第96話 水龍の舞い

 暴風ぼうふうのような打ち込みだった。

 脳天を一刀両断にする斬撃軌道。たけり狂う紫炎しえんの《剣気》が迫り来る。

 禁軍きんぐん統領とうりょう雲嵐うんらんは、水平に剣身を構え、十字に紫炎の剣光けんこうを受け止めた。

 瞬間、腕に掛かった負担は筆舌ひつぜつに尽くし難く、少年の気迫と共に強い膂力りょりょくで押し込まれる。雲嵐うんらんの頭に過ったイメージは、まさにハリケーンだった。


「――ぐっ、これ程とは」


 学生を相手に本気を出せとの命令にいぶかしんではいたが、なかなかどうして見事な打ち込みである。踏み込みは大きく、白タイルの床を蹴る足にはいささかの躊躇ちゅうちょも見て取れぬ。禁軍統領という肩書きを物ともせずに、気後れのない大振りの一撃。

 重い。そしてぶつかり合った《剣気》が突風のように吹いた。


 それはまさしく龍公クラスの《剣気》。油断をすれば確実に雲嵐うんらんの命をり取るであろう威力。


 鍔迫つばぜいの末、雲嵐うんらんは自らの《剣気》の出力を上げ、真っ向から力で押し返す。


 ガキィンッ!


 金属音とも少し違う《剣気》の衝撃音。

 鍔迫つばぜいの先にある少年の顔は、悪魔的に歪んでいた。その瞳に宿る光はギラギラと好戦的に輝き、刻一刻こくいっこく雷光らいこうのようにその形を変えている。


(なんだ……このプレッシャーは)


 尋常ではない覇気はき百戦錬磨ひゃくせんれんまの男を震わせた。

 この数十年。龍皇の剣となり数多あまたの戦場を駆けてきた。仰せつかるのは、妃に任せられないような危険な任務ばかりだ。潜った修羅場の数は優に三桁を超えている。


 もはや死と隣り合わせが日常だった。

 死を覚悟し、戦塵せんじんの中へ身を投じる日々。

 凶刃きょうじんが飛び交う中を切り進み、活路かつろを開いてきた。

 雲嵐うんらんにとって死は身近な存在。畏怖いふすべき対象ではない。


 ――だが。


 この震えは何なのか。

 全身が総毛立つこの感覚は久しくすらある。

 少年から受けるプレッシャーは、明らかに常軌じょうきいっしていた。


 恐怖は体を縮こまらせ、死を一歩早める。

 五体に刻まれた経験則が、雲嵐うんらんの体に動けと命じた。


 《剣気》の出力を上げ、更に成龍おとな膂力りょりょくって力づくで模擬刀を押し返す。現在の出力を端的たんてきに言えば、撫でただけで黒龍石を切断できるレベル。学生に向けて振るっていい力ではない。


 が、そうまでしなければ押し返せないのだ。


 さばかれることにも慣れているのか、少年は持ち前の体幹たいかんをもってバランスを整え、ラッシュを仕掛けてくる。そして剣の技巧ぎこうも、なかなか大したものだ。

 相手の剣をさばこうという意志はないのか《ゆう》をりまぜてはこない。だがその分、こちらの《ゆう》を打ち消す《いん》に注力し、誘導を封じた上で《はつ》をぶつけてくるという驚くべき脳筋スタイル。が、これが少年の持つデタラメに高い《剣気》とあいまって、シンプルにして絶大な効果を発揮している。


 単調な攻撃ゆえに《剣気》の流れ自体は読みやすいが、受けるしかない剣筋けんすじは正面から対応せねばならない。

 重たい剣戟けんげきが縦に走り、雲嵐うんらんの腕にじわりとしびれをもたらす。


 剛腕ごうわん。《剣気》に絶対の自信があればこその戦術だ。


「うむ。凄まじい気迫と《剣気》。見事だ」

「そりゃどーも」


 軽口を返してくる少年。だが、言葉とは裏腹にその表情に余裕はない。

 全力で《剣気》を放出しながらの乱打だ。しかも雲嵐うんらんに反撃を許さないほどの連撃。息が切れて当然なのだ。

 剣閃けんせんが斜めから入ってくる。こちらは脇から上方へ切り上げる形で迎え撃つ。


 ガキィンッ!


