わたしの目が黒いうちは、翔くんに一歩も近づかせないから」




 ◇◇◇◇◇


 上院本校舎。


 豪奢ごうしゃな内装の学園長室に、戦いを終えたばかりの黒衣の剣士を呼び出した。召集しょうしゅうをかけた張本人である学園長・青蘭せいらんは、眉尻まゆじりを吊り上げて不満を口にする。


「負け、とはどういうことですか」

「そのままの意味ですよ、青蘭せいらん様。あの勝負は私の完敗です」


 三系統の布地を組み合わせてられた絢爛けんらん龍衣りゅうい青蘭せいらんは、高級な布地が痛むこともいとわずに、袖口そでぐちを叩きつけるようにして執務机を強打した。鈍重どんじゅうな音が室内に響く。


「途中で戦いを止めてしまったから何事かと思って呼び出してみれば、完敗ですって? 冗談も大概たいがいにしなさいな。だいたい百歩譲って決着がついたのだとしても、勝者は一撃を入れたあなたの方でしょう」


 コロシアム最上段にある特別観覧席から、二人の決闘を見物していた青蘭せいらんは、舞台上でどのような会話が交わされたのかを知らない。加えて、《剣気》が見えない彼女は、どれほどの攻防があったのかも理解できていなかった。


 ゆえに、雲嵐うんらんが途中で剣を収め、退場したようにしか見えておらず、何の説明もなく完敗だと言われても納得がいくはずもなかった。

 蟀谷こめかみをヒクつかせる青蘭せいらんに対し、長髪の美男子は直立不動のまま応じる。


「少年の《剣気》に押され、奥の手である水龍の舞いを使ってしまいました。お恥ずかしい限りです」

「だからどうしたと言うのです。水龍の舞いは特殊なステップですが、魔術ではない以上、剣術の決闘で使用しても問題はないはずですよ」

「わかりませんか、青蘭せいらん様。この禁軍統領である私が、水龍の舞いを使わなければならないほど追い込まれたのですよ」

「追い込まれたから何だと言うのです! 大事なのは結果でしょう。あなたは一撃を入れて一本を取った。ならば勝者は誰なのか? 答えは明白です」


 雲嵐うんらんが大きく息を吐いた。青蘭せいらんへ向けられた冷たい視線。その瞳の奥底には軽蔑けいべつの色が浮かんでいる。


「この戦いの目的をお忘れか」

「公主に相応しいかどうか。その確認でしょう」

「ならば、あなたの目は節穴ふしあなだと言わざるを得ない」

「…………なんですって。聞き捨てならないわね」

「いくら《剣気》が見えていないとはいえ、どれ程の攻防があったのかは学生でさえ理解できたはず。一体、何があなたの目をそこまで曇らせているのです」

雲嵐うんらん。禁軍統領とはいえ、それ以上の暴言は許しませんよ」


 直立不動のまま憮然ぶぜんと語る雲嵐うんらんを制すように、青蘭せいらんのヒステリックな声が二人の会話を切り裂いた。

 あきれ顔で首を振り、長身の男はそれ以上語ることなくきびすを返す。


「お待ちなさい。話はまだ終わっていませんよ」


 足を止め、黒衣の剣士が振り返りざまに、鋭い視線で青蘭せいらん一瞥いちべつする。


「勘違いしないで頂きたい。私は龍皇陛下の剣。あなたの指図さしずを受けるいわれはない」

「なっ……だけど、将妃様のご命令があるはずよ」

烙陽らくよう様には、私の方から説明しておきましょう」


 そしてそのまま振り返ることなく、雲嵐うんらんは学園長室をした。


 一人残された青蘭せいらんは、呆然ぼうぜんとなって頭を抱える。そして泥沼に沈み込んだ彼女の思考は、一つの結論に辿たどり着いた。


「そうだわ。あの子は舞台上で自刃じじんの構えを取った。あの時は慌てたものだけど……もしかすると自分の命を盾に、手を引くように雲嵐うんらんを説得したのかもしれないわ」


 それは見当外れの予想だったが、青蘭せいらんには天才的なひらめきに感じられた。まさに天啓てんけいさずかったかのような感覚。

 が、その天啓を打ち消すように、青蘭せいらんの脳裏に過去の映像がフラッシュバックした。かぶりを振って、その凄惨せいさんな映像を急いで打ち消す。


 コンコン。


 青蘭せいらんが頭を抱えていると、ノックの音が聴こえた。

 顔を上げる。扉が開き、入ってきたのは黒陽公主だった。

 いつもの乏しい顔が、拱手こうしゅしてれいくす。


青蘭せいらん殿。一つ願いがあって参りました」


 結婚を認めろとでも要求されるのか。熱く脈動みゃくどうする蟀谷こめかみの辺りを押さえつけ、青蘭せいらんは緊張に身構えた。


「冬季特別実習が始まる前に、休暇を頂けないだろうか」

「休暇? 一体、なんのための休暇ですか」

麒翔きしょうの実家に挨拶に伺おうと思う」

「まさか結婚の挨拶をするという話ではありませんよね」

青蘭せいらん殿。雲嵐うんらんに勝利したのだから何も問題はないはずだ。義母上に挨拶するなら早い方がいい」


 バンッ! と重厚な執務机を強打。

 そしてのどを震わせ、怒鳴どなりつけようとしたところで青蘭せいらんの動きがピタリと止まる。

 その思考に悪魔的なひらめきが走った。


「いいでしょう。ただし、一つ条件があります」

「条件とは何だろうか。青蘭せいらん殿」

「貴方を一人行かせるわけにはいきません。私も同行します。それが条件です」


 そこで黒陽公主は乏しい顔を斜めにして、数秒停止した。そしてコクリと可愛らしく頷くと、拱手こうしゅして頭を下げた。


「それでは、その条件でお願いします」


 黒陽公主が学園長室を辞す。

 その小さな背中を見送りながら、自然と唇の端が吊り上がる。


「六妃権限で親に圧力を掛ければいいのよ。龍皇の六妃から圧力を受ければ、争いを避けるために彼の両親は結婚を反対するはず」


 黒陽公主が扉を閉じるのと同時、青蘭せいらんの周囲に冷気が満ちた。

 急激な温度低下が室内を容赦ようしゃなくてつかせる。


 青蘭せいらん接地せっちする床や椅子にはしもが降り、拳を打ちつけた執務机にはピシピシと薄い氷のまくが広がっていく。その冷気の波は、ティーカップから立ち昇る湯気をまたたく間に飲み込み、その水面を一瞬で氷結させた。室内全体に広がった極寒ごっかん寒波かんぱは、花瓶かびんけられた花を瞬間凍結させてボロボロに砕く。


「もし圧力に屈しないようなら、その時は――」


 青蘭せいらんが拳を握ると、室内を埋め尽くさんばかりに走っていた薄い氷の膜が、一斉にバリンと砕け散った。窓から差した太陽光を浴びて、かがやきながら舞い散る氷の飛沫しぶき。その破片に隠れた青蘭せいらんの顔は、みにくく歪んでいた。


 この時、冷静さを欠いた青蘭せいらんは最後まで気付かなかった。

 部屋を辞す際の黒陽公主の顔にも、が浮かんでいたことに。









 to be continued...

 後編:アルガント帰省編へ続く。

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