第98話 義母上に挨拶に伺おうと思う
コロシアム内部に用意された控室の前で、
この扉の先には、親しくしている女子たちが集まっている。
今まで
公主様にしても、今までの簡単な
だからこそ今、そのケジメをつけるべく
果たして、どのようなリアクションが返ってくるのか。
恐ろしくもあるが、避けては通れない道だ。
スーハー、スーハー。
深呼吸をして緊張をほぐす。
呼吸を整えてドアノブに手を掛けたところで、不意にポンッと肩を叩かれた。
飛び上がりそうになった。
「何をグズグズしてるのよ」
ほぼ同じ目線。
もはや
集合は控室の中だと伝えていたはずだが、トイレにでも行っていたのだろうか。
「いや、少し緊張しちまってな。みんなどう思うんだろうって」
「さぁね。なるようにしかならないわよ」
「そのポジティブシンキングを、少しでも分けてもらいてーわ」
パンパンと両頬を叩き、気合を入れる。再びドアノブに手を掛け、
「よし! 黒陽にちゃんと伝えないとな。おまえだけを愛してる。他の妃は娶らないつもりだって」
鉄のノブを
「あ、そうそう。『力ある龍人の義務』について、一つだけ言い忘れていたことがあったわ」
「あ? なんだよ今更」
「知ってる? 子供の能力は親の血統によって左右されるのよ」
「おう。黒陽との子供ならきっと優秀な子が生まれてくるだろうな」
クスクスと
「優秀な男はね。子孫をたくさん残す義務があるの。だから妃を一人だけ娶るなんて真似を、お姉様が許すはずがないのよね」
「――は?」
「思い返してもみてよ。お姉様はあんたに『力ある龍人の義務』について説教するような真似はしなかった。なぜなら、いずれ立ち上がると信じていたから。だけど、妃は一生懸命になって選定しようとしてたわよね」
「ちょっと待て。その言い方だとまるで……」
いつの間にかドアは全開となっており、薄暗い廊下を室内灯が
「妃に関しては、私が積極的に
「うおっ」
「あのな、黒陽。俺はおまえだけを愛して――」
「駄目だ」
「最後まで言わせろよ!?」
「私だけを愛してはならない」
「なんでだよ!?」
「共に狩りをし、
「そんなもんシェアしなくていいよ!?」
「そうはいかない。優秀な子孫を残し、
ほらね、と言いたげに
今すぐにドアを閉めて、全部なかったことにして帰りたいと
控室では、頬を赤くしたアリスが両手で顔を
「と、とにかく!
控室で行儀よくしていた
「はいです。
「いや、奴隷じゃないよ!? 誤解を生むようなことを言わないで!」
きゃあ、と黄色い悲鳴が室内に反響した。その発生源であるアリスの顔は真っ赤に染まっている。一体、何を想像しているのか。
早速、誤解されているようだ。
何だか話がどんどんややこしくなっていくぞ、と
「
「はぁ!? また
「あたし、言ったわよね。報酬はキスで許してあげるって」
「了承してねえだろ! だいたい案内の報酬がキスってどんだけ
普段ならこういう流れの場合、
余裕の腕組みをし、彼女は「ふふん」と得意げに笑う。
「あんたはあたしと財産を共有したでしょう?」
「――あ?」
「お金のないあんたの代わりに、文房具を買ったのは誰だったかしら」
「そりゃあん時は
「それは本当か、
「はい、お姉様。これでようやくお姉様と共に歩めます」
「ちょっと待って!? 意味がわかりませんけど!?」
「そうだな、
「全然深い仲になってないよ!? てか、
妃と主人の財布は同じ。群れ内部では財産は共有されるという話を思い出し、
「いやいや、まだ慌てる時間じゃない。俺たちはまだ
「本当に
「やめろ、フラグを立てるな。黒陽の
「安心しろ。私の
「百万も妃がいて
いつもの夫婦漫才に、アリスがクスクスと笑っている。
ポカンとしていた