 高密度に圧縮された双方の《剣気》が火花を散らし、中空へ溶けるように消える。

 雲嵐うんらんは冷静に考える。

 今、無理に打ち返す必要はない、と。

 時間が経てばおのずと彼の動きは鈍るだろう。反撃はその時でいい。


 ステップを刻み、斬撃の軌道上から体をらす。

 顎先あごさきを紙一重で紫の炎が通過した。

 大振りを外した少年は隙だらけに見える。だが、雲嵐うんらんは深追いはしない。バックステップを入れ、距離を取る。


(持ってあと三分といったところか)


 勝利へのカウントダウンを頭の中で刻み、雲嵐うんらんは呼吸を整えた。




 ◇◇◇◇◇


 常人が《剣気》を見ることは叶わない。

 が、常軌じょうきいっした《剣気》と《剣気》のぶつかり合いは、大気を痛烈つうれつに強打し、その衝撃波が突風のように闘技場内を駆け抜けた。


 その激突は空間さえ歪めるほど。ゆえに大気に生じた歪みを察知することで、本来は見えぬはずの《剣気》が紅蘭こうらんにも見えた。


「見えるわ……空間を揺らす陽炎かげろうのような炎が」


 汗ばむ拳を握り締め、まばたきも忘れて剣をぶつけ合う二人の男を凝視する。

 猪突猛進ちょとつもうしん麒翔きしょうの戦い方はスマートではない。一見すると猛攻もうこうを仕掛け、押しているようにも見えるが、ひらりとうまわされてしまっている。


「まるで闘牛士とうぎゅうしみたいね」


 固唾かたずんで見守っているのは紅蘭こうらんだけではない。

 一学年次席の獅子天ししてんは白い息を吐き、ガチガチと歯を鳴らしながら言った。


「あれほどまでに凄まじい《剣気》だったのか……」


 上院・下院合わせて九百名。観客席で湧き立つ生徒たちとは対照的に、獅子天ししてんは両腕を抱くようにして震えている。それは寒さからくる震えではなく、畏怖いふからくる震えだった。


「そうだ。くる獅子ししを思わせる凄まじい気迫と《剣気》だ。私は龍公クラスと見立てたが、どうやら見誤みあやまったようだ。あれなら龍公の命に届く」


 紅蘭こうらんの右隣。舞台上から一時も目を離さずに黒陽が応じた。


「オレじゃ歯が立たなかったわけだ。あんなの少しかすっただけで命はないぞ」

「それは私とて同じだ。成長期の龍人の力をあなどるなかれだな」


 大気を介しての間接とは言え、一般人にまで可視できる程の超大な《剣気》だ。模擬刀から散ったわずかな《剣気》でさえ必殺の威力がある。


「ご主人様はすごいってことです?」

「そうだ。私たちの主人はものすごく凄いんだ」


 わぁと感嘆かんたんする月乃つきのの問いに、顎を引いた黒陽が「すごく」の部分を強調して言った。頬を赤く染めて見入る少女が二人。その間。挟まれる形で座する桜華は、熱気渦巻うずまく闘技場の空気とは別種のぽかぽかした空気感を放ちつつ、


「いつの間にかヒロインが一人増えてるんですけどー。翔くんもすみに置けないなぁ」


 むーとうなりながら、一人全く別の話題を展開。しかし、舞台上の死闘に意識が向く各人たちの耳には届いておらず、お気楽ワールドの展開に失敗した。


「それで麒翔きしょうくんは優勢なんですか。劣勢なんですか。どっちなんですか!」

「うーん、そうですねぇ。少しばかりマズイような気もぉ」


 祈るように両手を合わせるアリスは不安げだ。一方、席上で膝立ちになった風曄ふうかも困ったように眉をひそめている。ちなみに膝立ちなのは、そのままでは身長が足りなくてよく見えないせいだ。

 その幼女の隣。下院の女教師たちが並んでいる。


麒翔きしょうは十分すぎるほど良くやっている。だが、相手が悪いかもしれんな」

「禁軍統領は龍公をほふるほどの実力者ですからね。仕方ありませんわ」


 三角眼鏡の魅恩みおんと、縦巻きドリルの明火めいびが同時に劣勢を表明。

 この発言を受けて、月乃つきのとアリスが不安そうにそわそわしだす。


李樹りじゅさん、李樹りじゅさん。実際のところ転入生くんの実力はどうですか?」

「うるさい! 黙ってろ。気が散る」


 強烈なパッションピンク。上院教師の綾奈あやなの疑問に、李樹りじゅの反応は冷ややかだ。

 綾奈あやなは隣の白衣へ助けを求めるように視線を向けた。


氷理ひょうりさん、氷理ひょうりさん。筋肉ゴリラが解説をサボってます」

李樹りじゅの目の色を見てごらんよ。あれは本気だ。怒らせると後が怖いよ」


 マイペースな氷理ひょうりは、いつもと変わらぬ飄々ひょうひょうとした姿勢。

 腕まくりしたゴリラの太い二の腕を凝視した綾奈あやなが、ぶるると身を震わせた。


 闘技場の高台。

 特別観覧席から決闘の行方を見守るのは蒼月そうげつ翠蓮すいれん公主の二人だ。


「この勝負。どう思う、翠蓮すいれん? やはり厳しいと思うかい」

「そうですね。禁軍統領は、お父様の右腕です。実力的には烙陽らくよう様と同等。やはり、あれに勝つのは難しいでしょう。ただ――」

「ただ、なんだい? 遠慮することはない。言ってごらん」

「妹が惚れた男の底力に興味があります」


 翠蓮すいれん公主の口元がなまめかしくを描く。

 次の瞬間、勝負が大きく動き、闘技場全体が歓声にいた。




 ◇◇◇◇◇


 異変を感じたのは、戦闘開始から五分を過ぎた頃だった。

 一向に止むことの無い豪雨のような剣戟けんげき

 そろそろスタミナが切れても良いころだという雲嵐うんらんの目算は裏切られ、激しい剣戟の豪雨は止むことなく吹き荒れている。


 ――否。

 それどころではない。


 次第に打ち込まれる斬撃の重さが増していっている。

 一太刀ごとに加速するように。一撃をさばいたあとの一撃は更に重く。より強く、より鋭利に《剣気》がまされていく。


「まさかここに来て《剣気》の出力が上がっているというのか」


 その上昇は際限さいげんなく。それはまるで雲嵐うんらんという強敵をかてに、戦いの最中さなかで成長していくかのよう。

 紫炎しえん雨脚あまあしは強くなり、豪雨は雷を伴い雷雨となりつつあった。


 まさに嵐。剣舞けんぶの嵐が吹き荒れる中、《剣気》が本物の雷のように大気を走った。バチバチと帯電するように、紫電しでんへと変貌へんぼうした《剣気》が模擬刀にまとわりつく。そこから繰り出される一撃は、雲嵐うんらんが未だかつて感じたことのないレベルで洗練されており、もはやガード不可の状況へと追い込まれつつあった。


 それはハンマーでぶん殴られたような――という比喩ひゆ表現が最もしっくりくる一撃だった。真上から垂直に地面へ叩きつけられた瞬間、ひざにかかる重力は一気に数十倍にもふくれ上がった。受けた模擬刀ごと全身の骨がきしみ、雲嵐うんらんは激痛にあえぐ。


 鉱石ごとの比重ひじゅうが異なるように、《剣気》もまた使用者の実力に応じてその重みが変わる。少年の《剣気》は今まさに、雲嵐うんらんの《剣気》に大差をつけつつあった。それは軽量武器と超重量武器がぶつかり合うようなもの。

 反撃どころではない。一撃を打ち込まれるたびに体は大きくかしぎ、安定とは程遠いバランスへと崩されていく。


 今までは、いくら強力な《剣気》と言えど、ある程度《ゆう》は効果を発揮しており、多少の軽減には成功していた。が、今目の前にしている規格外の《剣気》が相手では、もはや先方の《いん》によって《ゆう》の効果が完全に打ち消されてしまっている。すなわち、真正面からこの規格外の《剣気》を受け止め続けなければならない。


 そんな中、今までで最大規模の暴風が雲嵐うんらんの眼前で展開された。数多あまたの修羅場を潜り抜けてきた雲嵐うんらんが、その本能が、無条件で警鐘けいしょうを鳴らすほどのとんでもない《剣気》の塊だ。


 雲嵐うんらんは、瞬時に無理だと悟った。

 この攻撃を受けにいけば、まず間違いなく受け損ねて命を落とすと。


 雲嵐うんらんは己の判断が甘かったことを悔やんだ。スナミナが切れたところを優しく倒してやろうなどと、学生相手だからと手を抜いたことを後悔した。


 この加速を少年がどうやって生み出したのかは、わからない。

 だが、こうなる前に倒しておくべきだった――と今更ながらに思う。


 斬撃が脳天のうてんへ迫る。完全に捉えられている。回避はできない。

 確実な死を前に、雲嵐うんらんは無意識の内に流麗りゅうれいなステップを踏んでいた。


 ――水流すいりゅうに浮かぶごとく。


 雲嵐うんらんの全身が残像ざんぞうともない、幾重いくえにもつらなって不確かな虚像きょぞうを形作る。

 少年の一撃は確実に雲嵐うんらんを捉えていた。が、それは実体じったいを持たぬ虚像きょぞう紫電しでんの《剣気》はむなしくくうを斬り、実体の方はすでに彼の背後へ回り込んでいた。

 死角から放たれる横薙よこなぎの一撃は、少年の腹部を捉え、そして――


 手加減の効かぬ本気の一撃が、少年の体を水平方向へ大きく吹き飛ばす。

 そのまま数十メートルを滞空たいくう。長い空の旅を経て、コロシアムの分厚い壁に叩きつけられた。硬質な石材で作られた壁に一瞬で亀裂きれつが走り、激突した少年を起点に半円状に陥没かんぼつ。最終的には破片が飛び散り、大きくぜた。


 水流すいりゅう水龍すいりゅう。水属性の者のみが習得可能と言われる、秘技中の秘技。

 いかなる攻撃もその不規則な動きの前では無力。その実体を捉えることは何人なんぴとたりとも叶わない。


 これこそが、現役の龍公をほふった奥の手。『水龍の舞い』である。

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