腕組みした
場が
そんな中、上機嫌の公主様が言った。
「群れの初期メンバーもおおよそ決まったことだし、そろそろ頃合いだろう。義母上に挨拶に伺おうと思う」
「え? 俺ん
「そうだ。妃を代表して私と桜華で伺おうと思う。どうだろうか」
「どうだろうかって、桜華は妃なんかじゃ――」
言いかけて、
そこに桜華の姿はなかった。
◇◇◇◇◇
肩を怒らせて、ツインテールを揺らす少女が一人。
狭いコロシアムの通路に
「なぜ、あの男が禁軍のトップと引き分けるのよ。禁軍統領は、氷の貴公子・
適性属性なしの半龍人。
それがどうだ。上院へ転属してきてわずか二日でその名声は高まり、更に五日目には、二学年首席の
しかも、しかもである。黒陽公主の婚約者だと言うではないか。それだけでも信じられないというのに、男嫌いで有名な
何の冗談かと
今では上院の顔であり、上院最大派閥の中心人物だ。
もはや上院で、彼の実力を疑う者は誰一人としていない。
誰もが
「おかしいわ。絶対におかしい。私が最初に
龍王の娘という高貴な血統にありながら、下院に配属されるという
本来なら、落ちこぼれ同士お似合いの二人。けれど、自分本位でプライドの高い
しかし、もしもあの時。自分の
その結果――
「どうして黒陽様がその隣にいるの? ずるい! ずるい!! ずるい!!! その席は、私の物よ!」
父・
だからこそ、逃した魚は大きすぎた。
必然、
「このままでは終われないわ。あの男と最初に婚約したのは、この私なんだから」
自ら行った
「あの男は根っこのところが甘いですからね。泣き落としでも何でも使って
長く続いた通路の終点が見える。
牢獄のような閉塞感のある石の通路。ようやく見えてきた曲がり角へ達した時、死角となっていた通路の先から一つの影が姿を現した。
栗毛のショートヘアがまず目につく。大きな目に小さな鼻、美人というよりかは可愛い系の女の子。その女子生徒の名を下院に在籍した経験のある
「桜華さん、でしたよね。丁度よかったわ。私も今から――」
「翔くんのところへは行かせないよ」
昔、下院で見た時は
先の言動も
「あら、どうしてそんな意地悪なことを言うのかな」
「あなたこそ何? 今更、どの
静かなる
「あなたは知らないでしょうけどね。私は
「婚約してたんでしょ。だから何? もう終わったことだよね」
無慈悲に切り捨てられた秘密の
その不意打ちにはっと息が止まり、
「何も知らないのはそっちでしょ。呪いの言葉を
静かで無機質な少女の声が、だんだんと熱を帯び始める。
「あんな酷いこと言われたら誰だって傷つくよ。あなたにかけられた呪いを解くために、わたしがどれだけ苦心したと思う? 翔くんの心の傷を取り除くために、どれだけ気を
少女の
プライドを傷つけられた
「はあ? だから何? 私は
「責任? そうだね。翔くんは悩むと思う。あなたなんかに責任を感じる必要なんてないのに、翔くんは優しいからきっと気に病んでしまう。だからね、ここは通さないよ。翔くんの元へは行かせない」
仁王立ちとなった桜華が両手を広げていく手を
「あんたこそ何様のつもり? あんたは
「わたしは……翔くんの……」
「わかってるわ。
その脇を強引に通り抜けようとしたところ、桜華にがしっと腕を
「ここは通さないって言ったよね」
「はぁ!? いつからこのコロシアムはあんたの所有物になったのよ!」
女子生徒同士の他愛無い喧嘩――に見えるが、大人の男を軽く持ち上げられるだけの力が、双方の腕には入っている。強い力で、
「どうして翔くんに寄り添ってあげなかったの? 辛い現実を二人で乗り越えてこそ、絆は結ばれる物じゃないの? ねえ、答えてよ!」
「うるさいわね。そんなのどうだっていいじゃない!」
ぐっと腕にかかる力が増した。
桜華が悔しそうに唇を噛み、こぼれそうになる涙をぐっと堪えて、こちらを睨みつけてくる。
「翔くんになんか興味ないくせに。アクセサリ―感覚で選んでるくせに。あなたのくだらない
「言ってくれるじゃないの、この女。そうよ。男なんて私の
攻守が逆転し、今度は
「顔も好みじゃないし、性格も
「ふざけ――っ」
壁に押し付けていた両腕に物凄い力が込められ、力技で押し返される。
「――っ、るなぁ!!!」
右側面やや下方から平手が飛んできて
強打され、バランスを崩し床へ転倒。
そこには敗者を見下ろす形で、光の失われた瞳を向ける桜華の姿があった。
「わたしの目が黒いうちは、翔くんに一歩も近づかせないから」
◇◇◇◇◇
上院本校舎。
「負け、とはどういうことですか」
「そのままの意味ですよ、
三系統の布地を組み合わせて
「途中で戦いを止めてしまったから何事かと思って呼び出してみれば、完敗ですって? 冗談も
コロシアム最上段にある特別観覧席から、二人の決闘を見物していた
ゆえに、
「少年の《剣気》に押され、奥の手である水龍の舞いを使ってしまいました。お恥ずかしい限りです」
「だからどうしたと言うのです。水龍の舞いは特殊なステップですが、魔術ではない以上、剣術の決闘で使用しても問題はないはずですよ」
「わかりませんか、
「追い込まれたから何だと言うのです! 大事なのは結果でしょう。あなたは一撃を入れて一本を取った。ならば勝者は誰なのか? 答えは明白です」
「この戦いの目的をお忘れか」
「公主に相応しいかどうか。その確認でしょう」
「ならば、あなたの目は
「…………なんですって。聞き捨てならないわね」
「いくら《剣気》が見えていないとはいえ、どれ程の攻防があったのかは学生でさえ理解できたはず。一体、何があなたの目をそこまで曇らせているのです」
「
直立不動のまま
「お待ちなさい。話はまだ終わっていませんよ」
足を止め、黒衣の剣士が振り返りざまに、鋭い視線で
「勘違いしないで頂きたい。私は龍皇陛下の剣。あなたの
「なっ……だけど、将妃様のご命令があるはずよ」
「
そしてそのまま振り返ることなく、
一人残された
「そうだわ。あの子は舞台上で
それは見当外れの予想だったが、
が、その天啓を打ち消すように、
コンコン。
顔を上げる。扉が開き、入ってきたのは黒陽公主だった。
いつもの乏しい顔が、
「
結婚を認めろとでも要求されるのか。熱く
「冬季特別実習が始まる前に、休暇を頂けないだろうか」
「休暇? 一体、なんのための休暇ですか」
「
「まさか結婚の挨拶をするという話ではありませんよね」
「
バンッ! と重厚な執務机を強打。
そして
その思考に悪魔的な
「いいでしょう。ただし、一つ条件があります」
「条件とは何だろうか。
「貴方を一人行かせるわけにはいきません。私も同行します。それが条件です」
そこで黒陽公主は乏しい顔を斜めにして、数秒停止した。そしてコクリと可愛らしく頷くと、
「それでは、その条件でお願いします」
黒陽公主が学園長室を辞す。
その小さな背中を見送りながら、自然と唇の端が吊り上がる。
「六妃権限で親に圧力を掛ければいいのよ。龍皇の六妃から圧力を受ければ、争いを避けるために彼の両親は結婚を反対するはず」
黒陽公主が扉を閉じるのと同時、
急激な温度低下が室内を
「もし圧力に屈しないようなら、その時は――」
この時、冷静さを欠いた
部屋を辞す際の黒陽公主の顔にも、
to be continued...
後編:アルガント帰省編へ続く。
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